第5話

領都フリエリより北東、泥炭地帯よりもさらに向こう側に位置する旧魔王領、白い雪で覆われた地平線に、黒くどよめく波のような塊が現れた。澱獣ベスティアの大群である。澱獣ベスティアたちはその身とマナ輝石に刻まれた殺戮衝動とマナの捕食本能に従い、より濃密なマナを感じる方向へと進路を進めていた。


人類種の領域は神の遠ざかった今も尚、浄化されたマナが満ち、混沌神ラーヴィマの権能たるマナ溜まりの汚染と澱獣ベスティアの発生が不可能になっている。そのためマナ溜まりから発生する澱獣ベスティアたちは、人里離れた場所や洞窟、善なる神の権能の届かない旧魔王領に住むことががほとんどだ。


下顎が横に裂け、黒い体毛と赤い爪を生やし、サソリのような尻尾を持った狼型の澱獣ベスティアの波の中には、小山のような巨大な影もあった。オニヒトデのようなトゲに覆われた巨大な10本の足と、タコのように膨れ上がった頭には、まつ毛の代わりにまぶたに牙を生やした洞のような瞳がぐるりと一周している。おぞましい容姿のそれは、ギチギチという金属の軋んだような不快な鳴き声を発しながら狼たちに続いていた。


「よぉ、澱獣ベスティア共。久方ぶりだな。早速で悪いんだが帰ってくれ。」


突如、荒野を埋めつくして進む黒い波の進む先に、一人の影が現れた。


その人影は未だ澱獣ベスティアの群れにははるか遠く、加護なき矢では届かないような距離であるにもかかわらず、右手に握った暗い土色の大剣を、まるで羽虫を払うかのような気軽さで上から下へと振るった。


剣術のような構えもなければ、マナを込めるような仕草すらなく、踏み込みもせず、ただ無造作に振るわれた大剣はそれだけで破壊をもたらした。


大剣の延長線上の澱獣ベスティアは、黒い軍勢に一筋の切れ込みを入れるかのように一瞬にして消滅し、赤黒いマナ輝石が辺り一面に撒き散らされたのだ。


「ん、こんなもんか。次だ。来い・・そして従え・・・・・。」


右手に握った土色の大剣が土くれのように崩れていく。それを見ながらロゥグンが再び呟くと、撒き散らされたマナ輝石は意志を持ったかのように飛び回り、金色の光をたたえ、天に掲げた右腕のへと集まり始め、まるで液体のように形を変え始めた。


金色の光を放ちながらどろりと形を崩した大量のマナ輝石は圧縮されていき、やがて手の中にひとつの赤黒い槍が現れた。


「お仲間を返すぜ、歯ァ食いしばれよゴキブリ共!!波砕きの槍ブリム・ゲイル!!」


先程までの飄々とした様子からうって変わり、緋の眼を爛々と輝かせ、獰猛な笑みを浮かべながらロゥグンは右手に握ったその槍を投げた。


投げられた槍は迫り来る澱獣ベスティア達の先頭、その上空で炸裂し、2つ目の太陽が現れたかのような錯覚を引き起こす程の赤い光を放ちながら赤い棘を撒き散らしていく。


百を超える澱獣ベスティア達のマナ輝石を集め、無理やり圧縮させて作られた槍は、極度のマナ密度を宿し、もはやマナで作られたミサイルとも言うべき槍は、狼型澱獣ベスティア器魂術きこんじゅつによる赤い棘を、無数の絨毯爆撃として空中で発動したのだった。


澱獣ベスティア達は突如として上空から降り注いだ赤い棘の雨に串刺しにされたかと思うと、次々と爆発していく。赤い棘に宿ったマナが強制暴走によって爆発し、それに巻き込まれた澱獣ベスティアのマナ輝石も弾け飛んでいるのだった。


「……酒神ソーマ、まさかあれほどとは。歴代最強の名は伊達では無いという事ね。見たことの無い器魂術きこんじゅつだけど、間違いなく私より遥かに強いわ。……でもこの力があれば、神魔大戦で間違いなく英雄に名を連ねていたはず。なぜ武功を挙げなかったのかしら。」


「閣下を凌ぐほどの強さでありますか。酒の神がこれほど強いとは思いませなんだ。」


「あれほど簡単にあの数を殲滅するなんて、賞金稼ぎバウンティハンターの序列1桁でもできる者はそう居ないでしょうね。それこそ序列1位の『ざらざら』くらいじゃないかしら?」


領軍たる騎士団を率いて澱獣ベスティア殲滅に出撃したユゥルティアは、戦場から後方の小高い丘に陣取り、この光景を生み出した張本人であるロゥグンと、蹂躙される澱獣ベスティア達の群れを見下ろしていた。


マナが豊富な泥炭ピート澱獣ベスティアが捕食し、強化された状態でフリエリの街を襲うことを危惧したユゥルティアは、澱獣ベスティア達が泥炭地帯に入る前に殲滅しようと配下を引き連れ野戦にうって出ようとしたが、そこに待ったをかけたのがロゥグンだった。


騎士は一人一人の力を向上させるために多くのリソースを必要とするため、数が少ないという弱点がある。これは大群で襲い来る今回の澱獣ベスティアにとってかなり不利になる点であり、また、騎士の中に広域殲滅が可能な器魂術きこんじゅつを持ち、尚且なおかつそれをマナ枯渇の心配をせずに使える者が限られている状況では、司令塔が居ないとはいえ澱獣ベスティアの侵攻を食い止めることは難しいと予測された。


ヒューガルド領の最高戦力にして、領主であるユゥルティアも神魔大戦の戦場を経験しておらず、個人の武勇は優れていたとしても数の利を覆すほどの力よは持っていなかった。


ロゥグンから提案された策は、小型の澱獣ベスティアを自らが殲滅した後、ユゥルティアとその騎士たちが大型深澱獣ナラク・ベスティアの討伐と討ち漏らしの排除を行うというものだった。


赤い槍によって、狼型の小型澱獣ベスティアは大きな損害を被った。本来共食いをしないはずだの同型の澱獣ベスティアが、かろうじて生き残った自分のマナを回復させるために、自分よりも弱った仲間を喰らっている様子も確認出来る。軍勢の後方に位置した大型深澱獣ナラク・ベスティアは赤い槍の被害から逃れられたものの、もはや歩みの止まった澱獣ベスティアの軍勢たちは、一体の澱獣ベスティアを複数人で倒すことを得意とする騎士達にとっては獲物でしか無かった。


「この機を逃すな!我が騎士たちよ、残るは大型深澱獣ナラク・ベスティアと払われることを待つばかりの露のみ!我に続け!」


猫獣人ケットシーの脚力でもって、機動性に優れた獣人種の騎士達を率いて先頭をひた走るそのきっさきは、丘を駆け下り混乱のただ中にある澱獣ベスティアの群れ、その腹を食い破るように横腹に突き刺さった。

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