ルームメイトを驚かせようと隠れていたら、制服の匂いを嗅ぎ始めてしまった
笹塔五郎
ルームメイトが匂いを嗅いでた
これは小学生の頃から根付いてきた属性であり、中学三年間も変わらない人生を送ってきた。
だが、さすがに高校生になる前に『このままではいけない』ことを悟った。
そう、学生のうちにコミュニケーション能力を鍛えなければ将来、苦労するのが自分であると早いうちに理解したのだ。
そこで、緋沙音はあえて全寮制の学校を選んだ。自ら家族という、頼れる者達との離別を選び、孤独に戦う戦士となったのだ。
ぼっちでやることのなかったため、そこそこついた学力のおかげで、県内でもそこそこ名の知れたお嬢様学校に入学し、高校生活をスタートさせたのだ。
長く伸びた前髪は切り、少しだけ茶色に染めて、如何にも『普通』の女子高生らしく振舞おうとした。
見た目だけならそれなりに可愛らしい容姿を持っている、と自分で思っている緋沙音は、考えうる限りの『自分』になった。
けれど、現実はそううまくはいかず、緋沙音は見た目だけは変えても『陰キャ』なのは変わらなかった。
入学式では誰とも話せず、全寮制でルームメイトがいるという、心臓と胃に多大な負担のかかる状況を前に、緋沙音は早くも心が折れかけていた。――否、すでに折れていた。
ただ、そんな緋沙音にも『救いの女神』は存在した。
「君がルームメイトの夏木緋沙音さんだね。私は
「あ、えっと、はい。よ、よろしく、です」
「ああ、よろしく」
緋沙音のたどたどしい返事に対しても、優しい笑顔で返してくれる彼女こそ、ルームメイトの女神――ではなく、日華だった。
黒髪のセミロングで、端正な顔立ちをしている。
まだ幼さの残る緋沙音とは違い、大人びた雰囲気を醸し出す彼女は、言うなればとでも頼りになる存在であった。
口下手で自分から話せない緋沙音に対し、日華の方から他愛のない話を振ってくれる。
それに答えるのも一苦労な自分が情けなかったが、それでも何とか会話は成立した。
そうして一か月――緋沙音は日華に対してだけは、ようやく対等に話せるようになった頃。
社交的で誰とでも仲のいい日華は、今日も放課後に誰かと話していた。
一緒に寮に戻りたかったけれど、話しているところを邪魔する勇気は緋沙音にはなく、一人寂しく部屋に戻り、制服の上着をベッドに放る。
「日華め、私以外の女の子と仲良くして……驚かしてやるか」
普通に他の子とも仲良くするのは当たり前のことなのだが、緋沙音にとって日華は唯一の友達だ。
故に、こんなヤンデレのようなセリフを吐きながら、緋沙音はクローゼットへと姿を隠した。
そこまで奥行きはなく狭いクローゼットの中でも、小柄な緋沙音なら問題ない。
いつ帰ってくるか分からないルームメイトを待つのに、クローゼットに忍び込むのが早すぎるということには、誰も突っ込んでくれることはないが。
しかし、その時は意外と早くに訪れた。
ガチャン、と扉のドアノブを開く音と共に、部屋へと入ってきたのは日華だ。
彼女なら、戻ってきてすぐに上着をクローゼットに入れるはず――脳内シミュレーションで、日華を驚かせる準備はできている。クローゼットが開き、
「わっ!」
「ひゃっ!? ――って、緋沙音じゃないか。どうしてそんなところに……?」
「ふふっ、取り繕ったって無駄だよ。今の『ひゃっ!?』って可愛らしい声、意外だったなぁ」
「なっ、い、今のは聞かなかったことにしてくれないか……?」
「うーん、どうしよっかなぁ?」
――完璧なシミュレートである。
「ん、これは緋沙音の……」
だが、この世界に完璧というものは存在しない。
緋沙音がベッドに放り投げた上着を、日華は目にして、おもむろに手に取る。
(……馬鹿か、私は。上着を置いたままにしたら、戻ってきてるのバレバレじゃん。ていうか、カバンも置いたままじゃん!?)
衝動的に行動しがちな緋沙音は、自らのミスをクローゼットの中で恥じる。
日華が気付かずに、一緒にクローゼットに上着をしまってくれる、という可能性を信じて息を殺した。
いや、彼女ならきっとそうする――絶対に、投げ捨てられた上着をそのままにはしないはずだ。
「戻ってきて、買い物にでも行ったのか?」
(そう! 買い物に行ったの!)
