トンネルの菊子さん
高巻 渦
トンネルの菊子さん
私の高校に、知らない者はいない怪談がある。
その名も、トンネルの菊子さん。
ありきたりな呼称だけど、学校の怪談なのに場所がトンネルってところは、割と斬新だと思う。
その噂の場所は、学校の裏門を出た先にある。
公道と面している正門とは裏腹に、鬱蒼とした木々が太陽の光を遮っていて、昼でも薄暗い。整備もろくにされていない道をしばらく進んだところに、狭くて短い、小さなトンネルがある。
そのトンネルの真ん中で、夜中の三時に「菊子さん」と三回言うと、恐ろしい事が起きると言われている。
「トンネルの菊子さん」の概要はこんな感じだ。
誰がいつ、何のために流した噂かは知らないが、学校という閉鎖的な空間での集団心理は凄まじく、トンネルはおろか裏門にすら畏怖して近寄らない生徒も多い。怖がりな私自身、その例外ではなかった。
そんな私が、なぜ深夜の二時に、親が寝静まったのを見計らって、件のトンネルへ向かっているのか。
それは私が転校生であり、イジメの標的になってしまったからだ。
私の名前は
私は自分の苗字が嫌いだ。転校前も、転校してからも、この苗字のおかげで、精神年齢の幼いアホにからかわれてきた。
そして今日も、クラスで一番嫌な奴の加藤に、こう言われたのだ。
「おいゴミ、今夜菊子さんのとこ行ってきたら、これからは薫って呼んでやるよ」
私はこんな奴に下の名前で呼ばれたくもないのに、上から目線の物言いに腹が立った。私がゴミならお前は下等だクソが。そんなことを考えながら無視を決め込んだが、彼は「五味が今夜菊子さんのトンネルへ行く」と触れ回ったため、昼休みにはクラス中が大騒ぎだった。
普段仲良くしている女子でさえも「薫、今夜あそこ行くんでしょ? 気をつけてね」などと話しかけてきた。
同情のこもった目の中に、はっきりと期待の色が見えた。誰も私に「あんな奴の言うことなんて気にしないで、行かなくてもいいよ」とは言わなかった。
ホームルームが終わった後、私は加藤の「ちゃんと撮影して来いよ、証拠が要るからな」という声を背に受けながら教室を出た。
改めて、学校という閉鎖的な空間での集団心理は凄まじいと思う。ウンザリだ。
日付が変わって深夜二時五十分。
トンネルの入り口に到着した私は、自宅からくすねてきた懐中電灯を、震える手で握り直した。
このままいじめられるくらいなら、菊子さんにでも呪い殺された方がマシだと、本気で思った。
頼れるのは懐中電灯が発する一本の細い光だけ。反響する自分の足音に時々飛び上がりながら、私はようやくトンネルの真ん中に辿り着いた。
スマートフォンを取り出し時間を確認すると、三時の二分前。カメラを起動し、動画の撮影を始める。
天井から垂れ落ちる水に濡れたヒビだらけの地面を映した画面が、一秒、また一秒と録画時間を伸ばしていく。その度に、鼓動が早くなってくるのがわかる。
そして撮影時間が二分を経過し、深夜三時を迎えたとき、私は目を閉じて叫んだ。
「き……菊子さん菊子さん菊子さんっ!」
私の上ずった声がトンネル内に反響し、一つまた一つと静寂に呑まれていく。恐る恐る目を開けたが、何も起きてはいない。
なんだ……やっぱり噂はただの噂だったのか。スマホの録画を止めて、元来た道を戻ろうとした瞬間――。
目の前に、真っ白な女の顔があった。髪はボサボサで、目は吊り上がっている。
「ギャヒイイイイイイ!」
おおよそ健全な女子高生が出してはいけない悲鳴を上げ、私は尻餅をついた。腰が抜けるなんて、昔話の中でしかあり得ないと思っていた。
「イヒ、イヒヒヒ……ヒヒ……」
恐怖が極限状態を迎え、もはや悲鳴とも笑いともつかない声が口から漏れた。すると――。
「なんだ、陰キャの女が一人かよ」
目の前の幽霊がフン、と鼻を鳴らして言った。
地の底から響いてくるわけでもない、いかにも普通の人間のようなその声に、私は面食らいつつも、思わず話しかけてしまった。
「へ? き、菊子さん……ですか……?」
「その呼び方やめてくんね? マジでムカつくから」
