ねぇシスター。あなたは“きゅ”の付くアレですか?

黒月天星

ねぇシスター。あなたは“きゅ”の付くアレですか? 前編

 ペラリ。ペラリ。


 静かな部屋の中に本のページを捲る音だけが響く。


 ああ。なんて心地の良い時間か。時折テーブルに置いたお気に入りの果実水でのどを潤しながら、ひたすら文字の羅列の中にのめり込んでいく。


 この至福の時間を守る為なら、病弱の身ではあるが私もモンスターの一体や二体に立ち向かうこともやぶさかではないね。なので、



 ドンドンドン!



「…………はぁ」


 突如部屋に響き渡る騒がしいノックの音に、私は盛大にため息を吐いて本をぱたりと閉じる。そして憂鬱な気持ちで今もノックの続く扉を開け、


「大変だ! 大変なんだ聞いてくれよ! 何が大変ってもう」

「落ち着け馬鹿兄」

「へぶしっ!?」


 いきなりまくし立てるように何やら言おうとしている馬鹿兄を、とりあえず読みかけの本の角を頭に叩きつけて黙らせる。


 本は実に良い。何せヒトの知識と願いの塊であるだけでなく鈍器にもなる。本の角は凶器である。


「落ち着いたかい?」

「いててて。もう少し優しくしてくれても良いじゃん!?」

「優しくしてほしいならもっと村を治める貴族の嫡男としての礼節を知ることだね。そうしたら次は本ので叩いてあげるよ」


 どっちにしても叩いてんじゃんと涙目になって言う兄にさっさと用件を言えと目で語ると、兄は少し落ち着いたのか軽く咳ばらいを一つ。そして、



「大変なんだ! 吸血鬼っ! 吸血鬼が出たんだよっ!」

「……よし。帰りたまえ馬鹿兄」



 何が悲しくて至福の時間をそんな面倒事で潰されなくてはならないのか。


「……次に村に行商人が来たらお前好みの本も取り寄せるよう頼むから」

「何をしているんだ。さっさと入りたまえ兄上」


 それなら話は別だ。未来の至福の時間の為、多少はこの煩わしい時間も許容しようじゃないか。うん。





「それで? 何がどうして吸血鬼などという話になったのかね?」


 私はゆったりと椅子に腰掛け、果実水を優雅に口に含みながら尋ねる。我が兄上、チック・クオーツはこれでも貴族としての教養くらいは学んでいる。それが何を見たら吸血鬼などという話になるのか。


「この前村にふらりとやってきたシスター。お前も一度見たことあるだろ?」

「……ああ。エイラ・フィフだね。教会に父上の許可を取って住み着いたシスター。この辺りでは珍しい家名持ち元貴族だから覚えているよ。……まさかあのヒトが吸血鬼だとでも言うんじゃないだろうね?」


 一人で教会を切り盛りしていた先代の司祭が亡くなり、半年近く管理する者の居なかった教会。


 この村が国のはずれの辺鄙な場所ということで長らく引き継ぎの司祭も来ない有り様だったが、エイラが来てから少しずつ立ち直ってきている。


 多少独特の性格をしてはいるが、まだ二十歳程度でありながらも引き継ぎが来るまでの代行として職務に励み、村人からもそれなりに慕われつつあるエイラを疑うのかと半分からかい混じりで言ったのだが、兄上はこくりと首を縦に振った。


「いや嘘じゃないんだってっ! ……実は昨日の夜、見ちゃったんだよ。エイラさんが真っ赤な血を美味しそうに飲んでいる所を!」


 兄上の言い分はこうだ。昨日の夜教会の近くを通った兄上は、明かりが消えているのにも関わらず中で物音がするのを不審に思って中を覗き込んだらしい。


「何が偶然なものか。兄上が日課の剣の鍛錬の帰りに毎回必ず教会の方に寄っていく事は知ってるよ。どうせ今回は鍛錬に身が入り過ぎて遅くなったけど、それでも愛しの君の姿を一目見ようとしたんだろ? 毎度毎度ご苦労な事だよ」

「なっ!? い、愛しの君とかそんな……」

「顔を赤くしなくて良いから早くしてくれたまえ。それで?」


 話を戻すと、兄上が覗き込んだその先では、エイラが教会の窓から月明かりで照らされながら、口元を血で真っ赤に染めていたのだという。


 その瞳は真紅に輝き、長く鋭く伸びた犬歯が僅かに唇の隙間から見える。そして何かに気づいたかのようにエイラは兄上の方をチラリと見て、そのままどこか妖艶ににっこりと微笑んだのだとか。


