2
「お兄ちゃん!」
放課後、家に帰ってすぐ。
私はお兄ちゃんの部屋に向かった。
昨日ボロボロになって帰ってきたお兄ちゃんは、そのケガがたたってか、体調を崩して今日は高校を休んでいた。
私が部屋の扉を開くと、ベッドに腰掛けていたお兄ちゃんは、ゆっくりと私の方を向いた。
昨日と比べて、顔の腫れは幾分か引いているようだった。
「なんだ、祢巻。どうした」
「昨日お兄ちゃん、ケンカしたんだって」
お兄ちゃんの肩がビクリと震えた。
「……どうしてそれを?」
「クラスメイトの女子が教えてくれた」
「名前を覚えてやれよ」
お兄ちゃんはおかしそうに笑う。
「いいよ、だって話すことほとんどないし」
「そうは言ってもクラスメイトだろ」
「お兄ちゃんはクラスメイトの名前覚えてるの?」
「覚えてるよ。僕をなんだと思ってるんだよ」
「ブツブツ男」
お兄ちゃんは私の目を見た。ああ、そこまで話が広がってるんだ。と言いたげな目だった。
「昨日、お兄ちゃんケンカして負けたって、クラスメイトの女子が言ってたよ。私の兄貴がボコボコにしてやったんだって自慢しに来た」
「なんだその自慢。私の兄貴ってことは、じゃあ
「そんなことはどうでもいい!」
私は思わず叫んだ。
「なんでケンカなんかしたの? そんな大ケガまでして! 勝てもしないのに!」
「勝ったらケンカしてもいいのか?」
「良くない!」
あはは。とお兄ちゃんはカラ笑いをした。
「いや、ごめんごめん。もう二度とケンカなんかしないよ」
それに。とお兄ちゃんは机の方を向いた。
なんだろうかと思って私も視線の先を見る。
そこには、パソコンが1台置いてあった。
ノートパソコンと、細長いマイクがひとつ。
「人と関わることもあんまり無くなる。そんなことより、面白そうなものを見つけたんだ」
「なに、お兄ちゃんパソコンオタクになるの? 秋葉原になるの?」
「それもそれでいいかもなあ」
お兄ちゃんはケラケラと笑う。
心配して損した。
私は大仰にため息をついて、部屋をあとにしようとした。
「あ、そうだ祢巻」
その直前に、お兄ちゃんが声をかけてきた。
「なに?」
「猫、元気そうだった?」
猫。というのは、多分私が学校の帰り道に構っている地域猫のことだろう。
「うん、元気だったよ。いつも通り。それがどうかした?」
「それなら良かった」
「変なの」
***
お兄ちゃんの言うとおり、それからというもの、お兄ちゃんがケンカしたという話は二度と聞くことはなかった。
そもそもお兄ちゃんはそんなケンカっ早い人では無かったから、あんなことが起きたのは後にも先にも、あれ一度ぐらいだった。
もうひとつ変わったことがあった。お兄ちゃんのブツブツ呟く癖がなくなったのだ。
まるで憑きものが落ちたみたいに。あるいはなにか他にぶつけれるものが産まれたかのように、なんにも呟かなくなった。
するとどうだろう。お兄ちゃんを不気味がる人はほとんどいなくなり、むしろ、人気者の一角にすらなっていた。
そりゃあお兄ちゃんは元々顔はカッコいい方だったし、性格も別に悪いって方じゃない。その全ての要素を『ずっとボソボソと呟いている』という気持ち悪さが塗りつぶしていただけで、それが無くなってしまえば、人気者になってもおかしくはないかもしれない。しれないけど……。
「なんか納得いかなーい!」
「あはは……」
半年前のケンカ騒動の時が嘘みたいな状況に、私が頭を抱えていると、友達の
「いいじゃん、自分のお兄ちゃんが人気者って。なんでそれで頭を抱えるの?」
「今までと違いすぎるからだよ。ずっと気持ち悪がられてたのに、すぐに人気者って。私の頭がおかしくなったのかなって思っちゃうよ」
そもそもさあ。と私は悠に言う。
「ボソボソ呟いてるのが無くなっただけで人気者になるって、それはそれでおかしくない? マイナスが消えただけでプラスがないじゃん!」
「あれ、花巣知らないの?」
「知らないのって?」
悠はポケットからスマホを取りだすと、なにかを検索するように指を動かした。
「あった。これこれ」
スマホの画面を向けてくる。覗いてみると、そこにはこう書いてあった。
『ハレギのハレラジオ』
「晴宜って……お兄ちゃん!?」
「そうそう。花巣のお兄ちゃんがやってるwebラジオなんだけどさ。結構人気なんだよ」
お兄ちゃんが人気!?
