第2話

「……ここか。あの場所から3日って所か。あの戦争から20年も経てば、最前線の街も大してほかと変わらんほどには発展するんだな。」


「ええ。ここがフリエリ。私が拠点にしてる街よ。」


森の中での遭遇戦から3日後、2人はフリエリの街に到着した。狩人の女は、街から片道3日かかるほどの距離にあった山に潜んでいたにしては軽装であり、案の定男の案内をする羽目になったことで手持ちの食料は尽き、男の背嚢の中身の世話になっていた。


フリエリの街はほとりに流れる川を中心に発達した街であり、領都でもある。川を利用して上流にある森から切り出した切り出した木材と、その森に生息する澱獣ベスティアや野獣の素材を産業としており、下流域の農村部とも澱獣ベスティア避けとして街を囲む胸壁はそう高いものでは無いが、しっかりと作られているのが遠目からでも確認できる。


「俺の背嚢も随分と軽くなったが、まあいい。それも必要経費ってことにしてやる。普通に来るより早く着いたしな。世話になったな、これが報酬だ。いくらかは金になるだろう。」


門番に手数料を支払い、無事に街の中へと入った男は、背嚢から1本のガラス瓶と、小さな円筒状の物体を取り出した。瓶には男が飲んでいたような琥珀色の液体が入っており、数本あるそれは狩人の女には見慣れぬものだった。


「それって、もしかして酒神ソーマだけが作れるっていう琥珀酒?あとそれはなに…?」


「あー、そういやこっちの地方には葉巻は無いんだっけか。これは海の向こうで使われてる葉巻っていう代物でな。香草や魔法薬に浸した薬草なんかの香りのいいものを乾燥させて砕いたものを、葉でくるんだやつだ。端に火をつけて吸えば肺腑から魔法薬が浸透して器魂刻路きこんこくろを活性化させてくれるんだ。向こうさんはこっちよりも技術が進んでるからな。戦闘の前後に吸うといい。肺病や労咳ろうがいにも効くらしいから、貴族相手に売るのもアリだ」


「言ったでしょ、私は金が必要なの。御用商人に高く売りつけてやるわ。それと私は灰の乙女ヴァンシィじゃないわ。私の名はリィン。あんまりその異名は好きじゃないのよね。」


「そうかよ、んじゃあ俺は宿とって寝ることにするよ。達者でな、リィン」


男は報酬を渡すと、まばらな雑踏の中へと紛れていった。


「……いい臨時収入になったわね。」


狩人の女も予期せぬ臨時収入に左の双眸を細め、3日ぶりの帰路へとついた。


人類種は、器魂刻路きこんこくろという器官を体に備えている。全身に張り巡らされたそれは、時折魂に根ざした異能を発現させ、器魂術きこんじゅつと呼ばれる形で世界に干渉する。女の持つ器魂術は風と大気を操るものであり、これによって通常ではありえない速度での戦闘機動や移動を可能にしていた。女が本来3日かかるほどの距離の森に野宿用の大した備えもせずに入ることが出来ていたのも、自らの器魂術に絶対の自信があったからであった。


その日の夜。街の中央部にほど近い家の一角で、女は報酬代わりの琥珀酒と葉巻をテーブルに置き、蜂蜜と水で薄く割った蜂蜜酒ミードを舐めるように飲みながら独りごちる。


「私はお酒に強くないからこんなものを貰っても平然としているけど、明日これを寄越す御用商人には垂涎物でしょうね。この酒にどれほどの人間が狂わされたか。このひと瓶があれば……。」


狩人の装いから薄手のやわらかな部屋着へと着替えた女は、瓶の縁を指で弾きながら、そう呟いた。


───────────────────────


フリエリの街の中央部には、行政府として領主の館が建っている。神聖ラント帝国と呼ばれるこの国は、その広大な領土に反して帝国としての強いまとまりはほとんどなく、領主間の緩い紐帯ちゅうたいと、それを取り纏めるラント皇帝家が他国との外交権を独占することによって成り立っている。魔王は20年前に滅びたが、澱獣ベスティアを統べる魔王との熾烈な戦いは、魔王領と境界を接したこの帝国が矢面にたち、神の加護と恩寵を受けた人類との全面戦争であった。


このフリエリの街は、帝国北西部の辺境に位置し、これより北には荒涼とした旧魔王領が存在するのみとなっている。20年前には、この街は魔王との戦いの最前線基地の1つとして魔王軍の凄絶な侵攻を受け、苦戦が続く人類軍が辛うじて撃退した奇跡の街として喧伝され、戦中の人類国家の希望の星として名がしれた場所でもあった。


ロゥグンとリィンが街の門をくぐって一夜明け、フリエリの中央部、行政府である領主の館で執務をしていた領主の元へと知らせが入った。


「閣下、失礼いたします。ご来客の先触れが届きました。」


品の良い手紙を携えた老境の侍従長は、部屋の奥で執務に励む領主へと歩み寄り、手紙の封を外して中身を机の上へ滑らせた。


「ほう?誰からだね。……この紋章は?貴族にしては見たことがないものだな。」


「今代の酒神ソーマ様です。名をロゥグン殿と言われるようですな。」


侍従長からその名を聞いた領主は、短い毛に覆われた指で眉間をかきながら嬉しそうに椅子から立ち上がった。


「ほう!そうか、ついに来たか。侍従長、歓待の準備をさせよ。」


ヒューガルド領の女辺境伯、ユゥルティア・フォン・ヒューガルド。桔梗キキョウ色の目をした灰猫獣人ケットシーである。


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