第4話

「ナンバー857、ロストしました」


 耳障りな電子音が鳴り響いた。

 モニターの電子信号は、彼がもう二度と帰ることの無い事を示している。


「くそっ、せっかく雲の町クラウドシティにまで辿り着いたってのに!」


 若い男性職員が、悔しそうに拳をモニターに叩きつけた。

 その後方。赤いVRゴーグルをかけていた女性が、ゆっくりとそれを外す。

 女性の名前は、オリンピア=スパランツァーニといった。この冷凍睡眠施設における意識仮想空間、雲の町クラウドシティの管理主任を任されている人物だった。


「今回はうまくいったと思ったんだけどね……やっぱり難しいわ」


「また、彼らのいう『ザントマン』ですか」


 男性職員の問いに、オリンピアはゆっくりと頷いた。


「不思議よね、あの世界が『ザントマン』の演算によって構築されている事なんて、彼らは知らないはずなのに。どこからかその単語を引っ張り出してくるんだもの」


「しかも、自分達の意識を喪失させる存在と定義しているんですもんね、皮肉ですよ」


 オリンピアはダイヴィングチェアから身体を下ろし、ウンと腕を広げて背伸びをした。

 一度仮想世界にダイブすると、現実世界では数時間を同じ姿勢で過ごす事になる。

 仕事の後は、体の凝りがひどかった。


雲の町クラウドシティの住人は増えず、か……。やはり名前持ちネームドになれるかどうかが鍵ね」


「仮想世界における自己の再定義ですね。凍結処理時の電子移行処理、その精度がもっと高ければこんな問題はそもそも起こらないはずなんですが……」


「それは言いっこ無しよ。『ザントマン』は人類の限界でもあるけど、同時に最後の希望なの。私達はこれを使って、少しでも未来に可能性を残さなければならない……」


 オリンピアは、電子モニターに表示されているアイコンを見つめた。

 大きな袋を担いだ妖精の姿を模したロゴ。

『ザントマン』は、この巨大な冷凍睡眠施設を管理するコンピュータ・AIの総称だ。

 眠りへと誘う妖精の名前をとって、開発者がそう名付けたのだという。

 予見された大災害を目前にして、この冷凍睡眠計画は急ピッチで進められた。しかし、その拙速さ故に数々の技術的な課題を抱えたまま施設は完成してしまった。

 その一つが「意識の保存」だ。

 肉体を冷凍技術で半永久的に維持できても、付随する精神が同じように保てるとは限らない。遙かなる時を超えて目覚めた人類が、みんな動かない人形になってしまっては、この計画の意味は無いのだ。

 この問題を解決するために『ザントマン』は人体の凍結処理の瞬間に、対象の人格を電子に変換してデータとして抜き出すように設計された。肉体とは異なる場所で精神を保存しようと考えたのだ。

 その場所こそが、仮想空間の雲の町クラウドシティである。

 しかし急造のシステムには至る所に欠陥があった。まず人格の電子変換の過程で対象者エピソード記憶が大部分抜け落ちてしまう。その上変換したデータの八割が、雲の町クラウドシティにアップロードできない。

 かろうじて辿り着いたとしても、そのデータのほとんどが、今回のように町から消失してしまうのだ。

 オリンピア達の仕事は、雲の町クラウドシティの住人達が自律的に町を維持・運営できるようにサポートをする事だった。

 限りある時間で、外部からの介入がなくても崩壊を起こさない程度に、町を発展させなければならない。しかし、だ。


(住人が増えないことには、それも難しい)


 オリンピアは、大きなため息をついた。

 疲労が溜まっている。

 最近では、連続して仮想空間にダイブできる時間も減ってきている気がする。

 休息が必要だった。


「六時間ほど部屋で休むわ。シティに何かあったら、叩き起こしてくれていいから」


「そうならない事を祈っていますよ、主任」


 十字を切った部下に後ろ手を振り、オリンピアは施設内の自室へと向かった。

 

 暗い部屋に入るなり、オリンピアはベッドにうつ伏せで倒れ込んだ。

 その姿勢のまま、言葉を発する。


「シェードを開けて。外が見たいわ」


 音声を認識したAIが、部屋の窓を覆っていた日除けシェードを収納していく。

 パッと明るい日差しが部屋に差し込む。

 窓の外には、一面のオーシャン・ビュウが広がっていた。降り注ぐ陽光、それを受けて輝く蒼い水面。

 それは雲の町クラウドシティの住人、キーホールが夢に見た景色そのものだ。

 けれど、オリンピアは知っている。

 目の前に広がる世界は、キーホールが語るほど良いものではない。

 温暖化の影響で上昇した海面は、人類が暮らしていた大地のほとんどを飲み込んだ。

 大災害の後、放射能に汚染され尽くした海洋では、裸で泳ぐことなど自殺行為だ。たっぷりあるはずの海洋資源も、放射線物質の影響で食料に用いることができない。

 だから塩の濃いフィッシュ&チップスをつまみにビールを飲むことも叶わない。

 この世界においても、食糧状況が危機的であることに変わりはないのだ。

 オリンピアは、錠剤と共に転がっていたミート・キューブを口の中に放り込んだ。

 慣れ親しんだ肉の味。同族の屍肉を食してまで、人類はまだしぶとく生きている。

 けれど、何故だろう。

 オリンピアは、この絶望的な大海原の景色を目にすることが、前ほど嫌ではなかった。

 雲の町クラウドシティの住民達と、夢の話をするようになってからだろうか。

 彼らは、無邪気に夢を見ている。

 暖かな世界。雪のない世界。ザントマンの影に怯える必要の無い世界を。

 オリンピアは、柔らかな笑みを浮かべた。

 いつか、彼らはたどり着くだろう。

 人類が生きていけるほどに放射能が弱まった遠い未来で、その大地に足を踏み出すのは、雲の町クラウドシティで暮らす彼らなのだから。

 処方された睡眠薬を飲みこみ、オリンピアはゆっくりと瞼を閉じた。

 少しでも良い夢を見ることができますように。そう願いながら。

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ザントマン エビハラ @ebiebiharahara

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