第5話 俳句少女と紅葉
俳句はいつでもどこでも誰でも詠めるけれど、少女と限定して言ったのは、先生が高校時代に全国少年少女俳句コンテストで優勝した
もちろん大人になった今は、経験を積んだ分だけ俳句の深みや味わいは増している。培った技術や感性は教え子たちに伝授され、学びの集大成は句集として、年一回の文化祭会場で学友や保護者へ配布される。
文化祭二日目の午後四時。
体育館では演劇部とダンス部合作の「シン・白鳥の湖」が公演中だ。終演とともに後夜祭へ流れるため、多くの生徒たちが校舎棟から体育館へ移動していた。それを見計らって、ボクは俳句部の展示会場となる教室へ向かった。
「写真部&俳句部 写真俳句」の表示がある教室に入ると、中にいたのは与謝野先生一人だけだった。
そして、無料配布と書かれた長机の上にはもう何も置かれていなかった。
「句集は?」
「ごめん、午後すぐに全部はけちゃったの」
先生は申し訳なさそうに顔の前で両手を合わせた。ボクの
「折角だから写真俳句を見てって」
校内や町内にある四季折々の風景を写真部が撮影して、写真から連想した句を俳句部が詠む。写俳、俳写、フォト俳句など呼び方は様々あるようだ。俳句を詠む側も鑑賞する側も分かりやすくて、文化祭にピッタリな企画だ。
壁には、春夏秋冬や花鳥風月などのテーマ毎に写真パネルが飾られている。写真の横には立派な短冊が貼ってあり、俳句部が詠んだ句が書かれていた。そして写真の下には色紙を切った簡易な短冊もある。
「誰でも投句できるから一句詠んでみたら?」
先生はボクに黄色い色紙の短冊をくれた。
松尾七葉の句を探して写真の前を歩く。彼女は名月マニアの
満月が写ったパネルの前でボクは足を止めた。それは校内にある日本庭園の夜景で、
「
教室の窓から見える日本庭園に目を向け、先生は蕪村の句を詠んだ。
そのパネルの横に彼女の句を見つけた。
「彼は誰や
バナナは彼女の名前・
「俳句は謎かけ」
と先生は言う。
「俳句少女ならどう読む?」
そして先生はボクを俳句少女と呼んだ。
今更だけれど自己紹介。
「好きな人が誰かも分からない。恋に恋して宛名のない恋文を紅葉に書きました」
と回答したけれど、実のところボク自身、恋が何なのか分かっていない。
「上五の読みは
――夜もすがら。
ボクの脳裏に彼女の言葉が蘇った。夢中になって夜が明ける経験をしてみたいと彼女は言っていた。
ボクは筆ペンで短冊に一句書いて先生へ渡した。
「相変わらず達筆ね」
それから教室を飛び出して更に校舎の外へ出た。道すがら頭上に輝く満月を見て、今、日本庭園にいる。
「月が綺麗ですね」
背後から声を掛けられた。振り向かなくてもボクには相手が彼女だと分かる。
「漱石、だね」
ボクは背中で答えた。もう……、
「死んでもいい」
声に出ていた。
「文学少女か」
そう言って彼女は笑った。
「ミチルならどう返す?」
彼女はボクを名前で呼ぶ。
「
声に出しては詠んでいない。この句は今頃、
口下手なボクも筆を持てば溢れる気持ちが上五をはみ出すほどに饒舌だ。
一か月前の十五夜の下。ボクの呟きは、彼女に向けてのものだったと今更に気がついた。
「後夜祭、一緒に行こっか」
彼女は黙ったままのボクの手を取って走り出した。優しい月光に照らされて二人の影が校庭に踊った。
俳句少女と秋の空 とりむね @munet
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