お前の土下座ごときに私の怒りを鎮める価値はない!

@-yoshimura-

1話完結 お前の土下座に私の怒りを鎮める価値があるとは思えない。

私の名は七華。

将来に不安を抱えている25才の派遣社員で、今は大手商社に勤めている。

終業時間となり28階建てのオフィスビルから出ると、空には星が光り始めていた。

6車線ある道路には車が渋滞しており、都会独特の雑居音が聞こえてくる。

ビルから漏れる照明がイルミネーションのように綺麗だ。

仕事を終えて開放的な表情を見せながら幅広の歩道へ溢れ出してくる会社員達の姿を見ると、低空飛行中のどんよりとした気持ちが更に下がっていく。

これからデートに行く者、友達同士でお酒を飲みながら愚痴を言い合う者、家に愛する者が待っている者、みんな、幸せそうに見える。

何故、私だけが不幸なのかしら。


それは昨日、私のスマホに心当たりのない名前の女よりメールが届いたことから始まった。

そのファイルを開くと、3ヵ月前から付き合っている男が爆睡している横で、見知らぬ女がピースサインをつくっていた写真があった。

心に銃声音が轟いた。

次の瞬間、私はスマホを触り、彼氏だった男へ、その女から送られてきた写真に『死ね!』と書いてメールを送っていた。

そして、1分1秒でも早く、彼氏だった男の連絡先を迷惑電話・迷惑メールに登録した。

心臓に杭を打ち付けられた気持ちになり、今もその杭は刺さったままの状態だ。


もう一度空を見上げると星が綺麗に輝いている。

いきなり、大雨でも降ってこねぇかな。

ずぶ濡れになりたい気持ちだし、幸せそうな顔をして歩いていく奴等の慌てていく姿が見たい。

大きくため息を吐き、家へ向かい歩き始めようとした時、彼氏だった男が私を見つめていた。

私が退社してくるのを待ち構えていたようだ。

視線が重なると、胸に熱いものと、怒りの感情が吹き荒れていく。

浮気相手の女よりは、どう見ても私の方が綺麗だし、私よりも美人な女はそうそういないからな。

性格で女を選ぶって、そんなの都市伝説だろ。

男をふる立場である私が、浮気をされて、こんなどす黒い気持ちになるなんてな。


安定を求めていた私は、イケメンで大手企業に勤める優良物件だった彼氏だった男と結婚を視野にいれて付き合っていた。

その男が私を見つめながらこちらへ歩いてくる。

心臓の鼓動が聞こえる。

昨日からずうっと私へ謝罪してくる姿を想像していた。

浮気をされてしまい私のプライドが傷ついたのか、その男が好きなのか分からないが、謝りにくることを願っていたと思う。

この後の展開しだいでは、泣いてしまうかもしれないが、その舞台は職場の前ではない。

心臓の鼓動が速くなる中、平静を装いながら、テクテクと歩き始めると、男を向こうにある公園へ誘導し始めた。

職場のオフィスビルの前で話す内容でもないし、カフェとかでゆっくり話しもしたくない。

近くにある日比谷公園へ向けて歩き始めていた私は少しずつ落ち着きを取り戻しており、どす黒い感情がうねりを上げ始めていた。



平日の昼時はサラリーマンがランチを食べ、週末にはイベントが開催されたり、家族連れや恋人達が歩いている日比谷公園は、池があったり、日本庭園があったり、バラ園があったり、各エリアで表情が違う。

