#サブチャンネル
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ここで急に申し訳ないけれども。
私とおにいについてのお話をしようかなと思う。
VTuber活動をする以前の私とおにいについてだ。
おにいなら、きっとこんなことを言うだろう。
この活動日誌のような小説は、VTuberを楽しんでほしいというよりは、僕ら兄妹の活動を楽しんでほしいと思っている。だから、僕らについて話すときがきたのだ。とか、そんな感じ。
対して私はこう言いだすことにしよう。
VTuber活動をする前の私たち。つまりVTuberではない私たちを知ったところで、それは『寝戸よるるとおにい』を知ることにはならない。だって、そうだろう。私たちはVTuberなんだ。前世の話を。来世の話を。するものではない。でも、私は今から以前の話をする。だからこれは『寝戸よるるとおにい』は全く関係ない話。『花巣兄妹』の話だ。
***
お兄ちゃんには気持ち悪い癖があった。
それは、ブツブツと誰も聞き取れないような声量で独り言を繰り返すことだ。
朝起きて階段を降りてくるとき。
朝食のご飯を食べながらニュースを見ているとき。
学校に向かうとき。
帰ってくるとき。
夕ご飯を食べているとき。
お風呂に入っているとき。
寝る前に自分の部屋で。
ずっとブツブツブツブツなにかを話している。
耳を澄まして、なにを話しているのか聞いてみたことがある。
「つまるところ納豆というのは大豆を発酵させたものなのだろう。チーズも牛乳を発酵させたもので、なんかどっちも倉庫に置き忘れてたらなんか美味いものができたって感じがするよな。そういえばこち亀に4年に一度だけ登場するキャラがいるだろ。なんだっけ、そうそう、
とにかくなにかについて誰かと話しているようにも思えたが、お兄ちゃんの目線の先にあるのは、テーブルであり、朝ご飯であり、白米であり、卵焼きであり、少なくとも、納豆はなかったし、話し相手なんかいなかった。
お兄ちゃんはひたすらに壁と話す人だったのだ。
それがあまりにも不気味で、私はお兄ちゃんと一緒の部屋で寝るのがイヤだと言って、部屋を分けてもらったりもした。二段ベッドの上からずっとブツブツ誰かと話している声が聞こえてくる身にもなってほしかった。
そんなものだから、お兄ちゃんには友達らしい友達がひとりもいなかった。
宇宙人と会話してるヤバい奴、それが中学時点でのお兄ちゃんの評価だった。
しかし、お兄ちゃんはまるでそのことを気にしておらず、あいも変わらず、ずっとブツブツ呟き続けていた。
両親もさすがに不安になったのか、高校入学する前に病院に連れて行ったことがあった。
しかし結果はオール問題なし。
その時の主治医にお兄ちゃんが言った言葉は次の通りだった。
「僕はただ、喋るのが好きなんです。でも、会話がしたいわけではないんです。僕は僕の喋りが好きなのであって、誰かと会話して理解し合うことが好きなわけではないんです。だって会話ってあれじゃないですか。人と喋るタイミングを見計らって、相手が好きそうなものをセレクトして、嫌いそうなものを排除して、色々考えないといけないじゃあないですか。僕はそれが面倒でおっくうで。僕が好きに喋るから、お前らが好きに聞けよって思うんです。嫌いだなって思ったらチャンネルを変えてくれって。僕はいつだってそう思います。だから僕は、先生みたいにじっと話を聞いてくれる人の方が好きです。ここなら毎日通ってもいいかもしれません」
「つまるところ、ただの話したがりです。将来噺家を目指してみるのもいいかもしれませんよ」
その言葉に安心したのか。両親はお兄ちゃんのブツブツ喋り癖を不安がることはなくなった。
でも私はずっと不安だった。だってブツブツ喋り続けてるんだよ。ガハガハ喋ってる方がまだ数倍マシだよ。
それに、将来噺家を目指してみては? って結構適当な意見じゃあない?
