最終楽章「新しいレッスンバッグ」

 僕が小学校6年生になった頃、


 天才ピアノ少女として有名人になったみかちゃんを、僕は、毎日のようにテレビで観るようになった。


 海外の有名なジュニアのコンクールで、みかちゃんが優勝したというニュースでメディアが賑わっていた頃、僕は、自分のピアノの才能の限界を知り、ピアノを続けるべきか辞めるべきか悩んでいた。


 記者会見でのフラッシュの中、マイクを向けられたみかちゃんの笑顔は「さくらピアノ教室」でピアノを弾いていた時の笑顔よりも、窮屈そうに見えた。


 みかちゃんとの次元の違いを知ってしまった僕は、あの頃のように、みかちゃんを憎らしく思ったり嘆いたりすることはなくなった。


 僕は、少し、大人になってしまったようだ。



 ――クリスマスイブ。


 僕が住む町では、珍しく雪が降った。ホワイトクリスマスだ。


 この年最後のピアノのレッスンを終えた僕が外に出ると、粉雪が舞い散る中、白いダッフルコートを着たみかちゃんが、楽しそうに踊っていた。色白のみかちゃんの頬は、ピンク色に染まっていた。


「この雪の中、ずっと待ってたの? 中で待ってれば良かったのに……」


「ここからきこえる、こうたのピアノ、ゆきの曲だった。とってもきれい」


 そう言って、みかちゃんは、雪の中を楽しそうに、ひらひらくるくると踊り出した。


 この日ぼくが弾いていた曲は、ドビュッシーの『雪は踊っている』だったのだ。


「みかね、とおいところに、おひっこしするの」

「うん。テレビで観たよ。フランスのすごい立派な先生にピアノ教えてもらうんでしょう? おめでとう! 良かったね!」


 僕は、心からみかちゃんを祝福した。


 みかちゃんは、嬉しいのと淋しいのがごっちゃになったような表情をした。


「だからね、こうたと、とおくなっちゃうから、クリスマスプレゼントをわたしにきたの」


 サンタクロースとトナカイが描かれた可愛らしい手提げ袋を渡された僕は、


「ありがとう! 今、開けて見てもいい?」

 と言った。みかちゃんは、ちょっと照れくさそうに頷いた。


 手提げ袋を開けると、子犬が五線譜の上で楽しそうに踊っている青色のレッスンバッグが姿を現した。


 みかちゃんは、

「みかとおそろい!」

 と言って、色違いの赤いレッスンバッグを得意げに僕に見せた。


「ありがとう! みかちゃん! 遠くに行っても僕のこと忘れないでね!」


「うん! みか、ぜったい、こうたのことわすれないよ!」


 そう言って、みかちゃんは、


「ころころ ころころ わんわん ころがる」

 と、楽しそうに歌いながら帰って行った。


「なんだよ、これじゃ、僕、ピアノ辞めるわけにいかないじゃん!」


 そう言いながらも、僕の心は、ポカポカと暖かかった。


                             了


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新しいレッスンバッグ 喜島 塔 @sadaharu1031

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