第7話 見えないもの
ちなみは成人してからもしばしば君江の家を訪ねました。
祖母はいつでも歓迎してくれました。地元の産物を用意し、夏ならば炭火焼、冬ならば鍋を山盛り用意して待っています。野菜をたくさん食べるのが長生きの秘訣と称していました。
沢井と結婚した後も変わりなく迎え入れてくれました。夫婦喧嘩して泣きながら駆け込んだこともありました。あんたは父親似だけどね、母親に似ているところもある。どっか負けん気が強い。それなのに意気地がない。だからこんなことになるのさ、と軽くいなされます。だけど大したことはない、大丈夫さ、と。お父さんを見てみなよ、と。その頃、父親の芳郎は娘であるちなみとさほど年の変わらない女と同棲していたのです。こちらは数年で終わってしまう関係ではありましたが。
つい近視眼的になってしまう彼女に君江は異なった視点を示し、客観的な立場から考えるよう誘導して救い出してくれるのです。軽井沢という東京から離れた土地も影響しています。流れている時間が違うのです。均の父親のように時間を管理し、貯めようとするのとは正反対の哲学です。自然の営みがあり、そのなすがままにまかせるしかない、放置することによって開放されるおおらかな時間でした。長い眼で見れば重大な出来事ではない、そう思うことができるのでした。
そんな祖母でもどうしても解決できない問題は加奈でした。
あの子はまた男に火をつけられたのよ、
と君江は教えてくれました。放心状態で過ごしていた半年の間に、豊満な肉体と魅力的な表情を取り戻し、まずはホームセンターの従業員と付き合い始めました。妻子ある中年の男で一波乱あったそうです。ですがそのおかげで加奈は急に快活になり、昔の彼女に戻ったかのように見えたそうです。君江はほっとしながらも内心ひやひやもしていました。その後も避暑にやってきた自称実業家や地元に住みついている外国人のミュージシャンなど次々に派手な異性交友を繰り広げていました。
幕引きはあっけないものでした。高速道路で暴走し、多重事故を引き起こし即死したのです。同乗していた交際相手も亡くなりました。二人とも飲酒の形跡が認められ、葬儀を派手に行うことは憚られました。
埼玉の公営葬儀場でひっそりと行われた通夜に参列したのは、君江と芳郎、ちなみの他、宮原家の親戚数人だけで、実にわびしいものでした。
青白い蛍光灯がおぼめく通夜の席で、君江はずっとうなだれたままでした。
親不孝だよ、と遺影に向かってぽそりと呟くのです。誰も返事ができません。あたしはあんたのせいで最近、眼が見えなくなった、そんなことを言うのです。確かに加奈の行状は常識的には無軌道だったと言っていいでしょう。君江は娘の起こす事件のたびに心労を煩い、理不尽な咎を負い続けてきたわけです。いくら勝気で楽天的だとしても、轟音とともに焼却され骨と化してしまった娘の有様には無念の一言だったに違いありません。
あれこそ業かもしれない、
と沢井は言うのです。本人が呼び寄せたものだけど、本人だけに責が帰せられるわけではないし、かといって誰が悪いとも判定しがたい。運命と名づけて納得するしかないような生き方だと。
この頃、君江の「霧」は軽井沢の湿原から、家へとしみこみ、さらに彼女の脳髄にまで侵入しつつありました。目が見えない、というのは視界が不良なのではなく、見えているのに見えなくなったということなのです。眼球にはなんら問題がなく、消えつつあったのは見ている君江自身の方でした。自我を束ねる同一性が弱くなり、意識は不定形な軌道を漂い始めていたのです。どちらを見ても霧がたちこめて邪魔をするため、デッサンの筆致は鈍りました。過去の残像だけが愛しさを伴って浮かび上がるのですが、つかもうとすると雲のように消えるのです。現実は謎に満ちた危険な世界になってしまいました。絵筆を動かすのも難しくなります。達郎の姿だけがくっきりと霧の彼方に佇み、励ますように微笑んでいるというのです。
それから数年後、祖母もみまかりました。
リビングには描きかけのカンバスが残されていました。若い頃は印象派風の色鮮やかな風景画を得意としていましたが晩年の作品はくすんだ色の抽象画が主体になっていました。抹茶色や灰鼠色の図形がいがみ合うようにして並んでいます。ちなみはどうにもそれらの絵が好きになれませんでした。
