第54話

「私にできることは、少ないです」

「たとえそうだったとしても、側に居てほしい」


 燕青が楊梅に近寄り、桌の杯を手に取った。


「むろん、俺はそのつもりだ。費やした時間も学び取ったことも、無駄にはしない。楊梅は友としてはもちろん、仕えるに値する。ちょっと愚図だし人使いが荒いがな」


 凱泉も楊梅の側に来て立礼した。


「ずっと、あなたにお仕えする所存です。楊梅様の近衛を命じられた時より、御身を守り通すと決めております。いまさらその役目が変わるわけじゃありません」


 三人の六つの瞳に見つめられ、莉美のほうが今度は複雑な表情になる。


「わ、私は……」


 楊梅が莉美を引っ張り、手をぎゅっと握りしめてくる。

 妙な脈が電撃のように身体を伝っていく。きっとこの先ずっと、彼と一緒にいることを右手が、仙の力が望んでいるからだろう。


「莉美は、わたしたちとともに居るのは嫌か?」

「嫌なわけありません」


 幸せだと、この力を持てたことが、やっと誇りとして思える。この気持ちをずっと持ち続けながら、絵師として大成したい。そんな望みが沸き上がってきた。


「絵を描ける自由を、お前に約束する」


 楊梅の手のひらに力がこもる。胸中を見透かされたような間合いでの言葉に、莉美は顔を上げた。


「必ず、お前は大成する。側で見守ると約束する」

「私に、そのようなことができますか?」

「できる。そのためにも、預かっていた命を返そう。もう、自分でいつくしんでやれるな?」


 莉美はぎゅっと楊梅の手を握り返した。


 思えば、楊梅と巡り逢えたからこそ、人として扱われ、やっと絵を描くことができた。燕青に手伝ってもらい、凱泉に褒められて、力を正しく使うことができつつある。


「おい莉美。今のうちに言いたいことがあるなら言っておけ」

「そうです。あなたは少々、一人で考え込む節があります。この際、胸の内をどんと打ち明けてみてはいかがでしょう?」


 燕青と凱泉に言われて、莉美は楊梅を見た。


 言いたいことはたくさんある。獲れたての獲物を持ってくるのはよしてほしいとか、水餃子が好きだが朝からそんなに食べられないとか。麦や粟はあんなに大量に要らないとか。


 でも、するんと出てきた言葉は、案外くだらないものだった。


「また一緒に、油条と豆乳を食べに行きたいです」

「いつでも行こう」


 莉美は楊梅の笑顔に微笑み返し、そして揖拝した。


「必ず、絵師として大成します。そして……友として、一生涯、あなたの望む絵を描きましょう」


 伝えると「決まりだな!」と燕青が思い切り莉美の背中を叩いてきた。凱泉も心なしかいつもよりも柔和な仏頂面で頷いている。

 楊梅は莉美がぎょっとするくらい喜色を露わにし、その笑顔に莉美のほうが参ってしまった。


 改めて全員で円桌を囲む。


 それぞれが見事な釉薬がかけられた緑色の杯を手に持っていた。

 皇帝は玉座を治める以外の力を持たない。持つのは広い器と正しい心。だから、家臣ではなく友が必要なのだ。正しく民の心を汲み取り、ともに道を歩み、困難に立ち向かうために。


「……やっぱり、黄龍廟の前の方が良かっただろうか」

「いまさら何をおっしゃいますか」

「楊梅が黄龍みたいなもんなんだから、お前が廟の代わりでいいだろ」


 二人に同時に言われて、楊梅は心なしか照れたように笑ってから杯をあけた。

 続いて三人が杯を空にする。一番年下の莉美に配慮したのか、やけに甘みの強い酒だ。

 飲み干した凱泉は目をぱちくりさせ、燕青は「これ酒か?」と不服そうな顔をしたのが印象に残った。


「よし、これでやっと、勝利の祝杯ができるぞ!」


 楊梅は言うなり料理を運ばせてそのまま四人で宴会騒ぎとなった。深夜まで飲んで食べて、話をして踊って過ごす。

 凱泉の横笛は見事で、燕青の二胡もなかなかだ。莉美は子どもみたいに大きな声で歌うだけだが、楊梅はそれに合わせて踊っていて楽しそうだった。


 翌朝一番に目を覚ましたのは、莉美が酒をそれほど飲んでいなかったからだろう。地毯しきものの上でみんな寝てしまっていた。凱泉まで大の字になり寝ている。


 起きて水を飲もうとすると、莉美の着物の袖を、楊梅がぎゅっと掴んでいた。


「……」


 皇帝は人前では両膝を折ることがない。楊梅がこれから先膝を折るのは、友とする者たちの前でだけだ。


 彼らの前でだけは、王でなく一人の人間でいるために。

 そして、こんなふうに飲み明かすことができるのも、莉美たちとだけだろう。

 莉美は楊梅が嬉しそうな顔を見ているのを見ると、水を飲むのをやめて再度床に寝そべった。


 右手を拘束していた硬質な皮革の手袋は、いまはない。着けていなくとも、制御できる信頼関係がある。


 莉美は自由になった右手をぎゅっと握りしめた。


(この人の側で、この手を私が持って生まれた意味を見出そう)


 心に誓い、莉美は微笑む。


 後に国史に『戦場に仙の絵師有り』と記される絵師がこの時誕生するのだが、それを莉美が知るのはまだまだ先のことになる。



 *



 それからしばらくして、皇太后軍と反朝廷軍の戦火の炎は黄龍国全土にまで広がっていった。

 争いを制したのは反朝廷軍の当主、楊梅。本来の名を、黄華瀏琰こうかりゅうえんという。

 皇太后に廃太子された後に生き延びた皇子である彼が、数々の敵を打ち負かし、彼が仙の友と玉座に就くのは今から二年後になる。

 黄龍国は元号をたくから改め、新皇帝即位となった。その時、宮廷のすべての屋根と街には深緑の芍薬の旗が掲げられた。

 その日は真冬であるというのに、宮廷中で見事な芍薬の花が咲き誇り芳しい匂いに街中が包まれた。

 その治世は戦乱を治め平和な善政の礎を築き、国史に色濃く刻み付けられる。

 死後『玉封帝ぎょくふうてい』と諡号を追贈される賢帝瀏琰の、王朝の始まりである。




 おわり

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