暗闇からソレは襲いかかってくる

 人里離れた山奥からのCQは、その後も途切れることなく順調に続きました。裏を返せば、私とヨットとの交信を聞いていた人がたくさんいたということの裏付けでもあります。


 数こそ覚えていませんが、たぶん2,30局と交信した頃合いだったと思います。CQの合間にブレークがかかりました。ヨットの青年からです。コールサインを呼び返す間もなくこんな声が聞こえてきました。「救助艇が来ました。ありがとうございます!」と。後日、ヨットの写真入りのお礼状が届いたことは前述したとおりです。


 電話連絡を仲介してくださった方(※)のおかげもあり、初めての人命救助はこうして終わりました。


 ◇


 移動運用を終えた後は、真っ暗闇の誰一人いない山の中で後片付けをします。慣れたとはいえ、自然の中に包み込まれている感覚が常につきまといます。言ってみれば原始時代の恐怖でしょうか、夏だというのにふとした瞬間に寒気を感じたり、あまり気持ちの良いものではありません。


 山を降りるクルマの中で、私は尿意を覚えました。無線運用をしている間、交信を希望する人から呼ばれ続けるとトイレにいくこともできないからです。


 街灯はもちろん、月明かりもない山道は真の闇です。暗闇を例える表現に、一寸先も見えないとか、墨を流したようなというフレーズがありますけれど、まさにそれなのです。クルマを降りて道端で用を足そうにも、道端までたどり着く灯りがありません。


 そこで私はひらめきました。ドアを開けている間は車内灯が点灯するじゃないですか、つまりドアを開けておけば、うまい具合に道端へ到達するまで足元を照らしてくれるのです。ライフハックってヤツでしょうか、いいアイデアだと思いました、その時は。


 首尾よく用件をすませてクルマに戻ったまでは良かったのです。

 クルマに乗り込もうとドアに手をかけ車内を見た私は、恐怖で体がすくみました。


 車内で待っていたのは巨大な蛾たち。一匹や二匹ではありません、無数の蛾が飛んでいるのです。室内灯に照らし出された蛾たちが狂ったように乱舞していたのです。山の暗闇の中、唯一明るく灯った人工の光にあこがれてやってきたのでしょう。


 あなたは毒々しい色をした巨大な蛾は好きですか? 私は嫌いです。

 これから高速を走って自宅へ帰らなければなりません。高速運転中に目の前をヒラヒラと蛾が舞い視界をさえぎりでもしたら……そりゃもう事故不可避。死という言葉が脳裏をちらつきます。


 この車内のモスラたちを追い出さない限り、私は死ぬのです。そのときは暗澹たる気持ちになりました。


 取れる手段はただ一つ。蛾が舞うクルマを運転して街灯がある場所までゆるゆると山道を下り、灯りの下で車内を無灯とし、ドアを開け放つのです。そんなつまらない技が効くのかって? 事実そうやって生還した私が、いまここでこうして文章を書いているのだから効果はバッチリ保障つきです。


 人命救助をした後は、蛾の襲撃にお気をつけください。

 私が忠告できることはそれだけです。

 長いエッセイをお読みくださり誠にありがとうございました。


※:その後も無線を通じて数年間、交流がありました。良き思い出です。

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はからずも人命救助をしてしまった話 柴田 恭太朗 @sofia_2020

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