2-11話:離宮の庭園

 アネモスのお昼寝が終わったが、起床直後の彼はまだ眠そうにしている。

 ぼんやりと瞼をこすっている少年に対し、公爵が早速散歩について提案した。


「お庭でお散歩?」

「そうだよ。少し外に出てみないかい?」

「お外に……行くの?」


 少年はポツリと呟いたあと、開けられたカーテンの先にある庭園を眺めた。

 彼が庭を見つめる姿は、外の世界に憧れを持っているようで、そして同時に恐れてもいるようにも見える。


「今日は私たちと一緒だからね」

「……! うん!」


 公爵が安心させるように頭を撫でると、王子がはにかんで頷く。

 眠気は吹き飛んだようで、アネモスはキラキラとした眼差しを大人たちに向けながら外出着に着替えた。


 アネモスに公爵が優しく手を差し出すと、少年は嬉しそうに小さな手で握り返す。

 周囲をいたずらに刺激しないようにとの配慮から、着替えを終えたアネモスの瞳は前髪によって再び隠されてしまったが、軽い足取りから彼が楽しそうにしていることがよく伝わってくる。


 一方、ジオラスは用があると言って席を外していた。


(あら? 四人で庭園に向かうと聞いていたのだけれども……。あとで来るのかしら)


 姿を消した公爵侍従の行方に首を傾げながらも、リコリスは主たちの後ろを付き従う。


 庭園に着くまでの間に、数人の使用人たちが訝し気に王子たちの様子を伺っていたのが分かり、リコリスは内心で不愉快たまらない。

 仮にも仕えるべき相手である相手に向けるべき態度ではないと感じたリコリスが遠目から睨みつけると、彼らは慌てて逃げだしていった。


「リコリス? どうかしたのかい?」

「……足を止めて申し訳ございません」


 公爵も彼らの視線に気づいていたのだろう。

 彼は時折振り返っては、リコリスの様子を気にしているようだった。

 叔父の手を握るアネモスも、そんな彼女の様子が気になったのか、首を傾げて寂しそうな声で問いかける。


「……リコリスは、お庭に行きたくなかった?」

「目にゴミが入っただけですから……」

「うん……!」


 リコリスの返事に少年が嬉しそうに頷くと、彼女はやるせない思いを抱えるしかない。


「さあ、庭園に着いたよ。あそこがアネモスの部屋だね」


 数分後。庭園に辿り着くと、公爵はまずアネモスに位置関係を教え始めた。


「お部屋からお庭を見るのと、お庭に出て見るのだと、ちょっと違うね」

「そうだね。実際に見てみないと分からないものだろう?」

「うん」


 さすがに部屋の外では叔父から離れるのが怖いのか、王子は公爵の手をぎゅっと握り締めていた。

 それでも幼心から湧き上がる好奇心は隠せないようで、アネモスは公爵にゆっくりと手を引かれながら、庭園内をキョロキョロと見回している。

 王子は時折リコリスの方を振り向いてはほっとした様子を見せており、使用人として付き添っているだけのリコリスは視線を向けられるたびに戸惑いを感じていた。


(それにしても、ヴァレアキントス殿下は何もない庭園に何故王子を連れ出したのかしら……)


