勇気の記憶 ~たとえ勇者になれなくとも~
風沼
第1話
「立ち仕事は疲れたけど、早く終わって良かったよ」
彼、
飛勇は30代の青年で細身の体形だが、筋トレやジョギングを趣味にしていることもあり引き締まった印象を与える。また穏やかな目と笑顔を絶やさない性格で、彼の周りには人が集まりやすかった。
真弥は飛勇より年下であり部下である。童顔でボブカットが良く似合う女性だった。それが多少の幼さも掻き立てているが、本人としては黒ぶちの眼鏡をかけることで、大人な女性であることをカバーできているつもりではある。
「桜花係長はこの炎天下に屋外で対応でしたからね」
「快晴なのは気持ちが良いけど、この極暑の日々はどうにかして欲しいよ......」
冷房を最大にしているとはいえ、走り始めたばかりの車内は未だに暑さが残っていた。
「家は同じ方向だから自宅方面でも構わないけど、送る先は『
「はい。今日は街中に用事があるので、よろしくお願いします」
二人の自宅はそれほど離れていなく車で通勤していたが、真弥は街中に用事があったため、今日は電車で通勤していた。
ドライブとしては短い距離だが、他愛もない話をするには丁度良い時間でもある。
二人が今日の出来事を話しながら車を走らせていると、
「キーッ!!」
タイヤを鳴らしながら飛勇が急ブレーキをかけた。
シートベルを締めてはいたが、真弥の体が前に飛び出しそうになり、飛勇が咄嗟に左腕を伸ばしそれを防ぐ。
飛勇の急ブレーキは、赤信号を無視して交差点に飛び込んできた車に対してであった。
「大丈夫だった?」
「……はい」
真弥が顔を赤らめながら小さくうなずくと、衝撃でずれ落ちそうになった眼鏡を元に戻した。
「ふぅ」と飛勇が一息をつくやいなや、また1台が同じように信号無視で通過して行く。
「念のためだけど、この辺は赤が進めではないよね?」
「はい、そうだと思います……」
信号無視が続いたため、二人は冗談でもありながら真面目に常識の確認をする。
目の前の信号は青であったが、慎重に左右を確認し再び車を走らせると交差点を通過して再び駅へと向かった。
「明日からの3連休、宮島さんは何か予定あるの?」
今しがたに起きた危険な出来事の空気を和ませるかのように、飛勇が明るい話題の質問をする。
「そうですね。ショッピングでもしようかと思います」
「じゃあ、また会えるかもしれないね。週末はあのショッピングモールのバーゲンらしいから」
「ほんとうですか! それでしたら、確かにお会いするかもしれませんね」
二人の自宅がそれほど離れていないこともあり、偶然に会うことが多い近くのショッピングモールの話で盛り上がると、いつもよりも遠く感じられた取名駅が見えてくる。
「それじゃあ、良い連休を! 運転の時にはくれぐれも青信号には気を付けてね」
「ええ、気を付けます」
二人の笑い声と共に、飛勇は駅前の降車場で車を停めた。
「お疲れさまでした」
お互いに声をかけ合うと、真弥は飛勇に軽く会釈をしながら車のドアを開けようと手を伸ばした。
「宮島さん!」
飛勇が真弥の腕を掴むと、表情を歪めながらドアを開けさせないようにする。
真弥はその行動にびっくりするより前に目の前の光景に唖然とした。人なのか、けれども人とは言えないどす黒い生き物が、ドア越しに突如襲い掛かってきたのである。
飛勇がその生き物を振り払うかのように車を急発進させた。周りを見渡すと、同じような生き物が浮かび上がりうごめいていた。生き物というよりは、形を一定に保てない幽霊と呼んだ方が適している形状だった。
急発進した車は赤信号の交差点を無視しそのまま進んだ。
「さっきの信号無視はこういうことか……」
片手で頭を抑えながら飛勇の独り言のような言葉に、真弥は小さく幾度かうなずいた。
「宮島さん、念のためだけど街中に行かなくても大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
「この状況だと、落ち着くまで一緒にいた方が良いと……いや、一緒にいよう」
「はい……お願いします」
真弥が飛勇の提案に鼓動の高まりを抑えながら同意すると、二人の携帯から緊急速報が鳴り響いた。
『緊急事態発生中。現在「
