ねぇシスター。あなたは“きゅ”の付くアレですか? 後編



 ペラリ。ペラリ。


 静かな部屋の中に本のページを捲る音だけが響く。


 ああ。やはりこうでなくては。うるさい馬鹿兄がなにやら明日エイラに聞きに行くとか言っていたが、それに関しては私がどうこう言う問題ではない。


 さて、もうすっかり夜になってしまったが、窓から差す月明かりとロウソクの明かりで本を読むというのも一興だ。私はゆったりとした気分でまた次のページを捲り、



 コンコン。コンコン。



「…………はぁぁ」


 今日はすこぶる邪魔が入る。もういい加減にしてほしい。私は先ほどよりも大きくため息を吐き、本をばたりと閉じる。そして憂鬱な気持ちで扉……ではなく今もノックの続いている窓に歩み寄る。


 そして、窓の外を見ると、


「大変大変! 大変なんですよ! 何が大変かって言うとそれはもうとんでもないことがですね」

「落ち着けアホシスター」

「アホとはひどいっ!? お願いですからひとまず部屋に入れてくださいよ! んですって!」


 ひとまずこのにへばりついて涙目になっているへっぽこ聖職者を何とかしないと至福の読書タイムには戻れないようだ。


 私が仕方なく部屋に入る許可を出すと、このアホシスターは霧状になって窓をすり抜け、そのまま部屋に実体化して降り立った。


「ありがとうございます! もしこのまま部屋に入れてもらえなかったらもうどうしようかと」

「そうしたら無理やりに入るだろう? 許可がないと入りづらいだけで、くせに」

「だって人様の家に勝手に入ったらいけないじゃないですか。不法侵入ですよ!? これでも神に仕える身ですからね。悪いことはしちゃいけません」


 そんなことを言って胸を張るアホシスターだが、それならこんな夜に窓から訪問するのは悪いことではないのだろうか? あと私の至福の時間を邪魔した罪は重い。


「それで、何があったんだい?」

「そうそうそれなんですよ! 実は……アナタのお兄さんにワタシの正体がバレちゃいそうなんです! このワタシ、だっていう事がっ!」

「……よし。帰りたまえアホ吸血鬼」


 さっきも似たような話に付き合わされたばかりなんだ。もう勘弁してほしい。だというのに、


「そんなっ!? お願いですから知恵を貸してくださいよっ!? 友人じゃないですか! いずれ引き継ぎの司祭様が来てワタシがまた旅に出る時は、言っていただければ好きな本を買ってきますから」

「何をしているんだ。友人の件は置いておいてさっさと細かい所まで話したまえよ」


 些か心配だけど、このシスターは嘘はつかない。なので買ってくると言ったら行商人が入手困難な物でも全力で買ってくるだろう。それなら多少は手を貸すのも我慢しようじゃないか。うん。





 さて。目の前のシスターはだ。その特徴は先ほど兄上が持ってきた『子供でも分かる吸血鬼の見分け方』にもおおよそ当てはまっている。


 何故私が知っているのかは……うん。話すと長くなるから省略だ。アホな吸血鬼がアホな事をして私にバレ、色々あって勝手に友人扱いするようになっただけの事だ。


「まずは何故バレそうだと思ったのか、そこから話してほしい」

「はい。最初にそう思ったのは、村の教会にチック君が毎日立ち寄ってくる事からなんです。あれは間違いなくワタシを怪しんでるのです」

「それは……単に兄上がエイラに気があるからじゃないかい?」

「ワタシに? まっさか~! そんなことある訳ないじゃないですか」


 そう言うとエイラはからからと快活に笑いながら手を振る。兄上よ。残念ながら肝心のシスター本人に好意が伝わっていなかったようだ。


「他にもあるんですよ! 毎回立ち寄って軽くお話をするんですが、いつもすぐに顔をそむけてしまうんです。あれは吸血鬼の魔眼対策に違いありません。……ワタシ魔眼使うことあんまりないですけど」

「単に兄上が照れてるだけじゃないかい?」

「照れる? なんで?」


 不思議そうに首を傾げるエイラだが、このシスターときたら自分の顔が人並み以上に整っている事に無自覚だ。あと自己評価がかなり低い。


 他にもいくつか怪しまれているのではという根拠を挙げるエイラだけど、私に言わせればどれもこれも微妙と言わざるを得ない。


 教会の修繕用に材木を運んでいる時、一瞬驚いた後手伝ってくれたとか。使い魔のコウモリが近くの巣のコウモリと会っている所を見られたりとか。どれもこれも状況証拠ばかりだ。これならまだ誤魔化せるが、


「それに……実は決定的瞬間を見られてしまったんです。それは昨日の夜の事」

「昨日の夜?」


 先ほどの兄上の話を思い出す。兄上も昨日の夜、エイラが教会で血を飲んでいるらしき姿を見たと言っていた。まさか、


「まさか……飲んでしまったの? あれほど飲むなと言っておいたのに?」

「…………はい。どうしてもこの喉の渇きを我慢できなかったんですよ」


 ちょっときつめの言い方をすると、エイラはしょんぼりした顔をして縮こまる。そんな情けない目をしないでほしい。


 そのまま少しの間部屋に沈黙が流れ、



「……まったく。またこっそりとはね」



 この吸血鬼。吸血鬼ではあるもののほとんど血を飲まない。本人曰く一日に一口舐める程度の少量で足りるとか。しかもヒトでなくても良いから最悪獣の血でも事足りる。


 ただ代わりにとんでもない程のワイン好きである。中毒と言っても良い。血の代用品ということかもしれないが、血の様に真っ赤なワインに血を数滴垂らしてがぶがぶ飲む。おまけに凄まじく酒に強い。


