第21話The world is
◆
散らばった死体で埋め尽くされた戦場。
そんな地獄絵図を見渡せるくらいの小さな丘にて。
シンはその場で座り込み、固唾を飲んで目の前の出来事を眺めていた。
(カレン様、アーシェ隊長。俺にはどうする事も、できないっすよ……)
この悪魔も、そしてこの少年も。
自分の全く知らない戦闘を繰り広げており、シンは片時も目が離せないでいた。
気を抜いた瞬間に、魂まで持っていかれそうな。
邪悪に満ちたオーラで溢れ返っているからだ。
そんな折。
「──ん?あー、アカン。終いや」
いきなりストップをかけた少年。
だが悪魔には容赦する気などなく手を緩めずに言う。
「世迷い言を。勝手な言い分は聞きません」
けれど少年はそれを遮って告げる。
「見てみい?地殻変動が起きとる。戦争は終わりや」
そう言われて振り返る悪魔。
ここからちょうど見渡せるロレイヌ国正門前にて。
そこにあった一つの巨大な穴から、瞬く間に地割れが拡大していた。
「ちっ。グリードですね、余計な事を」
戦闘は止まり、眺めるだけだったシンもその言葉を聞いて自国へと目を向ける。
「あ、ああ……!俺たちの国が……!」
それは余りにも無慈悲な光景。
崩壊していく正門からその周囲の建物の数々。
そこに呑み込まれていく数多の騎士や兵士たち、逃げ遅れた国民まで。
ガラガラと音を立てるのは大地だけでなく、シンの心の内までも何かが崩れる音がしていた。
「ほんじゃ行くで。はよーしい」
「……え?」
少年がシンの腕を掴み立ち上がらせた。
それを不機嫌そうに見ていた悪魔が言う。
「いいでしょう。今日のところは見逃してあげます。ですが私は決してあなたの存在を許しません。覚えておいて下さいね、ゴミクズ」
「あほくさ。おまえに許しを乞う理由があらへんわ、あほー」
少年の発した啖呵を気にもせず、悪魔はその場から姿を消した。
少年はシンへと向き直り、立ち直らせるように声を掛ける。
「ここにおったら巻き込まれるで。しっかりせー」
「何で俺を助ける……?お前は、何なんだ……?」
シンの瞳からは色が抜け落ちた様であり、只々悲壮感を漂わせていた。
そんな状態のシンに少年が答える。
「あー、オレは……『レオ』や。あんたは?」
「……シン」
呟くようにして何とか返すシンは、最早立ち上がるので精一杯だ。
この絶望的な状況下でどう生き延びればいいと言うのか、そもそも自分にそんな価値があるのか。
シンの率直な気持ちに対して少年の発案は意外なものであった。
「じゃあシン。うち帰るから、ついてきーや」
「うち……?」
シンの疑問に、レオと名乗る少年はさらっと答える。
「そーや。ま、オレん家、海渡るんやけどな――」
◆
悲鳴に連なる悲鳴。
それらがいくつも重複する事で、この場が惨状だと察するのも難しくないだろう。
ここルベール帝国の王都を外れた平原でも、悪魔による虐殺が行われていた。
「──あらあら。皆さま揃って、美味しそうな声を上げるのね。思わずうっとりしてしまうわ」
ふわっとしたロングヘアーは薄い水色で、大人びた色香が魔性さを現している。
そんな悪魔が言葉を発しながら、列を成していた民や兵たちを次々と貪っていく。
表現するならば妥当なところだが、実際に身体を食べられている訳ではない。
とにかくこの悪魔は、氷の様に冷たいのだ。
「ひ、やめ──」
「冷た──」
「た、助けて──」
誰も最後まで言葉を発しきれない。
その前に身体のすべてが凍りついてしまうからだ。
そんな状況を目の当たりにしたカレンは号令を下し前線へと赴く。
「聖騎士隊、民を守って!悪魔は私が相手をします!」
「フフ、元気な方々ね。好きよ、そういう人間は」
そう言って悪魔が聖騎士隊に軽やかな足取りで近付いていく。
「さあ、皆さま方。どうか心が折れてしまわないように。ね?」
騎士達に降り注ぐのは、絶対零度の洗礼。
その空気に触れれば最後。
凍てつく冷たさが忽ち身体中を蝕み、生きたまま造られる氷像と成り果てるのだ。
「カ、カレン様!お逃げ下さ──」
「あらまあ、健気な方ね。アナタも折角なのだから、逃げたらどうかしら?」
複数の騎士達を一瞬にして凍らせた悪魔は、カレンへと視線を合わせて告げた。
