エゴイスティック・サンタクロース

佐熊カズサ

エゴイスティック・サンタクロース

 地下鉄と直通したデパートのスイーツショップが乱立する区画は、老若男女の少し焦りの混ざった楽しげな話し声とルロイ・アンダーソンの『そりすべり』で満ち溢れている。


 私は迷惑を承知で人ごみを縫いながらいくつもの店のショーウィンドウを覗き込み、その区画を少なく見積もっても20分は右往左往していた。


 12月24日の午後、講義が終わり帰宅する途中。ふと今日がクリスマス・イブであることを思い出し、同じアパートの住人であり友人でもある宮村シュンにプレゼントを買おうと考えいたったのだ。


 散々うろうろしながらもどうにも煮え切らないでいる状況には、選択肢があまりに多すぎることや、そのほとんどが多少の無理をすれば手が出せる価格帯であることなどの理由がある。しかし最も大きな理由は、どれを選択すればシュンが喜んでくれるか見当がつかないことだった。


 宮村シュンは控えめにいっても趣味や思考、あらゆる習慣において世間一般とは乖離した、いわゆる『変人』である。エキセントリックな言動や発想は常に刺激的で楽しいが、定番のカレンダーイベントとはねじれの位置関係にある。


 それでもなにか取っ掛かりはないかと、友人として過ごした9か月ほどの記憶を探る。無数にある思い出以上の価値がない雑多な記憶の中から、彼女のあるひとつの習慣がきらりと輝いた。


 シュンはコーヒーが好きだ。いや、本人から明言されたわけではないので確証はないが。とはいえ、読書や調香、映画鑑賞の傍らには常に湯気の立つコーヒーマグが置かれているのだ。好きでないならそうはすまい。


 しかしそこで私は一捻り加えて、あえてコーヒー豆を探しには行かず、チョコレートが売っている店を探す。


 なにもわざわざ気をてらいたいわけではない。ただ純粋に彼女の反応を気にしてのことだ。プレゼントなのだから気にして当然だろうが、相手がシュンとなると他の友人よりも気になるのだ。


 彼女のこだわりたるや! それにそぐわないとなると、注がれる視線はシベリアと比較するのも無駄だと思えるほどに冷ややかなのが想像できる。となれば、コーヒー豆ではなくそれのお供となるようなチョコレートをプレゼントする方が、不安材料は少ないというものだ。


 チョコレートとひと口にいっても、現代のそれは色とりどりで形も複雑なパズルのようにまちまちだ。複雑に細工された幾何学立体のものから角の丸いシンプルな直方体のものまで、誰かのこだわりが詰まっているであろうチョコレートがディスプレイされたショーウィンドウを覗き込む。


 ここでも再び(右往左往はしなかったが)散々迷いに迷って、結局シンプルな、立方体のチョコレートが12に区切られた部屋に大人しく収まっているものにした。そこまでサイズも個数もない割にはいいお値段で、会計トレイに置いたキャッシュを見て、ただの学生である私の胃壁が少し薄くなるのを感じた。


* * *


 静寂を守り抜いてきたワンルームに、木製のドアをノックする音が響いた。間も無くして、誰かがドアを開ける音が聞こえる。


 一般的には、アパートの自室のドアが他人によって無許可のうちに開けられるというのは焦るべき状況だ。しかし、彼女の人柄をにじませた優しくも力強いノックは、静寂破りの犯人を推定するには十分だった。


「やあ、コハル」


 部屋の奥から、自然光に照らされてビーカーの中で琥珀色に輝く香水に視線を落としたまま侵入者に声をかける。


「シュン、お邪魔するよ」玄関の方から推定を確証に変える天野コハルの声が聞こえた。


 私は中身をこぼさないよう慎重に、30mlの遮光瓶にじょうごを使って製作したての香水を移す。キャップをぎゅっと閉めて顔を上げると、ちょうどコハルがメインルームに入ってきたところだった。


 アカデミーの制服の上からネイビーのダッフルコートとモスグリーンのマフラーで防寒したコハルの薄桃色に色付いた頬と鼻先が、外の寒さを物語っている。意地でもタイツではなく黒のクルーソックスでやり過ごそうとするのは、そろそろやめるべきだろう。


 普段と大差ない柔和な表情であるようだが、顔の端々の筋肉が妙に緊張して見える。原因はおそらく、普段から持ち歩いているトートバッグとはまた別に、左手に握りしめられたデパートの紙袋にあるのだろう。


「デパートで目的のものは買えたのか?」


 試しに早速話題に上げてみると、コハルは案の定驚いたようで少し肩をこわばらせた。


「あ、ああ、うん、その……」


 珍しく言い淀む彼女に違和感を感じながらも、私は意味の通った言葉が紡ぎ出されるのを待った。見ていると、コハルの頬に赤みが差し眉根がわずかに寄った。


「ほら、今日はクリスマス・イブでしょう? だから、ほら」コハルはどこかきまりが悪そうに微笑んで、紙袋を突き出した。「――プレゼント。ハッピーホリデイ、だよ」


 なんとまあ。


 今日がいつだか失念していたせいで完全に意表をつかれた私は、思考が停止して固まってしまった。


 それに、これは自分でも予想外なのだが、彼女からプレゼントをもらったこと自体が嬉しかった。普段なら、必要もないものを押し付けられてうんざりさせられるだけのプレゼントが、だ。


 どうにか状況を消化し、そろそろと手を伸ばしてプレゼントを受け取った。紙袋を覗き込むと、上品なライトブルーの箱がひとつ入っていた。


 箱を手に取り、同系の深いブルーのリボンを解いて開けると、均等に区画整理された四角に12のチョコレートが収まっていた。


 砂糖、ミルクとカカオの甘い香りが広がった。


「チョコレートだよ」沈黙が恐ろしかったのか、コハルは弁解するような口調でいった。


「ああ」


「シュンはしょっちゅうコーヒー飲んでるから、それに合うんじゃないかなって……」


 私はチョコレートから顔を上げ、コハルの宇宙を思わせる濃紺の目を見た。


 正直、私は甘いチョコレートは好きではない。カカオの含有量が70%を超える、苦味の強いものが好きなのだ。


 彼女が彼女でさえなければ、この魅惑のキューブを紙袋に戻して突き返すこともできただろう。


 しかし、あの期待と不安に揺れる宇宙を深海に変えてしまうことなど私にはできない。


 私は、私のせいで落ち込んだ彼女など見たくない。


 嘘をつくことはストレスだ。その場限りの優しい嘘というのは、長期的に見たときに悲惨でこじれた現実の火種になる場合が多い。


 それでも私は、ため息を噛み殺して言葉を選んだ。


「ありがとう、うれしいよ。すごくうれしい」


 私は半分だけ嘘をついた。あくまで自分のために。

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エゴイスティック・サンタクロース 佐熊カズサ @cloudy00

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