if only......

斑鳩睡蓮

if only......




 if only……




 きらきらと黄金こがね色の灯火が揺れている。黄金でできたランタンは、かつて炎の代わりに最上級の澄んだ鉱石を光として使われていた。黄金燈おうごんとうと呼ばれるそれは、白亜の壁に花と共にぽつぽつと吊られている。


 こつん、こつん……。藍色のカーペットの上でくぐもった靴音が響く。すらりとした長身の、白皙の青年。深い夜を思わせる黒に近い青髪の下で理知的な灰銀の瞳が黄金の光を受けて煌めいた。


 真夜中の城、皆が死んだように眠るさなか。静まり返っているはずの回廊で、とたとたと軽い足音が青年へとまっしぐらに向かっていく。青年は唇をほんの少し緩めて、振り返った。


 抜けるように白い肌は頬の辺りだけ桃色に、他の色に染まることを知らない白髪は少女の後を追う。そして、黄金燈と青年の色を目一杯に取り込んで輝くのは、金剛石の瞳だった。


 真っ白な少女が口を動かす。声がなくたって、青年にはちゃんと聞こえている。


 ──リゼル、と。


 一国の主である青年の名をそのまま呼ぶのは彼女だけだ。リゼルは両手を広げて、十六くらいの姿の少女が飛び込んでくるのを抱き留めた。出会ったばかりのときは受けとめ損ねて潰されていたけれど、今年で二十と二つになるリゼルはもう、少女を受けとめてもよろけない。見上げていたはずの金剛石の瞳も、いつの間にか見下ろさなければならなくなった。


「クライ」


 リゼルは唄うように少女の名を舌先に載せた。すっぽりとリゼルの腕の中に収まった少女が震える。リゼルの顔を映して灰銀と深青に染まる瞳に、もうひとつ色が加わる。夜と朝の狭間の空みたいな、曖昧でどこか甘いいろ。


 リゼルは微笑み、右手でクライ──クライノートの背中を撫ぜた。かつては半分の翼が生えていたその場所を。そこに引きつれた傷跡があることをリゼルは知っている。


 神さまを殺した代わりに、錬金術と奇跡を失くした世界。世界のことわりを粉々に壊したときに、天のみ使いは消えて、クライノートも消えかけた。だから、リゼルは手折ってしまった。クライノートの背中から、真っ白な美しい翼をこの手でもいでしまった。王の塔で見つけた片翼の天のみ使いは、なにも持たなかったリゼルが望んだ唯一だったから。


 今でもこの手に翼をもいだときの感触が残っている。クライノートの血で染まった両手がとても恐ろしくて、今になっても夢に見る。それでも、あのとき、クライノートは息が詰まってしまいそうなくらいにリゼルを抱きしめた。音を持たない声で側にいたいと泣いたのだ。


 神殺しの王、崩れ落ちていた世界を取り戻した救世の王、天のみ使いに心を奪われた王。それが、リゼル・オロ・レヴェニアだった。


 クライノートを抱いた腕をほどいて、リゼルは骨ばった手でクライノートのほっそりとした手を取った。いつものように。


「……今夜は久しぶりに星でも見ない?」


 ふっとリゼルの口をついて出たのはそんな問いかけだった。終わりかけていた世界で数えきれないほどに星空を見上げた。たとえどれだけ辛くとも、リゼルにとってはどれも宝石みたいに大切な思い出ばかりだ。


 リゼルの手をぎゅっと握るクライノートの横顔を見る。お人形さんのような少女の姿は出会った日から変わらない。


 黄金燈の回廊の端につくと、今度は階段を上る。クライノートはぱっとリゼルから手を離して、ぴょんぴょんと一段飛ばしで階段を進んでいった。今夜はなぜだか普段よりも気分がいいみたい。リゼルは苦笑して、クライノートのあとを追いかける。とんとんと刻む足音は軽やかに。


 踊り場には銀の花瓶があった。純白のカサブランカが花瓶の上で満開に咲き誇る。気品のある姿で優雅に訪問者に挨拶を返す。この階段は、実を言うとあまり使っていなかった。けれど、埃は少しも積もっていないし、瑞々しいカサブランカだって生けられている。