最後の絵はアクリル画で、真ん中にくっきりと黒い馬蹄形が描かれていました。一見するとトンネルのようです。中心部分は執拗に塗りつぶされており、まるで自分が死に向かっているのを知っていたかのような印象でした。周囲には青や赤の楕円形が戯れるように置かれ、トンネルの入り口からは細いコードのようなものが伸びています。意味はわかりかねますが、コードの先端にはライオンの尻尾を思わせる黄色のふさがついていて、少し滑稽な感じもしました。
絵は見えないものを見えるようにする道具なのだ、という祖母の言葉を思い出します。描かれているのは祖母が最後に見た「見えないもの」なのです。
ちなみはこの絵を額装し、今も自宅のリビングにかけています。最初は浅間山を描いた油絵を選んだのですが、どうにも物足りなく感じたのです。暗い抽象画は部屋の雰囲気に合わないし、ことさらこの絵は落ち着かないだろう、と片隅に追いやっていた遺作がどうしても気になりいざ壁にかけてみるとこちらのほうがずっと腑に落ちるのでした。
均と再会できたのは二十年以上も歳月が経過した後です。場所は新橋の古いビルの地下街でした。
ちなみが普段は訪ねないような居酒屋で、扉を開くといらっしゃい、と威勢のいい声がかかります。客はサラリーマンらしきワイシャツ姿の男ばかりで、焼き鳥の煙が立ち込めていました。
カウンターにいるはずの均の姿を探しながら開いている場所を見つけてスツールに腰を下ろします。目の前に立った店員に生ビールを注文しながら、相手の顔を見つめることもできず、このまま逃げ帰ろうかしら、と考えていました。
枝豆をつまんで、ビールに口をつけると、
今日も暑いっすね、と店員の一人が話しかけてきました。テレビで見ただけなので自信は持てませんでしたが、それが均だと思いました。
お客さん、近くのOLさんですか、
と聞くのでテレビで見て、と答えます。ああ、と相手は後頭部に手をやって笑いました。前の週末、街を紹介する番組で取り上げられていたのです。均は年配の芸人とのやりとりを流れるようにこなしていました。名前が表示されなければちなみも気がつかなかったかもしれません。鈴木均という文字が目に飛び込んで心臓が高鳴ったのです。年恰好も合っているし、面影もあるような気がしました。あの均ではないか、と食い入るように見つめ、テレビ局のホームページで店の情報を確認したのです。
テレビってのはすごい影響力だね、こんな店に美人のお客さん呼んじゃうんだから、と照れたように笑います。
あら、と口をすぼめながらもちなみは、鈴木さん、均さんですよね、と問い返します。ええ、と答えながら均は表情を変えました。まじめな顔でちなみをじっと見つめます。
ちょっと待てよ、あなたは、と。
そうなの、あたしよ、宮原ちなみ。子供の頃、軽井沢で隣にいた、そう言いながらバックから懐中時計を取り出しました。均はそれを見て、泣き笑いのような表情になります。ちなみは自分が勤めている会計事務所の名刺に携帯電話の番号を書き入れて差し出しました。気が向いたら時間があるときに連絡ください、と。参ったな、と後頭部を撫でながらも均は店の名物だという炭火焼の鶏肉と豆ご飯を御馳走してくれました。
翌日の午後、さっそく電話が入り、二人は均の店の近くの喫茶店で会いました。
びっくりしたよ、と均は笑うのです。そしてちなみが持って来た懐中時計を丁寧に検分するのでした。時計は今も動いています。
俺にとってあの夏は遠い昔ですけど忘れられない思い出です、
そう告げるのでした。目を細める仕草にはっとします。眉が太くりりしい男の横顔にちなみはかつてのやせ細った繊細な少年を見出そうとするのですが無理でした。
宮原さんが急にいなくなって寂しかったですよ、
あたしもつまらなかった。夏休みはあの日に終わってしまったって感じ。その後、もう子供の頃のように心から楽しい夏休みは二度とない。
これは真実でした。
あの夏を境にすべてがうまく行かなくなったとちなみは感じたものです。仕事にかまけている父親には反感ばかり覚えたし、学校ではクラスメイトと気まずくなって、クラブ活動もやめてしまいました。腹いせのように勉強しました。おかげで成績は良かったのですが、それも一刻も早く家を出て自活したいという動機に支えられてのことなのです。商業高校に進んだのも、まったく興味がなかった簿記を勉強したのも高校生でも取れる資格だからという理由からだったのでした。
今もバファローズのファンですか?
