第2話「ふとした笑顔」
◇
一度カウンターに寄った後、上司に「アツアツだねぇ」と若干揶揄われた柊人は若干頬を赤らめながらその少女と共に自動ドアをくぐった。
「ねぇ、どうしたの。そんなに顔赤くして?」
彼女はキョトンとした顔で不思議そうに尋ねる。
「っ⁉ べ、別に……ナンデモアリマセンケド」
「片言だし、嘘ってバレバレだよ」
「ほ、ほんとだから! なんにもないですって……その、上司にちょっと揶揄われただけですから」
「もしかしてあのお姉さん? 普通に優しそうだったけどね?」
「優しいなんて……ほんとだらしない人ですよ? なんだか怠けてますし」
「へぇ、そう」
愚痴ったらしく熱くなって言い始める柊人を察知したのか、少女は前を向いてすんとした表情をする。
それに気づかず、柊人は思い出したかのように指を空に立てて尋ねる。
「そういえば、君って国語苦手らしいけどさ小説とか読むの?」
「小説……」
柊人の問いに対して、少女は逡巡した。
迷ったというよりも、少し戸惑ったという感じだった。
答えはもとより決まっている。
しかし、理由は複雑で言おうと思っても中々声が出ない。
そんな姿を真横から見ていた問うた本人は焦って手を振る。
「べ、別に嫌なら言わなくてもいいんですよっ。その、なんとなくで聞いただけだから」
「……嫌ってわけじゃないよ。でも、その、なんて言ったらいいか分からないけど」
「けど?」
柊人が優しく聞きなおすと、少女は視線を落とした。
歩く歩幅が心なしか、小さくなっていて、鈍感な柊人にも普通ではないのが読み取れた。
しばしの無言と静寂を埋めるのは数秒ごとに通り過ぎる車の音。
夜の世界を照らしては消えて、また照らしては消えてを繰り返すそれが三回ほど経った後だった。
「まぁ、なんというかね。前から苦手なの」
「前から?」
「うん、ずっと前からね。図書館は好きだけど読むのがね」
「なんか複雑だね?」
「まぁ……そうだね」
かなり溜めたにも関わらず答えた言葉はそこまで重苦しいものではなかった。
苦笑いと意味ありげに含んだ表情までには柊人は気づかない。
「そ、そっか。でも同じだな僕も。昔から数学ていうか算数から好きじゃなかったし」
「え、算数なんて簡単じゃない。ほら、1+1=2みたいな?」
「算数をそんな言葉で片づけないでよ。もっといろいろあるじゃん。帯分数とか、確率とか、最近だと一次関数とかさ」
「うーん。そうかな。公式あるし入れるだけじゃない?」
「て、天才……」
「えぇ。私からしたら現代文とか古文できるあなたのほうが天才に見えるけど?」
「いやいや、現代文も簡単だって」
「それなら一次関数のほうが簡単だと思うけどなぁ、やっぱり」
終わらない戦い。
まるであの時みたいだ。
しかし、少女の一言で彼がダメージを浴びる。
「んなっ」
「そこまでかなぁ、数学って」
「うっ……その名を言わないでください」
「どこまで嫌いなの……」
「僕、一日に規定回数以上数学って聞いたら頭痛がする体質なんです;;」
まさか、もちろんそんなこと嘘である。
柊人渾身のギャグに対しての少女の答えは、ジト目だった。
「さ、さすがに笑ってくれないと色んな意味で辛いんだけど……?」
「え、あぁ……ごめんなさい。普通に面白くなかったから。どう答えればいいかと」
「さ、さすがに……辛辣すぎない?」
「ごめんなさい」
「いやほんと、謝らないで」
あまりにも一瞬だった。
否定したかと思えば今度は非を認めて律儀に頭を下げてくる少女に慌てる柊人はもう見慣れたくらいだ。
そんな二人はあたかも友達であったかのように歩いて帰っていく。
数分ほど歩いて立ち止まった赤信号の前で、柊人が呟いた。
「あの、君はどこに住んでるですか?」
「私はこのまままっすぐかな、あなたは?」
「僕はこの信号を右に曲がってすぐなので……それじゃあここまでですかね。あでも。送りましょうか、家まで?」
「いや、そこまでしなくても大丈夫。言ってもすぐだし、いつものことだし」
「そ、そっか。分かりました」
そうして、赤が青に変わる。
それを見た少女は綺麗な振る舞いで歩き始める。
しかし、柊人のほうは少し遅れて歩き始めた。
少女の一歩後ろ。
斜めから横顔が覗ける程度の距離感で、歩いていく。
別に名残惜しんでいるわけでもない。
名前も知らない、見たこともない少女相手に、馬鹿みたいに運命を感じている乙女ではないのだ。
だが、柊人にとってこの一歩一歩がとても――寂しさを感じる。
あの日、亡くした何かを追いかけるように走った砂利道を思い出して。
