詩・童話・その他
短編集:余白 / 伊草いずく 様
作品名:短編集:余白
作者名:伊草いずく
URL:https://kakuyomu.jp/works/16817330667019128468
ジャンル:詩・童話・その他
コメント記入年月日:2025年11月7日
以下、コメント全文。
この度は『自作品にさらなる輝きを』企画にご参加いただき、ありがとうございました。
主催者の島流しにされた男爵イモです。作品の方を拝読いたしました。
さて批評に際して、はじめに本稿にて取り上げる御作の対象範囲とその大まかな流れ、指摘の前提条件について記していきます。第一に本稿にて扱う範囲は【掌編】の四作品とします。事前に近況ノートにいただいた留意点を加味した結果、【詩】と【ノートの切れ端】への言及は割愛させていただきます。前者は小説に該当しないため、後者は内容が断片的で評価は主観の域を出ないという理由です。第二に、【掌編】の作品をそれぞれ個別に批評したあとに、共通点を総評としてまとめます。『短編集:余白』は複数の物語から成る構造上の特徴を持つため、こちらも形式を適応させることにしました。第三に本稿で度々話題となるであろう作品への指摘に関しては、仮に改稿される場合に「一〇~一〇〇字ほどの文字数の増加」ないしは「既存の描写を削って新しいものを加えた末に総文字数が±0になるように調整する」という修正方法が認められる前提のもとで改善案を述べていきます。短編の性質上、いたずらに文字数を増やしての課題点の処理や構成そのものを見直すなど、作品の形を損なう恐れのある指摘はここでは控えます。
それでは、まずは『荒天』の批評に移ります。
こちらの作品はSF世界を忠実になぞる文章表現が特徴的でした。読者が環境再現装置なるものを通して追体験することになる湿った情景の作り込み、そこに至る理屈や語彙をはじめ、主題に触れる前の下準備には余念がありませんでした。表現のレベルとしては少し難解で専門的な部類に入るとはいえ、言わんとすることは明白でSFに疎い読者にも易しい造りでした。その理解を助けている要素には、地の文で展開した理屈を台詞で短く要約するスタイルが挙げられます。地の文では主人公が直面している出来事の仕組みを順序立てて克明に描写して、台詞で直感的な発言を用いて状況をシンプルに伝えるといったふうに。こうした両側面から交互に場面を記していく仕掛けにより、作中では重厚な雰囲気と親しみやすさが共生していました。読者が話の筋道に難しさを覚えたとしても、台詞の命綱があるので物語に没入しやすくなるのではと考えられます。
そして作品の主題を紐解くカギを握る、不鮮明で言語化しがたい事象の登場と考察が示唆するメッセージは、普遍的な印象を与えながらも瑞々しさを含んでいたように思います。あえて規模を小さくして抽象化せずに、SF世界ならではの産物という一貫性を示した作者様の姿勢が上手く作用したのでしょう。その正体は第六感が見出す余地と関連があるのでしょうか。作中では雨音の種類を「五段階変音」と称し、主人公の窮地を救った音は「第六音」に相当しました。これを第六感の暗喩と捉えるならば、主人公の置かれた状況や心情と重なる形になります。あくまでも仮説にすぎませんが、こうした解釈ができました。科学技術の発展が生活の質を向上させて人を取り巻く環境を変えようとも、どこかに答えのない余白が残っている。そこに想いを馳せるのは個々の自由。不完全ゆえの綻びには、なんらかの気づきが隠れている。それを掬い取って願いに昇華したのが本作だと思います。もちろん、そうした考察とは無関係の「ある日常の一場面」を切り抜いた物語だったとしても、文章表現には余白を探せるだけの深みがありました。
気になった点では感性の独り歩きが懸念としてあります。独特な文章表現や考察を伴う展開は終盤へと向かう中で加速していき、次第に主人公の願望に置き換わっていきます。物語は当人の体験と常識を軸にしており、それゆえの結びにつながるので順当ではあるのですが、現象を美化しすぎているようにも捉えられます。環境再現装置の中の解像度が低く、感情すらも埋没させる世界を主人公が脱したのには外部の干渉によるところが大きかったです。ともすれば隔絶された個としての死を迎えていたでしょうし、本体にも少なからず影響があったでしょう。この奇跡があってこその物語とメッセージ性です。しかし、そこに重きが置かれているために、都合の良さが生まれています。事象の正体への考察に関しても、作中で完結してしまったのは論理の飛躍を招いているといえます。こうした引っ掛かりは作中世界にすんなりと入り込める読者にとっては目立ちにくい一方で、流れに上手く同調できない方々、リアルタイムで自らの考えを練る方々の認識では違和感が顕著になるのではと思います。中道を行くのなら「投げかけ」という形が選択肢にはあります。出来事と考察の余地のみを示し、幻想あるいは運の巡り合わせをどう取るかを読者に委ねる。先に触れた余白をよりわかりやすくするための基礎を作るといいますか、あえて情報をヒントに留めて物語の解釈の広がりを個々が楽しめるような造りにすると、メッセージ性の強さが悪目立ちするのは緩和できるかと考えます。