それにカレンが応じる。
凛然とした、王として。
「……忠告、有り難く頂くわ。でも申し訳ないけれど、自分の事は自分で決めます」
カレンの右手に青い光が灯る。
「そう。そうね、それがいいわ。他者の言葉は戯れ言よ?だってアナタはアナタの意思で、美味しくなれるのだから」
冷気がカレンに降り注ぐ。
彼女はそれに右手を翳した。
「どう?最高級の絶望の味は?……?」
「どうやら安物のようね。質ならそれなりにわかるの」
なぜ凍らないのか。
不思議そうな顔を見せた悪魔が言葉を発する。
「アナタ、珍しい力を持っているのね。フフ。たまには遊ぶのも、一興かしら」
余裕たっぷりの敵に鋭い視線を向けて、カレンは告げる。
「――罪ね。どうやらあなたには、相応の罰が必要だわ」
右手の青い光が一際強まり、悪魔の正面に青い線を描く。
その軌道上に溜まっていた冷気をすべて掻き消した。
「いいわ、とてもいい。そうなの、久々なのよね。こんなに身体が熱くなるのは」
悪魔の手から放たれる冷気が無数の氷の刃を宙に形成した。
つららの様な鋭さを持つそれを、カレン目掛けて放ってくる。
「無駄よ」
しかしそれもまた翳した右手の青い光に遮られ、一瞬で溶かされた。
「フフ、やっぱりそうなのね!アナタの能力は、熱ね!?」
この悪魔の言う通り、カレンの右手は高熱に包まれていた。
けれど違う。
この能力は、更にその上をいく。
「……どうやら悪魔とは名ばかりみたいね。知性が何も感じられないもの」
「それはどういう意味なのかしらぁ?」
敵の顔が僅かに歪むのを確認し、青に包まれた右手を悪魔へと向けたカレンは本来の能力を発動させる。
「こういう事よ」
「——があァァァァっ!?」
悲鳴を上げ、苦痛の表情に染まった悪魔。
バリバリっ!!と、光の明滅と音の反響が辺りを染め上げた。
「愚かね。油断大敵という言葉を知らなかったのかしら?」
「キ、キサマ……!!ぐあぁァァァァっ!!」
カレンの能力とは“電撃”。
即ち電流の生成、操作。
故に右手の青い光は、超高温の電熱である。
ルベール城でエリカの能力が発動出来なかったのも、この能力によって電気信号を無力化していたからに他ならない。
意図した場所に電撃を発生させる事が出来るこの力は、間違いなく能力保持者の中でも最強の部類に入るだろう。
現在悪魔の周囲にだけ高圧の電流が帯電しており、後は隅々まで焼き尽くされるのを待つだけだ。
カレンは悪魔に対して圧勝する。
が、しかしここで邪魔が入る。
「──カレン!避けろっ!!」
「くっ……!」
背後から投げられた剣を辛うじて避けたカレン。
「おい!お前の相手は俺だろ!」
カレンと平行して、ヒイロもまた別の悪魔と対峙していた。
その白髪の悪魔が低めの声を発する。
「──何をしている、“ラスト”」
静かな筈の声量が、体の芯まで響く重低音のようであり。
圧迫される程の威圧さは、他の悪魔よりも格段に上だった。
白髪に黒いコートのコントラストがこの上ない存在感を引き出した、モノトーンの悪魔とでも言うべきか。
「……ごめんなさい、“ラース”。少し、浮かれてしまったみたい」
ラストと呼ばれた女の悪魔が完全に萎縮していた。
そのままゆっくりとした口調で、けれどどこか畳みかけるように問う。
「それで、“エンヴィー”の姿が見えんが?」
「それが、ね。まだ来てないみたいで」
「探し出せ。“スロウス”の様な勝手はさせん」
二体の悪魔が会話をしている最中に、ヒイロがカレンの傍へと駆け寄る。
「大丈夫か?」
「ええ、平気よ。それにしても、格が違い過ぎるわね。あなたこそ大丈夫なの?」
「どうだろうな。アレはまだ全然、力を見せてないだろうからな」
やや息が切れているヒイロを不安そうに見つめるカレン。
「心配すんなって。ジジイに叩き込まれた剣技はちゃんと活きてるからな」
「当然よ。一番弟子に忘れられては、アラゴンの努力が報われないわ」
ヒイロはこの大陸でもトップクラスの剣技を持つアラゴンの弟子であった。
シーラが『豪』でエリカが『速』の剣士だとすれば、アラゴンは『技』の剣士である。
即ち見る者をも魅了する圧倒的な技術の剣。
ヒイロはそれを余すことなく完璧に会得していた。
「さて。そろそろお喋りは終わりみたいだな」
