第32話 少々気になりますわね
一瞬にして最後のワイバーンを消し炭にしたリズは、壁の上から地上を見下ろした。テイラーの独自魔法『
一人で地上へ転移し周りを見わたす。戦闘が始まる前までは大勢の人々で賑わっていたが、今は人っ子一人見当たらない。と、そのとき。
すぐそばにあった家の玄関が開き、住人の女が顔を出した。リズも以前から知っている若い女性だ。
「リ、リズ様……! ワイバーンはどうなりましたか!?」
「もうすべて討伐しましたから、安心してよいですわよ」
「そ、そうですか……! ああ、よかったぁ……」
玄関から出てきた女が、その場にへなへなと崩れ落ちる。
「逃げ遅れてケガをした人はいませんの?」
「あ、はい。あの男の人が、エステル中を駆けまわって避難を呼びかけてくれましたから」
「あの男の人?」
女の言葉に、リズが怪訝そうに首を捻る。
「えっと……ロイズさん、でしたっけ?」
「ロイズが? ふーん……」
「お年寄りとか、足が悪い人なんかを背負って、安全そうな場所まで避難させてくれたんです。おかげで、誰一人ケガすることなく逃げられました」
「そうでしたのね」
リズが小さく息を吐く。
ちょっと……意外でしたわ。ユイにあっさりと負けてしまうような、弱くて情けないなんちゃって吸血鬼ハンターとばかり思っていましたが。なかなか頼りになるところがあるじゃありませんの。
ふふ、と笑みをこぼしたリズは、再び壁の上へと転移すると、いまだ貧血から回復しないテイラーやユイたちを伴い、テイラーの自宅へと転移した。
――まさか、ワイバーンの群れがエステルにやってくるなんて。
ワイバーンは一匹だけでも大きな脅威だ。硬質な鱗に覆われた体には並大抵の攻撃は通用しないし、魔法にもある程度の耐性がある。
準備は万端にしてきたつもりだった。どのような脅威が訪れても、二度と住処を奪われないために。
地上からの侵略行為だけでなく、空からの侵攻にも備えて高い壁を設け、強力なバリスタも数多く配置した。
それでも、まだ十分じゃなかった。実際、リズ様がいなかったら、何名かの住人はワイバーンのブレスに呑み込まれ命を失っていただろう。
私は、私はまた居場所をなくすのか。私のことを迎えてくれた、仲間たちまで失ってしまうのか。
イヤだ。そんなのは絶対にイヤだ。
必死に頭を回転させつつバリスタで攻撃を行うが、それでも奴らは攻撃を仕掛けてくる。
イヤだ。この場所を失うのも、仲間たちを失うのも絶対にイヤだ。
『
自分の血に魔力を混ぜて魔法陣から降らせる独自魔法。多くの血を失うため危険が伴う魔法だが、出し惜しみしている場合じゃない。
ここを失うくらいなら死んだほうがマシだ。覚悟を決めて魔法を発動させた。私の血に触れたワイバーンの体がどろりと溶けていく。
わずかに口もとを綻ばせながら、私の視界は黒く染まった。
「ん……」
うっすらと目を開いたテイラーの瞳に、見慣れた天井が映りこんだ。
あれ……? ここ、私の家……? んん? でも、どうして……? てゆーか、私何してたんだっけ? たしか、広場にいて、それから……、ワイバーンがやってきて……!