では次に『観測』について。
この作品では古典とポップさの融合が魅力になっていたと思います。神の存在や人間のルーツの謎から辿る物語がみせる、どこか儚くも皮肉の利いた展開はほどよい刺激に満ちていました。前半で尊大かつ茶目っ気のある神が巻き起こす取り返しのつかない事態を書き、後半でその因果に引きずり込まれる人間たちの末路につなぐ。その構成は古典のような安定した筆致で導かれていながら、既視感を伴わない独自の色を持っていました。前半と後半とで内容が対になり、そのうえで両者に意図的な温度差があったのは実に興味深い部分です。冒頭でフィクションならではの演出や台詞回しをみせて、のちに他人事では済まない酷薄な未来を突きつける。緊張の緩和と恐怖の収斂のテンポが軽快でした。そんな否応なしに読者を連れ立って物語を一気に駆け抜けるスピード感が、個性となって既視感を拭い去ったのでしょう。
作中では未来の研究の題材として、神の存在証明を取り扱ったのも直前にあった描写の意図を汲むには妥当で、繰り返しを経て確立されたシミュレーション実験が暗に証明している事実は妙な現実味を帯びていました。研究員たちが観測装置の電源をいつも実験の中でなにげなく切っていただけに、その対象が最後には誰に向くのかがわかると一層の絶望感が漂ってきます。精巧な入れ子構造であり、その構成要素には現実も例に漏れず含まれているのだと読めました。読者が『観測』のページを閉じる行為、あるいは永遠に続く保証のない現実世界の危うさをなぞらえているのだと。これらは深読みの領域ですが、根拠のない想像をもとにした勝手な考察ではなく、じっくりと読み込む機会があれば多くの方々が作品から抽出できる部分ではあるかと思います。そうした仕掛けがさりげなく短い文章中に施されており、物語単品の面白味は大前提に作者様は多面的な視点で創作にあたられているのだと推察できました。読者が気負わずに楽しめる分量と中身、その縁を飾る伸びやかな筆致が余韻を引き立てていました。
もう一押しがほしい箇所には、最終盤の研究員らのやり取りがあります。度重なる試行結果が導いた予感の一致で、一方が動揺を隠せなくなる場面。これには研究が暗礁に乗り上げており、すでに当事者たちの疲労が限界に達していた背景があるのだと思いますが、台詞メインの急速な会話によって一連の動きは悪い意味での唐突さを助長しています。前触れなく訪れる最期の演出には適っているものの、締めを急ぎすぎているとも受け取れます。折角、研究の舞台を設けたのですから、研究員同士ならではの高度な議論や新解釈を台詞に織り交ぜてみてもよいのではないでしょうか。たとえば神は単一個体なのかという論争やシミュレーションの穴、観測にちなんだ試行ごとの手順の微細な差異から生じるパラドックスへの言及。そういった理論を展開したうえでの結末であれば、より無力感の強い皮肉な味わいを物語にもたらせるかと考えます。いかなる技術力と叡智を以てしても、大いなる意思の決定は覆せないのだと。ただし、これはタイトに組まれた作品にほんの少しの遊びを持たせるという試みなので、文字数を増やすにしても二言三言くらいの会話で収めるのが効果的です。舞台設定が可能にするアプローチの方向性、作風に干渉できる小道具の使い道に候補を作っておくと、それらが本筋の補強をする際の支えになることがしばしばあります。
続いては三作品目にあたる『引き金』。
前の二作品とは打って変わり、泥濘の如くに粘る空気を薄めずに記した苦みのある筆致が印象に残りました。素材の旨みを生かした物語には混じり気がなく、善悪の物差しを使わずに内容を貫徹した点には得も言われぬ清々しさがありました。そして文字数の切り詰めによる臨場感の高まりと硬質な表現。その緩衝材として挟まれた擬音語が作る間は、場の空気を和らげるどころか非情さを与えており、ミスマッチゆえに起こる意外性を良い方向に存分に発揮していたかと思います。技術の面では個々の組み合わせと足し算が独特で、実験的ながらも安定した話運びが練度を証明していました。大枠である独白調の語りがリアルな日常の温度を保っていたために時折、顔を覗かせる小粋な表現や現実離れしたハードさが浮きづらくなっていたのは対策の点では万全でした。そうした土壌があったからこそ、作品の硬さと面白さの両立ができたのでしょう。
