1日1回、品行方正な生徒会長に保健室で血を吸われる

ななよ廻る

品行方正な生徒会長は血を吸いたい

 小さな口を精一杯開き、首筋の血を吸われる。

 尖った犬歯を肌に突き立て、べっとりと肌を濡らす紅い液体を舌で舐め取る。


 まるで吸血鬼だな。

 血を吸う鬼。けれど、首筋に噛み付いて俺の血を吸う彼女はまごうことなき人間で、この世界にはファンタジーな怪物は存在しない。

 だというのに、会長は俺の血を吸う。一心不乱に。


「蚊みたいだな」

 肌を伝う舌の感触になんとも言えない感覚を覚えながら、思ったことをそのまま口にしてみた。

 すると、僅かに会長の顔が上がった。

 唾液と血で濡れた肌が外気に触れて、ひんやりとする。


「……女子高生相手に、その例えはあまり」

 よくありません、と控えめに零す会長。

 ただ、ハッキリと言わない辺り、近しい物だという自覚はあるのだろう。俺の肩に添えた手が、縋るように力を強めた。

 それとも、怒ってる?

 女子高生の機微なんて俺にはわからない。天気予報士でもないのに、空を仰いで明日の天気を予想するようなものだ。


「じゃあヒル」

「……」

 なので、違う比喩対象にしてみたのだが、顔を上げ、鼻先が触れそうなぐらいの近さで、会長は酷く微妙な顔を見せてきた。

 残念そうに、悲しそうに、眉が垂れている。


 なんでだろう。

 例えとしては完璧なのに。乙女の心は複雑怪奇だ。

 そんなことを、放課後の保健室。カーテンで遮られて、外界と隔絶したベッドの上で考えているのも、改めて思うと複雑で怪奇なんだろうけど。


 放課後。保健室。カーテンの内側。

 ベッドの上で男女が2人。

 時間、場所、状況をつらつらと並べると、高校生の青春というか、その裏側というか。

 秘事そのもので、艶があって背徳的なのだけど。

 実体はもっと生臭くって、アブノーマルだ。


 身体を切られて、血を吸われる。

 再び俺の肩に顔を埋めるように噛み付いてきた会長を、おかしいよなぁと思いつつも受け入れてしまう。

 普通なら、拒絶なりなんなりしてもおかしくないのだろうけど、僕は物事に感心がなさすぎるのかもしれない。

 まぁ、そういうこともあるか、と大体のことは受け入れてしまう。

 自分では大らかだと思うのだけど、会長に言わせると『変な人』であるらしい。

 血を好んで吸う人に言われてもと思うけど、そうなのかもと思う程度には人とズレているのは自覚している。


「……ちゅ、はぁっ」

 吸い付き、熱の籠もった息を吐き出す。

 耽溺するというのはこういうことを言うんだろうな。そう思うぐらいには、熱心に犬歯を立てて、血の一滴も逃さないというぐらいに肩を舐ってくる。

 噛む前に洗って消毒したとはいえ、よくなんの躊躇ためらいもなく異性の肩をはむはむできるものだ。

 俺なら金を貰っても遠慮したいが、会長は我を忘れてねちょねちょ唾液音を立てている。


「――~~っ……じゅるっ」

 最後の一吸いとでもいうのか、思い切り傷口を吸われて眉間に力がこもる。

 血を吸うための小さな傷口とはいえ、そうも強くされると痛い。


 顔を離した彼女を、非難を込めて睨むけど、俺のことなんて見えていなかった。

「ん……はぁ……」

 酔いしれるように、濡れた下唇を撫でる。

 その頬は高熱を出したように火照っていて、唇に残った血を舌で舐め取る仕草は実に耽美だった。情事の後、という表現が実に良く似合う。

 本物の吸血鬼のように、幻想めいた美しい容姿をしている彼女のこんな姿を見たら、どんな男であれ理性を飛ばして襲いかかるだろう。

 幸いか、それとも男として悲しみを覚えるべきか。そういった欲求の少ない俺には関係ないことだけど。


「満足した?」

 尋ねると、口の中に残った血を嚥下えんげしたのか、白い喉がこくりと音を鳴らした。そして、小さく頷く。

 満足したなら良し。

「じゃあどいて」

 ハリーハリーとトントン肩を叩くが、会長は熱に浮かされたまま戻ってこない。

 ベッドの上で抱き合うような距離だというのに、その瞳は開いたままどこか遠くを見つめている。


 キマってるなぁ。

 このままだと、1時間近く現実に戻ってこない。短くも、密度の濃い彼女との付き合いからそう判断した俺は、意識の飛んでる会長を引き剥がして、ベッドの上にぺいっと転がす。

