力を失った勇者のお話 後編
その日、ラハナ王国の王都シュバナは、祭りのように賑わっていた。
魔王との戦いが終わり一年と数か月、王都にこれほどの人が集まるのは初めてのことだ。
楽師が音楽を奏で、踊り子が軽快に舞う。集まった客目当ての露店が並び、様々な食べ物の匂いが街のあちこちに漂う。
特に街の中心付近にある大聖堂の周りには、大きな人溜まりができていた。
今日そこで、第一王女レイナの婚礼が執り行われるのだ。
レイナ姫は前日から大聖堂に入っていた。一晩かけて婚礼の報告を神にするためだ。そのまま姫は聖堂内で花婿を待っている。
そして、その相手が少し前に馬車で大聖堂に到着し、大歓声が上がっていた。
観衆に応えるように聖堂前で馬車を下り手を振る花婿。
全身白の正装で整えたその男は、勇者タチバナ・ユウキ――と共に最後まで魔王と戦った騎士のランスだ。
ランスはラハナ王国と帝国との間にあるシュバリエ公国の第三王子でもあり、レイナとは幼いころから顔なじみの間柄だ。騎士としての腕前は超一流で、魔王討伐戦ではいち早くレイナ姫のもとにはせ参じ、大きな成果を上げた。魔族との戦いで男子の嫡子をすべて亡くしている王国としては、レイナ姫の婿こそ、次代の王となる一番の候補であり、ランスの家柄と実績はそれに十分値するものだった。
外見もよく、レイナ姫とはお似合いだ、ということで国民もみな喜び、歓迎してのこの騒ぎだ。手を振り、口々に祝いの言葉を投げかける。そんな中に、マントのフードを目深にかぶり、鋭い視線でランスを睨みつける男がいた。
「……ランス」
男が見つめる中ランスが大聖堂の中に姿を消す。そこで男は腰のポーチから赤い小瓶を取り出すと、蓋を開け中の液体を飲み干した。
「いま行く、待っていろ、ランス、――レイナ」
男――ユウキはつぶやくと、ふぅっと一呼吸し、ゆっくりと前へ歩みだした。
ユウキの歩みに合わせて人垣が割れる。が、周りの人間はユウキの存在に関心を持たない。完全な勇者の力を取り戻したユウキには、気配を完全に消すことなど造作もない。ユウキはそのまま人垣を抜け、大聖堂へとさらに進む。当然、警備兵が多く立っていたが、彼らにもユウキの存在は感知できなかった。
少し前にランスが入った正面の扉を開け中に入る。
小さな前室があり、その先が本殿になっている。その本殿へとつながる扉の両横にはユウキも知った王国親衛騎士団のが二人がいた。それなりの実力者だ。さすがに侵入者に気づく。
が、彼らが声をあげる前にユウキの斬撃が二人の喉を切り裂く。閃光のような抜刀術。刀が鞘に戻るのと同時に鮮血を噴き上げながらその場に倒れこむ二人。その間を抜け、本殿への扉を勢いよく開ける。
突然の侵入者に本殿内の視線がユウキへと集まった。みな一度は見たことのある顔ぶれだった。王国や公国の関係者はもちろん、魔王との戦いで共闘した周辺の国々の代表者も集まっていた。
そんな中、背の高いアーチ状の建物内の最奥にユウキは目的の人物の姿を見つけた。
「レイナぁっ!」
激情が噴き上がる。それに合わせるように全身から凄まじい闘気が爆発し、着ていたマントがたなびき、フードが外れる。
侵入者の正体が露になったことで、聖堂内が騒がしくなる。
「勇者タチバナ・ユウキ――」
「衛兵を――」
「なぜ彼が――」
「どういうことだ――」
「始末をつけたはずでは――」
「力が戻ってるぞ――」
「倒せ、奴を――」
様々なセリフが耳に届く。ユウキが招かざる客であるのは明らかだ。
(やはり、みなグルか…)
ユウキの脳裏に微笑み薬局で聞いたヤエの言葉が浮かぶ。
