第11話

「い、痛ひ」


幼少女の可愛らしい牙は、その柔らかく透明なものに跳ね返された。

思い切り噛みついた分、顎全体に痛みが広がる。

両目に涙が滲む。


「あんた、何やってるのよ。」


幼少女をお姫様抱っこしている人族の声が頭の上から降ってきた。

聞き慣れない言葉の響きながら、「呆れた」という気持を隠しようもない色がかかってるのが幼少女にもはっきりわかる。


あまりの硬さと恥ずかしさに涙目の幼少女にさらに人族の女は追い討ちをかける。


「あんた、ペットの飲み物を飲んだことないの?」


人族の女は、その経験のあることが当然かのような視線を幼少女に注ぐ。


「ペット…の…飲み物…」

「そうだよ。飲んだことないのかい?」


一瞬で幼少女の胸に誇りの炎が灯った。

幼いといえども幼少女はまがうことなき魔王。

全ての魔族に仰ぎ見られる、魔族の象徴であり魔族の誇りの化身なのだ。

人族が魔族を相容れぬ存在と見做していることは知っていた。

そうであったとしても。


「たとえ、たとえ勇者に討たれたりといえども、我は100万の魔族を統べる魔王。その我にペットの餌を与えるとは、なんという、なんという…」


痛さと怒りと悔しさで気持がぐちゃぐちゃになりながらも、幼少女は魔王としての誇りを口にする。

目から熱い涙が溢れる。


この誇りこそがこの幼少女を魔王たらしめていたものだった。


普段の年相応のいとけなさと、誇り高き魔王としての威厳のギャップがたまらなく可愛い、愛おしい、とは、幼少女の側近たちの一致した意見であった。

その時折見せる誇り高き魔王の姿をまさに今、幼少女は顕したのだったが…残念ながらお姫様抱っこされながら涙目の幼少女の姿とはあまりにも不釣り合いで、いやこれこそギャップ萌えなのかもしれないが、とにかく人族の女のハートは貫けなかった。


「何この子、ちょっとおかしい子なのかしら。変なのと関わっちゃった。」


人族の女はさらに視線を冷たくする。

とはいえ、明らかに熱中症になっている少女を炎天下の駐車場に置き去りにするほど人でなしではなかったようだ。


「わけのわからないことを言ってないで、さっさと水をお飲み。」


ペット扱いされた上に、頭のおかしい子扱いされた幼少女はさらに酷く傷ついたが、人族の女が渡してくれたのはやはり水らしい。


幼少女はふとマンデルブとの会話を思い出した。


「魔王様。何事も肝心なのは本質でございまする。物事の本質、人の本質、表面に現れたものにとらわれることなく、常に本質を見通すことをお心がけなされ。」


たしかマンデルブさんは、私が魔王に即位して慶賀の言葉を最初に言上に来てくれた、ゆらめく炎の魔物の長を前に、私がどう声をかけていいのか迷った時に、後でこっそり教えてくれた。


あの時は表情も感情も全くわからない相手に「元気そうで何より。」と声をかけようか、でもゆらめく炎にしか見えないのに、元気じゃなかったらどうしよう、とか、それなら「えんろたいぎ」の方がいいかと迷ったんだっけ。


結局あの時マンデルブさんは、どう声をかけようと、遠くからわざわざ挨拶に駆けつけてきてくれた人に、心から来訪を歓迎するという気持ちをきちんと示すことが大事だって事を教えてくれたんだよね。