感性の面では主人公の行動や哲学にニヒルな影となって表れており、同情や戦慄を誘う妙味を醸し出していました。掴みの一文にはじまり、暴力の表現や道具を濁すことで生まれる、詩的で生々しい描写の数々。それらが作中に漂う冷たさを巧みに言語化していました。とりわけ一人称視点での越えた一線への呆気ない想いと後悔の魅せ方には解釈の余地があり、露悪的な言動一色で流れを落ち着かせようとしなかったのは適切な舵取りだったと思います。作品の趣旨を考えたとき、下手に主人公の行為に答えを出してしまうと余韻が半減するかもしれないので。言葉選び一つを取っても、暴力装置を悪魔との契約になぞらえて読者の感情を揺さぶったり、暴力の行使に優越感を覚えた主人公の今後を匂わせたりと慎重かつ大胆な設計が窺えました。しかも淡々とした調子で、エッジの効いた感性が次々と展開されるのでまさに怒涛の勢いです。その過程を通して出来た連理が、冷静さと異常さは紙一重だという事実を作品に溶け込ませていたようにみえます。作者様の感性が忠実に、鋭利で渋みのある作風に反映されていました。
気になった点は、主人公の精神状態の掘り下げです。人を殺した自分に、もしくは暴力装置に触れたことに少なからず恐怖と衝撃を感じて動揺していながらも、主人公の言動にほとんど変化がみられません。被害者に同情できる部分が少ないせいもあるのでしょう。事後に言葉に窮したくらいで、終ぞ男には関心を寄せずに現場をあとにします。「生白い、細っこい」、「女みたいに弱い俺」や「血の大半が腹より下に集まっていた」、「汚れたズボンをおろした姿のそいつ」などの二人の関係性や直前の出来事を推し測る材料はあるにもかかわらず。これらの回収は尺の都合で省いた、読者が自由に補完すべき事柄であってさほど重要ではないともいえます。つまり指摘自体が野暮なのかもしれませんが、なにかしらの描写につなげられる点だとは思いました。殺された男を活用するなら、その屍を主人公が殴るなり踏むなりして感じた自らの体の痛みと、道具を使う心地よさの対比で暴力装置に惹かれていく様子を鮮明にさせる。既存の流れを保つのならば、主人公は男を一顧だにしないとはいえ足が震えていたり、動悸が激しかったりと無意識に体は事態に拒絶反応を示している描写を二面性の表れとして加えてみるなど。後者に至っては十数文字の追加でも対応できるかと思います。現状の形が整っているので無理に聞き入れていただくほどの提案ではありませんが、主人公の掘り下げは作風をより尖らせるはずです。考察材料の重要性を読者に伝える観点でも、この部分に注力してマイナスの結果にはならないでしょう。
四作品目、『ペーパー(アンド)ムーン』。
理論上の42という数字、限界の12、たゆまぬ努力が縮める30。理論値の前に立ちはだかる高い壁に挑む行為が最後に実を結ぶ、希望とユーモアのある作品でした。人類をひいては地球の未来を救うために月を撃ち抜いた代償は重くとも、大義と「私」を含めたスタッフたちの意志が結末に柔らかな光を届けていたように感じます。それでいて読者の受けを狙った作為的な展開や台詞はほとんどみられず、作中世界と登場人物たちの背景に根差した物語が構築されていたのは謙虚な作り込みだと思いました。命と引き換えに名声を得るような自己犠牲とは異なり、行為と結果の間にあった当事者たちしか知り得ない事情に重点が置かれていたのは布石と呼べます。どちらかといえば本作の醍醐味は話の大局よりも個々人の生き様にあり、数字の意図は彼女らの本心と葛藤にあるとも解釈できます。そうなったとき、派手さと一線を画す素朴さこそが重要になってくるのだとわかります。