 黒いワンピースに白いエプロンを着けた女の姿をリゼルは幻視した。桃色の髪を揺らして、にこにこしながら花を選んだのだろう、セルシュ・マゴットという名のメイドは。


 クライノートを探して花瓶から視線を外した。黄金燈の明かりでぼうと照らされる階段の最終段を飛び越えようと、力んだクライノートがずるっと滑る。白い絹のような髪が広がるのを見た瞬間に、リゼルは床を蹴っていた。


「クライ! 大丈夫!?」


 右手に手すりを掴み、左腕でクライノートを捕まえる。クライノートはきょとんとした顔をした後に、首を亀のように縮めた。


『ごめん、リゼル』


 やると思った、と上がった息に混ぜて言う。クライノートはいつだってそうだった。やるだろうなと思われることを見事にやらかしていく。だから、きちんと見ておかないと。


 リゼルはひょいとクライノートを横抱きにした。ぱたぱたとクライノートが暴れたのは最初だけで、しばらくするとそろそろと両手を伸ばしてリゼルの首に手を回してしがみついた。クライノートの髪がリゼルの首筋を撫でたのがくすぐったくてリゼルは笑う。さっきの大失態を思い出してリゼルが笑ったのだと思ったらしく、クライノートは唇を尖らせた。


 バルコニーに出た途端に肌寒い風が吹き抜けた。身をすくめるのと一緒にクライノートを抱いた手に力がこもる。ぺしぺしと叩かれて抗議された。反省したリゼルは、そうっとクライノートをバルコニーに下ろす。真っ白な少女はゆるやかに白いワンピースをなびかせて石造りの床に足を着けた。


『星が綺麗だよ!』


 金剛石の瞳の中は星でいっぱいになっていた。黒い天蓋に星が満ちている。青い星、紅い星、黄色い星、白い星。澄み切った夜の空に縫い付けられた星々はさざめくように瞬く。どんな話をしているの。どんな夢を見ているの。見上げる者に尋ねるように星々は光を揺らす。もしもこのまま立っていたら、きっと星の声だって聞くことができるだろう……。そんな気がしてくるくらい今夜の空の住人は騒がしい。


「ほんとうに、綺麗だね」


『うん!』


 クライノートはくるくると両手を広げて星と踊る。白いワンピースの上に羽織っていたレース編みのカーディガンが風をはらむ。黄金燈にも劣らない輝きを放つその笑顔が、リゼルから呼吸を奪う。思わず手を伸ばした。


「クライ」


 名前を呼ぶ。すると、クライノートはリゼルの手を取って頬にすり寄せた。どきりとして、リゼルは手をよじる。けれど、クライノートはリゼルの手を離さなかった。


『リ、ゼ、ル』


 桜色の唇が音をひとつずつ大切に大切に紡いだ。熱のこもった金剛石の瞳からリゼルは目が離せない。戸惑うリゼルの胸にぽすんとクライノートは飛び込んだ。リゼルはそっとクライノートの小柄な体を包み込むように腕を回した。


『クライはリゼルに会えて嬉しかったの。いつも側にいてくれることが嬉しいの。だからね、クライを見つけてくれてありがとう』


「ぼくもだよ。ぼくこそクライにありがとうって言わないといけないね。クライが側にいてくれたから、ぼくはこうして歩いてこられた。それはこれからも同じ」


 リゼルはクライノートの肩に頭をうずめる。柔らかな白い髪は銀木犀のような淡くて甘い匂いがした。


『リゼル、だいすき』


 灰銀の瞳と金剛石の瞳がお互いを認める。リゼルはクライノートのおとがいをそっと掬い上げた。クライノートは目を閉じる。リゼルか、クライノートか、それともふたりともか、微かな震えが伝わってクライノートの長い真っ白な睫毛が震えていた。






 重なってひとつになった影がふたつに戻る頃、天蓋に留められていた星が流れた。








 ──これがありえなかった泡沫の物語ゆめ






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