 ぽふんっと投げ出されてもなお反応はない。艷やかに濡れた紅い虹彩だけが濡れたように揺れている。


「俺の血って、薬物だったりしないよな?」

 心配になる。

 真っ当に生きたい俺としては、そういったダークでアンダーな世界とは無縁でいたい。

「無味簡素な人生こそ最適だ、と」


 適当なことを口にしつつ、保健室の棚から消毒液やらカーゼやらを取り出す。

 少し前までは保健室なんて来ることもない健康優良児だったのに、今では探すこともなく医療品の場所がわかる。

 慣れたくはなかったなぁと丸椅子に腰を下ろすと、ベッドの軋む音が耳を掠めた。


「……っ、治療は私がします!」

 血に酔う耽溺の旅から帰ってきた会長が、ベッドから飛び起きてきた。

 忙しくなく、スリッパを履くいとますら惜しんで駆け寄ってくる彼女に、俺は意識的に口の両端を下げる。

「えー。いいよ。

 これぐらい、自分でやる」

「私が、やります」

 適度に膨らむ胸の前で、ぎゅっと拳を握って気合万全。

 断固として引かない姿勢で、今日も今日とて折れようとしない会長に「じゃあ」と言って消毒液を手渡す。


 なにかをやる意思に欠けた俺からすると、そうした絶対に私がやるという姿勢は羨ましく思ったりするのだけれど、たかだか怪我の治療にそこまでの意義があるのかと思ってしまう。


 結局、治療がしやすいからとベッドに戻る俺と会長。

 消毒液で濡れたコットンを押し付けられる。冷たいと思っていると、会長の頭が僅かに傾いてつむじが見えていた。

「ごめんなさい……」

「いや別に」

 というか、謝られても困ってしまう。

 毎日の放課後。血を吸う度にしゅんっと落ち込まれては、だいたいのことをまぁいいかで流す俺ですら辟易してしまうものだ。


 とはいえ、だ。

 これは様式で、儀式なのだろうと諦めてもいる。

「謝らないでいいよ。

 そういう約束をしただけ。

 会長が血を呑む。俺が見返りを貰う。

 お互い納得して、利益もあるんだから、謝罪は余計」

「そう、ですけど……」

 頭どころか、今度は肩まで落とす。

 黒い髪。後頭部の反対側で、一体どんな表情をしているのか。落ち込んでいるのは間違いないんだろうけど。


 でも、なんで落ち込むんだろうなぁ。

 初めて血を吸われた日、交わした約束。

 それ以外に俺と彼女を繋ぐ物はなく、利益だけの関係でしかないというのに。

 こういう察しの悪さが、『変な人』って呼ばれる所以なのかもしれないなぁと思う。


「やっぱり変ですよね」

「……?」

 なにが?

「品行方正な生徒会長が保健室のベッドで男と人に言えないことをしていること?」

「ちっ、違いますっ!?」

 真っ赤になって否定される。

 そっか。違うか。では、なんだろうと考えるけれど、すぐに止める。わからんないし。


 なので、手っ取り早く会長が説明してくれるのを待つことにした。

 治療してくれていた彼女の手が止まる。

 代わりに人差し指が伸びて、肩の小さな切り傷を慰撫した。


「血を好むのは……変でしょう?」

 おっかなびっくり伺う会長に、思わずため息が零れそうになった。これ見よがしに呆れると、ショックを受けて枕で頭を隠すのは実践済みなので、喉まで登ってきた息を飲み込む。

 ただ、ため息を飲んだところで、呆れたままなのは変わらない。目を細めると、怯えたように会長の身体がびくっと震えた。


「トマトが嫌い」

「え……とま、と?」

 頷く。

「なんであんなのが食べられるのかわからない。

 食べようとしたけど、毎回トイレでうばえぇってなる。

 隣で食べてる人を見ると、時々『こいつ、本当に同じ人間か?』って思うことがある。

 そう思わない?」

「いえ、思いませんけど」

 困惑している。そりゃそうだ。

 俺とて、こんな説明だけでわかってもらおうとは思わない。トマト嫌いしか言ってないし。

 でも、そういうことなのだと思う。


「同じでしょ、それと」

 血だろうが、トマトだろうが。

 結局、食べ物の好き嫌いでしかないのだから。

 珍しいなぁと思うことはあれど、嫌悪の対象になりはしない。


「トマト嫌いな俺は変?」

 ふるふると幼気に首を横に振られる。

「そういうこと」

 わかれ。と言外に訴えると、「はい」と頬を緩めて嬉しそうに頷いた。へふーっと飲み込んだため息が、ゆるゆると零れ出た。


 安堵と幸福。

 両方を噛み締めたような会長の顔は好きだった。

 だから、呆れるとはいえ、毎回毎回『私を嫌いじゃないか』と言葉を変えながらも、本質的に変わらない問い掛けに答えてしまうのかもしれない。

 鬱陶うっとうしくはあるんだけど。いい加減覚えて?


「ありがとう……」

 浸るように零したお礼。

 両手を重ねていじらしい姿になんだかもどかしくなって……ちょっとからかいたくなった。


「性癖なんて人それぞれだから。

 会長が血を吸うのが大好きな変態でもそれはそれ。

 否定はしないから」

「はい……え、やっ!?

 そういうのじゃ――ッ!?」

 慌てふためいて、あわあわと腕を振った会長はそのせいでバランスを崩してしまう。


 そのまま倒れ込んできて、

「きゃっ」

「あー」

 ぼふっ、と。

 2人揃ってベッドに落ちた。

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