第一話 狼男の密室殺人(4)証言者 ファーガス・グランブル
団長の執務室から出て、廊下を歩く。
部屋から充分に離れ、周囲に人が居ないことをよく確認すると、頭を抱えて座り込んだ。
「誤解された……」
なんかこう、すごく軟派というか、自意識過剰な奴……みたいな感じに思われた気がする。
「なんで女性の好みなんて聞く必要があったんだよ」
『小説のためだ』
「は?」
『作品のヒロインを探していてな』
「なに言ってんだオマエ」
『しょうがないんだ。見つからないと農家が危ないんだ』
柳生が、『世界の危機だ。我慢したまえ』といけしゃあしゃあと宣う。ウィリアムは、彼と一緒に聞き込みをしなかったことを後悔した。隣に居たらぶん殴ってやれたのに。
「はいはい、大変なんだな。それで、次はどうすんだ?」
『第一発見者に話を聞きたい。ファーガスさんだったか? ドワーフ似ているとかいう』
「大人しくするって約束したんだけどな」
『心外だ。こんなにも大人しくしているじゃないか』
「はいはい。そーですね」
『嫌そうな声だな。そう言えば、叱られたと言っていたな』
「うるさい」
『まぁ、そう憂鬱そうな声を出すな』
柳生が珍しく優しい声で言う。
『なんがあったか知らないが、失敗なんてよくあることだ。まして新人なんて、右も左もわからなくて当然だ。なに、安心したまえ。余りに理不尽なことを言われるようなら、私が言い返してやるよ』
***
「雪かきでお湯撒いたバカじゃねぇか!」
詰所の扉を開けると、目当ての人物はすぐに見つかった。
向こうもウィリアムに気がついたらしく、開口一番に怒鳴られる。
お湯じゃなく魔法だ、として言い返そうとしたら、水晶の向こうから 『君、そんなことをしたの……』と言葉を失う気配がした。え、そんなにダメなことなの? リューセイすらドン引きするほど?
「その節は、すみませんでした……」
しおしおとして謝れば、気が削がれたらしく、幾分落ち着いた声で怒られる。
「あのな、新人。雪を溶かすと、溶かした水が凍って氷になるんだよ。あそこは大通りで往来が多いし馬車も通るから、もうちょっとで大事故だ。だから皆ちまちま手作業で、雪かきしてたんだよ」
「知りませんでした……」
「ったく、次から気をつけろ。でも、オレも新人相手に怒り過ぎた。わるかったな。お前、雪を見たことがねぇのか?」
「雪の少ない地方で生まれ育ちました」
「そんな国があるんだな」
感嘆した様子で、ファーガスが呟く。
「オレは生まれ育ちもこの町でね。お前さんとは真逆だな」
「あの、少しお話を聞きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「なんだ?」
なんでも聞け、と豪快に笑う。怒りっぽいが気の良い人でもあるらしい。
「アイリル祭りの日に、雪は前代未聞だって団長は言ってましたが、本当ですか?」
「本当だ。オレも初めてだし、オレのひいじいさんだって見たことがねぇって言うはずだぜ。 こりゃあ、まちげぇねえ。冬女神が怒ってるせいだ。聖なる祭りの夜に、自分の聖域に死体を捨てられたんだもんなぁ。怒り狂うのも無理はねぇ」
と、ファーガスが嘆く。
「自然を司る女神達は、すぐに機嫌を損ねますからね」
ウィリアムも同意するよう頷く。
「僕の地元でも一度ありました。兄が雨女神の神像にイタズラして、ひどい大雨になったんです。夏の終わり――麦が色づき始めた頃のことです」
『ひっ』
水晶越しにガチ目の悲鳴が聞こえた。
「慌てて神官を呼んで三日三晩神鎮めの儀をして、なんとか収まったんですよ」
懐かしく思い返しながら語っていると、柳生から指示が飛ぶ。
『これだから神って奴は……。人界不介入が聞いて呆れる。まぁ、いい。祭りについての詳細を頼む。私の知っている祭りとは少々違うみたいだ』