 残念ながら、王子が暮らす離宮にある庭園には、豪奢な花はひとつも咲いていない。

 リコリスが初日に通り過ぎた庭園や、かつて現在の王エラムディルフィンと顔合わせさせられた庭園のような華やかさとは、真逆な様子だ。

 しかし、王子も王弟も庭園の華やかさなど全く気にせず、室外の空気をのびのびと楽しんでいる。


「……ぼくね、本の中だけじゃなくて、もっと色んなものを見てみたいな」

「体調も少しずつ良くなっているようだからね、これからゆっくりと行く場所を増やしてみようか」

「ほんとう? ……あのね、ぼくおじうえのおうちに行ってみたいんだ」

「じゃあもっと元気にならないとね。散歩の回数も増やそうか」


 叔父との将来の約束を取り付けたアネモスは、上機嫌になって庭の様子を楽しむことを再開した。


「あ、おじうえ! ここに小さいお花が咲いてるよ」


 不意にアネモスがしゃがみこんで、使用人が刈り残した花壇の雑草を指す。

 よく見ると雑草が、小ぶりな花弁が四つ付いた可愛らしい花を咲かせていた。


「可愛いお花だね。お部屋に飾るかい?」


 公爵の言葉に、思わず背後から「それ雑草では……」と無粋なツッコミをしそうになったリコリスがなんとか踏みとどまっていると、アネモスが寂しそうに返事をした。


「ううん。頑張って咲いてるから、取っちゃうと可哀そうだよ」


 庭園に生えた雑草に紛れて咲く花と、離宮の隅で懸命に生きている自身を重ねたのだろうか。


「……そっか。そうだね」


 甥の頭をポンポンと優しく撫でた公爵は、指先に土がつくことも厭わず、花壇に触れて言った。


「アネモスはお花を育ててみようと思わないかい?」

「お花?」

「そう。私はね、綺麗なお花が咲く種を持っているんだ」

「どんなお花が咲くの? 今まで見た本にのっていたお花?」

「咲いてからのお楽しみだよ。やってみるかい?」


 興味を示して顔を上げたアネモスだが、すぐに俯いてしまった。

 広々としていながらも雑草しか生えていない花壇を前に、不安そうにつぶやく。


「ぼくにできるかな……」

「まずはやってみよう?」

「でも……枯れちゃったら……」

「失敗したって責めないよ。アネモスのために用意した種だからね」

「……ん」

「育てることが、重要なんだ」


 公爵が顔を覗き込んで安心させるように言うが、それでも不安が残っているのか王子はおずおずと頷く。


「リコリスも手伝ってやってくれるかい?」

「えっ!?」


 それまで蚊帳の外だと油断していたリコリスは、突然声をかけられ思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。


「彼女が手伝ってくれれば、きっと綺麗な花を咲かせてくれると思うよ」


 業務とあればリコリスに拒否権はないが、王子の植物育成に使用人が関与しても良いものなのだろうか。

 使えるべき相手たちの会話に口を挟むわけにもいかず、リコリスは呆然とした表情のまま彼らの会話を聞いていた。


「ほんとう? 手伝ってくれれば、ぼくでもお花を咲かせることができる?」

「ああ」

「おじうえもいっしょ?」

「私は毎日は来れないからね……。代わりに、アネモスに会いに来たらお花の様子を一緒に見ようか」

「うん……!」


(これは……手伝わざるを得ない流れになりそうだわ……)


 リコリスが内心で嘆息していると、不意に近くから声が聞こえてきた。


「と言うわけで、ここにスコップと鉢植えを用意した」

「!?」


 声はいつの間にか庭園に姿を現したジオラスのもので、言葉通りスコップと鉢植えを手にしていた。

 突然のことに思わず声を上げそうになったのを堪えているリコリスに、彼はその二つを差し出して、主たちの元へ向かうように無言で促す。


 気おくれするせいだろうか、リコリスが重く感じる足をなんとか前に踏み出すと、公爵は立ち上がって彼女を迎えた。


「頼んだよ、リ……んんっ。リコリス」

「しかし、王子殿下が土いじりされることは問題ないのでしょうか?」

「問題ないよ。むしろ、王族の子がこの種を育てることには、とても重要な意味があるんだ」


 公爵はいつの間にか手に持っていた小さな種を小指と親指の先でつまむと、花壇の前でしゃがんで大人たちを見上げるアネモスに重ねるようにして見せた。


「慣例では母親と共に種を埋めて、子が花を育てていく様子を親がそばで見守るのが慣わしでね。けれども、この子の母親は……」


 そこまで言って言葉を止めた公爵は、手を下ろすと視線をリコリスに向けて苦笑する。


 かつてリコリスがリュンヌであった頃、彼女に愛名の慣わしを伝えたのも王弟だった。

 そう思い出すと、彼女の脳裏にレンデンスを出産する前の彼との記憶が過ってきた。


『リュンヌ嬢……いえ、王妃殿下。兄上から、愛名については伝え聞いていますか?』

『いえ。あの人からは何も……。お腹の子が生まれたら……私はこの子に何をしてあげたら良いか……』

『それなら……私が兄上の代わりにお教えしてもよろしいでしょうか? 他にも、王族の子どもにとって重要な行事があるのですよ』


 目の前の王弟はその時と同じようで……けれどもその時以上の憂いを帯びた眼差しでリコリスを見つめている。


(あの頃も、いまも……ヴァレアキントス殿下はお優しい方ね。けれども、どうしてそんな瞳で私を見るのかしら……)


 公爵は優しい瞳でリコリスを見つめているにも関わらず、彼女はまるで心の奥底を探られるような気がしてしまった。

 湧き上がってくる懐かしさを心の底に押し戻そうとしたことを隠すように、彼女は頭を下げて返答する。


「慣例なのでしたら尚更、私の様な使用人が尊い方々のしきたりに立ち入るわけには参りません」

「いいや。これはリ……リコリスにしか出来ないことで、君でなければいけないんだ」


 王族のしきたりを一介の使用人が手伝わなければならない理由とは、一体どんなものだろうか。


(私が子どもの扱いに馴れているから? それとも……王子に懐かれているからかしら?)


「頼まれてくれるかい?」


 いずれにせよ、リコリスに雇い主からの要望の拒否権などある訳がない。

 いたく真面目な表情で力説する公爵に、リコリスは困惑しながらも頷いた。


「……承知いたしました」


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※ご覧頂き有難うございます。

書き溜めてストックが切れたため、以降は鈍足更新になります…。

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