銀座を散歩してからフラリと流れてくる女子達も多い。

日が落ちて涼しくなり始めた時期ではあるが、半袖・短パン姿でジョギングをしている親父・若者も見かける。

人が少ない公園内の路地に入り、後ろを黙って付いてきていた男へ振り向いた。

心臓が波打っている。

私より背が高い男の顔を見ると、思っていたよりもイケメンでないことに気が付いた。

男の第一声は言い訳だった。



「写真の女はただの友達で、七華が思っているような関係ではないんだ。」



全力で謝罪してくるものと思っていたが、いきなり言い訳をしてくるのかよ。

この男を手放したくないという気持ちが急速に無くなっていくのが分かる。

未練という存在が私の心から落ち去っていくようだ。

これが、いわゆる断捨離ってやつなのかしら。

いま私が旅をしているとしたら、きっと北極ツアーで船に乗って、クソ寒い中、オーロラを見て清々しい気持ちになっているのだろう。

こんなクソにしがみつこうとしていた自身に腹がたってくる。

もう、男からの言葉は全てうわの空でしか聞こえていなかった。

早く終わってくれねぇかな。

晩飯に何を食べようかと考えていると、男がいきなり『土下座』をしてきた。



「俺を許してくれ。もう一度、チャンスをくれないか!」



前の彼氏、その前の彼氏、そしてその前の彼氏にも浮気をされて、土下座をされた映像が蘇ってくる。

何故か私は浮気ばかりされる。

二股をかけられるのも平常運転だ。

私を大事にしてくれるという言葉を信じていたのに、何故か裏切られてしまう。

謝られていつも許すのだが、浮気をされた過去を消化しきれない私は男達から切れられてしまい、そして捨てられる定型ルートを進んでしまうのだ。

中身がスカスカな私は、浮気をされて当然の結果なのだろうと薄々勘付いていたが、気が付かないふりをしていた。

もう、これは認めるしかねぇな。

綺麗なだけの女には、本当の魅力がないってことを。

雲に隠れていた月が現れたようで、一気に辺りが明るくなり、正面に土下座をしている姿が鮮明に見える。

こいつ、面倒くせぇな。

体に溜まっていた毒を吐くように、思いのままの言葉が出てきた。




「お前の土下座ごときに、私の怒りを鎮めるだけの価値は無い!」




土下座をしていた男が、驚いた様子で顔を上げてきた。

私はおそらく、汚いものを見るような目で見降ろしていたのだろう。

これまで申し訳なさそうに作っていた男の顔が、火山が噴火するように真っ赤に変わり、怒りに満ち溢れていく。

私の主観であるが、俺を許してくれという男は駄目な奴ばかりだ。

『許してくれ』っていうのは謝罪でないし、そもそもそれは上から目線の発言だろ。

ゆっくり立ち上がってきた男が、猛獣が牙を剥き出すような唸り声をあげてきた。



「男がプライドを捨てて土下座したのに、なんだ、その言葉は!」

「モブ男のやる土下座なんぞに需要なんてあるわけがねぇだろ!」



頭の中で『ブチッ』と切れる音が聞こえていた。

私ほど短気な者はいないと自分でも思う。

ただ、それを口にしない、顔に出さなかっただけなのだ。

浮気をされ続けて、蓄積された怨念みたいなものが溢れ出てきている。

このドス黒い感情が溢れ出てきた原因は、鬼の形相をしながらにじり寄ってきている目の前にいる男だけのせいではないのだろうが、今は怖さよりも怒りのエネルギーが突き抜けていた。

体じゅうの血液が沸騰している。

もうやけくそだ。

こんなクソ野郎に屈するわけにはいかないだろ!

胸ぐらを掴まれようとした瞬間、どこからともなく男達が殺到し、私と男の間に割って入ってきた。



「やめるんだ!」「暴力は駄目だよ!」「ストップ。ストップ。」



何だ、こいつら。

この修羅場を観賞していたのか。

繰り広げていた修羅場をこれほどの者達に見られていたと認識した瞬間、怒りで支配されていた脳が急速に冷凍されていく。

周囲に視線を送ると、案の定、スマホを向けている姿が複数あった。

今の修羅場の動画を拡散されてしまったら、私の社会的抹殺が確定してしまうのではなかろうか!

