2-12話:母と共に植えるべき種

「じゃあアネモス、種を植えようか」


 花壇の前にしゃがみこんでいたアネモスに、公爵が種を手渡す。

 興味津々な様子で種を観察する少年の隣で、公爵はリコリスに対して手招きを始めた。


「リコリスも、おいで」

「は、はい……。失礼します」


 渡された植木鉢と小さなスコップを手にした彼女は、おずおずとふたりの隣にしゃがみこむ。

 一方、植木鉢一式をリコリスに押し付けたジオラスは、花壇の隅に移動して何か作業を始めているようだった。


「リコリスも、ぼくといっしょにお花を育ててくれるの?」

「はい」


 頷くリコリスに、アネモスが嬉しそうに微笑んだ。


「お庭には植えないの?」

「ああ。ここで植木鉢に種を植えて、部屋で世話をするんだ」

「じゃあ、いつでもおせわできるね」

「そうだろう? 毎日が楽しくなるね」

「うん。どんなお花が咲くのかな」

「お花を咲かせるために、まずは植木鉢に土を入れようか。あそこは草がないから、ちょうど良いね」


 アネモスの背後を指したヴァレアキントスの言う通り、花壇の他の場所には雑草が多い茂っていたが、そこだけ土が露わになっている。

 丁度、ついさっきまでジオラスが居た場所でもあるが、彼はすでに姿を消していた。


「あれ? おじうえ、さっきここにたくさん草がなかった?」

「そうだね。あのままだと土が掘れなくて大変だったろうから、きっと女神さまの遣いが、アネモスのために土を用意してくれたんだと思うよ」

「すごいね……!」

「そ、そうですね……」


 何も見ていなかったアネモスの背後で、ジオラスが素早く雑草を引き抜いている姿を視界の隅で目撃してしまったリコリスは、何も言えずにただ頷く。


(凄いのはヴァレアキントス殿下の視線を察して行動するジオラスだと思うのだけど……)


 喜んでいる王子と、彼を気遣って微笑みかける王弟を見ていると、真実を告げるのも野暮だろうと彼女は思った。


「えー……っと、リコリス。植木鉢に土を入れてくれるかい?」

「私が……よろしいのでしょうか?」


 種植えは子どもがすべてやる様子をそばで支えるだけと思っていたリコリスは、意外そうに問いかける。


「ああ。種と共にアネモスがすくすくと健やかに成長するようにと、願いを込めて土を用意してくれないかい?」


 復讐を誓う相手が健やかに成長するように願うなど、矛盾した行為だ。

 けれども彼女は少し躊躇した後に、ゆっくりと頷いた。


「……承知いたしました」


 アネモスの隠れた前髪の合間からワクワクした眼差しで見つめられ、その隣にいるヴァレアキントスからも、どこか切なそうな表情を向けられたリコリス。


(私ったら、何をしているのかしらね……。本来なら今頃は、この子に手をかけているかもしれなかったのに……。ご飯を作ってあげて、世話をしてあげて、一緒に園芸をすることになるなんて……)


 二人からの視線に思わずたじろぎながらも、彼女は手を動かし始めた。


(王と王妃は絶対に許せない。でも、罪のないこの子に関しては、もうそんなこと暗殺をしたいと思えなくなってしまったわ……。だって、この子の瞳を曇らせるようなことを、したくないもの……)


 ジオラスがほぐしていたのだろうか、思ったよりも柔らかい土をリコリスがサクサクと掘っていく。


(都合の良いことを願っているかもしれない。けれども、王やティファレに愛されないこの子を、ヴァレアキントス殿下だけでなく……私だけでも、愛しんであげたいの)


 そして、悪魔の元に身を寄せていた五年もの空白を埋めるように、王子を暗殺しようとしていたことに蓋をするように、植木鉢を土で満たしていった。


(だから……悪魔から渡された毒は、仕舞っておきましょう。決して、誰にも見つからないように……)


