透き通るように静かな世界で眠りたい

間川 レイ

第1話

ざくざく、と。


ローファーの、砂をかき分け進む音がこだまする。あたかもローファーだけが別の生き物のように、一面の砂をかき分け進んでいく。水面を走る船のように、航跡の代わりに、私だけの足跡を残して。ざくざく、ざくざく、と。


あたりに広がるのは、見渡す限り一面の真っ白な大地。たっぷりの放射能を含んだ死の灰と、あまりの高熱に結晶化したアスファルトの成れの果て。それらの織り成す純白の大地を私は歩いていく。


私の視界の端にそびえたつは、見上げるように巨大な漆黒の巨塔。純白の大地から、ぽつぽつと漆黒の頭がのぞいている。それ等はかつてビルと言われたものだった。かつて、私たち一家の住む首都と呼ばれた地域を構成した、ビルたちの一部だった。高熱に焼かれ、強烈な爆風にすべての窓ガラスを吹き飛ばされた、ビルの死体。真っ黒に焼け焦げたビルの死体たちが、白い大地に群れを成している。それはあたかも、墓標のように。


空を見上げる。大量に巻き上げられた死の灰を吸い込んだのが原因か、薄灰色に煙った雲が空を覆いつくしていて。日光は僅かばかりに差し込むのみ。私は大きく息を吸う。徹底的に焼き尽くされた、微かにオゾン臭のする新鮮な空気を。


辺りは静かだった。沈黙だけが世界を支配している。あたりに響くのは、ざくざくと大地を切り裂いていく音と、私のわずかばかりの呼吸音のみ。今なら、私の鼓動の音さえも、神経が奏でる音さえも聴き取れそうだった。


そこには私を叱責する声はなかった。私を怒鳴りつける声もなかった。成績が悪くても、もう私を叱る言葉は届かない。この出来損ないと罵られることもなくて、誰に似たんだかと嫌味を投げかけられることもない。ただ透き通るような静寂だけが広がっていて。


私はにっこりとほほ笑む。戯れに砂を両手で掬って打ち上げてみる。ぴょん、ぴょんと飛び跳ねてみる。キラキラと舞い散るかつて大地だったもの。わずかに差し込む日光を浴びて、煌びやかに七色に輝く。両手で大地を掬い、指の隙間からこぼしてみる。流れゆく純白の大地。それはあたかも砂時計のようで。


ここには生けるものなどいない。すべての生きとし生けるものは、劫火で薙ぎ払われた。悪徳の街、ソドムとゴモラ。旧約聖書にある両都市を焼いた天の火のように、一切合切は焼き払われた。


なんでお前は努力しないと髪の毛をグイグイ引っ張ってくる父親も。本当にお前は出来が悪いなと心を突き刺してくる母親も。悲鳴が聞こえているだろうに、見て見ぬ振りをした近所の人も。家族なんだから分かり合えるはずと私を見捨てた先生も。君のご両親は君のことが心配なんだよと戯言を吐いた周りの大人たちも。みんなみんな、ここにはいない。私を薄っぺらな言葉で慰めた気の人たちも、私を傷つける人も、ここにはいない。


ここにいるのは私だけ。私だけがこの世界にいる。すべての鎖から放たれて。透き通るように静かなこの世界に一人きり。


だから私は笑うのだ。あははと声を上げて。るんたった、るんたった。私はスキップする。身体は羽が生えたように軽くって。今なら空だって飛べるはず。別に飛びたくはないけれど。


私は砂丘を滑り台のように滑り降りる。不思議と服は汚れない。身にまとっているのだっていつものようなセーラー服だ。それもまるで何も身にまとっていないように軽い。ただあるのはふわふわとした柔らかなものに包まれているかのような心地。身体はぽかぽかと温かくて、何か大きなものに抱きしめられているかのような。


ここではすべてが満ち足りている。すべてが完成している。この新雪のように真っ白な大地も。薄灰色の大空も。その合間に建つ誰もいなくなった真っ黒な街並みも。世界には調和がとれていて。このすべてが焼き尽くされた世界。すべての生あるものを拒む世界。白と黒だけで構成された、シンプルな世界。静寂だけが広がる世界。ここでは全てが透き通っていて、透明だ。これこそが、私の憧れ続けた世界。


ここでなら、私は私でいられる。私を無理に理解しようとする人もいない。理解出来ないと諦める人もいない。私を理解した気になる人もいない。私は私だけでいられる。誰かの孫や、誰かの娘ではない、私として。


ああ、この世界で死にたい。ずっと昔から思っている。「私」とともにあったこの世界。この壊れた世界でなら、私は夢のように悔いなく死ねるのに。


ああ、でも。空が白々と白みだす。全ての物事の輪郭が崩れ、さらさらと溶けて流れ出はじめる。遠くからはジリリリリという目覚ましの音。隣からはごそごそと妹が身を起こす物音。


だから私は、おはようという代わりに。ころりと涙を一粒流すのだ。

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透き通るように静かな世界で眠りたい 間川 レイ @tsuyomasu0418

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