到底信じられない言葉に、私はしばし混乱した。
しかし、考えてみると、壁に向かって独り言をブツブツと呟くのが悪癖だったお兄ちゃんにとって、ラジオという媒体はすごく見合っているのかもしれなかった。
「へ、へえ……そうなんだ。私、そういうのあんまり詳しくなくって」
「えー。もったいない」
「も、もったいない?」
「だってそうじゃん。花巣って今、人気者の妹っていう看板を手に入れてるんだよ。言うなれば、『私の彼氏人気歌い手なんだよね~』みたいな状況なんだよ。それなのに、お兄ちゃんの配信見たことないなんて」
「その『私の彼氏人気歌い手なんだよね~』が一番よく分からないんだけど」
悠は私に顔を近づけると、教室の反対側の方を指さした。
そこにはクラスメイトの女子――居傘がいた。
居傘はどこか少し居心地が悪そうにしていたが、私と悠の視線に気がつくと、取り巻きを連れて教室の外に出て行った。
「あの一番にならないと気が済まないような居傘が萎縮しちゃうぐらいには、今の花巣のお兄ちゃんって、人気者なんだよ」
「へえ……」
あのお兄ちゃんがね……。
***
放課後になった。
どうやらお兄ちゃんがwebラジオで人気者になってるらしい。ということを知った私は、帰路をとことこ歩きながら、お兄ちゃんのwebラジオとやらを聞いてみることにした。
「よお。というわけで、今日もハレラジオやっていくわけなんだけどさ。その前にまず話したいことがあってさ。今日はなんと、このハレラジオを始めてちょうど半年なんだ。このラジオを始めたきっかけはさ。妹にケンカしたのを怒られちゃったからなんだよ。僕は昔からひとりでブツブツ呟くのが好きなんだけど、その日さ――」
誰かが私の頭に袋を被せた。
***
袋を被せられてどこかに運ばれた私は、もう一度袋を外された時には見知らぬ部屋に閉じ込められていた。
「ごめんな、きみみたいな小さな子をいじめるつもりはないんだけど」
目の前には知らない男がいた。大学生だろうか。大人ではなさそうだ。
男はにこりと笑いながら、私の頭を撫でている。
思ったよりも、優しい手だった。もしかしたら、妹か弟がいるのかもしれない。
「半年前さ、きみのお兄ちゃんとケンカしちゃってさ。仲直りがしたいんだよ。俺」
「……仲直りしたいのなら、私をさらわなくても良くないですか?」
「良くない良くない。全然良くない」
男は
「だって俺はきみのお兄ちゃんにイヤな気持ちになってほしいんだもん」
「イヤな気持ち?」
「その通り」
私が尋ねると、男は満足げに頷いた。
「あいつさ、俺より立場下のくせにさ、俺より人気者みたいな面してさ。良くないよね、そういうの」
男は地面を指でつんつんと叩く。
「だから立場を理解してもらおうと思ってさ。俺が上で、あいつが下。きみのお兄ちゃんが自分の立場を理解してくれたら、俺たちはきっと仲直りできると思うんだよね」
満面の笑み。私はようやくここで、男が一体何者なのか分かった。
「あなた、居傘さん?」
「ん。俺のこと知ってるんだ」
「お兄ちゃんのこと、ボコボコにしたやつでしょ」
「お。よく覚えてるね。そうだよ。半年前、きみのお兄ちゃんをボコボコにした奴」
「私、ずっと聞いてみたかったんだ。お兄ちゃんがなんでそんなことしたんだろうって」
「お兄ちゃんが……?」
居傘は首を傾げた。
「おかしいな。まるでお兄ちゃんが俺をボコボコにしたみたいじゃないか」
「そうじゃないの?」
私も首を傾げる。居傘は右に。私は左に。
「お兄ちゃんもボコボコにされたけど、居傘さんもボコボコにされた。そうじゃなかったら、私をわざわざ攫ったりしないでしょ。一方的にボコボコにできるだけの実力差があるなら」
頬に痛みがはしった。居傘が私の頬を叩いたのだ。
「ちびっ子が知ったかぶって喋ってるとケガするよ。これはね、お兄ちゃんと俺の話なんだから」
居傘はくるりと踵を返した。最後に見た顔は怒っていた。図星だったのだろう。
それからどれだけ時間が経っただろうか。
私がいる部屋には窓がない。だから時間感覚というのが分からないままだった。
とにかく叩かれた頬が痛かった。寂しかった。
どうして私がこんな目にあってるのか、意味が分からなかった。
なんでケンカなんてしてるんだよ。いつの時代なんだよ。
かわいい妹がこんな酷い目にあって、お兄ちゃんは良いと思ってるの?