とにかく、ここから逃げなければならない。

人だかりの群れを割って、私は夜の日比谷公園から逃走を開始した。




この出来事が私の運命を大きく変えることになった。




地下鉄に乗り北千里にあるワンルームマンションまで戻るまでの間、日比谷公園で起きた修羅場の映像が頭の中に繰り返し流れてくる。

スマホで動画の取消請求を弁護士にお願いした場合の費用が100万円程度かかることを検索し、唖然としていた。

そもそも何人もの者が映像をとっていたし、一つの動画の削除請求をしても無駄な抵抗なのだろう。

デジタルタトゥーに私の黒歴史が刻まれてしまったのかもしれない。


あれこれ考えているうちに、気が付いたら家のベッドから飛び起きた。

時計を見ると、出勤前にいつも起きている時間だ。

会社に遅刻しなくていいと思うと、少し落ち着いてくる。

一昨日は、彼氏だった男の浮気していた写真が送られてきて一睡も出来なかったせいもあり、昨日は泥のように寝てしまっていたようだ。

日比谷公園からの記憶がほとんどない。

手元に置いてあったスマホを何気なく手にとると、異様な数のメールが入っていることに気が付いた。

仕事関係の親父から意味不明なメールが送られてきたのかしら。

貧困生活を送っている私は、常に親父達から援助交際の標的にされているのだ。

付き合う男には浮気はされるし、踏んだり蹴ったりの人生だ。

まだ寝ぼけている中、スマホを覗きこむと、いろんな者達から動画が届いていた。

意識が急速にクリアになり、心臓の脈が速くなっていく。

日比谷公園で起きた修羅場の動画がバズっているのだと直感した。

昨日スマホで検索したら、本人の承諾なしに、勝手に動画をアップしたらプライバシー保護法に違反するって書いてあったぞ!

せめて、モザイクくらいはかけてくれているんだろうな。

いや、既に日比谷公園で土下座をした男に毒を吐いた女が私であると特定されている時点で、モザイクがかかっているはずもないか。

大きく息を吐き、天井を見上げた。

昨日は3ヵ月間付き合っていた男の浮気を知ってから落ち込んでいたが、そんなことはどうでもよくなってきた。

浮気をされたという精神的ダメージが、更に凄まじい強烈なダメージによって上書きされてしまったぜ。

今日に始まったことではないけど、会社に行きたくないな。

本気でホステス嬢の仕事をしていくしかないのかしら。

気が付くと、会社に行くために私は重たい体を動かしていた。

生活していくためにお金は必要だからな。


ユニットバスへ入り、熱いシャワーを浴び、鋼のような髪の毛を乾かした後、寝ぐせ直しの水をたっぷり髪に含ませ、唇にリップをぬって、化粧の完成である。

スッピンであるが、マスクをしていれば問題ない。

それに私は美人だからな。

ネット通販にて1万円で購入したスリーピースの中古のスーツに袖を通し、いつもの時間に家を出ていた。


ラッシュになる前の日比谷線に乗り、平常心を保ちながらスマホを見ると記憶にない名前の男達から複数動画が届いていた。

電話帳から誰を消していいのか判断が付かなくなっていたが、ついに全消去する時期にきているのかもしれない。

送られてきていた動画を見ると、既に1万再生数を突破している。

やはりモザイクがかかっていない。

うん。バッチリ私だと、分かるじゃないか。

月明かりだけで顔が分かるって画素性能が高すぎるだろ。

メールの着信も継続的に入ってくる。

何だか、芸能人になるとこんな気持ちなのかなと、何か人ごとのように思えてしまう。

電車内ではマスクの効果により、私を凝視する者がいない。

マスク様様だな。


始業30分前。

派遣社員として勤めている商社のあるオフィスビル入口前まで歩いてきた時、同じビルで働いていた名前の知らない地味目の眼鏡女子が声をかけてきた。

違う会社に働いているこの眼鏡女子からは、会うたびに挨拶をされていた。



「「おはようございます。」」



私は容姿のせいで同性の女子達からも人気なので、よく声を掛けられる。

でもまぁ、それ以上に女子達からは目の敵にされてきたのだけど。

友達関係より離れた距離感でいる眼鏡女子が、突然パーソナルエリアへ侵入してきた。

並走するようにグイっと近づいてきて、小さい声で囁いてきた。



「動画見ました。凄く格好良かったです。」



昨日の私が、格好良かっただと!