幼少女は怒りと悔しさと痛さがぐちゃぐちゃに混じった気持ちの中でも、自分がどうすべきかのしるべを見出した。

やはり幼少女とはいえ、魔王であった。


人族の女が差し出し出したのがたとえペット用のものであったとしても、間違いなく幼少女の命を繋ぐためにはなくてはならないものに間違いはなかった。


「私は、ペ、ペットのは飲んだりしたことないので、…どうすればいいのか教えてください。」


ペット用であっても今まさに必要なものというところは理解しても、やはり受け入れることは魔王にとってハードルが高いようだ。

だが人族の女はわずかに「変わった子だよ」、とでも言いたげな表情を浮かべたものの、なんでもないことのように幼少女に応じた。


「そうなの?あんたいいところ子供なの?ちょっと降ろすよ。」


よいしょ、と言いながら人族の女は幼少女を近くの路肩に降ろした。

そして、幼少女から透明のペットの飲み物を受け取ると、あっさりと一方の端の突起を捻って見せ、また幼少女に戻した。


「ほら。」


ほら、

と言われてもどうしていいかわからない幼少女は戸惑った。

なので人族の女がしたのと同じように突起を捻ってみる。


すると、突起は軽やかに回った。

どうやらこの部分は回るように出来ているらしいことを幼少女は理解した。回し続けると突起がずれてくることにも気づいた。

なので回し続ける。


すると突然、突起が外れ、中の水が溢れ出した。慌ててペットの餌入れを口よりも高く捧げ持ち、口を大きく開けて突起から流れ出る水を受け止める。


甘く冷たい水が喉を過ぎてゆく。

こくこくと音を立てて体に水を染み込ませてゆく。


管理者に飲ませてもらったものに勝るとも劣らないくらいの甘露だった。


「変な飲み方するね。それあんたにあげるから口をつけて飲んでいいんだよ。」


人族の女はそう言うと「それじゃ私も。」言いながら同じペットの飲み物を取り出すと幼少女の隣に座りながら、さっきと同じように突起を捻って躊躇なく口をつけた。

予想外のことに唖然とする幼少女。


「それ、ペットの飲み物ですよね。」

「そうだよ。」

「人族は普段からペットの飲み物も飲んでいるの?」

「人族って、また変なことを言う子だね。」


女は眉をひそめたが、どうやら真剣に質問していることがわかったようだ。

怪訝そうな口調ながら教えてくれた。


「普段は飲まないよ。最近ペットの飲み物は値段が上がっちゃって、家じゃ沸かしたお茶とかだね。でも暑い中買い物に来たんだからちょっとくらい贅沢したっていいだろ。」


幼少女は更なる衝撃に目をまん丸にした。


「この世界の人族は、ペットの方が高級品を食べてるんだ…」


幼少女の呟いた言葉は全くの間違いではなかったものの、やはり勘違いと言うより他になかった。


「管理者さんは私が生まれ変わる世界がこんなへんてこな世界だって知ってたのかな。」


その時、突然、幼少女の頭脳に稲妻のように恐ろしい発想が閃いた。


「そうだ。管理者さんは、アレな勇者さんを選べばうまくいくと思っちゃうような人だった。だったらこの変な世界でも、管理者さんにとっては普通の、ううん、もしかするととっても良い世界と思ってるのかもしれない。」


とんだ冤罪?だが、管理者の自業自得である。


「だったらもっと変な人族や魔族が住んでるかもしれない。」


そしてついに幼少女は恐るべきことに気がついた。


「だとしたら…だとしたら私が前の世界で魔王だったことに気が付いたこの世界の勇者さんが、また、とりあえず念のために私を殺しにくるかも。」


せっかく生きるチャンスを掴んだのに、また。


幼少女は愕然として人族の女を見つめた。


「どうしたんだい?」


言おうか言うまいか、幼少女は悩んだ。

胃弱のヨナに教えてもらった「やぶ蛇」というその辺をうろついているらしい蛇のことも思い出した。

だがそれよりも、言葉を曲解するアレな勇者に再び斬りかかられる恐怖の方が勝った。

なので幼少女は恐る恐る尋ねた。


「あの、この世界の勇者さんは、やっぱりアレな人ですか。」










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2025年12月11日 13:00

とりあえず念のため殺された幼少女(魔王)は、とりあえず念のため隠れて転生する。 @aqualord

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