「ここでは、どんな風に祝うんですか?」
「お前んとこは、どうやって祝ってんだ?」
逆に問い返さた。
「どうって言われても、普通です。広場でお祭り騒ぎがあって、夜は家でごちそう――仔羊の丸焼きとか鹿肉のパイとかケーキとか――を食べます」
「ここも基本は変わらねぇよ。ただ、一番でけぇのは“
ファーガスは手を振って、口を開こうとしたウィリアムを遮る。
「
ファーガスは苦い顔で説明する。
「市ってのは、麦が育たねぇこの町の命綱だ。魔狼の毛皮を農作物や様々な物と交換するんだ。特に年に二回やる
『それは死活問題だな』
と、柳生の相槌。
「神鎮めの儀をしても、今年の市場はもう無理だろうなぁ」
ファーガスは陰鬱な顔をして嘆く。
『同情はするが、それで焦って無罪の人間を捕まえてたんじゃ、世話がないな』
対して、柳生の返事は冷ややかだった。
『祭りのことはもういい。アリバイを聞いてくれ』
アリバイ? なんだっけ……思い出した。現場不在証明だった。
「昨日と今日はなにをしていましたか?」
「昨日は非番だったから、部屋で酒を飲んでたよ」
「おひとりで?」
「ひとりだ。お酌してくれるような相手は、生憎いなくてよ。そうだ、今度オレの部屋に遊びに来い。兵舎暮らしのノウハウを教えてやるよ」
行きたくないと思ったが、それを口に出さないぐらいの分別はあった。
「なにか変わったことはありましたか?」
「特にはねぇ……はずだ。覚えてねぇ。すっかり酔っぱらちまってたからなぁ。雪が降り始めたのだって気づかなかったぐれぇだ。朝五時に叩き起こされたときは、そりゃあもう驚いたぜ」
「除雪に参加したのは全員ですか?」
「城壁組を除いた全団員が集まったな」
「全員が兵舎で暮らしてるのですか?」
「いや、結婚した奴なんかは、兵舎から出て散り散りに暮らしている。それでも、今朝の雪を見て全員がすっ飛んできた」
そこでファーガスは話を区切ると、「団長から雪かきの話は聞いたか?」と尋ねてきた。
ウィリアムは頷く。
「旧女神の広場に到着し、雪を掘って塔の扉を開けると死体があった」
『待て、雪を掘るだと?』
柳生が怪訝そうに問う。
「雪を掘るとはどういう意味ですか?」
「そのまんまだ。広場には町中の雪が集められてるからな。塔のドアは雪ですっぽり埋まっているんだ」
『まさか』
柳生は興奮を隠しきれない声で言った。
『雪密室か?』
***
『雪の密室とは』
柳生が滔々と説明する。
『雪で囲まれた建物の中に死体があるが、雪の上には被害者の足跡しかない、もしくは足跡がない――という状況のことを指す』
「それっておかしくないか?」
ウィリアムは小声で尋ねる。
「犯人はどうやって出入りしたんだ?」
『そのトリックを見破るんだよ』
「トリックって――」
なんだ、と問う前に、ファーガスが怪訝そうなに言う。
「どうした? 急にブツブツ言い出して」
「イエ、ナンデモナイデス。そんなことより、発見時の様子を教えてください」
「様子っていわれてもなぁ……。オレの班は雪捨て場に最後に到着した。ルートの関係でいつもそうだ。そんでさっきも言った通り、塔の前にある雪山を退かして扉を開けた」
「扉に鍵はかかってなかったんですか?」
「鍵は付いてねぇ」
『到着時間はわかるか? 聞いてくれ』
「何時に到着しましたか?」
「七時だ。広場に入ったとき、ちょうど中央神殿の鐘が鳴ったからまちげえねぇ」
「雪を退けるのにかかった時間はどれぐらいですか?」
「二時間だ」
『随分と正確に答えるんだな』
同じことを思っていたら、心を読んだようにファーガスが疑問に答える。
「鐘が二回聞こえた。鐘は一時間ごとに鳴る」
「二時間もかかったんですね」
