第12話

「大木さん?」

 バリトンボイスに初めて名前を呼ばれた。陽葵はるきが近くまで来ていたことに気づかなかった。

「お仕事ですか?」

「ええ」

「良いですね。お客様の反応を間近で見ることができる職業は」

「そうかもしれません」

 お世辞ではなく、そう思った。

 祖母の死後、曽祖母が特養に入所したことを思い出した。当時は「最後まで家で面倒を見ないなんて一族の恥だ」という風潮があった。そんな中、特養の介護士は曽祖母の面倒を最期まで見てくれた。曽祖母の面会に言った際に、にこにこ笑いながら曽祖母に話しかけていた介護士を思い出した。なぜ、今まで忘れていたのだろう。そのときの介護士が、今の絵美の原点になっていたのに。

 介護職は、まだまだ偏見の目にさらされることもあるかもしれない。それでも、ケアをさせて頂きたい。

「こんにちは」

 陽葵は八重子様の顔を覗き込む。八重子様は一瞬だけ、不思議そうな顔をした。絵美が初めて見る反応だった。

「俺も頑張らないと。両親に良い報告ができませんから」

「ご両親のこと、叔父様から聞きました。何も知らず、申し訳ありません」

 陽葵の両親はすでに他界しているのだ。

「気にしないで下さい。両親が亡くなったのは、俺が小学校に上がる前なんです。あんまり記憶にないんですよ」

 陽葵は、儚げに微笑んだ。

「不思議ですよね。ふたりとも同じ日に、職場で急性心不全で亡くなってしまったそうなんです。それから俺は叔父と叔母に育てられました。今は、叔父の下で修業中です。自分の店を持つのが目標です」

「応援しています。プリン、美味しかったです。酒粕が苦手なんですが、ぺろりと食べられちゃいました」

「そう、それ! 酒粕が苦手な人でも食べられるようにしたかったんです!」

 絵美はスマートフォンを出し、ちらりと時間を確認した。絵美も、八重子様を連れて「日なたの庭」に帰らなくてはならない。

「あの、これ、渡そうと思っていて」

 陽葵がズボンのポケットから出したのは、癖がついてしまった封筒だ。

「ホテルのアフタヌーンティーの招待券をもらったんです。絵美さんさえ良ければ、つき合ってもらえませんか?」

「え、あの」

「お願いします! 2名用なんです! 叔父とふたりじゃ嫌なんです!」

「じゃあ……それでしたら、つき合います」

 連絡先を交換して、陽葵は「ソレイユ」に、絵美は八重子様を車に乗せて「日なたの庭」に戻る。

 車を運転しながら、絵美は気づいた。これってデートの約束なのでは、と。



 桜なんて嫌いだった。大切な人を失ったきっかけだったから。

 桜なんて嫌いだ。気づきたくもない乙女チックな自分に嫌でも気づかされてしまうから。

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それでも、ケアをさせて頂きたい 〜お花見とプリンと、おっきいおばあちゃん〜 紺藤 香純 @21109123

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