探偵に「推理が面白いから小説家になってはどうですか?」って言いだす犯人みたい。小説家も噺家も普通に生きてたらならない職業だよ。だから私は、お兄ちゃんが遠回しに『普通に生きられないと思いますよ』と言われているような気がした。
それがとてもイヤだったし、普通じゃないお兄ちゃんがいることもイヤだった。
お兄ちゃんがブツブツなのが、私はイヤイヤだった。
そんな普通じゃないお兄ちゃんが、普通じゃないことがバレはじめたのが、高校に入学してからだった。
***
夕方。
家でのんびり本を読んでいると、外からお兄ちゃんのブツブツという独り言が聞こえてきた。学校から帰ってきたのだ。
お兄ちゃんのブツブツはそんなに声が大きいわけではないんだけど、もう聞き慣れてしまって、耳が聞き取れるようになってしまった。
なんていうんだろう。一度気になってしまったらどんな小さな音も気になってしまうあれだ。時計の進む音。水滴が落ちる音。ハムスターが歩く音。
そういうのに、お兄ちゃんのブツブツが入ってしまったのだ。
扉を開いた音。
「遅かったね、晴宜――」
玄関の方にたまたまいたお母さんがお兄ちゃんに声をかけている。その直後、悲鳴が聞こえてきた。
「どうしたの、お母さん!」
私は読んでいた本を放り投げて、玄関に向かった。
お兄ちゃんは玄関に立っていた。
学校帰りだから当然、学生服を着ている。
しかし、その服はズタズタに切り裂かれていた。
上着だけではない。ズボンも靴もバッグもなにもかもズタズタになっていた。
ナイフかなにかで切り裂いたのではなく、力任せに引っ張ったからだろうか。切り跡には服の繊維が垂れていた。
お兄ちゃんの顔を見る。
顔は更に酷かった。朝、学校に行く前のお兄ちゃんの顔から数倍に膨らんでいた。
さながらアンパンマンみたいに両頬が膨らんでいて、唇が割れている。
まぶたが切れていた。そこから血が垂れて左目の中に染みていた。
つまるところ、お兄ちゃんはボコボコにされていたのだった。
「晴宜、なにがあったの!? そんな大ケガして!」
お母さんがお兄ちゃんの肩を掴みながら尋ねる。声は上擦っていた。
お兄ちゃんはブツブツと答えた。いつもと違って、口が動かないから、ブツブツとなっているだけかもしれないけど。
「なんでもない」
「なんでもないって、そんなわけないでしょ。そんなボロボロになって」
「本当に、なんでもないよ。そこの溝に足を滑らせて落ちただけだって」
お兄ちゃんはお母さんを押しのけて、自分の部屋へと歩いていった。
足は片方引きずりながら歩いていた。
***
「ねえ、花巣。あのブツブツ男って、花巣のお兄ちゃん?」
お兄ちゃんがボロボロになって帰ってきた1週間後。
教室で友達と話していると、クラスメイトが声をかけてきた。
話したことのないクラスメイト。
自分が一番じゃないと気が済まなさそうな雰囲気があって、私はどうも苦手だった。
「ブツブツ男って?」
なんとなく察しはついたけれども、一応尋ねておく。
クラスメイトはふふん、と鼻を鳴らした。
「恥ずかしいからって隠さなくてもいいのに。毎日ブツブツ呟きながらうろついてる不審者、あれって花巣のお兄ちゃんでしょ?」
「そうだよ」
頷いてみせると、途端にクラスが静かになった。
クラスメイトたちの反応は露骨だった。
というか、お兄ちゃんの噂、中学校にまで広がってるんだ……。
「それがどうかした? お兄ちゃんがなにかしたの?」
私は冷静を装いながら、聞き返してみる。
クラスメイトの女子は、やはりふふん。と鼻を鳴らしてからこう言うのだった。
「あんたのお兄ちゃん、昨日ボコボコになって帰ってこなかった?」
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