『あなたの力が封じられた原因ですが、呪いではありませんよ。毒です。力を完全に使い切った時に何か飲まされたり、注射されたりしませんでしたか? 力を封じるというより、回復させない――そのような薬が使われたと思われます。気を付けてください。あなた、狙われていますよ』
すべてを見透かしたようにユウキを見つめる美しい双眸を思い出す。
王国を旅立った後、確かに何度も命を狙われた。だが、その多くは魔族だったので魔王を倒された復讐だと思っていた。人間に狙われたこともあったが、力を失った勇者を倒して名を上げようとしているのだろう程度に思っていた。だが――違ったのかもしれない。
ヤエの言葉でユウキの中に暗い疑念が湧き上がっていき、どうしても確かめたいことができた。
三割とはいえ力の戻ったユウキは、自分を襲ってきた者たちの裏側を調べながら、密かに王国へと戻った。そこで、レイナとランスの結婚の話を聞いて、すべてを悟った。
自分は邪魔者だったのだと。
魔王を倒すためだけの道具だったのだと。
「ランスっ! お前だな、毒を盛ったのは!!」
魔王との最後の戦い。決着の後、力尽き膝をつくユウキに、回復のポーションだといって小瓶を差し出したのはランスだった。あれこそが毒――それ以外に考えられない。
ユウキは聖堂の最奥にいるランスに向かって駆ける。
騒ぎを聞きつけ側廊に控えていた衛兵が、左右からユウキに襲い掛かってくるが、相手にならない。右に左に刀を振りながら敵を退け、前進するユウキ。その前に一段と重装備の兵が数名、立ちはだかる。
「邪魔だ、どけっ!」
裂ぱくの気合と共に刀を横一線、剣圧で盾を構えた兵士がみな吹き飛ぶ。
さらに前へと一歩踏み出したユウキに、閃光のような一撃が襲い掛かる。
咄嗟に後方へ飛びのき斬撃を避け、襲ってきた相手を睨みつける。
「ランス!?」
今日の主役の一人、花婿のランスが愛用の長剣を構えていた。
「ユウキ――力が戻ったんだな」
「ああ、この通りなっ!」
言葉と共に刀を振り下ろす。その一撃をしっかりと受け止めるランス。
魔王と戦った二人の英雄。剣技だけなら互角の腕前だ。
「なぜ来た、ここに」
「わかっているだろう」
ランスの向こうにいるレイナ姫にちらりと視線を向けるユウキ。
「どうして、毒なんかを――」
「わかるだろう、君はどこまでいっても、よそ者なんだ」
「王家によそ者の血はいらないというわけか」
「すまない。君とはこうなりたくなかった…」
ランスは悲しげな表情を浮かべつつ、ぐっとユウキに向かって踏み込む。
縦一線、体重を乗せた一撃を放つ。
重いその攻撃を刀で柔らかく受け流し、そのまま流れるように反撃するユウキ。
肩口から袈裟切りにされ、ランスの白い花婿衣装が真っ赤に染まっていく。
「…………」
ゆっくりと膝から崩れ落ちるランスを、無言のまま見つめるユウキ。そんな彼のもとに一つの影が駆け寄る。
「――レイナ」
向かってくる純白の花嫁衣裳に包まれたレイナを見て、ユウキは反射的に腕を広げ迎える。
「ユウキ――」
名を呼びながら、かつての恋人の胸に飛び込んでいくレイナ。そして――
ずぶりっ……
袖口に隠していた短刀で、ユウキの鳩尾辺りを貫く。
「ごめんなさい、ユウキ……」
謝りながらも体重をかけて更にえぐるように刃を進める。
「ぐっ――、レイナ……、そうか、君も――」
力が抜けユウキの手から刀が落ちる。
意識が遠のく。
(これで終わりか……)
世界が暗転する。
その瞬間、何かが弾けた。
ユウキの体から圧倒的な力が解放される。
「きゃぁっ!」
レイナが吹き飛ばされ、悲鳴と共に力に飲み込まれて、消える。
暴力的な力が周囲のすべてを包み込み、灰燼と化していく。
「なんだ、これは!?」
力の解放と共にユウキは意識がしっかりと戻った。胸に刺さった短刀も消え、傷口もふさがっている。どうやら解放された力がユウキを治癒したようだ。