ええ、と均は微笑みます。よく覚えていますね、と。でもそんなに熱心ではありません。あれはもう別のチームですよ、と。
お母さんには会えましたか。
はあ? と均は眉をしかめます。
蛍を見た晩、覚えていますか。人の形に蛍が群れて、あたしは怖かったです。あれがお母さんの魂なのではないかって。
なんの話ですか?
驚いたことに均はその夜のことをまったく覚えていないと言うのです。それどころかドライブインの声が聞こえる扉のことや加奈の帽子を発見した経緯さえもはっきりしないようでした。
確かに廃墟で肝試ししたような、そんな記憶はありますけど。
ここまで見事に否定されてしまうと、記憶の城郭が波に洗われてもろくも崩れてしまい、足元が宙に浮いているような浮遊感を覚えました。あれがすべて幻だなんてことがあるだろうか。歳月の経過が作り出してしまった偽の思い出なのだろうか? そんなはずはありません。そうです、きっと均のほうが記憶を糊塗しているのです。少年の心には耐えられない重みがあった、だから不都合な部分を消し去ってしまったのではないでしょうか。ちょうど高原の霧のような白いぼかしが夏休みのあちらこちらを隠し、あいまいな思い出になってしまった。そういうことではないでしょうか。
均はコーヒーに手もつけず、じっとカップの内側を覗き込むようにしています。
あのころの俺は反抗期でした。父を否定したい一心ですべてに歯向かっていました。許せなかったのです。でもその父も亡くなりました。三年ほど前、病気でね。今は純朴過ぎた自分を反省していますよ。ガキだったなあ、って。
均さんは大人っぽい子供に見えましたよ。
いや、子供でした。よく言えば純真ですが、悪く言えば幼稚でした。むしろ宮原さんのほうが落ち着いた雰囲気で憧れのお姉さんでしたよ。
その言葉に、ちなみは少し照れました。
しかし、そこにいるのはあのときの少年少女ではなく、芥にまみれた世を渡ってきた大人の男女なのです。時間は先に進んでしまい元に戻ることはありません。過去が変更できない、これは人間の定めなのです。因果に抵抗しても無駄なのです。だからこそ変えることができる未来に向かって生きるしかないのです。
なにかが終わればなにかが始まる。
自分は自分にならないこともできた。そういうことです。不思議な気がします。前に進めば進むほど後退してしまう。ふり返るとそこには自分の知らない未来の自分が追って来ている。メビウスの輪のように表裏がねじれて元の場所に戻っています。
喫茶店を出ると、さようなら、と均は手を振って店へと向かいました。そろそろ出勤の時間だったのでしょう。彼に尋ねたいことはまだたくさんあるように思いました。
彼はなぜ居酒屋に勤めているのか。それともオーナーなのか。結婚はしていないのか。集めていた昆虫や父親の時計はどうしたのか。軽井沢には行かないのか。いや、そんなことはむしろどうでもいいのかもしれない。そうだ、マルクスは? あの賢い犬のことを尋ねるべきだった。そうすれば彼もスカイパークを思い出すかもしれない。ドライブインに侵入し、ドアの隙間に耳をつけ、母親の声を聞き取ろうと必死になった午後のことも。
どうしてコーヒーをすすっているときは思いつかなかったのか、と。しかし、もう二度と会わないのだろう、そうも確信できるのでした。