日比谷公園での出来事は、派遣先の大手商社ではすぐに噂になるだろう。

私はとにかく敵が多い。

派遣で格下に見られること、男に媚びているように見られること、誘いを断ることと理由は様々だ。

最初に眼鏡女子からかけられてきた言葉がポジティブなものだとは想像していなかった。


派遣先の職場でパソコンを開き、出勤ボタンをクリックし、次に届いているメールを確認していくと、社内メールが続々と入ってきていた。

同世代の男女から、励ますような内容である。

いや、全然励ましていらねぇし。

職場で唯一露骨に私をいじってきたのは自称サバサバ女だけあった。



「七華ちゃん。今日もバッチリメイクをしているの。ほんと毎日頑張るわね。」



今日も安定の嫌味だな。

バッチリメイクはしたことが無いのだけど、自称サバサバ女とはメイクの基準が違うのかしら。

というか、自称サバサバ女子に動画を知られていたら、ネチネチとディスられていただろう。


とはいうものの、全世界に一斉配信されている動画は、昼休憩中に社内へ拡散されてしまうものと想像がつく。

用意してきた水筒に入れていた熱い珈琲を飲みながら、派遣社員として勤めている商社を辞めることをぼんやりと考えていた。

確か交わしていた契約内容は、派遣先企業が派遣契約の途中解除をする場合、人材派遣会社へ30日前に途中解除の申し入れをし、了承を得る必要があった。

今日、申し入れをしても30日後か。

もうこれはnisaを解約していなければならないかもしれない。

私の未来が崩れていく。


昼休憩はいつも事務所で一人、コンビニで購入したおにぎりを食べるのだが、今日だけは事務所にいたくない。

ガラス越しに外を見るといい天気みたいだ。

日比谷公園には近寄りたくない。

人の視線はあるだろうが解放されている屋上にでも行ってみるか。

私が勤務している商社は28階建てのビルの26階にあり、楽しい笑い声がこだまして聞こえてくる中、階段を昇っていった。

屋上にはたくさんの椅子や、ベンチがあり、喫煙所なんかも設けられている。

見た感じ、空いている3人掛けベンチはないようだ。

どうしたものかと思っていると、朝、話しかけてきた眼鏡女子が大きく手を振っている姿を見つけた。

こっちですと言っているようだ。

嬉しくはないが、嫌でもないし、有りといえばありか。


眼鏡女子の名前は、神蛇御子。

私より一つ上の26才で、大手ファッションメーカーの総務で働いていた。

お人形のような小さく華奢な体型をし、花のデザインが施されている真っ白な上質のブラウスにモノトーンのスーツを羽織っている。

真っ黒に綺麗に手入れがされている髪は外ハネのショートカットで、少し首が隠れ、地味目の印象の顔立ちだが、私とは違い洗練されたコーディネートをしている女子である。

神蛇御子は、私のことをよく知っているようで、話しをしたそうな空気感を出していたが、私から出ているどんよりした空気を感じとり、挨拶をしただけで黙っていた。

3人掛け椅子の真ん中に座り、コンビニおむすびを出した時である。

また、別の女が話しかけてきた。



「私も昼御飯を一緒にしてもいいですか。」



その女の名前は、鯨波倫。

私より一つ下の24才で、中肉中背で紺色のブラウスを真っ白なロングパンツに合している。

ウルフカットをし、きつめの化粧で仕上げており出来る女といった感じの雰囲気がする。

私と鯨波倫とは同じ商社に勤めており、今は内勤をしているが、海外勤務もあるキャリア組のエリートだ。

一度も話しをしたことはないし、接点もなかったはずだ。



「熊王さん。動画をみましたよ。昨日は修羅場だったようですね。」



私の姓は熊王で、名が七華である。

鯨波倫のその声は、明るいものでもなく、茶化してやろうとか、ディスろうとする様子でもないが、何の用なのかしら。

持参した手作り弁当を広げながら、淡々と言葉を続けてきた。



「私も彼氏に浮気をされたことがありまして、その時、熊王さんのように出来なかったというか、男に泣いてすがりついちゃったんですよ。動画を見て、私の代わりに恨みをはらしてくれた気持ちになって、お礼が言いたかったんです。でも、お礼なんてしていらないですよね。」