「そうだ、ワイバーン!」
ハッとしたテイラーが、ガバっと勢いよくベッドの上で半身を起こす。と、そこへ――
「ワイバーンなら、あなたたちが全部倒しましたでしょ」
ベッドのすぐそば、床に腰をおろしていたリズが呆れたように呟く。
「あ……リズ様!」
「まったく……あんな危険な魔法を使うなんて。もう少し血を失っていたら、本当に危ないところでしたわよ?」
立ち上がったリズはベッドに腰をおろすと、テイラーへジトっとした目を向けた。
「あう……すみません……」
「まあ、居場所を失いたくないあなたの気持ちは理解できなくもないですが。ほぼ捨て身の攻撃で脅威を排除できても、あなた自身が死んでしまっては意味がないでしょう?」
「はい……」
シュン、と肩を落とすテイラーの頭を、リズが優しく撫でる。
「でもまあ、立派でしたわよ。リーダーとして、やるべきことはきちんとできていましたわ」
「はう……」
褒められながら頭を撫でられ、テイラーの頬がりんごのように赤く染まった。
「……あ、そうだ! リズ様、住人にケガ人はいませんでしたか!?」
「心配は無用ですわ。死者はもちろん、ケガをした者も一人もいませんの」
「そ、そうですか……よかったぁ……!」
「ロイズが頑張ってくれたようですわよ」
ロイズの名を聞いた瞬間、テイラーの体が硬直した。急なワイバーンの襲撃もあり、すっかりロイズのことを忘れていたのだ。
「が、頑張ってくれた、というのは……?」
「あなたが壁の上に向かったあと、ロイズが率先して住人たちを避難させたそうですわよ。お年寄りや足が悪い者たちはロイズが背負って避難させたのだとか」
「ほ、本当ですか……!?」
「ええ。その現場を目撃した住人がそう言っていましたから」
驚いたように目を見開いていたテイラーだったが、かすかに眉をひそめると、そのまま顔を伏せてしまった。
――空が青い。
芝生の上に寝ころぶロイズは、吸いこまれそうなほど青く澄んだ空を眺めながら小さく息を吐いた。ここは、少し前にユイと模擬戦を行った広場。
はぁ……ちらりとしか見えなかったけど、ワイバーン、おっかなかったなぁ。あんな化け物の前じゃ、人間なんて無力なものだ。
ワイバーンの襲来を知り、勇ましく壁の上へと駆けていったテイラーの姿がロイズの脳裏によみがえる。
凄いな、あの子は……。
それに比べて俺は……情けない。あんな小さな子どもとの模擬戦にもあっさり負けたうえに、ワイバーンの姿をちらりと見ただけで足が震えてしまった。
「ダメなヤツだ、俺は……」
思わず心の声が漏れた。そのとき――
「……何が、ダメなんですか?」
突然声をかけられ、ロイズは慌てて芝生の上で起きあがった。視線を向けた先にいたのは、かすかに眉をひそめたままこちらを見ているテイラー。
「あ……!」
立ちあがったロイズが、手のひらでパンパンッと服の汚れをはたく。戦闘の手助けをできなかったこともあり、ロイズはテイラーの顔を真っすぐ見ることができなかった。
「あ、ええと……貧血で倒れたって聞いたけど……大丈夫、なのか……?」
「ええ。大したことじゃないです」
「そ、そうか……」
会話が続かず、向かいあったまま沈黙が訪れた。ひゅーっと吹きすさぶ風の音が、ロイズの耳にやたらと切なく聞こえた。
「あ、あの」
沈黙を破ったのはテイラー。
「あの……住人の避難を手伝ってくれたと聞きました。その……ありがとう、ございます」
「あ、や……そ、それくらいのことしか、できなかったから……」
「私にとって、ここの住人はみんな家族のようなものなんです。だから……本当に、感謝しています」
まさかお礼を言われるとは思わず、ロイズの心臓がバクバクと激しく波打った。一方、お礼を口にしたテイラーも、頬をやや赤く染めたまま俯いてしまった。
そんな二人の様子を、少し離れた場所からこっそりと見守るリズとユイ、モア、メル。
「ああ、もうっ。何やってんのよあの男は~! もっとプッシュしろっつーの!」
「で、でも、さっきよりはちょっとだけいい雰囲気じゃないですか?」
「何だかんだで似た者同士」
好き勝手言う弟子たちの様子に、リズがくすりと笑みをこぼす。
結局、テイラーとロイズは交際にまで発展することはなかったものの、住人たちからの信頼を得たこともあり、ロイズはエステルで暮らすことになったようだ。
ここから交際に発展するかどうかは、ロイズのこれからにかかっている。先が長そうではあるが。
再びテイラーの自宅で、ロイズを交えて少し話をしたあと、リズたちはエステルをあとにした。その帰り道。
リズが何やら考え込むような顔をしていたことに、ユイが気づいた。
「先生、どうしたの?」
「ん? ああ……ちょっと気になることがあるのですわ」
「気になること?」
「ええ。私は長くエステルのそばで暮らしていますが、これまでワイバーンが出没するようなことは一度もありませんでしたわ」
ユイとモア、メルが顔を見あわせる。
「しかも、群れをなして襲来するなど、考えられないことですの」
「た、たまたま、じゃないんでしょうか?」
やや不安な表情を浮かべながらモアが口を開く。
「……だといいのですがね」
弟子たちと横並びになって歩きながら、リズはワイバーンがやってきた方角の空へ紅い瞳を向けた。
万能吸血鬼リズ先生のほっこり弟子育成日記 瀧川 蓮 @ren_takigawa
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