ヒイロは視線の先の悪魔達を捉えながら、鞘に収まる刀を片手で引っこ抜く。
漆黒の刃が妖しい光沢を見せた。
それは何処から手に入れたのか。
或いは最初から持っていたのか。
何れにせよ不思議と手放せない何かを、ヒイロは幼い時から感じていたのだった。
「待たせたな。貴様らは俺一人で相手をする」
そう言った白髪の悪魔の背後からは、ラストと呼ばれた女の悪魔が離脱していった。
「随分と余裕があったんだな。でもいいのか?油断してると感電じゃ済まないみたいだぞ?」
「……引き合いにしないで」
カレンの小声の反論は宙に消え、そこに悪魔が口を出す。
「何か勘違いをしている様だな。貴様を殺さなかった理由は、品定めをしていたからだ」
「で?あんたの評価は?」
「足りんな。“覚醒”すらしていないとは。拍子抜けだ」
「は?何の話──」
悪魔は間合いを一瞬で詰めた。
「貴様は用済みだ」
「ちっ!」
ガキィン!悪魔の剣を刀で受けるヒイロ。
けれど先ほどの速さや力とは比べ物にならない。
「ヒイロ!」
「来るなカレン!こいつは俺だけで十分だ!」
加勢を制したヒイロだが、余力はあまりなかった。
しかしそれでもこの悪魔を相手にカレンを巻き込む訳にはいかない。
「フっ。貴様こそ、慢心は命取りだ」
「ご丁寧にどうも!」
音速の中で刃をぶつけ合いながら、同時に言葉の応酬も交わすヒイロとラース。
「一つ教えてやろう。悪魔は普段、瞳が黒い」
「……へー、そうかい。そんな奴、普通にいるだろ?」
「だが力を解放すると、緋色に染まる。──両の目がな」
悪魔の瞳は宣言通り、両方の瞳が緋色の輝きを放った。
「がはっ……!!」
剣撃を受け切れなかったヒイロは、腹部を大きく斬られてしまう。
「ヒイロっ!」
「来るなっ!!」
「でも……」
顔を青ざめさせるカレン。
助けに入りたい。
けれど本人に止められては迷いが生じる。
そんな彼女の心境を察した悪魔は、文字通り悪魔の様な発想を浮かべた。
「ヒイロ、と言ったか。貴様、まだ力を隠しているな?」
「はぁ、はぁ……。何の事だ?」
「とぼけるな。でなければ此処で勝機の無い戦いはしないだろう」
ヒイロの頬を汗が伝う。
これは完全に罠だ。
発動させたい理由が必ずある。
「そんな手に、乗るかよ」
決して挑発には乗らない。
けれど悪魔の狙いは、“在るか無いかの確認”だけだった。
「そうか、仕方ない。では終わらせよう」
「あ……?まだ戦え──ぐっ!?」
背後から腹部を貫かれ、吐血しながら見えたのは。
青い光を帯びたカレンの右手であった。
「──え?……ヒイ、ロ……?」
目の前で崩れ落ちるヒイロを、ただ呆然と見つめるカレン。
この理解の追いつかない状況を理解しているのは、悪魔とヒイロだけだ。
「てめ……、くそ、がっ……!」
「ヒイロっ……!?……嘘……。どうして!?」
カレンは震える手をさ迷わせる。
その右手はヒイロの真っ紅な血で染まっていた。
ヒイロの能力は、目を合わせた対象に意識を移す力である。
つまりは相手を乗っ取る力、”精神支配”。
その力をこの悪魔によって奪われた。
つまりカレンの意志ではなくラースに操られてしまった結果であった。
「この大陸は我々『大罪の悪魔』が支配する。貴様の出番はもう終わりだ」
そう告げた悪魔の瞳は、強い緋色の輝きを帯びていた。
「逃げ……ろ……」
「いやよっ!!……そんなの、ムリよっ……!」
カレンの腕に抱かれながら、ヒイロの瞳から色が消えていく。
(……最悪な、エンディングだな)
親友の言葉が甦る。
『悲劇なくして世界は成り立たない』
(これもお前の言う悲劇に含まれるのか?なら、何か意味があったのか?……なあ──)
やがて意識は遠ざかり、最後に見たのは。
余りに辛そうな、彼女の泣き顔だった──。
昔々。
とある時代のとある国で。
一人の少年が恋をした。
けれど少年の恋は実を結ぶ事なく。
その人生に幕が降りた。
けれど少年は、初めから知っていました。
『世界は、──』
──end.
LOST HEAVEN Apocalypse 宵空希 @killerrabit0904
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