そんな愚痴ばっかりが漏れていく。
「……………………ん?」
そこでふと、気づいた。
私の愚痴が脳の中で巡り巡っているのだと思っていたのだけど、違う。
この声は、私の脳内音声ではなくて、お兄ちゃんのブツブツ声だった。
「そもそも僕はお前とケンカなんかしたくなかった。ケンカ自体したくなかった。僕は普通に買い物に行ってただけなんだ。ノートパソコンを。それなのに、道中でお前が猫をいじめてるのを見つけて。あの猫は祢巻が構ってる猫なんだ。そんな猫をいじめるなんて許せねえだろう。お前だって妹いるだろ。妹が泣いたらツラいだろ。僕は妹を泣かせたくなくてお前をボコボコにしたのに、結局僕もボコボコになったから妹に怒られたんだぞ。だから僕は二度とケンカなんてしないって決めたのに。妹を泣かせたくないから。それなのにお前がケンカを売ってきた。妹を泣かせて。それが僕には本当に理解できない。理解できないしムカつくし腹立たしいしだからこうして最後にもう一回ケンカを買ったわけなんだけど」
部屋の扉を開く音。
居傘がバランスを崩して床に伏せた。
顔は半年前のお兄ちゃんみたいにボコボコになっていた。
続いて、お兄ちゃんが部屋に入ってきた。
お兄ちゃんの顔は、すごく、心配そうだった。
「お、おにい――!」
頬を叩かれた時の痛みがはしって、言葉が途中で途切れてしまった。
「あは」
と、お兄ちゃんは笑った。
「良かった。無事で。いや、無事じゃないな。頬が赤いのは許せねえな。ちょっと待ってろ。あいつの頬を紫色にしてくるから」
「しなくていいから」
「本当に?」
「本当に」
「じゃあいいか」
「お兄ちゃん、どうしてここが分かったの?」
「知ってるか祢巻。神心会門下は日本全土に100万人いて、潜伏している死刑囚だって見つけ出せるんだぜ」
「…………?」
「刃牙読んでなかったかあ。つまり人海戦術だよ。僕のラジオを聞いてくれてた視聴者に、妹の居場所を聞いたんだ。そしたら、ここに連れ去られたのを見かけたって人がいてね」
どうだい。僕も人気者になったものだろう? とお兄ちゃんは笑って、私を背負ってくれた。
私の脚が震えで動けなくなってることに気づいたみたいだった。
私はお兄ちゃんの背中に体を預ける。
「ありがとう、お兄ちゃん。今ならなんでも言うこと聞いちゃいそう」
「じゃあさっきの『おにい』って呼び方、もう一度してくれない? あれすごく……良かった」
「気持ち悪いよお兄ちゃん……」
***
それから私たちは一度引越しをした。
二度目の土地で兄妹仲良く再スタート。ということになるのかな。と思ったんだけど、おにいが大学受験を機に一人暮らしを始めちゃったから、再スタートって感じにはならなかった。
また私たち兄妹が一つ屋根の下に集まるのは、私が高校受験をして、合格して、おにいが一人暮らしを辞めて引きこもりニート無職になってからだ。
おにいがやっていたwebラジオは一度目の引越し時点でもう辞めていた。
でもあのwebラジオがあったおかげで私はこうしておにいと話せているわけだし、なにより、おにいに配信っていう媒体はすごく似合うような気がした。なにしろ、1人でずっとブツブツ喋り続けれるんだから。
私もおにいみたいに配信をやってみているけど、まだうまくいっていない。おにいみたいな人気者にはなれていない。
おにいと一緒にやったら、きっと楽しいんだろうな。
そう思った私は、おにいをハメることにした。
まずはおにいが部屋にやってくるタイミングを見計らって。そして、マイクの集音能力を最大にして……。
【Vlog】配信中にマイクを切り忘れた妹に巻きこまれてVTuberをやることになった僕は、彼女を人気配信者に仕立てあげることにした 空伏空人 @karabushi
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