 シスターがワインを飲んではいけないという法は無いが、それにしてもワインの瓶を一日一本空けるのは多い。という訳で酒の量を減らすように言っていたのだが、この通り教会でこっそり飲んでいたらしい。


「ちょっとだけ! ほんのちょっと喉を湿らせた程度ですって! ちょっと口から垂れちゃって勿体ないからペロッと舐めましたけど……痛っ!?」

「そんなものを夜見たら兄上が見間違えるのも分かるよまったく」


 次は一週間断酒させてやろうかこのアホシスター。誤魔化すように笑っているエイラの頭にとりあえず本の角を叩き込む。


「も~ぅ。痛いじゃないですか!? 本の角は凶器ですよ!」

で叩かなかっただけありがたく思う事だね」


 私はさっきまで読んでいた表紙に十字架の付いた本。『子供でもできる吸血鬼の倒し方』を持ち直し、大きくため息を吐いて顔に手を当てる。





「ところで、兄上が明日エイラに直接問い質すとか言っていたけど」

「えっ!? な、何とか誤魔化せませんかね?」

「一時的に誤魔化すだけならどうとでも……だけど」


 私はそこでエイラを鋭く見据える。本来吸血鬼と視線を合わせるのは危険なのだけど、目の前のアホシスターはそんなことはしないという妙な信頼感があった。この窮地に兄上に魔眼を使って誤魔化そうという発想すら出てこないのだから。


「兄上は馬鹿だけど勘は鋭い。明日誤魔化したとしても、いずれはまた同じことの繰り返しだろうね。いい加減素直に話しても良いんじゃないの?」

「……話せませんよ。ワタシが吸血鬼だなんて知ったら、怖がらせてしまいますもの」


 その時のエイラの顔は、いつもの明るくのほほんとしたものではなく、どこか達観したような切なげなものだった。


 エイラがいつ頃から生きているのは知らない。だけどそれこそ何度もヒトと接し、そして彼女が言うように怖がられて……いや、きたのだろう。


 ヒトと吸血鬼は相容れない。根本にあるのは捕食者と被捕食者の関係なのだから。それをよく知っているからこそ、エイラはこんな表情をするのだ。なので、


「……じゃあ、とりあえず明日頑張ることだね」

「え~っ!? 何か雑っ!? 投げやりじゃないですかっ!?」


 アホシスターが何やらブツクサ言っているが、実際明日誤魔化すだけならエイラだけでも何とかなる。こんなアホではあるけど少なくとも父上より人生経験は豊富だ。


 今回私に泣きついたのだって、一人で何とかなるけど念の為といった所だろう。だが、


「心配しなくても、どっちに転んでも何とかなるさ。エイラは普段通り教会の勤めを果たして兄上が来るのを待って居れば良い。ほらほら帰った帰った! 事が済んだら報酬を忘れないように」

「そんな~!? ……はぁ。分かりましたよ。帰れば良いんでしょう帰れば! 明日本当にマズイことになったら助けてくださいよ!」


 バレようがそうでなかろうがほぼ上手く行くような話を心配するのは実に面倒だ。それならさっさと終わらせた方が良い。


 結局エイラは入ってきた時と同じく霧状になり、窓から外へ出て行くことで今日の話し合いはお終いとなった。





 ペラリ。ペラリ。


 今度こそ静かになった部屋で、私は静かにページを捲る。そして、


「……ふぅ」


 ぱたんと本を閉じ、心地よい読了感を味わいながら背もたれに身を委ねる。やはり本は良い。


 あとはベッドに入って寝るだけという頃合いで、ふと先ほどまで付き合わされた馬鹿兄とアホシスターの事を思い返す。


「本当に、兄上もエイラもなんで私に話を持ってくるのやら。普通に話し合えば互いに解決できる話だというのにまったくもう」


 傍から見れば実に単純な話なのに、下手に私という緩衝材を挟もうとするからややこしくなる。私から口を出すのも筋が違うし、その意味では今回の件は丁度良かったのかもしれない。


 ……それにしても、明日は兄上は一体どうエイラに切り出すつもりなのだろうか?


 いくら何でも私が適当に言ったような“あなたは“きゅ”の付くアレですか?”などと聞くほど兄上も馬鹿ではない……と言い切れないのが怖い。


 もし最悪の場合、二人に話を聞いた手前面倒だが……実に面倒だが私も多少ながら尽力するつもりだ。





 そう。申し遅れたが私の名はローナ・クオーツ。一応ではあるが吸血鬼の友人にして、クオーツ家次期当主チック・クオーツのシスターである。





 ◇◆◇◆◇◆


 いかがだったでしょうか? 初めての短編なので上手く描けたか分かりませんが、楽しんで頂ければ幸いです。


 まるで長編の導入みたいな終わりですが、流石に長編はありません。この三人が果たしてこれからどうなるのかは、各自のご想像に委ねます。

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ねぇシスター。あなたは“きゅ”の付くアレですか? 黒月天星 @HPEP7913

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