「その気持ち分かります。」



鯨波倫の会話に、喋る機会を伺っていた神蛇御子が突然言葉をかぶせてきた。

修羅場の話しを聞かれるものと身構えていたが、2人は自己紹介ともとれる自身の恋愛観について、盛り上がることはなく、ポツリポツリと喋っていた。

共感というものはないが、嫌な気持ちになることもなく話を聞けていた自分に何か心地よさのものを感じる時間だった。

なんとなく流れで、メール交換をし、週末の今日、仕事が終わったら食事を行く約束をしてしまった。

女子会なんていつぶりだろ。

誘われても行ったことがなかった。

誰かの誘いを受けてしまったら、他の誰かの誘いが断れなくなるからだ。

勤めているこの商社は、もう辞めてしまってもいいしな。


午後になると、社内と社外の男達から、継続的にメールが届いていた。

動画を見て慰めたい、もしくは祝勝会の誘いみたいな内容のものだ。

仕事の内容が書かれているかもしれないので、一通り文章を読まなければいけないのが、憂鬱で面倒くせぇ。

イケメンで仕事が出来ると女子社員から憧れの的である既婚者からもメールが届いている。

精神的に弱っている女の愚痴を聞いて大人の余裕を見せてやろうみたいな文章だ。

お前もでっぷり中年親父と同じ、うぜぇ存在の一言だな。




終業時間になり、神蛇御子と鯨波倫を、低コスト居酒屋にきていた。

7時前の時間なのに既に100席あるテーブルは満員となっており、居酒屋独特の賑わった声が響き、焼き物の匂いが充満している。

私はハイボールをグイグイ飲み、4人掛けテーブルの向かいに座った2人は生ビールをガンガン飲んでいた。

何となく話しの流れで、思っていた恋愛観についてベラベラ喋っていた。



「いい会社に勤めるイケメンと結婚して安定した生活を手に入れたいと思っていたけど、私には無理だと分かった。結婚出来たとしても必ず浮気をされる。綺麗でしか価値のない女なんて、年齢を重ねていくと無価値になる。今の私は駄目女の典型だね。これからは、誰にも頼らないで生きていく人生を探すことにするよ。」

「結婚しなかったらいいじゃん。結婚しなくても、子供を産めるし。私は、七華ちゃんと違いまだ自分に可能性があると誤魔化しているんだけどね。」



私達はすぐに下の名前で呼び合うようになっていた。

小柄で可愛らしく仕上げている神蛇御子は、言葉の語尾に『じゃん』とつける東京都内で育った女だ。

ファッションに高い関心があり、将来自分のブランドを立ち上げたいと願って、大手化粧品メーカーに入ったものの、総務部に配属されてしまったそうだ。

男運もなく、自暴自棄になっている時、密かに憧れていた私の動画を見て勇気をもらい、何か奮い立ったそうだ。



「うちは大手商社に入り、世界を駆け巡るバイヤーに成りたかったんやけど、先輩達はずっとパソコンの前に座って社内書類をつくっているねん。うちもああなると思ったら、全然頑張れないわ。うちも七華先輩のように本当の声を叫びたいわ。」



エキソジックな雰囲気がする幹部候補として入ってきた鯨波倫は関西出身で、プライベートでは関西弁で喋る。

私のことは先輩付けして呼ぶようだ。

2人は目標を持って会社に入ったがその目標を見失ってやさぐれているようであった。

私の目標は結婚だったんだけど、私も見失ってしまった。

私は誰かに頼ることなく生きていかなければならない。

とはいうものの何をしたらいいか分からないわけなんだけど。

3人でゴクゴクとジョッキを飲んでいた時、ガリガリの体型をした背の高い親父が声を掛けてきた。



「探しましたよ。七華ちゃん。」



芸能事務所社長の鮫島で、以前、街を歩いていた私をスカウトしてきた親父だ。

4人テーブルの私の席の隣へ勝手に座り、店員へ飲み物を注文すると、神蛇御子と鯨波倫に名刺を渡し自己紹介を始めていた。

スカウトされた時、芸能界では綺麗なだけだったり、芝居がうまかったりしても、それだけでは使ってもらえない。

私のように何も持っていない者が仕事をもらうためには、『枕営業』をしていくしかないと鮫島から説明を受けたため、芸能人への誘いは断ったのだ。

私を探しにきたというが、思いあたるものは日比谷公園の動画のことしかない。

神蛇御子と鯨波倫と営業スマイルを浮かべながら話す鮫島が、私へ視線を送ってきた。



「何か私に御用ですか。」

「七華ちゃんが芸能人でやっていくチャンスが到来したからだよ。武器を持っていない芸能人は、使ってもらうために枕営業をしていくしかないと前に言ったけど、七華ちゃんにその武器が出来たから、わざわざ探しに来たんだよ。」

