微笑み薬局

よし ひろし

力を失った勇者のお話 前編

「やっと見つけた……」


 彼は頭にすっぽりかぶっていたマントのフードを外し、木々の合間にちらりとのぞくその建物をしっかりと視認してつぶやいた。

 名もなき樹海の奥深く、人など絶対に訪れることないだろう場所にその店は建っていた。


 微笑み薬局――白を基調にした三階建ての建物に掲げられた看板にそう書いてある。


 奇妙な店だった。場所もそうだが、その外観がこの世界では見ない造りだった。この世界では木造にしろレンガ造りにしろ茶色を基調にした建物がほとんどだ。しいて言えば、教会などの宗教施設が白いイメージだが、それとも印象が違う。一番の違いはガラスだ。店舗と思しき一階の正面の壁の広い部分がガラスで覆われていた。そのガラスを通して白く淡い光が漏れ出て、大きなランプがそこにあるように見えていた。

 この世界では奇妙な造りの建物だったが、そこへ近づく彼にはよく知ったものに思えた。


「まさか、本当に日本の薬局なのか――」


 この剣と魔法の世界に勇者として呼び出されて五年あまり――まさか元いた世界の建造物に出会うとは。噂にはそれらしいものだと聞いていたが、目の当たりにすると深い感慨がある。


 彼――勇者は、ゆっくりとその薬局に近づいて行った。

 そこで気づく。何かがおかしいと。

 まず透明なガラス窓の向こうが、白い光に溢れているだけで、内部が見えない。

 その窓ガラスに書かれた文字、


〈24時間営業 種族、職業、性別など問わず、ご相談ください どんなお悩みも解決いたします〉


 が、空中に描かれたように浮き上がり、更には勇者のいた世界の文字――日本の文字へと変化していった。

 ふっと見上げた看板の文字もこの世界に広くで使われる帝国の文字から日本語に変わっていた。


「――やはりただの薬局ではないか」


 勇者は建物全体をじっくりと観察しながらつぶやく。一見すると鉄筋コンクリート造りの小ぶりなマンションっぽく感じる。一階が店舗、二階三階が住居か。だが、見えているままの建物ではないのだろう、と勇者は考えた。この外見も自分の記憶が反映した幻なのかもしれない。


「とにかく、入ってみるか」


 勇者は無意識のうちに左腰に差した刀の鞘をぐっと握りしめていた。何かあれば即座に抜刀できる心持で、 〈いらっしゃいませ〉という文字が浮かび上がる入口のドアの前に立った。


 スゥーっとドアが横にスライドする。


「自動ドアか。どこにセンサーがあるのやら……」


 ドアの上部には本来あるであろう赤外線センサーは見当たらない。足元の感触から、重量式でもなさそうだ。やはり、勇者の知る建物とは何かが違う。

 魔法が使われてるのか、そう思いつつ、勇者はそろりと店内に足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ。ようこそ、微笑み薬局へ」


 明るい声が勇者を迎える。敵意は感じられない。

 勇者は一呼吸して、店内を見回した。

 室内は簡素なものだった。天井も壁も床も白い中、左の壁際に革製の茶色のソファーとテーブルが、右の壁際に木製のスツールが四脚ほど並び、正面には受付カウンターがあるのみ。そのカウンターの向こうに、先ほどの声の主がいた。

 三角の大きな耳が特徴的な獣人族の少女だ。綺麗な銀色の髪で、形のいいアーモンド形の双眼が来店した勇者を見つめていた。着ている服は薬局らしく白衣だが、和装の着物に近い形で、帯や袖口を止める紐などが朱色なのでどこか巫女っぽい雰囲気を醸し出している。


「こんにちは、受付のギンコと申します。今日はどのような御用ですか?」


 ギンコと名乗った少女がやや小首をかしげて訊く。

 そこで勇者はぐっとカウンターに近づくと、両手を天板について叫んだ。


「呪いを、呪いを解いて欲しい! 力を、俺の力を取り戻してくれ!」


 はやる気持ちが、口調に出る。そんな勇者とは対照的に落ち着き払ってギンコが対応する。

「呪いですか…。ええっと、どなたかの紹介状か診断書、処方箋などはお持ちですか?」

「いや、ただ噂を頼りに――ここならどんな症状も治してくれると」

 事務的な少女の対応に、勇者も落ち着きを取り戻す。

「わかりました。ではまず現在の状態をチェックさせていただきます。よろしいですね」

「ああ、わかった」

「では、そのままそこを動かないでください」

 そういうとギンコはカウンターにおいてあるモニタをタッチして操作する。勇者を一瞬紅い光が包み込み、すぐに彼のスタータス情報がモニタに表示された。この世界ではよくあるステータス読み取り装置に似ているが、より高性能のようだ。普通では読み取れないであろう細かな体の情報まで表示されていた。CTかMRIでスキャンされたかのような画像もある。