そう言うと、ファーガスは少し気分を害した様子で語る。
「二時間でもはえぇ方だ。回収してきた雪は、泥や小石が混じっていて掘りにくいんだ。なにより量だ。町中の雪が集まってんだ。ものすんげぇ量だ。なんせ春になっても溶けずに残っているぐらいだからな」
「それじゃあ、広場は夏と秋以外は雪で埋まっているんですね」
ファーガスはニヤリと笑う。
「夏以外、だ。この町に秋はない。短い夏が終わればすぐに雪のシーズンだ」
「じゃあまさか、夏以外は毎日……」
「雪かきだ」
絶句するウィリアムを見て、ファーガスと聞き耳を立てていた周囲の男達がドッと笑う。「ようこそ地獄へ、歓迎するぜ」と囃し立てる声を聞きながら、とんでもないところに就職してしまったと身震いする。
『広場に到着したのは最後だと言ったが、最初に到着した班は何時に着いたんだ? 到着時、雪山に不審な点はあったか? 足跡は? 塔を出入りした足跡はあったか? どんな些細なことでもいい聞き出してくれ」
こっちの気も知らずに、柳生が偉そうに急き立てる。
「最初に到着した班と、その時の広場の様子ついて教えてください」
「コナーの班だ。六時だと言ってたな。おい! コナー! ちょっと来い!」
ファーガスは、部屋の隅で仲間とカード遊びをしていた青年に向かって、呼びかける。
「なんすか?」
ひょろひょろとした軽薄そうな青年がこちらにやってくる。
「あの、今朝の雪かきについて話を聞いてて……」
ウィリアムは、発見時の様子が知りたい旨を簡潔に伝えた。
「なーんもなかったッスよ」
コナーは、あっさりと答えた。
「足跡も?」
「ないない。だから中を確認する必要はないって説明したのに、ファーガスさんが開けろ、開けろってうっさくて」
「中に人がいたら大変だろーが」
「あるわけないッスよ、そんなこと。誰があんなところに入るっていうんスか」
「現に死体があったじゃねぇか!」
「ねー。マジビビりましたわ」
コナーはへらへら笑ってそう言うと、「もう戻っていいッスか」という言葉を残して、返事も待たずに帰って行った。中々図太い青年のようだ。
「ったく、あいつはいつも――」
「あの! 被害者発見時の様子について、教えてください!」
ファーガスの
「変な事を知りたがるんだな……。あー、扉を開けると、女が床にうつぶせに倒れているのが目に入った。頭を向こう側にして足を扉の方に向けて倒れてた。オレは慌てて抱き起こしたんだが、すぐに死んでいるってわかった。顔は真っ赤に膨れ上がって、そりゃあひでぇ有様だったからな。外科医の見立てじゃ、首を絞められたのが死因だとさ。ま、そんなことはひと目見りゃわかったけどな。首に布が……なんていうんだ? 女がよく肩に巻いているあれ」
「ショールですか?」
「女の服はよくわからんが、たぶんそれだ。それが首に巻き付いてた」
『
「首を絞められた以外に傷はありましたか?」
ファーガスは首を横に振った。
「なかった。顔を除けば綺麗なもんだった。真っ白な白いワンピースを着て、亜麻色をした長い髪と淡い水色のショールが羽衣のように肩を包んでいて……」
『足は? 素足か?』
「足下は?」
「サンダル……ハイヒールっていうんか? あの甲のところががばっと開いて、リボンがついてて踵が高いやつ……を履いてた」
『服も靴も、この時期にしては随分と薄着だな』
ウィリアムも同感だった。聞いているだけで寒そうだ。
『死亡推定時刻は?』
「いつごろ亡くなられたか、わかりますか?」
「医者は夜の内だと言っていたな」
『ふむ、少々曖昧なのは、検死技術が発展していないのか、
「ご遺体は今どこに?」
「死体公示場にあるよ。葬儀はどうなるんだろうなぁ。弔い人はいんのかなぁ……」
