戸塚警部と密室殺人事件

加藤ぶどう糖液糖

不可能犯罪はありえない 密室殺人事件の謎

 冬の満月の夜、戸塚警部は急ぎ足で住宅街を歩いていた。


 真冬の大寒波に、警部は元来の猫背をいっそう丸めて歩く。ボタンをきちんとしめても安物のコートでは、この寒さは如何ともし難く、針のような風に薄い裾が揺れた。警部は足を早める。人間、寒いときは自然と早足になってしまうものだが、しかし、今戸塚警部の足を早めさせる主な理由は別にあった。



 今日は彼の娘の十歳の誕生日だった。仕事に忙殺される日々。なかなか娘にかまってやれないことに若干の後ろめたさを感じていた警部は、今日くらいは時間を取ってやろう、と企んでいた。


 娘のプレゼントに、警部はちょっとしたぬいぐるみを用意している。奇を衒うのではなく、人気のある動物から選んだつもりだ。彼の娘は大の人形好きだった。


 今日の誕生日ケーキの後、プレゼントをどうやって劇的に渡してやるか。それを思案していると自然、警部の心は暖まってくる。



 家に着きさえすれば。戸塚警部は考えていた。家に着きさえすれば、今日の仕事とはおさらばだ。よしんば、松村のヤツが事件だと言って電話をかけてきたとしても知ったこっちゃない。電話に気づかなかったとでも言って無視してやろう。


 警部は無心で足を動かすことにした。あと3分で家に着く。


 夜の暗闇を照らすのは月光と街灯ばかりである。アメリカでは十一月の満月をビーバームーンと言う。留学時代に教わった雑学を三十年ぶりに思い出した。警部は家に向かってまた足を一歩進めた。


 その時。


 ポケットから大きな音が鳴った。警部にとって、死刑の宣告に近い意味を持つそれは無情にも鳴り続ける。まごうことなき携帯の着信音だった。たっぷり8コールやり過ごしたところでもうよんどころなくなって、とうとう警部は電話に出た。


「戸塚だ」


 電話の相手は液晶を見ずともわかっていた。


「警部、コロシです! コロシが起きました!」



 誕生会に間に合う可能性は限りなくゼロに近い。警部は足から力が抜けていくのを感じた。


 ところが。


 警部にとっては幸運なことがすぐに告げられ、落ち込んでいた気分はいくらか回復することになる。


 この電話の要件はあくまで情報共有のためだったらしい。特殊な事件故に一応連絡しただけです、と松村は言い、別に今から警察署に戻ってきてくれても構わないのですが、と笑いながら付け加えた。


 冗談じゃない。


 さわりを聞いたところ殺人事件の現場はかなり遠いらしく、すぐさま現地に赴くことは到底望めなかった。であるなら、明日にまわしても差し支えないだろう。警部は結論付けた。それに犯人も既に自首しているのだという。尚更明日に回してもいいだろう。警部は結論付けた。


 そこで、彼は素早く頭を回転させる。


 署にとんぼ返りする必要はないらしい。なら今晩の私事に立ちふさがる障壁はこの電話一本。迅速に、冷静に、明確に情報を共有し、そして切る。これが今日の最後の仕事だ。


「分かった。聞こう」

 警部は努めて平易な口調を心がけて、話を聞くことにした。


「ガイシャは毛利優作氏35歳です」


「毛利氏というと、毛利氏か」


「あの毛利氏です」


 小さな確認の後、警部は松村に続きを促した。内心、警部はひどく狼狽していたのだが、それをあらわにするほど、彼は無能ではなかった。淡々と対応する。


「あの警部。毛利氏をご存知なんですよね」


「ああ」


「では知っている前提で話しますよ」

 

 いいから早く始めてくれ。口から出かかる言葉を飲み込んで続きを促した。


「毛利氏は、アメリカの軍人四名と合同で、なんと言えばいいのでしょうか、ある種の任務に赴いていたわけです。自首してきたのが、その中のニール氏になります。この毛利氏、結構優秀な人だったらしいですね。任務地への移動は過酷なもので、アメリカを発ってからの道中の船では、皆ことごとく三半規管をやられて酔っちまったそうなんですが、この人だけは、ついぞ吐瀉することがなかった、と証言があります」


事件には関係のない話をダラダラと……。警部は内心毒づいた。


「そんなこんなでたどり着いた目的地。なんというか、まあ荒廃した土地だったそうですが、そこにある施設を作る任務だったそうで」


「煮えきらんな。どうしてそう持って回った言い方をする」


「アメリカの軍事秘密にも関わってきますから、正確なことがはっきりしないこともありまして……」


「わかったわかった。今の調子でいいよ」


 面倒くさいなと思いながら、足だけは動かす。


「はい。で、その任務中に事件が起きたようです。施設を作るために、まずは簡易式のプレハブ小屋を作る予定だったそうです。それで薄い大きな板を四枚、こう地中にですね、鉛直に突き刺すわけです。各辺がピッタリとくっつくように。そうして四方を五メートルもの高さの板で囲んだら、毛利氏が内側から板の一部を切り抜く仕事をする予定でした。実際簡易プレハブを作るまでは順調だったのですが、そこで事件が起きたわけです」