「それを見て俺慌てちゃって、そのまま逃げるように家に戻ってきたんだ。すぐに相談しようとしたんだけど」

「ああ。昨日の夜は私は早めに就寝していたからね。それで気が付かなかった訳か。父上や母上に言い出さなかったのは兄上にしては英断だね」


 実際もしそんなことになったら流石に私もフォローの仕様がなかった。


「あのね兄上。落ち着いて考えてみたまえ。知り合いがその吸血鬼である可能性と、兄上が単に見間違えた可能性のどっちが高いと思う? 子供でも分かる簡単な計算だよ」

「それは……そうだけどさ。だけどそれだけじゃないんだよ!」


 むう。普段の馬鹿兄ならこれで大体終わるのだがまだ何かあるらしい。こっちはさっさと片づけて至福の時間の続きと行きたいんだけど。





 これを見てくれと兄上が一冊の本を取り出す。それは、


「『子供でも分かる吸血鬼の見分け方』……か。これなら昔私も読んだけど、半分悪ふざけで書かれたような本だよ?」

「そうかもしれない。それでも気になって俺も急遽読んでみたら、物凄くエイラさんに当てはまるような点が多いんだ! 例えば……ほらここ!」


 兄上が指差す本の一文。そこには吸血鬼の特徴が記されていた。


 曰く、吸血鬼は真紅の瞳を持ち、その眼を見た者を魅了できる。


 曰く、吸血鬼は長く鋭い牙をヒトに突き立て血を啜る。


 曰く、吸血鬼は通常ヒトとよく似た姿で見分けがつきにくい。


 曰く、吸血鬼は日の光に弱く、日中行動できる者も居るが総じて動きが鈍る。


 曰く、吸血鬼はコウモリなどを主な配下とする。


 曰く、吸血鬼は見た目よりも怪力である。


 その他にもニンニクが嫌いだとか、流水の上を渡れないとか、招かれないとヒトの家に入れないとか、まあそういう妙な特徴ばかりだ。ここまで来ると弱点が多すぎてあまり脅威に感じられない。


「……で? この与太話のどこが当てはまってるって?」

「まずエイラさんは昨日見た時真紅の瞳と長く鋭い牙があった」

「兄上が見た。普段のエイラはそうじゃないだろう?」


 エイラは金髪碧眼で決して赤い目ではない。牙がやや鋭いのは事実だが、それでも常人の範囲内だろう。


「それに俺は毎回エイラさんに見つめられてニコって微笑まれると幸せな気分になって気が遠くなる」

「それは単に兄上だけではないかな?」

「まだあるんだ」


 このしつこい馬鹿兄め。もうこうなったらとことん論破してやろうじゃないか。


 シスターなのに朝に弱い? 私だって弱いぞ! そういう体質なんだろ?


 よく教会にコウモリが飛んでる? 前々から村の近くにコウモリの巣があったね。しばらく教会は無人だったんだから、その間に巣の移動でもしたんだろきっと。


 一人で大の大人でも苦戦する大きさの材木を運んでた? シスターは見かけによらず体力勝負らしいからね。自然と鍛えられたんじゃない?





「はぁ。はぁ」

「どうした? もう終わりか兄上。結局全部無理やり本の内容にこじつけただけじゃないかね? まったく病弱な私の貴重な時間を無駄にしたよ」

「そんな涼しい顔しておいて何が病弱だよ!」


 失敬な。これでも外に出て少し走っただけで倒れ込んでしまう病弱っぷりだぞ! 口喧嘩では冷静に要点だけバッサリ指摘すれば良いからまだ楽なだけだ。


「とにかく、これで分かっただろう馬鹿兄。冷静に論理的に考えれば、エイラが吸血鬼である可能性は極めて低い事が」

「……そうだな。やっぱり俺の見間違いか」


 何とか兄上も落ち着いたようだ。これでひとまずは一安心だろう。


「そもそもだ。我が兄上様よ。仮に、仮にだ。エイラが吸血鬼だとしよう。それで?」


 ヒトと吸血鬼は相容れない。根本にあるのが捕食者と被捕食者の関係だからだ。


 吸血鬼にやられる前にやるとでも言うのだろうか? それとももっと穏便に村から出て行ってもらうとか? まあ兄上は優しいからな。どちらかと言えば後者を選びそうだが、


「えっ!? ? 昨日は見間違えたのかもしれなくて驚いて帰ったけど、別にエイラさんが吸血鬼だったとしても悪い人には思えないしな」

「……ちょっと待った。じゃあ何で私に相談を?」

「そんなのもしもの時に知恵を貸してもらう為に決まってるだろ。吸血鬼だったら正体がバレないようにしなきゃだし、吸血鬼じゃなかったら疑った俺のフォローをしてもらうつもりだったさ!」


 何だ。兄上ときたらどっちでも良かったのか。いつの間にか窓の外は真っ暗。こんなことに折角の至福の時間を潰され、ドッと疲れが溜まっていく。


「…………はああぁ」

「おいどうした? そんなデッカイため息ついて。付き合わせた分の本は後日ちゃんと取り寄せるからな! よっし! そうと決まれば早速明日エイラさんに聞いてみるか!」

「聞くって……何を?」


 何だか嫌な予感がして私が尋ねると、この馬鹿兄ときたら笑ってこう宣ったのだ。





「そりゃ勿論、ねぇシスター。あなたは吸血鬼ですか? ってさ」

「……せめてもう少し捻りたまえ。例えば“きゅ”の付くアレですか? とかね」





 ◇◆◇◆◇◆


 ここまでお読みいただき感謝です。作者の黒月天星と申します。


 タイトルにも付いているように、この作品は前後編となっております。後半は今日の夜に投稿予定ですので、気になった読者様は少々お待ちいただければ幸いです。

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