第3話

 雲の町クラウドシティの周辺に、ひどい吹雪が吹き荒れ始めてから、もう数週間が経っていた。

 シェルターから出られないため、テントの集会は無くなったが、僕はせいせいとした気分だった。

 大の男が集まって叶いもしない夢の話をして、何が楽しいというのだろうか。

 初めは気のいい男だと思っていたキーホールの事も、日に日に疎ましく感じるようになっていった。

 その日、僕とキーホールの部屋(仕事のペア同士は部屋も同じだ)に数人の男達が集まり、ぎゃあぎゃあと騒がしくしていた。

 六つの面に数字を書いたミート・キューブを転がして、賭け事に興じているらしい。

 僕は耳と防ぐようにしてシーツに包まり、その騒音を遮断していた。


「おい、ジョン。やらねえのか? 東国のギャンブルだ。結構おもしろいぞ!」


 僕の気持ちを汲み取りもせず、キーホールは無遠慮に誘ってくる。いつもこうだ。


「……やらないよ。頭が痛いんだ。それに、食べ物で遊んじゃいけないよ。みんな飢えて死んでいったのに」


「まぁまぁまぁ。それはそれ、これはこれだぜ。なんせ、このシェルターにはミート・キューブとオーガニック・ティーだけは腐るほどあるんだからなぁ」


 みすぼらしく抜け落ちた前歯を剥き出しにして、キーホールはゲラゲラと笑った。

 周りの男達も、釣られて笑っている。

 僕は、それがとても腹ただしかった。

 その声を拒絶するように耳を塞ぎ、目を閉じた。そうしていると、色々な疑問が頭の中を巡った。最近はいつもこうだ。

 この世界は食糧難だ。食べるものなんてないはずだ。なのに、ここにはミート・キューブがある。それが何の肉なのか、ここでは誰も疑問に思っていない。

 他にもおかしい事がある。リーダーのオリンピアだ。シェルターの中の空間は狭く閉ざされているのに、彼女はふと、不思議なタイミングでその姿を消す。身を隠すような場所なんか、どこにもないはずなのに。

 解決のできない事を考えれば考えるほど、僕は鬱屈とした気分になっていった。

 何か大切な事を忘れている気がしてならなかった。世界の根幹に関わる重要な何かを。

 その時、部屋の扉が開く音がした。


「キーホール、ジョン。仕事だ」


 ドクターの声だった。


「昨日からの積雪で、太陽光パネルがまずい。ロックが応急処置をしてくれているが、とにかく雪をどかさない限りには、危ない状況は変わらんという話だ。急ぎで悪いが、今からでも行けるか?」


 キーホールが立ち上がったようだった。


「ああ、わかった。けど俺一人で行くよ。ジョンの奴は体調が良くないみたいでよぉ」


 その言葉を聞いて僕はカッと頭が熱くなった。勝手に決めつけやがって。兄貴分を気取るキーホールの態度が気に入らなかった。


「……大丈夫だよ、僕も行く」


 体に巻き付けていたシーツを取り払い、壁にかけた防寒着を手に取った。

 すると、部屋の中の空気が急に冷たくなったように感じた。みんな、僕に対して良くない感情を抱いているのだ。

 僕はなるべく皆の目を見ないようにした。


「おい、ジョン。無理はするなよ。雪かきぐらい、俺一人でもなんとかなるんだぜ」


 その言葉にまたカッとなり、僕はキーホールを睨みつけた。


「一人でもなんとかなるって? そりゃあ、僕なんて初めからいらなかったってことか? ああ、そうだろうね。こんな何の取り柄もない、夢すら語れないヤツなんか、誰も必要だと思っていないんだ!」


 そうやって捲し立てると、目の前にいたキーホールがその黒い瞳で僕を見つめた。まるで僕も憐れむような、苛立つ目付きだった。


「……悪かったよ、ジョン。そんなつもりじゃなかったんだ。俺はただ、お前のことが心配で……」


 僕は鼻で笑った。


「心配? 良くいうよ。馬鹿にしているくせにさ。ジョンだなんて、まるで犬にでも呼びかけているみたいじゃないか。僕は……僕の本当の名前は……!」


 それは扉を隔てたすぐ向こうにあるはずだった。けれど、決定的に届かなかった。僕は、僕が何者であるか未だに決めきれていない。他のみんなには、それが出来ているのに。

 僕は下唇を噛み、キーホールの身体を押しのけてシェルターの出口へと走った。

 長靴を履き、スコップを掴んで外に出る。

 外は猛吹雪だったが、もう気にしてはいられなかった。

 もう、こんな所には居たくない。

 もう、こんな自分ではいたくない。

 正面から吹き付ける冷たい風から顔を庇いつつ、僕は発電施設のある方角へと歩いた。

 厳しい寒さに、徐々に手足が痺れてくる。身体が冷えて、震えが止まらなくなる。

 あと少し。もう少し。けれど、そこに辿り着いたところで何がある?

 そう考えた時だった。

 目の前に、黒い人影が見えた。

 それは、集落とは逆の方向に進んでいく。

 背負っている荷物は、大きな袋のようだ。

 僕はあの日聞いた言葉を思い出していた。

 ザントマン。袋を携えた妖精。

 それについて行った者は、ここからいなくなってしまう。

 気がつくと、僕は駆け出していた。

 スコップを放り投げ、腕を大きく振って、その影に追いつくように走った。


「た……頼む! 連れて行ってくれ!」


 ここからいなくなる? 

 結構じゃないか。

 僕はもう、ここではない何処かへ行ってしまいたい。

 あそこに戻るくらいなら、得体の知れない妖精にだって頼った方がマシだ。

 ひどい吹雪の中、僕はその影を追い続けた。二度と後ろを振り返る事は無かった。

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