‡ 5発目_消えた記憶、消したい過去 (結)
「では参りましょう、
明朝、聖女と元・生け贄は宿を出た。
仮称命名はレウレだ。由来は明るい緑色の眼――正直、それくらいしか特徴がないので。
行先は駅。この町から大聖堂のあるソント市へは列車が通っている。
近頃は燃料の
それよりシェズだ。一晩じゅう監視したが(彼は困惑しまくっていたが無視した)、何ごともなかった。
だが彼の正体や儀式の詳細がわからない以上、油断は禁物。何かの拍子に豹変しないとも限らない。
そのとき自分一人なら対処できるが、公共交通機関を利用するとなれば、一般の乗客が巻き込まれる危険がある。
念のため
彼は子どものように終始あたりをきょろきょろ見回している。聞けば「何か思い出せるかもしれない」とのこと。
……もし彼が純粋な被害者だったら。演技や擬態ではなく、本当にただ巻き込まれただけの一般人なら、記憶を失ってさぞ不安だろう。
修道女ならその苦痛を和らげるべきだ。彼の声に耳を傾け、寄り添って神の温かさを説くべきなのだ。
そう思いはしても、レウレは黙って見ていた。
撃鉄聖女の祈りは迷える人々への慈悲ではなく、悪魔を殺す弾丸なのだから。
「窓側座っていいっすか?」
「どうぞ。他に誰もいらっしゃいませんし、向かい合いましょう」
「へへ」
なんだかシェズは楽しそうに見えた。その一方で、窓ガラスに映った顔は寂しげだった気もする。
それを確かめるより先に、列車が動き出した。
シェズはどんどん流れていく景色を、何時間も眼で追った。昼食の間もずっと窓から眼を逸らさなかった。
まるで、走り去る風景の中に、何かを探すように。
あんまり熱心なので、レウレは乗り物酔いしないかと心配しつつも、声をかけられずにいた。
案の定、結局は呻いて座席に突っ伏したが。
「……うへぇ」
「あらまぁ……お水は要りますか?」
「もらう……」
冷たかったのか、ひと口飲むなりぶるっと身体を震わせる。
シェズはあまり言葉遣いが丁寧とは言えない。初めのうちは色白なのであるいはと思っていたが、貴族という線もなさそうだ。
「……ダメだ。なんも思い出せねぇ」
「焦らないでください。審問の結果に関係なく、記憶が戻るまでは教会が保護しますから」
「でも……、嫌なんすよ。俺、今、頭ン中、真っ白で。……もし生まれ育った町を通っても、目の前に家族が立ってたって、何も感じないのかと思うと」
「……そうですか」
シェズは深い溜息とともに、ふたたび座席に横たわった。
だいぶ疲れたのだろう。もう何も見たくないと言うように、両手で顔を覆っている。
本当に記憶喪失なら、原因は悪魔だろう。洗脳や催眠の副作用か、あの儀式のせいか。
何度見ても彼の中身は血と肉で、ただの人間だ。擬態にしては完璧すぎる。
だとすれば考えられるのは――皮を剥いで被るのではなく、生きたまま人の肉体を乗っ取ろうとした、あるいはすでに乗っ取っている?
後者は少し考えにくい。上位の悪魔はあまり同格の者とは群れず、下級の
むろん可能性が低いというだけで、絶対にないとは言い切れないが。
ところで悪魔があのような邪悪な儀式を行うのには、大きく二つの理由がある。
一つは繁殖のため。彼らの母星と異なる環境で殖えるには、人間の死体を用いて生殖装置を作らねばならないらしい。
もう一つは
今回は少なくとも繁殖用ではない。それなら女の贄も必要だし、刻んだりしない。
しかし魔法陣の形式からして、示威とも違う印象を受けた。
「……レウレさんは、どこの人? なんで悪魔祓いになったんすか」
「そんなこと聞いてどうするんです」
「なんか参考になるかなって。……あと単純にちょっと聞きたいっす。すげぇ美人だもん、教会に入るなんてみんな止めたでしょ」
「いいえ。……罪人でしたから」
「へっ?」
レウレはおっとりと微笑んで、それ以上は語らなかった。
他人に話すようなことではない。そんな必要もないし、考えたらわかるだろう。――悪魔殺しの兵器になるのが相応しい女なんて、まっとうな経歴の持ち主ではないことくらい。
それで悪魔は言ったのだ。――おまえは温かい家と男を欲しがっている、と。
彼らは人の心を読む。胸の奥底深くに隠した欲望を見抜き、弱みにつけ込んで操り、堕落させ罪を犯させる。
まったく性質の悪い、忌々しい存在だ。
だからレウレは悪魔を殺す。
神だけを愛すと誓い、汚れた身体を造り替えて、兵器になった。
「さあ、そろそろ着きますよ」
醜い素顔を隠すために微笑みを張り付けて、麗しの修道女は朗らかに言う。シェズはちょっと困惑しつつも頷いて身を起こした。
やがて闇が晴れる。川の向こうに大都市が見えた。そびえ立つ背の高い建物の群れが、陽を浴びてぎらぎらと輝いている。
その中でひときわ目立つ巨大な塔がソント大聖堂だ。
警笛が鳴り響く。二人はいそいそと列車を降り、ソントの街に立った。
「……レウレさん、審問って具体的に何するんすかね。痛かったらやだな」
「さあ、どうでしょう」
「んな無責任な」
シェズは肩をすくめる。それを見て、レウレはくすりと笑う。
さて、鬼が出るか、蛇が出るか。びっくり箱は開けてみてのお楽しみ、大聖堂に着かねば始まらない。
颯爽と歩き出した聖女のうしろを、元・吊るされた男がのろのろついていく。
もし彼が悪魔の類なら、躊躇いなく撃ち祓う。
迷ってはならない。それが〈
――これは冷たい銃を身の内に抱いた、哀しくて強かな女の話。
(了)
〈撃鉄聖女(ガンナ・マリア)〉の清き祝福(だんがん) 空烏 有架(カラクロアリカ) @nonentity
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