最終話 琥珀色の誓い


 追想にふけっていると、遠くから男の声が聞こえ、黄色のパラソルを振りながら駆け寄ってきた。

 

「おーい。ゆり子、俺だよ」


 私には、相手が誰だかすぐに分かった。そのパラソルは文学館で亮太に初めて会った際に貸したものだったからだ。彼は十年前の思い出の品を捨てていなかった。


 浮気を疑った自分の愚かさに、もう私は恥ずかしくなり、申し訳なくて彼に合わせる顔がなかった。思わず涙が溢れてきた。


「本当におっちょこちょいだな……。実家にも連絡しないでどこにいたんだ。ご両親も心配してたよ。一緒に帰ろう」


 亮太はそう言いながら、怒るでもなく私の頭を優しく撫でてくれた。私は言葉に詰まった。「ごめんなさい」と首を垂れてから、偽りない気持ちを包み隠さず伝えた。彼はすべてを許してくれた。


 私は彼と手を取り合い、温かい気持ちとなり、先ほど立ち寄った蒸留所に向かう雪の道を歩き始めた。


「ゆり子、琥珀色の世界を見せてあげよう」


「でも、さっき入れないって、書いてあったの」


「大丈夫だよ。ここは僕の故郷だ。カップルなら入れるから」


 彼はウイスキー作りの百年の歴史を、私たちの未来に重ねるように語ってくれた。彼のおかげで、蒸留所見学の夢が思う存分に叶えられた。

 テイスティングバーに案内されて、混ざりけのないシングルモルトの酒でもてなしてくれた。海の爽やかな香りと奥ふかい味覚が漂い、酔いしれてしまった。


 亮太は、その琥珀色に昔を思い出したのだろうか……。ウイスキーグラスに鼻を近づけて、財布から大切そうに一枚の紙を取り出した。それは、かつて私が文学館で読んだ本の感想を書いた栞だった。彼はずっとその思い出を捨てずに取っておいてくれたのだ。


「故郷は遠くにありて想うもの。思い出のアルバムは心を濡らすもの」


 私はその言葉を耳にして、恥ずかしくなった。


「ゆり子、これだけは賛成できなかったよ。故郷は僕たちの愛と同じように大切なものだからね。ふたりの百年の恋が永遠に冷めないように、早く乾杯しようよ」


 亮太がそう言ってくれた。それは、プロポーズの言葉だろうか。彼の笑顔とささやきが何よりの幸せに思えて、私は至福の喜びに包まれた。



 *


 その日、私たちは小樽港から愛の航海に出た。亮太が用意したスイートルームからは、夢のような景色が広がっていた。


 青い海は夕日に照らされて、まるで黄金色の絨毯のように輝いていた。遠くには、パゴダ屋根とキルン塔がそびえ立ち、鰊御殿やトリコロールの灯台が静かに時を刻んでいた。


 私たちの旅路を、二羽のウミネコが優雅に舞いながら見守ってくれていた。彼らはふたりの永遠の愛を祝福するかのように、優しく羽ばたいていた。


 月明かりが海を照らし、母さんの笑顔が月に映り、亮太はその光景を見つめ、私の手を握り、言葉を紡いだ。


「ゆり子、僕と結婚してくれ。ふたりで幸せになろう」


 亮太の求婚に心が躍った。彼の眼差しは真剣そのもので、私に向けられた温かな微笑みが愛の深さを物語っていた。私は涙が溢れてきた。彼の言葉に心から感動して頷いた。


「これからはずっと一緒にいよう」


 そんな亮太からのプロポーズ。月明かりの下、私たちの愛が誓われる瞬間が、静かに時を刻んでいた。私の心には、変わらぬ愛のあかしとして、この言葉が光り輝いていた。亮太の優しさが、指輪以上の幸せを私に与えてくれた。



 ――〈 完 〉――



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恋する小樽、夢見る東京「葉月の恋物語」 神崎 小太郎 @yoshi1449

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