「タチバナ・ユウキ様ですね。勇者様ですか、すごい、けど――確かに、力が封じられてますね。ええっと……」

 ギンコがより詳しくデータを精査する。

「ああ、これは――わかりました。少々お時間をいただきます。そちらにお座りになってお待ちください」

 おおよその現状を確認し、ギンコが勇者――ユウキをスツールへ促す。

「待ってくれ。治せるのか?」

「いま薬剤師にデータを送りましたので、今しばらくお待ちください」

「あ、はい……」

 ユウキは不安げな様子で壁際のスツールに腰掛けた。


(頼む、ここが最後の望みなんだ…)


 祈るように両手を組み、目を閉じるユウキ。その脳裏にこの世界に呼び出されてからの出来事が走馬灯のようによみがえる。


 橘勇気――日本ではただの高校生だった。それが突然この世界に召喚された、勇者として。高校二年の夏休みの初日。剣道部の朝練のため玄関を出たところで、見知らぬ場所に飛ばされた。

 ラハナ王国――この世界の南の大陸中央部にある小さな国。山脈を超えた隣の魔族領ブラムと長い間小競り合いを続けてきた。人間と魔族、その戦いはこの世界各地で行われている。どちらの陣営も国、領主の思惑がバラバラで一枚岩ではないため、どちらかが優勢というわけではない。休戦状態の場所があれば、バチバチに交戦状態のところもある。融和政策をとっている地域では人と魔族の交流も進んでいた。

 そんな中、魔族領ブラムに魔王を名乗るものが現れた。その者は人間への全面戦争を宣言。手始めとばかりにラハナ王国に本格的な侵攻を始めた。それに対抗すべく呼び出されたのが勇者タチバナ・ユウキだった。

 魔王を倒せるのは勇者だけ――おとぎ話のような伝承をもとに儀式は行われ、本当に勇者がやってきた。

 だが現実はおとぎ話ほど簡単にはいかない。魔王を倒すのに四年の歳月がかかった。

 当初は元の世界に戻るために戦っていた。そのうちに知り合いが増え、仲間ができ、彼らのために戦うようになっていった。そして、恋人ができ、彼女との将来のため、ユウキは最後の戦いに挑み――勝った。


「レイナ姫……」


 彼女の面影が浮かぶ。少しピンクがかった金色の髪。スカイブルーの瞳。愛らしい唇。

 ラハナ王国第一王女レイナ――ユウキをこの世界に呼び出した張本人。王家の血と彼女の類まれな魔法力が勇者の召還を成し遂げた。そのせいかレイナはユウキのことを常に気にかけ、何かと世話を焼いていた。結果、二人の距離は縮まり、愛し合うようになった。父親であるラハナ王には、魔王討伐の後には正式に婚約を発表するとの約束をも取り付けていた。

 しかし――魔王は倒したがその戦いでユウキは勇者の力を失い、婚約の話は延期になった。


『必ず力を取り戻してみせる。だからっ待っていてほしい――』


 レイナ姫にそう言い残し王国を旅立ってから1年余り。

 やっとここまで来た。


(もう少しだ。待っていてくれ、レイナ――)

 ユウキが愛する者への想いを再確認したその時、


「タチバナ・ユウキ様、お待たせいたしました。薬の調合が終わりましたので、こちらへ」

 受付の少女が声をかけ、カウンター横の壁を手で示した。途端にそこに奥への入口が開く。

「……」

 ユウキは無言で立ち上がり、壁に開いた入口を通り抜ける。


 その先は今までいた部屋よりも更に簡素な造りの小部屋につながっていた。四畳半ほどの真ん中にテーブルと向かい合うように椅子が二つ、ただそれだけ。その向かい側の椅子に一人の女性が座っていた。長い黒髪に切れ長の黒い瞳、ユウキのよく知る日本人の容貌だ。服装もまさに白衣というやつで、美貌の女医さんといった感じだ。若く見えるが、全身から漂う妖艶な感じが実際の年齢をわからなくしている。

「どうぞ、お座りくださいタチバナ様」

 女性に促されるままユウキは向かいの席に着いた。


「当薬局の局長、ヤエと申します。この度は微笑み薬局をご利用いただきありがとうございます」


「いえ、それより薬は――」

 はやる気持ちを抑えきれずにユウキは前のめりに訊く。それをヤエがやんわりと制す。

「できていますよ。ただその前に、お支払いの確認を」

「お金ならあります」

 ユウキは反射的に懐に手をやる。

「はい、それはわかっております。入店の際に持ち物の詳細なスキャンはさせていただいておりますので」

「えっ…」

 思わぬ言葉に息をのむユウキ。そんな彼を冷静に見つめながら、ヤエが話を進める。

「今回のような特別な調合をさせていただいた場合、別途技術料をいただいておりまして、あなたの持ち物を一ついただきたいのです」

「持ち物?」

「はい、よろしいですか?」

「かまいませんが、何を――」

「そうですね、その腰の勇者の刀を――」

 ヤエの視線がユウキの腰から下がる刀を軽く見る。が、すぐに視線を戻し、

「と言いたいところですが、それは多分この後も必要でしょうから――懐のスマートフォンをいただけないでしょうか?」

 ユウキの目を見つめながらヤエが微笑みを浮かべる。

「えっ、スマホ!?」

 ユウキは思わず聞き返す。元の世界から持ち込まれたものの一つで、なぜかこの世界でも普通に使えてる便利なアイテムだ。検索や地図アプリなど、とにかく重宝した。

「ふふっ、別世界から持ち込まれま大変貴重なものなのは存じています。ですから、ぜひ」

 ヤエがすべてを見透かすような視線で勇気を見つめる。その瞳に気おされるようにユウキは頷いた。

「……わかりました」

 ユウキは上着の内ポケットからスマホを取り出しヤエに手渡す。そのスマホを嬉しそうに一瞥し、白衣のポケットにしまうヤエ。

「ありがとうございます。あと薬の調合代自体は金貨五枚です。そちらは後程受付でお支払いいただけますか」

「はい」

 ユウキの返事を合図とばかりに、ヤエがスマホをしまったのとは反対のポケットから二つの小瓶を取り出してテーブルに並べる。

「では、これが今回依頼された薬になります」

「これが――」

 目前の二つの小瓶を感慨深く見るユウキ。

「用法の説明させていただきます。まずこの青い小瓶――」

 右手で青い小瓶を取り上げ、ユウキに見せる。

「こちらはあなたの力の三割ほどを回復させる薬です」

「三割?」

 ユウキの顔がわずかに曇る。

「はい。そして、そちらの赤い小瓶――」

 左手でテーブルに残ったもう一つの小瓶を指して言う。

「それが、あなたの勇者としての力を全回復させるものです。が――」

 ヤエがやや目を細め、真剣な眼差しをユウキに送る。


「こちらには副作用がございます」


「副作用?」

「ええ。大変強力な薬なので」

「それはどんな…」

 不安な表情を浮かべユウキは訊き返す。がヤエは頭を振り、

「わかりません。これはあなただけのオンリーワン、治験する術はないのです。ただ、副作用が出ることは、100%間違いないでしょう」

 強い口調で断言する。

「そう、ですか……」

 ユウキの顔がさらに曇る。

「ま、こちらの薬の服用はじっくり考えていただくとして――」

 ヤエが右手の青い小瓶をユウキに差し出す。

「どうです、こちらの薬、いま試してみませんか?」

「いいのですか?」

「もちろんです。本当に効果があるか、確かめたいでしょう?」

「ええ、ぜひ」

 ユウキは頷くと小瓶を受け取り、蓋を開ける。そして一瞬だけ躊躇した後、一息に中の液体を飲み干した。


 1、2、3……


 数秒でユウキの表情が驚きに変わる。

「これは……、力が、みなぎる――」

 久しぶりに感じるエネルギーの循環。

「どうですか?」

 ヤエの問いにユウキは息を整え自分の現状を確認する。

「確かに戻ってる、全快には遠いけど…」

「それでも常人よりはるかに強い力です。そのままでも普通に暮らすには支障はないでしょう」

「そうですね……」

 ヤエの言う通り、普通に暮らすには十分すぎる力が戻った。しかし、王国が求めているのは絶対的な力。姫との結婚にはこのままでは足りない。

 どうすべきか無言で逡巡しているユウキの見かねてヤエが声をかける。

「とにかく、こちらの薬もあなたのものです。服用は自由ですが、副作用のこと、忘れないでくださいね」

 残った赤の小瓶をユウキに手渡しながら、ヤエは念を押す。

 副作用の言葉にユウキは険しい表情を見せ、手にした小瓶を見つめる。

「……ありがとうございます。使い時をよく考えます」

 ヤエに軽く頭を下げ、小瓶を腰のポーチに大切にしまう。

「では、これで。受付で会計を済ましてくださいね」

「ありがとうございました」

 ユウキは立ち上がるともう一度頭を下げ、入口へと踵を返す。その背中に、


「あっ、そうそう、最後にもう一つ――」


 ヤエが声をかけたので、ユウキは立ち止って振り返った。

「なんですか?」

「これはお話すべきか迷ったのですが、やはり、あなたは知っておくべきでしょう」

 ヤエが声のトーンを落とし、神妙な顔つきで話す。


「あなたの力が封じられた原因ですが――」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る