ちなみが軽井沢の家を売る決意をしたのは経済的な理由だけではありません。しかし金がないのも事実でした。父親は長い間、年金を滞納していたため十分な給付を受けられず、生活費もままなりません。入院した際の治療費はほとんどちなみ夫妻の貯金でまかなったくらいです。最新の癌治療は半端ではない費用がかかるのです。
一方、軽井沢の不動産市況は一時下落していたものの持ち直し始め、売ればそれなりの値段になりそうだとわかりました。ちなみは祖母が残してくれた家を愛していましたが、職務に忙しく、春から夏の間、二、三回行く程度でほとんど利用できません。建物の老朽化は激しく手入れしようとすれば費用が嵩むし、税金もバカになりません。夫の沢井も別荘だなんて分不相応な贅沢だと言うし、父の芳郎も売却に反対しませんでした。
仲介業者がシーズン前に売り出したほうがいいとせかすので、春のゴールデンウィーク明けに広告を出したところ、さっそく引き合いがありました。ところが見学を終えた買い手たちは一様に値引きを迫るのです。ひどい場合は半値近くを提示され、足元を見られているような不愉快な思いをしました。仲介業者は値段を下げるようアドヴァイスしましたが、ちなみは譲りませんでした。金銭のこだわりというより、大切な家を安売りすることに抵抗があったのです。夏も終りに近づきあきらめかけていた頃、言い値で買う相手が現れました。陳さん、台湾人の実業家だということでした。旧軽井沢の不動産屋で対面すると、流暢に日本語を話す穏やかな人でした。生まれてこの方、雪を見たことがなかったので、前年のクリスマスに初めて訪れた軽井沢がたいへん気に入ったとのことでした。建物が洋風なのも好みに合っていたようです。契約が無事終り、引渡しが迫った頃、片付けとお別れに、と父親と二人で出かけることになりました。
売り出しに向けて、アプローチの雑草を刈ったり、玄関周りのペンキを自分で塗り直したりもしてありましたが、家の古さは隠しようもありません。
まるで幽霊屋敷だな、と芳郎は笑うのでした。
ひどいわね。
陳さんもびっくりするぞ。
と悪戯めいたウインクなど寄越します。その頃、父親は従来の主張をすっかり変えていました。
幽霊は実在する。
そう宣言してはばからないのです。五十歳代で癌になり、手術をした頃から考えが変わったようです。冥界に片足を踏み入れたから、といったところでしょうか。
お父さん、お化けとか宇宙人の番組ばかり作り続けたから、ついに自分自身が妄想にとりつかれちゃったんでしょう、とからかうとそうかもな、と真面目に答えるのです。祟りかもしれない、と。
リビングには君江が描きかけたカンバスがいくつも放置されていました。ちなみはそれを一つずつ確認します。イーゼルや絵の具もあります。それから寝室のランプ。懐かしい品々を捨てるのには忍びありません。父親の住んでいる埼玉の団地は保管場所としては論外だし、ちなみ夫妻が西武線の沿線に借りているマンションも狭いのですが、せめてこれだけは残そうと、と運送業者を頼んでありました。
午後になってやってきた業者は手際よくカンバスを梱包し、小型トラックに運び込みました。霧が出てきましたね、と言いながら帽子の縁に手をかけて出発の挨拶をします。
あの霧です。
先ほどまで晴れ渡っていたのに、いつの間にか木々の間にひんやりと湿った空気が流れ始め、小道の彼方が白く濁ってくるのです。
庭をうろついていた芳郎は、お前、フィンランドの風習を知っているのか、と尋ねるのでした。
フィンランド?