ここで離してしまえば、このまま帰ってしまえば。
きっともう、出会うことはないんじゃないかという不安があった。
もう少し、面影感じる少女と話してみたい。
そう思って。
「ねぇ……君ってさ……」
「ん?」
真ん中。
信号が点滅しだす。
その途中で柊人は言いかけて……やめる。
「いや、やっぱりなんでもないです……忘れました」
「そ、そうなの?」
「はい。もう、綺麗すっぱり忘れたことなんで」
いいんだ、別に。
過去に縋っていたらダメになることくらいは自分がよく分かっている。
むしろ、それはもっと前に決めたことなのだ。
「そ」
短い声が響く。
それじゃあ、これでお別れ。
信号を渡り切り、そして――
—―と。
柊人が身構えると今度こそ彼女の方からであった。
「今更だけど、名前聞いてなかったね」
「そういえば、確かに」
柊人は胸がゾワりとした感覚に襲われる。
あまりにも自然体すぎて気づきもしなかった少女の名前。
これから会う会わない関係なく、名前を聞かないと始まらないではないか。
気づいて、先に口にする。
「僕は、
「なんで敬語、いいよ別にため口でも」
「じゃ、じゃあよろしく」
「よろしくね、えっと湊川くん?」
「……うん」
ささやか。
まるで春の小風のような淡い声で褒められて、柊人は顔を熱くさせる。
相も変わらず、寸分の狂いなく変わらない美貌を持つ人に名前を呼ばれたら誰だってドキドキするものだ。彼も例外ではない。
頬をポリポリと指先でかく柊人を見つめ、そして少女が口にする。
「—―私は、
三澄恵梨香。
その名前を言った瞬間、柊人は心の声が漏れてしまった。
「えっ」
名前を聞いただけだった。
しかし、それが故に。
いや、それが理由で。
柊人は恵梨香から一歩、二歩と離れていく。
「な、何、どうかしたの?」
もちろん、名前を言っただけでなぜか動揺している柊人を前に恵梨香も訳が分からない。
数歩離れたところで柊人は立ち止まる。
目は見開いて、寂しそうな顔はみるみると驚きに変わり、口が少しずつ開いていく。
衝撃的。
そう言わんばかりの表情だった。
「—―あ、あの、あの三澄さん、三澄恵梨香さん⁉」
「え、あのって何?」
「学年一位で、学年一の美人で、噂は聞いていたけど……本当にですか⁉」
「そうだけど……え?」
全身に染みわたる鈍器で殴られたかのような衝撃。
そして、どこか見たことがある雰囲気だった正体。
全てで引っ掛かっていたものの正体があらわになっていく気がした。
あぁ、だからか!
違和感を感じていた一部分が点と点で繋がる。
目の前にいた少女。
リボンのないワイシャツに、紺色と赤のチェックスカート。
そして、黒色の長髪を伸ばした”美”が服を着て歩いている彼女こそ。
市立
勉強も、運動も、そしてその容姿も。
何もかもが完璧で、どんなことでも完璧にこなせる美少女。
学校の中で知らない人はいない。
超絶美少女な完璧女子高生、三澄恵梨香とは彼女のことだったのだ。
「は、え?」
動揺は止まらない。
しかし、そんな気づきはさして大したことでもなく、裏側には大きなことがあるとは知らずに。
◇
「……あぁ。なんだか、面白い人だったなぁ」
家に帰ると母に催促されて入った四十度のお風呂。
(あぁ)
霞がかった湯船で足を延ばして、水面に反射する自分の体を見つめながら今日のことを思い出した。
「普通なのに、不思議な感覚」
すると、外から母の声が聞こえてくる。
「ねぇ、ここに忘れてるブラジャー置いておくから!」
「あーうん。ありがとう」
「でっかいんだから、忘れたらだめなのよ~~」
「えっ、ちょ。分かってるよ、もう!」
娘に言う言葉ではないセクハラを平気で言って茶化してくる、明るい母。
それに返して顔を真っ赤にしながら言い返す恵梨香。
恥ずかしいけどとりとめのない。
何も変わらない、この日常。
これが彼女の普通だ。
(そんなバカ……なこと、ないよねきっと)
胸のどこかに引っかかる棘は抜かずして。
恵梨香は湯船から立ち上がり、扉を開ける。
バスタオルで体の水滴をふき取っていると、豊満な二つの
「……でかすぎ」
あとがき
これにて長かったプロローグ終了。
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すべて完璧な超絶美少女の唯一の弱点をモブな僕が知ってしまったら。 藍坂イツキ @fanao44131406
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