運転する飛勇のために、真弥がそのメッセージを読み上げる。
「……念魔か」
飛勇が呟く。
それが飛勇や真弥が住むこの地区『
周知の存在である念魔そのものには驚きはないが、この桜岡特別区にも大規模に出現したことが驚きであった。
桜岡特別区は念魔に襲われた者を癒すために、結界や封印を施し、街並みも工夫されているからだ。
念魔発生時の訓練は、防災の避難訓練と同様に絶え間なく行っており、日中ということもあって、学校はそのまま避難場所として機能し、人が最も集まる中央街も同様に念魔に対抗できうる場所となる。
「ありがとう、宮島さん。それと運転に集中したいから、僕のコネクトで息子に『どこにいるのか』と『家なら隠れていて欲しい』と連絡してもらえますか。もちろん、宮島さんも必要な連絡をしてください」
その言葉にうなずく真弥へ、飛勇は携帯を渡した。『コネクト』は老若男女問わずに利用され、どの携帯にも付いているチャット&無線機能である。
「桜花係長。『
飛勇にとって真弥は親友の妹でもあり、ショッピングモールで偶然に会う以外にも、プライベートで会うことも多いため、息子の宗太郎もよく知っている間柄である。
本来であれば宗太郎も学校に通っている時間であるが、昨日まで風邪をひいていたこともあり今日は大事をとって家で休ませていた。
「ありがとう。宗太郎に『今、向かってる。20分くらいで着くよ』と返信してください」
先の念魔との戦いで妻が行方不明となってから、男手一つで育ててきた息子の無事を確認でき胸をなでおろす。
すぐさま真弥がメッセージを打ち終えると、再び携帯の緊急速報が入ってきた。
『念魔に有効な対応手段は
その連絡の最中にも、念魔から逃げる人たちの光景が辺りに広がっている。
「
言葉と考えを
念魔は、人の負の感情で生み出されるものであり、その力を削ぐには特殊な武器やスキルが必要である。その武器を持たない自分が戦えるか心配になるのは当然だが、そんな弱さを見せようとした自分を制した。
「…………カイン …………ゆう」
心に浮かんだ名前を
真弥は、目を閉じ手を組んでおり、その姿は祈っているように見えた。
色んな想いを
今日は早く帰宅できているため、いつもより車の数が少なく走りやすくはある。
だが、全くいないわけではなく、走っている車にも容赦なく襲いかかろうとする念魔を見ると、飛勇は真弥に話しかける。
「宮島さん、もし大勢の念魔が車に襲い掛かってきたら、車を捨てて逃げることになるかもしれない。逃げだす際の荷物はなるべく少なく、できれば携帯や貴重品程度にして手ぶらで逃げたいと思う」
真弥は足元にあった鞄の中を確認すると、
「大丈夫です。手ぶらで逃げます」
彼女はいつも大人しく、出退勤時の挨拶もなんとか聞き取れるくらいの声量で、地味で愛想がないと周りからおもわれる方ではある。ただ仕事については不満を言うこともなく、しっかりとこなす人であった。
『短所が長所に繋がるならそれで良し。長所の土台となっている短所を指摘するのは、ご都合主義でしかない』と飛勇は考えており、彼女の場合は大人しく愛想がないという短所が、もくもくと仕事をこなす長所になっていると感じ、その短所も含め真弥を信頼していた。
今も、悲鳴をひとつもあげずにコネクトで息子と連絡を取ってくれながら、周りの状況を伺ってくれている。
飛勇にはそんな彼女の
「それと、もし車を捨てて逃げることになって、念魔と戦うことになったら僕を置いて逃げて構わないからね。ほら、僕が念魔にかまれて人魔になって、宮島さんを叩いてしまったら一大事になっちゃうからさ……」
自分を
「…………」
真弥は、うなずきもせず、ただ前を見つめた。
真弥は大人しいが、それは言葉での話であって、その分と思えるほどに顔の表情で物語ってくれる人でもあった。
今も『二度とそんなこと言わないでください!』と、飛勇が簡単に分かるくらいの形相をしている。
「辛いこと言ってごめんなさい。そうだよね。こうなったら、最後まで一緒に頑張って逃げまくろう」
女性心を理解できなかった飛勇が、悔い改めて素直に言い直すと、真弥は安堵の表情を浮かべながらうなずいた。
胸をなでおろした飛勇が今までの念魔の動きを分析し、その考えを伝える。