そうだよ。ずいぶん前だけどね、取材でヘルシンキの近くの村に出かけたときに教えてもらったんだ。彼らは自宅と墓地の間の木の幹に死者の名前を彫る。いわば境界の印さ。死んだ人たちが懐かしがって帰ってきてもね、そこで自分の名前を見て立ち止まらざるを得ない。これ以上、戻ってはいけないと。逆にこっちからも無闇と向こう側に行ってもいけない。お互いにとっての標識さ、
そう言って背後を顎でしゃくるのです。
庭の隅から森へと辿っていくと、踏み固められた細い道の脇のくぬぎの古木の樹皮に、KIMIEとアルファベットで祖母の名前が記されているのでした。その先には、KANAもあります。
お前が掘ったのではないのか、と問われてちなみは愕然としました。そんな風習は知らないし、樹木に印をつけるなんてことは想像もできないのです。だけどお前以外、誰がこんなことをするんだ? 芳郎の質問には答えられません。別荘はずっと使用されていないし、ちなみ以外に訪れる者もないのです。もしかすると、とちなみは白い霧が立ち昇っているのにも構わず森の奥に分け入りました。樹皮の表面をさぐりながら木々をたどっていきます。
あった!
そう叫んで芳郎を呼びます。そこにはTATSUROUと記されています。やっぱりそうよ、おばあちゃんがやったんだわ、と。祖父が舞い戻らないように名前を刻んだ。きっとそのおまじないなのです。君江はフィンランド風習を知っていたのでしょうか。あるいは芳郎が海外ロケの土産話に伝えたのかもしれません。
そしてちなみに迷惑をかけないように、自分も含めて、死者の名前を彫ったのです。
手を触れるとざらざらとした感触が心地よいのでした。
木は生きています。樹皮は傷つけられた表面を回復します。ですので、いつしか掘られた名前の周りが盛り上がって文字の上を覆い始め、ついには完全に消してしまうのです。その頃には死者たちも浮世への未練を失い、大人しく冥界へと降りているのでしょう。これこそ森の民の知恵なのです。
もしや、と思いました。この先には父親のYOSHIROUや自分のCHINAMIも掘られているのではないか。それを見てしまったら幽冥の境から戻れなくなるのではないか。
お父さん!
慌てて叫びます。ところが芳郎が現れません。お父さん、どこにいるの?
霧の濃さが増し目の前は白一色に染まります。右も左も、前も後ろも木々か連なっているだけです。その瞬間、恐怖を感じました。樹木の印を見つけようと一心腐乱に歩いたのでどちらから来たのかまるで方角がわからなくなっています。庭からさほど離れていないはずですが視界が数メートル程度しかなく、どちらへ歩いても森の中です。道らしき踏みしめられた地面も急に途絶えてしまい焦ります。獣道かもしれないのです。お父さん、と繰り返し声をあげましたが返事はありません。気味の悪いほど静けさが研ぎ澄まされています。落ち着け、と己に言い聞かせました。待っていれば晴れるだろう、と。
どこかで犬の吠える声が響きました。
人々の足音も。
あの人たちだ、と思いました。君江が恐れていた亡者です。狩人の姿でいつまでも湿地をさ迷い、浮世への未練のままに追いかけてくるのです。境界を越えてしまったのだ、と気がつきました。せっかくの祖母の心遣いも役に立たなかったわけです。
しかも霧は心を蝕むのです。
加奈がそうであったように、意識の表層から次第に内面に染み込んで、その人の大切な記憶を食らい尽くしてしまいます。残るのはその場の欲望だけ。君江はそれを「抜け殻」という言葉で表していました。
身体にまとわりつく白いガスを払うようにして、早く出なければいけない、と念じていると、前方に影が動いているのが見えました。ついに亡者がやって来たのです。黒い人型がいくつも木々の間を蠢いています。言葉は聞き取れませんがすぐ傍で話し声も響いています。
ちなみは大きな木の幹にしゃがみこみ、目を閉じて時の過ぎるのを待ちました。そして思い出したのです。口笛だ、と。確か祖父は口笛を吹いて、あの人たちを厄払いしていた、と祖母から聞いていました。音を立てればかえって亡者を呼んでしまいそうな気もして勇気が要りました。それでも滅多に吹かないのでおぼつかない有様ながら、唇を丸め、吹いてみます。
ちょうちょ、ちょうちょ、菜の葉にとまれ。
菜の葉に飽いたら桜にとまれ。
かすれた音は次第に力を得て茂みの上を流れていきます。気がつくとあたりがほんの少し明るくなっています。目を上げると天頂付近の雲が動いておぼろに太陽の姿が透けていました。
同時に誰かがこちらを見ている気配があります。
お父さん?