心の中で、日華の疑問に答えておく。
ちらりと、日華は扉の方を見て何故か、一度開いて外を確認した。
寮の端の方の部屋で、廊下を歩く音は中にいても聞こえる。
わざわざ確認しなくても、緋沙音がそこにいないことは分かっているはずだ。
次いで、日華は窓の方に向かい、外を確認した。随分と用心深く、緋沙音がいないことを確認しているように見える。
やはり、隠れていることに気付いているのだろうか。
同じ高校に通っていても、日華は緋沙音より学力が上なことは、一緒に暮らしていてよく分かっている。
きっと、もうすぐあるテストでも、間違いなく彼女の成績は緋沙音より上になるだろう。
こんな子供騙しのドッキリでは、日華は騙せない――そう悟って、緋沙音はクローゼットから出ようとした。
「やっぱり――」
「すぅううううう……ふぅ、緋沙音の匂いがする……。とても、良い香りだ。素晴らし――」
「……あ」
「……緋沙音?」
「やっぱり隠れてるの、バレてたよね」と、緋沙音が言葉にしながら、クローゼットから出た瞬間であった。
正確には、「やっぱり」以降の言葉は、全て日華の発言にかき消されてしまっている。
完全に、彼女と目が合った。
手に持っているのは、緋沙音の上着だ。
先ほど脱いだばかりのそれを、口元に持ってきた日華は、間違いなく深呼吸をするように、緋沙音の上着の匂いを嗅いでいた。
その上で、「良い香り」だの「素晴らしい」だの言っていたのである。「素晴らしい」については、途中で言葉が途切れたので、本当に定かではないが、おそらくは絶賛の言葉だったに違いない。
問題は、その行為について――緋沙音から見て、それは間違いなく『変態』のそれであった。
日華が人の気配がないことを確認していたのは、緋沙音の上着の匂いを嗅ぐためだった、という事実に気付いてしまう。
お互いに動きを止めて、緋沙音はまるで走馬灯でも見ているかのような、時間の流れの遅さを感じた。
だが、その遅い時間の中で、必死に次の言葉をどうするか、考える。
「変態!」と叫ぶのは、間違いなくやってはならないことだ。
唯一の友達であるはずの、日華を失いかねない失言である。
いくら隠れて人の匂いを嗅ぐ変態とはいえ、日華がいなくなってしまえば、緋沙音に残るのは変態との同居生活だけである。
それは何としても避けねばならない――故に、この言葉はNG。
「びっくりした?」とあえてドッキリの方向にもっていく。
ひょっとしたら、これがシンプルに正解なのかもしれない。
匂いを嗅いでいた、という事実に目を向けない。
緋沙音は何も見ていないし、そんな事実は存在しなかった――そうだ、人には常に隠したい秘密はあるのだ。
緋沙音だって、ぼっち陰キャだった事実を日華には話してはいない。バレている可能性はあるが。
(そうだ、選択肢は決まった――)
緋沙音はゲームもそれなりに嗜んできた。
いわゆるギャルゲーもやったことがあるし、選択肢を間違えないことに定評がある。緋沙音しか評価しないので、間違いなく自己中心的なものだが、頼るべきはその定評だけだ。
「び――」
「緋沙音、聞いてほしいことがある」
「ひゃい!」
先手を打ったはずなのに、後手に押し切られ、緋沙音は声を上擦らせて直立した。
日華はそんな緋沙音に向かって歩き出したかと思えば、壁際まで追い詰めるような格好になる。現実とゲームは違う、と悟らされた瞬間であった。
「私は――君の上着の匂いを嗅いでいた」
しかも、包み隠さず事実を直球に伝えてきた。
緋沙音の『何もなかった、いいね?』という選択肢を、彼女自ら破壊してきたのである。
この時点でどう答えたらいいのか分からず、選ぶはずだった選択肢を破壊されてしまった緋沙音は、NPCになった気分で答える。
「う、うん。ごめん、見てた」
NPCにはなり切れていない、動揺しまくりの返事である。目は泳いでいて、日華のことを直視できていない。
それでも、日華は構わずに続ける。
「私はね、君のことが好きなんだ」
「……? ……。……っ!?」
一瞬、思考が追い付かなかった。
いや、今も追いついていない。
「好き」と彼女は言ったのか。いや、友達的な意味合いなのかもしれない。きっと、そうだ。
匂いを嗅ぐのを見られたけど、友達として好きだから、嫌わないでほしいと――
「女の子が好きで、君のことが好きなんだ」
はい、違った。友達的な意味合いを超えて、恋愛感情として好きだった。
それを言われて、緋沙音の視線はようやく、日華へと向かう。彼女の表情は真剣で、嘘偽りがないことは、よく伝わってきた。
何故、上着の匂いを嗅がれてから告白されているのか、状況的には不明だが――緋沙音は告白された、という事実で、先ほどの日華の行為が頭から完全に抜け落ちてしまった。
「わ、私のことが、好き……?」
「そうだ。君と一緒にいると、心が落ち着く。こんな気持ちは初めてで、だから――制服の匂いを嗅ぐのも、君が傍にいる気がしたからなんだ。でも、見られてしまったからには、全て伝えないといけないと思ったんだよ。私は君が好きなんだ。できれば、恋人になってほしい」
「あ、え、そ」
「あの」「えっと」「そう言われても」の最初の文字しか発言できず、緋沙音はただただ混乱した。
日華も緋沙音も女の子――女性同士の恋愛ということになる。
緋沙音にとって、それは初体験というか、未知の領域のことだ。
だが、嫌な気持ちは特になく、むしろ告白されてドキドキした。
間違いなく勢いに任せた告白だというのに、緋沙音は声が出ない代わりに、黙って頷いたのだった。
「それは、いいってこと、かな?」
「……」
確認するように尋ねてくる日華に対し、緋沙音は無言で頷き続ける。
唯一の友達が、恋人になった瞬間であった。
ちなみに緋沙音に恋愛経験などあるはずがなく、この先のことは何も考えていない。けれど、
「よかった。嬉しいよ、緋沙音」
そう言った彼女の表情はとても安堵していて、緋沙音もそれを見て安心した。
「わ、私も、えっと、嬉しい」
片言のように、かろうじて絞り出せた言葉で返す。
恋人同士になったのなら、この後やることは一つだった。――ベッドに横になって、まるで猫の匂いでも吸うかのように、緋沙音も匂いを吸われたのだった。
やはり、日華は変態だった。
ルームメイトを驚かせようと隠れていたら、制服の匂いを嗅ぎ始めてしまった 笹塔五郎 @sasacibe
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