さらに話を発展させると、博士と「私」、そして「彼女」の二つの道の重なりが自然ながらも作中の要素を隈なく拾っていた点は非常に優れていました。その橋渡し役を担った「紙きれ」の扱い方も機知に富んでいました。タイトルの意味の強調、博士や助手の人生の写しだといえる紙きれ、そして前述した数字を内包した名詞以上の価値を持つ存在。こうした多角的な分析を促すイメージの形成には作品の趣旨を要約できる利点があり、腰を据えて読み進めようという読者の意欲を刺激していたと考えられます。捉え方によっては物語や主題を盛り立てるための小道具にすぎないのでしょうが、本編の尺が短いゆえに折に触れて考察する機会も多くなり、自然な流れが確立されていました。限界を超えて理論値に迫る、紙きれの畳み回数の延長線上に、月を撃ち抜く前人未到の挑戦が控えている構造とも上手く噛み合っています。よって素材を踏み台にした演出の回避と、作品の毛色が不安定になる恐れのある派手な魅せ方の抑制が逆説的な方法で為されていました。設定と出力の緻密さが、登場人物たち三人の生きた時間の隔たりを除き、終盤にかけて各々の想いが一つの時間軸に収束していく様子を特別なものにしていた印象です。
一方で数字に紐づけられた大枠の物語が全面に出るあまり、脇を固める細かな情報が後出しになっていたり、綻びが生じていたりしたのが懸念としてあります。例を挙げると「私」の博士との距離感や正体、整合機に宿った人格の話、施設崩壊までのタイムリミットなど。作品の形式を鑑みるに、情報の出し方にじっくりと仕掛けや説明を施す時間が割けないことは理解できます。なので許容範囲ではあるのですが、違和感を軽減させる工夫を少し考えてみました。まず、登場人物周りの情報については、台詞や地の文での簡潔な補足が効果的だと思います。「私」の内面は博士に共感を求めるような話題を振る、休憩に飲み物を持ってくる描写を足して距離感を仄めかす。序盤にある既存の会話内に、一セットの軽いやり取りを挟む程度でも十分です。整合機についても同様に、早い段階で匂わせがあるとなお良しです。そして施設からの退避の猶予は二、三十分に設定するのはいかがでしょうか。冗談にしても一分では短すぎますし、現実的とはいえません。直後の流れや他のスタッフたち(現場に居合わせているのならば)が逃げないことへの理由付けもあるのだと思いますが、描写によっては猶予時間を長く設けても場面の整合性を保つことができます。たとえば最後の時間を愛する人と過ごして、多幸感に浸る主人公の心情を表現したうえで、残り三十秒の場面につなぐ。願いが叶い、始終をあっという間に感じたという演出が合致します。またスタッフたちは不測の事態や装置の終末誘導に備えるという、使命感や職業意識に殉ずる覚悟を行動原理にあてることで説得力を得られるかと。小さな指摘だとは思いますが、作品の完成度が高いからこそ十全たるものにしてもらいたい気持ちが勝りました。
総評として、四作品ともに文字数の制約をものともしない、複合的でありながらも軽妙洒脱な物語が魅力に溢れていました。一見して相容れない要素にもかかわらず、それらが共存しているのは作者様の構成力が秀でていたがゆえといえます。作中で提示した材料を無駄なく使って組み立てた物語、込めたメッセージ。そこに押しの強さが介在せず、読者の姿勢に合わせて変化する柔軟性があったのは興味深かったです。楽しみ方の幅が受け手に委ねられているのです。気軽に話の要点のみを追って楽しむ読書、タイトルや伏線に考察を膨らませながら進める読書、何度も周回して発見を重ねる読書。十人十色の楽しみ方に対応した形を作品が持っており、それぞれの期待値に応える品質が保証されていたのは驚きでした。やはり、そこには物語単品での面白さと個性的な感性の両立があるのでしょう。どちらかのみでは到達しえない領域に本作があるのは、その絶妙なバランスが維持されているからに他なりません。そう簡単に真似できない業であり、今後も作者様の強みであり続けることでしょう。ただし、このクオリティを維持するには現状に満足せず、鍛錬を続ける姿勢が常に求められるかと思います。本稿で取り上げた指摘箇所は批評でなければ目を瞑っても良い、なんなら気づかなかったであろうものも多かったです。しかし、疎かにしていては必ず後に響いてきます。作者様は細部を観察して、磨き上げる能力をお持ちのはずなので、是非とも作品の潜在的な魅力をさらに伸ばしていただきたいです。独創的で誠実な体系が確立されているからこそ、次のステップを試す価値があります。
以上になります。
本稿の内容が、作者様の創作活動の一助となれば幸いです。
感想・批評企画まとめ 島流しにされた男爵イモ @Nagashi-Potato
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。感想・批評企画まとめの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます