俳句少女と秋の空
とりむね
第1話 俳句少女と月見
俳句はいつでも詠めるけれど、放課後と限定して言ったのは、彼女がうちの高校の俳句部に所属していて、毎日部活動で詠んでいるから。苗字が同じという理由か分からないけれど、彼女は松尾
ちなみに「芭蕉」も「バナナ」もバショウ科バショウ属に分類される大型多年草。芭蕉もバナナとよく似た花や実をつけるが、バナナほど大きくならず種も多いことから食用には向いていない、と物の本に書いてあった。
「みんなが味わえる句を詠みたい」と言っていた彼女の思いが、この俳号に込められているに違いない。
二学期に入ってから、俳句部の活動は活発になっていた。十月の文化祭に句集を発行するために、部員たちが句の選定をしている。句集には春・夏・秋・冬・新年の季節を詠んだ句を満遍なく掲載する。二年生と三年生は既に一年分の季節を詠んでいるけれど、一年生はまだ春と夏しか詠んでいない。秋以降の句を掲載したい部員は新たに作句する必要がある。かく言う松尾七葉は一年生で、是非とも掲載したい秋の句があるらしい。
「芭蕉先生は名月マニアなの」
と彼女は言う。だから自分も秋の季語『月』を詠みたいのだと。
名月とは、旧暦八月十五日の月のことで、一年中で最も澄んで美しいとされている。『十五夜』と呼んだり、『月見』をしたりする。どちらの言葉も秋の季語。
彼女がどんな句を詠むのか楽しみだけれど、ボクは帰宅部なので楽しみは文化祭まで待たなければならない。
そんな事を考えながら、ボクはひとりで夜の町を散歩していた。
散歩と言ってはみたものの、正確には親からお使いを頼まれただけなのだけれど、「行かされた」と思うのも嫌なので、自分の用事のついでの体で家を出たのだ。
九月も終わりに近付いて、夜風が少し冷ややかな感じがする。しばらく歩いてから、ジャージ姿で外出した事を後悔した。早く用事を済ませて家に帰ろう。
自宅から商店街に出るには、大きな神社を抜けるのが近道だった。薄暗い街路灯があるだけの寂しい参道を通って境内に入ると、小さな池の横にある古い本堂が仄かに輝いていた。傍に寄ってみると池の水面に満月が写っていて、鏡面に反射するように月光が本堂を照らしていた。
そのまま夜空を見上げると、丸い輪郭や表面の凸凹もはっきり見える程に完璧な満月があった。そうか、今日は十五夜か。
「月が綺麗ですね」
誰に言うでもなく、ボクはひとりごちた。
「そう……、だね」
不意に後ろから声をかけられて、驚いて振り向くと、そこにはボクより少し背の高い松尾七葉が立っていた。
「うわあ、いつから居たの?」
「今来たとこだよ」
こんな夜分に制服姿で、人気のない神社に一人で来るなんて物騒ではないか、と思ったけれどボクも同じか。彼女が買い物の近道で寄った訳ではないと思ったけれど、ここに来た理由は彼女の方から話してくれた。
「
芭蕉先生の句だと言う。この句を詠んだ気持ちを読み解きたいと思って、学校帰りに池のあるこの神社に来たそうだ。
「この句にはいくつか解釈があって」
彼女の解説によると、「明るく照らす名月を見ながら池の周りを歩いていたら、いつの間にか夜が明けてしまった」とか、「水面に写る名月に感動して池の周りを歩いていたら、いつの間にか夜が明けてしまった」とかあるそうだ。
「でもわたしは、『水面に写る名月が池の周りを動く様を朝がくるまでじっと眺めていた』んじゃないかと思ってるの」
彼女は小さな池をじっと見ている。水面に写る黄金色の月を。
彼女の声を聞いて、ボクの心臓は高鳴っていた。「月が綺麗ですね」と彼女が呟きでもしたら、ボクは死んでしまうだろう。そんな気持ちを言える訳もなく、自然と無口になる。
「『夜もすがら』っていいよね。夢中になって、何かしてたら夜が明けてたなんて経験、わたしもしてみたいな」
彼女がボクを見る。
「
てところかな。と言って笑った。
このまま一緒に夜が明けるまで月を見たい。関係性はどうあれボクを相手に選んでくれたのだから光栄だ。
最初の「すがら」は『途中』の意味。最後の「すがら」は『終始』の意味。月見を通して『たまたま』の関係が『ずっと』に変わるのかな、というのはボクの淡い期待だ。
それに現実は、それ程うまくはいかないもので。
「ボクはここを抜けて商店街に行くけれど」
「わたしと逆だね」
そう。彼女は商店街の先にある学校から来たのだ。
「でも折角だから遠回りしようかな」
これは月光の魔力か、彼女の気まぐれか。夜明けまでは無理だけど、元来た道を商店街まで戻る時間は彼女と一緒に居られる。
「
勿論、声に出して詠んではいない。
道すがら、ボクはずっと黙っていたのだから。
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