「あ、す、すみません……あの……話せるんですか……?」
「ハァ!? 今話してんだろうが! 」
突然顔を近付けられメンチを切られたため、私はまた「ヒェッ」と小さな悲鳴を上げた。菊子さんには眉毛が無かった。
「トンネルの菊子さん」の噂は本当だった。
しかしその名前に似合わず、菊子さんはバリバリのヤンキー幽霊だった。
彼女は怖い顔を更にしかめて、腕を組み、言った。
「肝試し目的のうぜぇカップルとかじゃねぇからまぁいいわ。アンタ、ここに何しに来たの? ちょっと眩しいから明かり下に向けろ」
慌てて懐中電灯を下に向けると、うちの高校のセーラー服の冬服を着ている。白い顔は化粧が濃かっただけだったし、ボサボサに見えた髪も、ただのパーマがかかったロングヘアーだった、しかも金髪。
「実は……」と、私はここへ来たいきさつを話した。話し終えた途端、
「そんな男ブン殴ってやり返せよ! 同じ女として恥ずかしいんだけど。ブン殴るとまではいかなくてもさあ、もっと自分の意見とかガツンと言えないわけ? 情けなくないの? 弱えなぁお前」
めちゃくちゃ怒られた。普通の幽霊より怖い。
「あとこんな時間に女子がひとりで外に出てきたらダメだろ。親には『友達に急に呼ばれて、朝まで付き合うことにした』とか適当にメール送っとけ。あ、今はアプリとかいうので済むんだっけ」
あれ? ちょっと優しいかも。
「あの、菊子さんは……」
「だからその呼び方やめろっての、アタシの名前は菊子じゃねぇ」
「……本名はなんていうの?」
「菊池愛だよ、菊子ってのは苗字からきてるんだろうなきっと。だせぇネーミングセンス」
「じゃあ、愛ちゃん」
「待てお前、今何年?」
私が西暦を告げると、彼女は首を振った。
「ちげぇよ、お前の学年。まぁそれも知りたかったけど」
「一年……」
「アタシの享年が十七で、高二のときに死んだから敬語使え」
「は、ハイ……じゃあ愛さんで……」
「おう」
満足気に頷いた彼女に、私は続けて問いかける。
「愛さんは、なんでここにいるんですか?」
「あ? あーお前転校して来たから知らねーのか。八年前にここで殺されたんだよねーアタシ。正面からだったら逆にブッ殺してやれたんだけど、後ろから、しかもナイフよ。ウザくねマジで。大の男が女子高生の背後から武器使うって、ありえなくね?」
今のあなたの存在の方がありえない、とは口が裂けても言えなかった。
菊子さん、もとい愛さんは、八年前の秋にこのトンネルで通り魔に襲われ、命を落としたという。
「そんで気づいたら幽霊になってたんだけど、ここから動くこともできねぇし、アタシを殺した男がもしまたここに来るような事があれば、そいつに復讐することで成仏できんじゃね、って感じで」
「地縛霊……ってやつですか」
「そーそー、陰キャってそういう事詳しいよな」
「寂しくなかったんですか?」
私の問いに、愛さんは少し言葉に詰まったようだった。
「認めたくないけど寂しかったかもな。生前付き合ってた彼氏……いや、元カレか……元カレが、別の女連れて肝試しに来たときとかフツーに死にたかったし。まぁもう死んでるんだけど、ウケる」
「エピソードが辛すぎます全然ウケません」
「それな。でもお前みたいな陰キャと喋っててるだけでもメッチャ楽しいからありがてぇわ」
「それは良かったです」
初めて言われた言葉に、私はにんまりした。
「そういやお前の名前は? なんてーの?」
「えっと……五味薫です」
「へー、燃える方? 燃えない方?」
「怒りますよ」
「おお、じゃあ燃えるゴミだな」
「帰りますよ」
「ウソウソウソ! 帰んなよ! 薫が通ってんの、私が通ってたとこと同じ高校だろ?」
「そうですね、愛さんの着てる制服見る限り」
「薫みたいに話聞いてくれるヤツが次いつ来るかもわかんねぇしさ、アタシの武勇伝聴いてけよ。苗字にコンプリートがある者同士仲良くしようぜ」
「コンプレックス、ですか」
「それな」
それからたっぷり一時間ほど、愛さんは楽しそうに話し続けた。
