第3話 俳句少女と文化祭

 小林桃香こばやし ももかは、ボクの後輩で、毎日、教室で俳句を詠んでいる。

 俳句は何処どこでも詠めるけれど、教室と限定して言ったのは、後輩は、ボクのクラスの俳句部員に、毎朝作句の報告にくるから。

 後輩といっても部活動や委員会の直接的な上下関係はなくて、ボクの通う高校の中等部に所属する生徒全般という意味の後輩だ。


「松尾先輩はいらっしゃいますか?」


 松尾先輩というのがくだんの俳句部員で、昨年は中等部の俳句部長を務めていた。現俳句部長の後輩は、今朝も作句の報告に来たのだけれど、生憎と彼女は風邪をひいて学校を休んでいた。


「そうなんですか。困ったなぁ」


 困ったなぁと言葉に出してしまう程、後輩は困っていた。そこでボクが後輩の悩みを聞いたかと言えば、聞いたのは今日の作句の方だった。


句集くしゅう表紙ひょうししろ文化祭ぶんかさい(モモモカ)」


 モモモカは後輩の俳号だ。

 文化祭のために編集した句集が並んでいる。その表紙は白い。中等部俳句部員の無垢な気持ちの表れか、はたまた、読み手に色を委ねるように白いのか。そんな句だろうとボクは感じた。


「文化祭の一週間前なのに、句集の表紙絵が仕上がってないんです!」


 後輩は、聞くとも言っていない困り事を一方的に説明しだした。

 中等部の句集は毎年テーマを決めて作っていて、テーマに合わせたタイトルと表紙絵を付けるのが通例となっている。題字は部員が書いて表紙絵は美術部に依頼する事が多い。ちなみに、昨年のテーマは「飛躍」でタイトルは「兎跳ぶ」。表紙絵は「満月」だった。今年のテーマは「向上心」でタイトルは「龍昇る」だと後輩は言った。

 そこで、龍のイラストを美術部長に依頼していたところ、その子が自転車事故に合って利き腕を骨折してしまったと。


「だから真っ白なんです」


 そういう意味の句だったのか。

 人見知りをしない後輩は、誰かイラスト描ける人いませんかとボクに詰め寄り、何かを見つけて動きを止めた。視線の先にはボクの教科書があった。


「先輩って、あの・・渡辺わたなべ先輩ですか?」


 教科書の記名を見つけたらしいけど、どの・・渡辺だよ。


「去年の句集の題字を書いた先輩ですよね!」


 その・・渡辺か。ボクが幼少期より書道をやっていた事を覚えていた当時の俳句部長に頼まれて、踊るような筆致で題字を書いた覚えがある。裏表紙にボクの名前が載っていたと後輩は教えてくれた。

 ボクは一時、動きのある字体に拘って書画を書き、作品を「すみっこ」のアカウント名でSNS上に公開していた事がある。中二病の衝動的なアレなので直ぐに止めたけれど。


「そうだ! 先輩が描いてくれませんか?」


 題字も白紙なのかと聞くと、


「絵ですよ。墨絵」


 と素敵な事を思い付いた子供の様に、後輩の瞳は輝いていた。


「ボクには描けないよ」


 そう言ったところでチャイムが鳴った。後輩は、「わたし諦めが悪いんです」と一言残して中等部の校舎へ去っていった。

 墨絵なんて描いた事もないし描く自信もない。SNSで公開した書画にも「いいね!」が付くのは稀で、恥ずかしくなって止めたのだ。

 ところが、この後輩は本当に諦めが悪くて、ボクが下校するところを校門で待ち構えていた。

 後輩は、去年の句集の表題を見て、「兎が跳ねている」と本当に感じたそうだ。まあそう書いてあるから見えただけかもしれないけれど、文字ではなくて絵に見えたのだと。


「だから先輩なら絶対に描けます!」


 後輩は力強く言い放った。

 人に褒められても真意を疑ってしまう。この場合も期日に間に合わせるため仕方なくなのだろうと。


青空あおぞらゆびあきくれ


 後輩は高く晴れ渡った空に、人差し指を一本突き付けて一文字書いた。


小林一茶こばやし いっさの句です」


 後輩の俳号・モモモカは、一プラスお茶を意識して、百プラスモカコーヒーと自分の名前・桃香ももかをかけたらしい。

 虚空に書いた文字は書いたそばから消えて行く。もののあはれを感じさせる名句だと後輩は言った。

 でもボクには後輩の書いた文字がはっきりと見えた、……ような気がした。


隅っこ・・・に閉じこもってないで、あの空を駆け上りませんか?」


 それ・・も知っていたのか。

 天に指を差したまま、後輩はボクの書画が本当に好きだと言う。


 結局ボクはその依頼を受けて、墨で昇竜を描いた。最初の不安が嘘の様に、大広間の襖絵みたいな立派な絵が描けたので自分でも驚いた。

 文化祭三日前に仕上がったので、帰りに校門で待ち合わせをして後輩に原画を渡した。


「これ、画竜点睛がりょうてんせいを欠いてませんか?」


 墨絵の龍に目玉がない。

 画竜点睛を欠くとは、最後の仕上げができていないことをいう。


「その『点』は君たち部員が打つべきだよ」


 心を入れるのは当事者だ。後輩は合点がいったらしく「はい!」と大きな返事をして、ボクに深々とお辞儀をしてから中等部の校舎の方へ駆けていった。

 お礼を言いたいのはボクの方だ。

 空を見上げると一面に鱗雲が広がる。


かたゆび一指ひとさつききし鱗雲うろこぐも(ボク)」


 ボクの心に風穴を開けてくれた後輩の指には、固い決意がこもっていたのだから。

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