 人が死ぬのはあまり良い気のしないものである。思わず天を仰いだ。街灯と月明かりが、目に染みた。


「この、四方を5メートルの壁に囲まれた内側から、よし板をくり抜くかと毛利氏が機械を取ろうとした瞬間、何者かに背中を刺されたのです。

 毛利氏は死亡。結局、現場から少し離れた船で、刃渡り八センチほどのナイフを持っているニール氏を、その他の、船で待機していた人々が発見。理由を問われたニール氏は、毛利氏を殺すためにナイフを用いたと自供。すぐに警察に連絡が行って、今に至るというわけです」


「そうか……」


 ビーバームーンは綺麗だった。無駄に情感のこもった松村の声音を聞きながら、月光を浴びていると、ガラにもなく感傷的な気分になってきたりもして警部は悲しくなった。が。


「それで」


「は、それでと言いますと」


「だから、殺害現場と殺害状況についてもう少し詳しく補足できんのか!」


 感慨などどうでもいい。個人的な事情で、速やかに電話を切りたい警部には電話越しに情感を込める松村の気持ちなど、知ったことではなかった。


「ひっ。わ、わかりました。殺害現場ですね、繰り返しますが殺害現場は簡易プレハブの中、四方を五メートルの板で囲まれた中です。毛利氏は板をくり抜く作業の直前に死んでいますから、この板はです。つまり、一切の瑕疵はなく、表面はつるつるでした」


 次第に松村の声に熱がこもってくる。


「ええ。もちろん、死亡推定時刻はばっちりその時間で合っています。もともとニール氏と毛利氏の二人で、この板をくり抜く作業をする予定だったそうでニール氏は外から毛利氏は中からくり抜く予定だった。四方に板を配置してから、くり抜くまでの一瞬で殺されたわけです。そこで――」


 以下、松村の詳細な説明が続く。やれ、地面は細かい砂は多いが穴をほった形跡はなかっただの。やれ、板を外してつけ直すことは絶対にできなかっただの。


 細かく言えと言ったら、どうでもいいことまで説明する。実に無能である。





【四方をそれぞれ5メートルの高さの板4枚に完全に囲まれており、かつ地下を掘った形跡もなく、おまけに板に何か引っ掛けることは不可能であり、上の吹き抜部分で板を超えるためのいかなる道具も用いた形跡がない。もちろん、板を一度外してつけ直すことは不可能だった。】






 楽しそうに事件の詳細を語る松村に「密室殺人に憧れて警官を目指したんです」と彼が以前語っていたのを思い出し、なるほど、要素を取り出してある種の見方をしてみると、たしかに密室殺人のようだと戸塚警部は納得した。


「了解。事件のあらましは飲み込んだ。これ以上詳細な話は明日でいいだろう。そろそろ切らせてくれないか。まだ言うことがあるなら別だが……」


「ああ、いい忘れていました。最後に、一応死因を――」


「言わなくてもいい、わかっとる」


 家の玄関に着いた。扉の隙間から漏れる暖色の明かりに目を落としながら、警部は電話の切りどきを探る。情報は十分共有できた。念の為に死因だけ確認すればもう話はないだろう。松村が言おうとするのを警部は遮り、そして死因を口にした。刃渡り8センチのナイフを後ろから突き刺されたのだ。死因はわかりきっていた。


だな?」


 松村が答える。


「ええ、死因はです」


 確認を終えると警部は電話を切った。










〈読者への挑戦〉

 犯人はニール氏です。

 どうやって殺したでしょうか?


↓ 以下解答篇






























〈解答編〉

 ❶この事件は密室殺人事件ではない。

 作中登場人物は誰もこの事件が密室殺人だとも不可能犯罪だとも発言していない。タイトルで密室殺人という言葉を使っているが、キャッチコピーでは示唆的な表現がされている。そもそも小説のタイトルは、作品内容と全く関係のない言葉が連ねられるケースというのがままある。加えてカクヨムのプラットフォームは、キャッチコピーがタイトルよりも目立つという特質があることを考慮すると、ますますアンフェアには当たらないと判断できる。


 ❷この事件の舞台は月面である。

 船 宇宙船

 酔い 宇宙酔い

 任務 月面探査

 地面の細かい砂 月の砂レゴリス

 服 宇宙服

 

 警部の月を仰ぎ見る仕草、毛利氏、ニール氏などの示唆的な登場人物名。


 ❸殺害方法は以下の通り。

 ナイフを持ってニール氏はジャンプで板を飛び越える。月の重力は六分の一。作業中で背後を見せていた毛利氏の背中を宇宙服ごと刺す。酸素ボンベが破裂し、窒息死。ジャンプで板を飛び越え、囲いの外に出る。状況的に言い逃れできず、自首。


 以上。











〈おまけ〉

 戸塚家の家族が就寝した後、戸塚警部の一人娘、戸塚梨花の部屋には彼の父親からのプレゼントが飾られていた。彼女は父親からのプレゼントを大変気に入り、部屋の中で最も目立つ場所である窓辺に置いた。

 窓辺。

 そこには窓越しに射す月光に白く照らされる、小さな兎のぬいぐるみがあった。

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