 彼女が気持ちを整理しながら作業を続けているうちに、植木鉢の中が土でいっぱいになる。


「このくらいで如何でしょうか?」

「うん。良いと思うよ。次はアネモスの番だね」

「がんばるね!」


 順番が来たことを告げられた少年が、大切そうに手のひらでぎゅっと種を握りしめて、好奇心を抑えきれない様子で叔父に問いかける。


「どう植えるのかな?」

「人差し指ですこーしだけ土に穴をあけてごらん?」

「こう?」


 王子も土で服や手が汚れることもいとわずに、指先をちょんと優しく土に埋める。


「そうそう。そしたらそこに種を入れて……」

「……入れたよ!」

「最後にちょっとだけ、土をかぶせてあげるんだよ。種がぐっすりお休みできるようにね。……これは私がやろうか」

「うん」


 スコップを受け取った王弟が、アネモスの植えた種の上に少しだけ土をかぶせた。


「これで種植えは終わりだね。あとは毎日お水をあげるのを忘れないように。いいかい、アネモス」

「うん!」


 仲睦まじく園芸作業をしている彼らの様子は、はたから見ると家族が触れ合っているようにも見えるだろう。


(こうしていると、まるで家族みたいね……。私もその中の一員に交じっているようで、不思議だわ)

「こうしていると……私たちは、本当の家族みたいだね」


 リコリスが思っていたことがそっくりそのまま公爵の口から聞こえてきたことに、彼女は驚きで目を見開いてしまう。

 リコリスが驚いた様子に気付いておらず、公爵が少し照れくさそうにしている様子からは、まさに同じことを考えていたらしいことが良く分かる。

 リコリスは考えていたことが独り言として出ていなかったことに安堵すると同時に、胸に不思議と優しい気持ちが広がった。


「家族……。おじうえはけっこんしないの?」

「アネモスがいてくれるから私は寂しくないからね、このままで良いんだ。それに……」

「それに?」

「主には想い人がおられる」


 何かを言いかけた公爵の言葉を繋ぐように、ジオラスが彼らの後ろから呟く。


「あっ、ジオラス!! 余計なことを言うんじゃない!」

「そのひとがぼくのおばうえになるのかな? ぼくの知ってるひと?」

「えっ? えーっと……」


 興味深そうに首を傾げて問いかけるアネモスを前に、誤魔化そうとした王弟がしどろもどろになって目線を泳がせ始めた。


(ヴァレアキントス殿下には、好意を寄せておられる方がいらっしゃったのね)


 王弟がレンデンスの誕生の祝福にかけつけた際、リコリスが彼に結婚について問いかけたときは、決心がつかないと答えていた。

 そんな彼が、今は好意を持つ相手がいるという。


(……あの頃から、気になる方がいらっしゃったの? 王子の知ってる人物なら、私も知っている方かしら……?)


 気のせいだろうか、公爵の相手を想像すると、リコリスは胸がツキンと痛んだ気がした。

 そうしていると、不意に王弟とリコリスの視線がぶつかり合う。


「……あっ!」


 気まずさを感じて俯くリコリスとは正反対な様子で、公爵が顔を真っ赤にして慌てて話題を強制的に終了させようとした。


「わ、私のことは良いだろう。さ、種植えも終わったことだから、部屋に戻ろうか」

「うん」


 ジオラスによって丁寧に運び出された植木鉢を視線で追いながら、王子が王弟の手を嬉しそうに繋ぐ。


(王族の子が育てる種……。何事もなければ、私とレンデンスが、こうしていられたかもしれないわね。もしも夢でまたレンデンスに会うことができたら……。この子を優先してしまったことに対して泣かれてしまうかしら)


 彼らの後姿を見ているうちに、他の誰からも忘れ去られてしまったであろうレンデンスのことを思い出し、切なくなってしまった。


(夢でも良いから……。また、あの子に会いたいわ……)

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息子を奪われた闇堕ち元王妃は、偽りの家族愛に絆されて真実の家族愛を取り戻す ~呪いはマナを、やぶれない~ 江東乃かりん(旧:江東のかりん) @koutounokarin

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