「その私の武器って、日比谷公園の動画の事ですか。」

「そうそう。僕の目に狂いはなかった。やさぐれ女子のカリスマ、七華が爆誕だ。あの動画を週刊誌に掲載してもっと炎上させちゃおうよ。」



彼氏だった男の元には別の者が、あの動画を記事にする承諾をもらいに行っているそうだ。

怪しい話しばかりしてくる鮫島の言葉には説得力がある。

それは、話しに整合性があるからだ。

私は有名になりたいわけではないのも知っている。

だが、鮫島には、芸能人で成功するカリスマが私にあると言っていた。

その鮫島が、神蛇御子と鯨波倫の二人を唐突に煽り始めた。



「自分がやりたいことをするなら、投資してくれるスポンサーが絶対に必要だよ。でも二人には、それはもう無理だって分かっているんだろ。だから神蛇ちゃんも、鯨波ちゃんも、七華ちゃんの反逆のカリスマに乗っかっちゃおうよ。」

「反逆のカリスマ?」

「格闘家の魔裟◯かよ!」

「七華ちゃんって、こんな可愛い女の子なのに、今時の女の子の要素が全くないって、もうこれは、とりあえず時流に乗っかっておけば安心すると思っている者達への反逆だよ!」



その反逆のカリスマって、駄目な奴だと聞こえるが、私の方が間違っているのかしら。

神蛇御子と鯨波倫は鮫島の言葉にフリーズするものの、これまで死んでいたその瞳がキラリと輝いている。

ワクワクが全開している目だ。

鮫島のばら撒いていた餌に、2人が掛かったのだな。

目が見開き、前のめりになっていく2人に鮫島がゆっくり言葉を続け始めた。



「ギャルの神様である、益若つば〇さんの法則について話しをさせてもらいましょう。」



私を口説きにきた鮫島は、何故か神蛇御子と鯨波倫の二人に対して、益若つば〇さんの法則とやらをこんこんと話し始めた。

話しを要約すると、社会的ブームはいずれ去るのだが、当時ギャルだった女子達の胸には益若つば〇さんは今もカリスマであり、彼女がプロデュースする商品、vtubeには一定の需要があるそうだ。

芸能界を引退しても、スポンサーは継続的に彼女についてくる。

つまり神蛇御子と鯨波倫の夢を叶えるため、私が芸能界で成功する手伝いをするように2人を説得しているのだ。

未来がほしい私にとっても悪い話しではないし、神蛇御子と鯨波倫の2人とは今日初めて話しをした関係だが、一緒に歩いてくれるなら心強いと思える。

気が付くと、瞳を輝かしている神蛇御子と鯨波倫が私の顔を覗きこんでいた。

私からの言葉を待っているのかしら。



「そうね。私は鮫島さんの話しに乗ってみようかな。」

「私も乗っていい?」

「うちもやる。それで何をしたらいいの!」






次の日、『お前の土下座ごときに、私の怒りを鎮めるだけの価値は無い!』という題名のニュースが、ネットのアクセスランキングに上がっていた。

その3日後には、私に土下座をした男が、『無価値な土下座をする男』としてテレビに出てヘラヘラしている姿があった。

世間では『お前の土下座ごときに、私の怒りを鎮めるだけの価値は無い!』が流行語大賞になりそうな勢いになっており、先日、居酒屋で鮫島が話しをしていたとおりのことが、まったくそのまま起きている。

鮫島が描いたシナリオによると、次は私の出番だ。

テレビ局の控室で化粧をしてもらっている鏡を見ると、信じられないくらいの綺麗な姿になった私が映っている。

もうこれは私ではないな。

まもなく、『男の土下座を査定する』深夜番組の収録が始まる。

鮫島とは私達に進む道をアドバイスしてくれる代わりに、芸能活動で得る収益は最低限の額しか受けとらない内容の契約をした。

私は芸能界を引退するまでにカリスマにならなければならないのだ。

これから始まる番組について、やるべき指示は鮫島から受けている。

まずはクライアントの要望に応えること。

次の仕事を収録後に必ず取る。

素人らしく暴走すること。

vtubeに出ない。

流行りを気にしない。

私の魂の叫びを聞かせてやる。


私と神蛇御子と鯨波倫の3人は会社へ既に退職届を出している。

神蛇御子は鮫島の紹介で有名スタイリストに就くこととなり、鯨波倫は鮫島の芸能事務所で働くことになった。

私達の未来はまだよく見えない。

だが止まっていた時間が動き始めたことは分かる。

番組ADさんが呼びに来た。

今はあれこれ考えることは出来ない。

今思うと、私達の運命を変えてくれた『お前の土下座ごときに、私の怒りを鎮めるだけの価値は無い』といった言葉に感謝だな。


END

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