問いかけに小さな人影が浮かんできました。長いエプロンを身につけた立ち姿に見覚えがあります。カンバスに向き合うときに君江がいつもつけていたものです。
おばあちゃん、
君江は笑っているような気がしました。そして背後で手をふっているのは祖父の達郎でしょうか。帽子を被った加奈らしき姿もあります。
お別れの合図なのです。
今度こそ、本当に行ってしまうのです。
戻ることはありません。
季節は巡ります。春から夏へ、秋から冬へといつまでも繰り返します。それこそが多く人の心を楽しませ、慰めるものなのです。自分たち人間はそのあわいを漂い、あるときは春の暖かさを楽しみながら己の力に過信して、夏は命の横溢を満喫し、また別のときは燃え上がる錦秋に目を眩ませながら陶然とし、ついには沈黙の冬にうなだれ、なすすべもなく通り過ぎていくのです。冬の後には春があり、似ていながらも一つ一つ、かけがえのない季節たちは同じ営みを繰り返します。しかし、人間の旅路には終点があるのです。螺旋は中空に途絶え元には戻りません。
無限へと消えていくのです。
それが今となってははっきりとわかるのです。人間は、人の間、と書くように人と人との関係として存在しています。周囲にいる人たちとの結びつきで自分が存在している。これは否定できない事実であり根拠なのです。だからその絆がすべてほどけてしまったら、もう居場所はありません。言葉が大切だ、とも思いました。人々をつないでいるのは日々の会話ではないですか。言葉は一つ一つ、かけがえのない瞬間を表している。自分はあまりにもそれを疎かに扱ってきたのではないか。もっと心をこめて話しかければ良かったのではないのか。魔法の呪文などないのです。ありふれた単語でいい、それでも十分な力があるはずだ、そう気がつくのです。
あっという間に霧は晴れて君江や達郎の姿は幻と消えました。もちろん亡者の気配など片鱗もありません。静まり返っていた森のあちこちから小鳥のさえずりが響き始め、そよ風が曇っていた視界を掃き清めていきます。
日がさして枝に木漏れ日が踊ると、ざわざわと草を踏み分ける音がして父親の芳郎が現れました。
こんなところにいたのか、
と笑います。
今、おじいちゃんとおばあちゃんに会った、と告げると芳郎は深く頷きました。
俺の言った通りだろう、幽霊はいるのさ、と。怖がることはない。ずっと前からすぐそばにいたんだよ。夜ではなくともいつもいる。みんな気がつかないだけさ。お父さんもそうだった。長いこと、忙しさにかまけて、その上、へ理屈ばかりこねちまってしょうがない奴だったよなあ。目の前のことしか見えてなかったんだ。立ち止まると気がつくのだよ。お前もそういうことがわかる年頃なったということだね。早いものだなあ。
そう嘆くように言い放って森の奥を見据えます。盛りを過ぎた緑はところどころ色が褪せ広葉樹は色づき始めています。幾重にも綾を成す紅葉の交響曲がまさに始まらんとしているのです。芳郎はテレビの現場で培った鋭い眼をめぐらせながら、いずれ遠くない将来、自分もたどることになる道行を思い描いているかのようでした。
ちなみは急にわきあがってきた涙を留めることができません。なぜか後から後からとめどなく流れるのです。
理由などない、そう思いました。
わからなくてもいい。
秋のとばくちはもうすぐそこにまで近づいていました。
夜ではなく夜の憑依として 晶蔵 @shozoshozo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます