第2章 異世界転生
第10話
聞き慣れない騒々しい鳴き声が辺り一面から聞こえてくる。
頬を灼熱が炙る。
手も足も動かない。
息をするたびに喉が焼け付く。
幼少女は自分が倒れ伏していることを理解した。
「ここ、どこ?」
自分の声かと疑うくらいの嗄れた声だ。
「新しい世界?」
幼少女は尽きかけようとしていた全ての力を集めて目を開いた。
幼少女は、故郷の土の色とは違った、褪せた黒色の地面に倒れていた。
立ち昇る蜃気楼の先を透明の羽の蟲が這っている。
幼少女は無意識に手を伸ばそうとしたが、力がはいらなかった。
「別の世界に生まれ変わるって管理者さんは言ってたけど、そのまま生き続けられるなんて一言も言ってなかったな。」
生命の限界を感じさせる灼熱の中、幼少女はぼんやりと思った。
「ここで消えるのかなぁ。勇者さんはこんなふうに私が消えてしまうのを望んでいたのかなぁ。」
無性に涙が出そうになったが、すでに涙は枯れているようだ。
つい数日前まで、サガンと初めての実りのお祝いをどうしようか、みんなにお腹いっぱい食べてもらえるほどの実りはないけれど、魔王城の食糧庫を開けば足りるかな、という喜びと満足に満ちた話をしていた。
勇者が幼少女の元にやってこようとしているのだって、魔族が今後は人族を襲うことなどないと話をして、一緒に平和と実りの宴に参加してくれればいいな、とも話をしていた。
胃弱のヨナも、みんながいきなりお腹がいっぱいになったらきっと胃が痛くなるなる人が増えるので、胃薬をたくさん作っておかなきゃ、と言って張り切っていた。
「あ、これがマンデルブさんが言ってた走馬灯なのかも。」
おそらく違うのだろうが、まだ1度しか死んだ経験のない幼少女には本当の走馬灯がどのようなものか分かりようもない。
「でも、諦めるのは出きることを全部やってから、だよね。」
混濁した意識からようやく這い出せそうな幼少女は、サガンが幾度も口にしていた言葉を思い出した。
もう一度手足に力を込める。
痛みが全身を貫くが今度は幼少女の意思に体が応えた。
「はあはあ。」
熱い息が口をさらに乾かす。
それでも身を起こすことはできた。
倒れていた時よりも少し遠くまで視線が届く。幼少女が倒れていたのは生命を生み出すことを拒絶する黒く固い大地だった。
奇妙なことに鮮やかな白い線が何かの意味を持っているかのように縦横に走っている。
だが、揺らめく大気の向こうには木のようなものが見えた。
「あそこまで行くことができれば。」
幼少女はもう一度力を込めてよろよろと立ち上がろうとして、またぺたんとお尻をついてしまった。
「でも、私は生きる。」
たとえ、管理者が密かに幼少女を葬ろうとしてたのだとしても。
心でそう誓うと、からからに渇いた口から熱風を吸い込み、残された力でもう一度立ち上がろうとする。
その刹那。
「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
いかにも場違いなのんびりとした声が背後からかかった。
そのまま声の主が正面に回り込んでくる。
「顔が真っ赤だ。熱中症だね。」
聞き慣れない音のつながりなのに、なぜか何を言われているのかを幼少女は理解することができた。
けれど熱中症?なにそれ?
医務長のシナリンからも聞いたことのない病名だ。
「あ、あ、」
くっつきそうな喉を言葉にならない音のみが抜け出る。
「こんな日陰のない駐車場なんか歩いてたから酷い熱中症になったんだ。ちょっと待ってな。」
見たこともない異様な風体の人族の女は、見たこともない艶のある生地から作られた背負い袋から透明な何かを取り出すと、幼少女にそれを押し付け軽々と魔王をお姫様だっこした。
「とにかく日陰だ。運んでやるから、その水を飲みな。」
「お水?」
「そうだよ。まだ蓋を開けてない新品だから安心しな。」
そう言われて、幼少女は手に押し付けられたものをまじまじと見た。
見たこともない柔らかで透明な素材を通して、中が透明の液体で満たされているのが見える。
ゆらゆらたぷたぷと動くその様は・・・
水だ!
ひりついた喉が無意識に水を欲して動く。
だが、こんな過酷な世界では何よりも貴重なはずの水が無造作に差し出されるなんて幼少女には信じられなかった。
落ち着いてもう一度よく見る。
やはり確かに水だった。
とはいえ、幼少女は何かを口にすることについては厳しく、いや、とても厳しく躾けられていた。
幼少女は曲がりなりにも魔王であったから、食事の際には必ず侍従による給仕がされていた。
それは毒味の魔法に長けた給仕が、幼少女に万が一にも毒による暗殺が起こらないよう最後のチェックをするためでもあった。
「どうした、喉が渇いてるんだろう。」
怪訝そうに声をかけてきた人族の女の表情には邪気はない。
幼少女を暗殺しようとしているようには見えない。
魔王として過ごした短い一生の中で、幼少女は何度も邪なものに接してきた。
だから幼少女は、邪なものを見抜く力を磨くことを強いられた。
そんなタフな人生を送りながら、幼少女が「疑念の病」に犯されなかったのは、ひとえに幼少女を慈しみ敬った側近たちの愛情に他ならない。
その幼少女の目には、人族の女に邪気は見いだせなかった。
もとより、ここが異世界で、そこに住む者が元いた世界の者とは異なる者たちだということを、幼少女はうっすらと頭の片隅で気にはなった。
だが、これから自分がこの世界で生きていく為には、疑うのみでは駄目だということも同時に理解していた。
だから幼少女はおずおずと、「ありがとう。いただきます。」と口にし、その水で満たされた透明のものを両手で持つと、一番真ん中に思いきり噛みついた。
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