ファーガスの言葉に、ウィリアムの胸も痛む。自分と歳の変わらない女の子が、ひとりぼっちで死んで、誰にも見送られることなく共同墓地に投げ込まれる。それはあまりにも――
「身元はどうやってわかったんですか?」
感傷をぐっと堪えて質問に戻る。
「アイツが――」
ファーガスは言葉を切って、コナーを顎で示す。
「世話になったことのある梟だって」
「フクロウ?」
「娼館付きじゃなく、路上や宿屋で客を取るタイプの娼婦のことをここじゃそう呼ぶ」
『
「コナーが言うには、顔に面影があるし、なによりこのおっぱいのほくろは間違いねぇ、何度もしゃぶったからよーく覚えてる――だとさ」
『下品な男だ。他者に対する敬意がない』
軽蔑のこもった声がした。同感だ。
『どこの宿屋を根城にしてたのか訊いてくれ』
「どこの宿屋の子ですか?」
「興味あるのか?」
「違います!」
強く、強く否定する。
「染め屋通りの山羊の
「死体を見つけてからどうしたんですか?」
やや強引に話題を変えた。
「昼休憩を挟んで、町を巡回する班と城壁の見張り班に分かれた。オレは警邏班に回された……つっても、鼻先すら見えねぇひでぇ吹雪で、歩くのだけで精一杯だったぜ。夕方になって、冬女神様も少し落ち着いてくださったのか、やっと小降りになった」
『私が来たおかげだな。感謝したまえ』
なに言ってんだコイツ。
「その後すぐだよ、犯人を捕まえたのは」
「犯人?」
「牢にいる、あの頭のおかしい男だよ」
吹き出しそうになったが、必至で堪える。水晶の向こうから『失礼な!』と、ぎゃあぎゃあ喚く声が聞こえて、少しだけ溜飲が下がった。
「先輩が捕まえたんですね」
「そうだ。北の広場で捕まえたんだ。暴れたりはなかったが、そのかわりべらべら質問攻めしてきて、とにかく気味のわりぃ奴だった」
「質問?」
「ああ。食事は日に何回でなにを食べるのか。ここにもキャベツはあるのか、どう料理するのかとか色々だ。そのときは別に思わなかったが、後で団長から、あいつが自白したって聞いてゾッとしたぜ。あんな残酷な殺しをしときながら、何事もなかったように食事の話をしてたなんてな」
『実際なにもしてないからな!』
「虫も殺せねえ顔しといて、とんだ狼男だ」
「狼男?」
「ここいらの言い伝えだ」
ファーガスはニヤリと笑って、おどろおどろしい声で語る。
「雪深い夜は狼男が出る。そいつは二メートルは優に超える大男で、首から上は狼の頭をしている。とんでもねぇ怪力の持ち主で、大の男を片手でひょいっと持ち上げて、頭からバリバリ食っちまうってな。子供の頃はお袋によく言われたもんだぜ。暗くなる前に帰らねぇと、狼男に食われちまうよ――てな」
『狼男がいるのか?』
「狼男なんていませんよね?」
柳生と声が被った。
「いるわけねぇだろ」
ファーガスが呆れかえった声で言う。周りからも笑い声が上がった。ウィリアムは恥ずかしさに顔を赤めた。
「ですよねー。変な事聞いてすみません。あはは」
「おおかた雪に紛れて魔狼が、山から降りてくることから生まれたんだろうよ。こんだけ高くしても、あいつらは器用に城壁を登ってきやがるからな」
ファーガスは忌々しそうに言う。
『なるほど、なるほど。狼男伝説が残る町に雪密室か。まるでディクスン・カーや金田一の世界だな』
反対に柳生は上機嫌だ。
『よくわかったよ、ご苦労様。第一発見者への尋問は、今のところこれぐらいで大丈夫――ああ、忘れるところだった』
嫌な予感がした。
『好みの女性のタイプを聞いてくれ』
ウィリアムは無視をした。
作家、早蕨柳生の異世界探偵事件簿 猫田魚月 @nekotanatuki
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