その力が広がり、すべてが壊れていく。世界が崩壊する。
呆然とするユウキ。
「俺の力なのか……」
止めようと意識するが、どうにもならない。為す術もなく途方に暮れていると、不意に声が聞こえてきた。
『もしもし、聞こえますか、タチバナさん』
聞き覚えのある声が頭の中に響く。
『微笑み薬局のヤエです。聞こえています?』
「えっ、なんで――」
ユウキの脳裏に白衣姿の美しい女性の姿が浮かぶ。
『よかった、聞こえているようですね。いま、あなたに頂いたスマホを通じてお話させてもらっています』
「スマホ……、電話……」
『時間がないので一方的に話しますね。現在のあなたの状況、それが薬の副作用です』
「副作用、これが――」
『勇者の力の無限解放――最悪に近い副作用です。そこで、アフターサービスとして、現状を解決する薬をそちらに届けさせますので、後のことはその者にお聞きください。もう電池が――』
プツリと声が途切れた。
「薬――、届けるって――」
ユウキが思わず呟いたとき、目前に黒い影が生じた。
「お届け物ですにゃぁ!」
影の中から獣族の少女が現れた。ユウキの半分ほどの背丈の黒猫の獣人だ。着ている水色のスモッグの胸元に名札があり、そこには、【微笑み薬局配送部 タマ】と書かれていた。
「微笑み薬局からお薬のお届け物ですにゃ」
タマが肩から下げた黄色いポシェットを探り、黒い小瓶を取り出した。それを、ユウキへと差し出す。
「これが――」
「そのお薬は、あなたの生体活動を完全に停止させる薬にゃ。それで、この力の暴走も止まるにゃ」
「生体活動を停止って――死ぬってことか?」
「そういうことにゃん。ヤエ様のお話では、すぐに手を打つにはこれしかないそうにゃ」
「そうか……」
手渡された黒い小瓶を複雑な表情で見つめるユウキ。
「その薬を服用するかどうかはあなた次第です、とヤエ様は言っていたにゃ」
「……」
「それでは、もう行くにゃん。この力の中には長くいられないにゃ。受け取りのサインはいらないにゃん。お代もサービスなのでいらないそうにゃ」
そう言うとタマの体が黒い影へと化す。
「あっ、ひとつ言い忘れたにゃ」
影の中から慌てたように声が届く。
「その薬は大変強力なものです。ですから副作用が出る可能性が大きいですよ――と、ヤエ様がおっしゃってましたにゃぁ」
しゃべり終わるとともに黒い影が消える。
「副作用……」
影の消えた空間をじっと見つめつぶやく。
死の薬に副作用――
「ふっ、ふははははははぁ――」
笑いが込みあげてきた。そして、覚悟が決まる。
「もうすべてを失った。未練などない」
ユウキは黒い小瓶の蓋を開け、薬を一気に飲み干した。
数秒後、ユウキの体が背中からゆっくりと倒れていく。
そして、すべてを破壊していた力の奔流が、宙に霧散する。
仰向けに倒れ動かなくなったユウキの表情には、微笑みが浮かんでいた。
その日、ラハナ王国の王都シュバナは地上から姿を消した。
第一王女の結婚で賑わっていた多くの人々も含め、すべてのものが塵と化していた。
何が起こったのか、誰にもわからなかった。
後にシュバナの悲劇と呼ばれるその災禍の数年後、ラハナ王国も滅亡した。
王都シュバナのあったその場所は、今もまだ人も住まぬ荒野のままだ。その荒野に、一人の剣士の幽霊が出るという噂が広まっていた。
その剣士の幽霊は、荒野を彷徨いながら、こうつぶやくという。
「副作用が――、副作用が――」
微笑み薬局 よし ひろし @dai_dai_kichi
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