偽恋の協力要請
一人暮らしには広い家は、いつも通りの静けさでカズヤを迎えた。
趣味趣向に乏しい住人の気質を表すように、シューズラックは棚は少ないのに収められている靴がたったの二足の所為で物寂しそうである。
定期的に掃除している床に目立った埃は無いが、手入れの行き届いた綺麗さが逆に物の少ない虚しさを際立たせるのに一役買っていた。
改めて家の中を見渡してカズヤは思う。
広さ以外に人を招くのに適していない、と。
「ごめん。殺風景だよな」
「そうですね。……あ、ダンベル」
「最近まで筋トレに励んでたからな。もう、使う事は無いかもしれないが」
「玉砕しましたからね」
油断すると涙を流しそうな心を殺し、カズヤは少女を実家から何枚か持ってきた座布団の上に座らせる。
それから急いで来客用の物が無いか無駄な抵抗とも言える台所周辺の探索を行った。
すると、棚の中から紅茶のティーバッグが見つかった。
「こ、紅茶があった!」
「よく飲まれるんですか?」
「いや、いつか好きな人を招いた時に飲もうと思って無駄に備えはしたけど、失恋のショックで忘れていたやつだ」
「ご愁傷さまです」
特に哀れみもなく淡々とした少女の態度に苦笑して、カズヤは早速紅茶を作る。
来客用の菓子は結局見つからなかったが、少女は差し出した紅茶で満足しているようだった。
「ところで、カズヤくん」
「はい?」
「あなた、私の名前を知らないでしょう」
「ぎくっ」
「それを口で言う人を初めて見ました……」
少女に名前を知らない事を勘付かれていたと知って、カズヤはあまりの羞恥に手で顔を覆う。
これまで奇跡的に回避していたと思い込み、ちょっぴり自画自賛すらしていただけあって、かなり恥ずかしかった。
「悲しいです。半年も勉強を教え合った仲なのに」
「教え合ったって。教わる事はあっても俺が君に何か教えたことあった?」
「それも覚えてないんですね。悲しいです」
「全面的にごめんなさい」
「……自己紹介しましょうか」
「お願いします。二度と忘れませんから」
少女がため息をついて、まだ温かい紅茶の入ったカップを机の上に置く。
「私の名前は椎名柚子香です。現在、あなたと交際していると噂されている恋人ですよ」
天使のような微笑と共に少女が名前を明かす。
本来なら、誰もが呼吸を忘れて見惚れる瞬間の光景なのだが、しかし今のカズヤだけがその例外にあった。
呼吸は止まったが、麗しい少女の微笑みに蕩けてはおらず、むしろ恐ろしい物にでも出会ったような顔になった。
「失礼な反応ですね」
「いや君かよ、ってなるだろ! これまでの事を思い返すと合点がいくけどもさ?」
「人生初めての恋人ですよ。喜んだらどうですか?」
「いやいやいやいやいやいや」
カズヤは全力で首を横に振った。
樹が目の前の少女こと椎名さんを交際相手と勘違いしたのは、図書室でいつも一緒に勉強している場面を見たか人伝に聞いていたからだろう。
春馬の柚子香を頼むという発言に至っても同じである。
朝に並んで登校していた時に殺気立った周囲の様子も今ならば納得できる。
「いや、ちょっと待て」
「何ですか?」
「事実無根の噂なんだから、君は否定しなかったのか? クラスで話題になって尋ねられたりしなかった?」
「しっかり恋人だと話しましたよ」
「事実無根って言ったよね?」
混乱しているカズヤの前でも悠然と紅茶の味を楽しむ柚子香は、果たして同じ状況を味わっているとは思えない反応の差だった。
「私はこう見えても、かなり人に慕われてます」
「こう見えても何も、そうにしか見えないだろ可愛いんだから」
「…………」
「え、何?」
「いえ別に」
やや頬を赤らめた柚子香はそれを誤魔化すようにわざとらしく咳払いをする。
「ただ、有り難くはありますが人気というのも良いことばかりではありません」
「そうなんだ?」
「特に最近はその、告白される機会が多くて。知らない男子生徒からの贈り物なんかも増えてて……」
「ええ? 怖い……」
「そうなんです」
やや身を乗り出した柚子香にカズヤは気圧されて体を後ろに引いた。
人気者、誰かに好意を寄せられる者ゆえの苦悩があるとは思ってもいなかったカズヤは、もしかして自分の一方通行な気持ちで葉桜海も迷惑していたのではないのかと自嘲しそうになった。
「なので、いっそ恋人ができてしまえば落ち着くのではないかと」
「……だから噂を肯定した、と」
「はい。カズヤくんには多大な迷惑をおかけしました。噂が耳に入った時、これ幸いと思ってしまって」
「いや、元はと言えば俺が嘘なんて付かず正直に葉桜海さんが好きだったと明かしておけばこんな事にならなかったし……」
こんな因果応報があったとは想像だにしていなかったカズヤとしては、嘘つきの自分に相応しい罰だと受け入れて泣くしかない。
それに、人気者の柚子香が肯定した噂を普段から目立たないカズヤが否定したところで、どちらの言葉が信用されるかなど明白である。
嘘一つで始まった事態は、もう取り返しのつかないところまで大きくなってしまったのだ。
「まあ、失恋したばかりだから恋人ができても困りはしないけど」
「本当ですか?」
「訂正。困るけど逃げようが無い……君の名前を覚えてなかったりとか、何も考えず家に招いて満足にもてなせていないとか色々と失礼も働いたしな」
「たしかに」
くすりと柚子香が笑う。
「カズヤくんが困らないなら、しばらく私に協力……いえ、私を助けてくれませんか?」
「助ける?」
奇妙な言い直しにカズヤが眉根を寄せると、その疑問に回答するように柚子香がカバンから一枚の丁寧に封のされた便箋を机の上に置く。
「何これ」
「ラブレターです。毎日、下駄箱に入っているんです……これは今日の分」
「はあ……?」
「差出人は書いてありませんが、毎回貰っている物は筆跡が同じなので同一人物によるラブレターだとわかります。しかも内容を確認すると愛を囁くだけで呼び出し、場所の指定などは一切無し。交際したい意思はあるみたいですが」
「へえ……」
「誰かは依然分かりません。いつ入れてるのかと朝早くに来て確認したり、放課後はずっと張り込んだりしていますが犯人は見つからず、気づいたら入ってるんです」
「犯人って」
話が見えず、カズヤはただ所感を口にするしかない。
「分かっているのは、カズヤくんのクラスだということだけ」
「はあ!?」
「教室は私の真下だと語っていたので」
「君って俺の真上のクラスだったんだ……」
柚子香に毎日ラブレターを送る人物がいる。
聞けば熱心だとしか言えないが、欠かさず毎日、それも返事も要らずで下駄箱に入っているのだ。
交際したい意思はあるが姿は見せない。
そして更に、差出人はカズヤのクラス……なのだが。
「俺のクラスって、全員恋人いるんだけど!?」
「いい加減、毎日処理しても復活しているように思えて流石に怖くなったんです。だからこそ、カズヤくんには協力して欲しいんです」
「協力?」
「はい」
柚子香は頷いて。
「このラブレターの持ち主を探してください」
これからのカズヤの日常に波乱を呼ぶ破滅の一言を告げた。
俺以外の恋が実っている教室で知らない恋人ができた スタミナ0 @stamina0
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