4.貴方の声で呼んで欲しいフルネーム

「一昨日。始業式と実力テストがあった日の放課後。幼稚園の頃からずっと同じ組だってのに、お前と二人きりになったのはあの日が初めてだった」


 確かに、言われてみればそうだったかもしれない。

 ド緊張状態だったから気づく余裕がなくて、今更気づいた。

 いつも友達やクラスメイトが一緒にいてその中でお喋りしてたけど、あの日は初めて二人きりで喋った。


「二人きり。邪魔する者は誰もいない。告白する絶好のチャンスだ。必ず成功する。なぜか強くそう思った。……でも、俺の予感は大外れ。音楽室前の廊下で告白してる途中で、急にいろが俺を怯えた目で見上げてきたから、これは無理そうだと思っていたら、本当に無理だった。化け物から逃げるみてぇに全速力で、お前は俺から逃げてった」

「嘘でしょ……」

 考えるより先に言葉が口を突いて出た。

「嘘って何がだ?」

「おれ。ずっと。おまえ。ってあれ、私に告白しようとしてたの?」

「ああ。お前は何しようとしてるって勘違いしたんだ?」

 分かるわけがない。

「いや、何しようとしてるのか全然分かんなかった……。いつもと喋り方が違ったから怖くなって逃げ出しちゃったの。腕振り払ったことも含めて、ほんとにごめんね」

「……人に告白するの生まれて初めてだったし、相手がお前だったから尚更緊張して、気づいたら片言になってた……。いいよ。拙い告白で怖がらせたうえに、腕を掴んでさらに怖がらせた俺が悪い。逃げて当然だ。本当にごめんな」

「ううん……」

「初めての告白が大失敗に終わって酷く落ち込んだし、俺は直接告白することが怖くなったんだ……。それでも。何とか気持ちを伝える方がないかって考えた時に、突発的に思いついたのが。苗字を書き換えるっていうあの行動だ。……けど、大胆で揶揄ってるって誤解されかねない回りくどい真似は、もう二度としない。俺は……。ずっと前からお前のことが好きなんだ。俺と、結婚を前提に付き合ってください」


 私が歩道橋にもたれかかるようにして立つと、も、私の左隣に同じようにして立った。

 私の耳の奥で、蝉やコオロギたちが鳴いている。

 この耳鳴りも、心臓の音も、しばらくは鳴り止んでくれそうにない。


「ごめん。返事はちょっと待って」

「ああ、急かすつもりは毛頭ねえ」

「……人気者の琥央が私のことが好きなんて信じられない」

「人見知りの俺を人気者にしてくれたのはお前なんだぞ」

「えっ……。そうなの?」


 マジかよ、と琥央は苦笑した。


「覚えてねぇのか? 幼稚園に入ったばっかの時、ぼっちだった俺に積極的に話しかけてくれたから。俺とお前が喋ってるのを見た他の人が、危険人物じゃないんだって安心して話しかけてくれるようになって、みんなと友達になれた……。俺が今も変わらず友達に囲まれてんのは、お前のお陰だ」


 私の隣で、幸せそうに、懐かしそうに琥央が笑う。


「あくまできっかけに過ぎないよ。話しかけて、危険人物だったら離れていくもん。話していくうちに琥央が優しいことにみんな気づいて、心から友達になりたいって思ったから、友達になってくれただけで。私は何もしてないよ」

「……俺が好きになったきっかけなんだけどなぁ、今話した出来事は。お前は何で好きになってくれたんだ? 俺、いいとこねぇのに」

「優しいところがいいところだよ。自分が優しいってことに気づいてないところも含めて、ね。こけた時やお腹が痛い時におんぶして保健室に連れて行ってくれたり、私はいつも琥央に助けられてきた。好きになるのは必然だった……。

 それにね。家にボーダーコリーのバスタオルがあるんだけど。それね、琥央のお父さんが私の出産祝いとしてプレゼントしてくれたものなんだって。その衝撃的な事実をお父さんに聞いた九歳の頃から、私は琥央のことを運命の人だと信じて疑ってない。もちろん今も」

「お前のことを好きになってから、結婚するとしたらお前以外あり得ないと思ってたけど。今のバスタオルの話聞いて、運命の人だって確信した……」

「ホント? 嬉しい。……あのね、私もずっと前から大好きだよ。でも。もし、大宮おおみやになっても、私の新嶋にいじまっていう旧姓を忘れないで欲しい、かな」

「ああ、約束する」


 嘘偽りのない言葉。琥央の今の顔と、バスタオルに描かれているボーダーコリー(ブラック&ホワイト)の凛々しい顔立ちと穏やかな眼差しが、重なって見えた。


「どっちのフルネームも絶対に忘れない」

「じゃあさ、時々でいいから呼んでよ。新嶋色珀。大宮色珀って。私、琥央の声が琥央と同じぐらい大好きなんだ。だから琥央の声で呼んで欲しい」

「顔が勝手にニヤけるぐらい嬉しいけど、俺の声ってどんなだ?」

「……えっ?」

「俺は俺の声、あんま好きじゃないから」

「そうなの? ……いつか、好きになって欲しいな。琥央の声はね……。今こうして琥央の声が聴けるなら、今日も生きててよかったって。よし。明日も琥央の声を聴くために生きよう。ってそう思わせてくれるような、生きる希望を与えてくれる声だよ」


 だからこそ、貴方の声で呼んで欲しい。貴方のお陰で、今まで生きてこれたから。

 オレンジ色に染まった積乱雲は発達していて厚く立体的で迫力があった。歩道橋の上にいる私たちを見下ろしている。

 何だか、おめでとうと祝福してくれているようだ。そんなふうに感じたのは、浮かれている何よりの証拠かもしれないな、と私は思った。

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貴方の声で呼んで欲しいフルネーム 虎島沙風(とらじまさふう) @hikari153

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