「
真弥が「できないです」とは言いにくそうな表情で飛勇を見る。
「大丈夫だよ。じゃあ、木登りする際は僕に全力でしがみついてね。宮島さんを背負いながら登ることになると思うから。ただ不可抗力なので、あとで訴えないで欲しいかな……」
今度は真弥もその冗談に笑いながらうなずいた。
――結局、冗談は話の潤滑剤にはなるけど、ネガティブな話はネガティブのままだし、ポジティブの話はポジティブのままなんだな
と、つまりは素直が一番だと飛勇は改めて実感した。
♢
車を走らせ20分程度で飛勇の自宅がある住宅街に入った。
既に避難が開始されており人の気配はなかったが、見慣れた風景が落ち着きを取り戻させてくれる……とその時だった。
「桜花係長!!」
真弥の大きな声は、前方から念魔の群れが向かって来ているためである。
住宅街は
そのため念魔の
「やはり来たか…………大丈夫だよ、後ろから回れる……」
ある程度の念魔の襲来があることを予測していたが、後方へ迂回しようとバックミラーを見たところで、声がトーンダウンしていく。
後ろからも念魔が群がってやってきており、車が停まった位置が左折も右折もできない直線にいたため挟まれた形となった。
「宮島さん、車を出るよ!」
真弥は手筈どおりに手ぶらで車外へと出ると、飛勇に導かれ、車を停めた前にある民家の敷地に入る。
飛勇はその家の玄関の前にあった木刀を拾いあげると、それを握りしめたまま何かをつぶやき元の場所へと置いた。
真弥は木刀を武器にするかと思った飛勇の行動を不思議に想いながらも、彼の後に続いて家の裏手へ回る。裏手は崖になっており、崖の下は別の家の庭で、その高さは4,5メートルほどだった。
この辺りの住宅街は、所々が崖で段差となっており、その崖をコンクリートで整地している。
「宮島さん、大丈夫だよ。僕が先に行くから見ててね」
飛勇はコンクリートの崖を滑るように下に降りると、手を広げ真弥に続くように促した。
「大丈夫。最悪、僕が受け止めるから。自信を持って」
真弥は後ろから念魔が迫っていることも考え、意を決して滑り降りると、途中でつまづき前に投げ出される形になったが、飛勇が宣言どおりに受け止めたてくれた……というより、
「大丈夫ですか!」
「全然大丈夫だよ。むしろ、宮島さん軽すぎるよ。落ち着いたら、みんなで美味しいものでも食べに行こう」
真弥の申し訳なさそうな視線を受けつつ、笑顔で冗談を言いながら立ち上がると、すぐさま二人はその家の表へと回った。
飛勇が玄関の前を通り過ぎ道路へ出る。そして、後ろからついて来る真弥がドアの前を過ぎた瞬間……
「バタン!」
急にドアが開き、中から出てきた
びっくりした真弥の動きが止まる。
「真弥!」
飛勇は、咄嗟に駆け出し真弥の横をすれ違うと同時に拳を突き出した。
拳が魔人の顔面に入り動きを止めると、その勢いと共に飛勇が覆いかぶさる格好で魔人は後ろへと倒れた。
だが、咄嗟のパンチでは魔人を後ろへ倒すだけで精一杯であり、魔人は顔を起こし飛勇に噛みつこうとする。
「うぉぉぉぉ!」
飛勇は思いっきり左拳をその顔面に叩き入れる。アッパーの形で魔人の顔を直撃し再び倒れると今度は動かなくなった。飛勇は直ぐに立ち上がり、後ろで祈るように手を組み立ちすくむ真弥に駆け寄る。
「宮島さん、大丈夫? ケガは?」
「わ、私はなんともないです。飛勇さんこそ、ケガは……」
「ああ、僕はなんともない。おもった以上に意外と戦えるものなんだね」
突然のことへの恐怖がぬぐい切れず、必死に言葉を出している真弥の頭を飛勇が優しく撫でていると、その背後で魔人が黒い霧となり
「倒されると、霧散するのは変わらずか……」
飛勇は独り言のようにつぶやくと、
「自宅はすぐそこだから、急ごう」
真弥を促し、小走りで自宅へと向かった。
飛勇は走りながら、左拳を横目で見ると、手の甲が先ほどの戦いで傷ついており血が
――急がないといけない…………宗太郎を逃がすまで人魔になってたまるか!
飛勇は、目を一瞬強く閉じたあと、前を向き直し、自宅へと急いだ。
第1話 完
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