内容は、セクハラした教頭をボコボコにした話、隣町の学校のヤンキーをボコボコにした話、浮気した元カレをボコボコにした話など、オチが毎回同じのバイオレンスなものばかりだったが、愛さんの話し方が上手で、どれも面白かった。
「あとさ、うちの高校に男女の更衣室あるだろ? 体育館の横の」
「ああ、ありますね」
「あれ、女子更衣室の方がチョイ広いの知ってるか?」
「へぇ、知りませんでした。どうしてですか?」
「元々男子更衣室と女子更衣室は逆だったんだけど、私の代で男子との全面戦争に勝って、広い方を女子更衣室として奪い取った」
「全面戦争って……」
「余裕でボコボコにした」
「結局そのオチになるんですね……私も愛さんと同じ代に生まれて、同じ高校に通いたかったです」
思わず口をついて出た言葉に、今度は愛さんがにんまりして、言った。
「その願い、マジで叶うかもよ」
「え?」
気づくと、愛さんの身体が透け始めていた。彼女の身体が、キラキラとした光が纏い始める。もうすぐ彼女は成仏するのだと、私は悟った。
「アタシを殺した犯人に復讐すれば成仏出来ると思ってたけど、そうじゃなかったっぽい。なくなれば良かったのは私の寂しさだったわけか……」
自嘲気味に笑った愛さんは、こちらに向き直って続ける。
「これから薫が、同じクラスの男とか、何かにムカついたときは助けてやるよ。話に付き合ってくれてありがとな」
「あ、あの! 私も最後にひとつだけ訊いても良いですか?」
「おう、手短に頼むわ」
「殺されちゃったとき、愛さんはなんでこのトンネルにいたんですか?」
すると愛さんは、私から目を逸らし、照れくさそうに言った。
「恥ずかしくて不良仲間には言ったことなかったんだけど、花とか植物が好きだったんだよね、アタシ。秋になるとトンネルの周りの紅葉がマジ綺麗でさ、よく一人で見に来てたんだ」
そう答えてくれた愛さんは、普通の女子高生の顔をしていた。
私が家に帰ったのは朝五時ごろ、親が起き出す直前だった。
そのまま三時間ほど眠り、学校へ行った。
教室に入るなり、ニヤニヤした顔の加藤が話しかけて来た。
「よーゴミ。昨日ちゃんと行って来たか、菊子さんのとこ」
「うん、行ってきたよ」
ざわめく教室。私の口ぶりにやや面食らった様子の加藤は、矢継ぎ早に続けた。
「じゃあ早く証拠出してみろ! ちゃんと動画撮ってきたんだろうな!」
どうせハッタリだ、と言わんばかりに煽る加藤。私は最初から動画なんて見せるつもりはなかった。身体の内側が熱くなるのを感じてたから。
「動画じゃないけど、これが証拠」
そう言った途端何かに、というより、さっき知り合った女ヤンキーの霊に取り憑かれたように私の身体は勝手に動き、加藤を思い切りブン殴っていた。
吹き飛ばされて顔を抑える加藤を見下ろし、私(?)は言った。
「お前マジうぜぇな」
「わ、悪かった……薫……」
すぐに教師が飛んで来て職員室に連行されたが、私の心は晴れやかだった。
途中で体育館の前を通ったとき、男子更衣室よりも少し広くなっている女子更衣室を見た。
どこからか「ほらな、言った通りだろ」と声が聴こえたような気がして吹き出した私を見て、教師は幽霊と出くわしたかのような顔をしていた。
その後、私は加藤のことを良く思っていない女子たちから賞賛され、仲の良い友達も増えた。同時に、もう金輪際暴力は振るわないと誓った。
それに、自分の苗字を気にすることもなくなった。同志がいてくれるおかげだ。
夏休みが始まり、あっという間に新学期が始まり、秋が来た。
放課後、私は裏門を開け、ひとり学校を出た。
しばらく歩くと、鮮やかに色づいた紅葉が頭上に広がっている。
臆せずトンネルに入り、ちょうど真ん中に来た辺りで、私は手を合わせる。
「愛さんにも自分の苗字を好きになってもらえるように」
小さな花瓶にさした赤い菊の花を地面に置いたとき、薄暗いトンネルの中が少しだけ明るくなったような気がした。
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