飆死

ぶざますぎる

飆死(ひょうし)

しかしあなたがたは死体したいとなってこの荒野あらのたおれるであろう(民数記みんすうき14:32)



[1]

 年末ねんまつ

 れがまるにれ、気分暗澹きぶんあんたんとなるのが毎年まいとしつねであったわたしは、其般そはんき、その心暗こころぐらさにくわえて、さら臥褥がじょくていた。暖気揺曳だんきようえいしたかとおもいきや、造次顛沛ぞうじてんぱいわりで寒風専横かんぷうせんおうはじめる、横紙破よこがみやぶりな気象きしょうにやられ、わたしはいとも呆気あっけなく体調たいちょうくずし、転帰てんきとしてぶざまに感冒症状かんぼうしょうじょうていしたのである。

 くろのカーテンをじているせいで、昼間ひるまだというのに真暗まっくらな1Kの虚室きょしつで、わたし布団ふとんかぶりつつ、寒気さむけ全身ぜんしんふるわせていた。そもそもがきこもり気質きしつのモグラ人間にんげんであるわたしは、昼夜問ちゅうやとわず部屋へやのカーテンを習性しゅうせいがあり、しかして此度こたびひと部屋べやには、カーテンの隙間すきまからわずかにれるひかりほかなんかりもかった。

さびしい……」

 暗然陰湿あんぜんいんしつたる場景じょうけいうちうらみがましい口吻こうふんひとちてから、わたし感冒かんぼう倦怠感けんたいかん関節痛かんせつつううめきつつ、不覚ふかくなみだこぼすのであった。


[2]

 わたし孤独こどく中年ちゅうねんである。

 には生来せいらいのグレハマ気質きしつというか、如何いか奮闘努力ふんとうどりょくしても社会しゃかい馴染なじむことができず、その一生いっしょう孤独こどく低迷ていめいうちえる人間にんげんが、男女なんにょ今昔こんじゃくわず一定数存在いっていすうそんざいするものであり、くいうわたし幼時ようじより、そうしたグレハマれんるいどうするところがあった。

 わたしふくめこうした手合てあいは、てめえではひととして最低限さいていげん分別ふんべつっているつもりであるし、てめえではできるなりにそのその適切てきせつ挙措云為きょそうんい選択せんたくしているつもりであるが、市井しせい人々ひとびとにとり、わたしたちの存在自体そんざいじたいなんらかの忌諱ききれるものらしく、畢竟ひっきょうにはヤクネタあつかいをけてひとから排斥はいせきされてしまうのが、われらグレハマれんつねなのである。

 こちとら悪意あくい皆目無かいもくないにもかかわらず、やることすこと空回からまわりし、その挙措云為きょそうんいすべてが周囲しゅういとの不和軋轢ふわあつれきしょうずる結果けっかわる。しかしてひとづきいを失敗しっぱいつづけ、人並ひとなみの人間関係にんげんかんけいすら構築こうちくできずに世俗せぞく孤立こりつつづけるわれらグレハマれんは、いつしか狷介固陋けんかいころうからざすようになり、結句けっくしみてきのすべてのものを呪詛罵倒じゅそばとうつづける、日陰怪人ひかげかいじんめいた存在そんざいへとてるのである……

 ……いや斯様かようじょかたをすると、文章全体ぶんしょうぜんたいからいささかならぬ自己憐憫じこれんびん気配けはいがするというか、てめえのことを、不幸ふこう性質せいしつまれったがゆえ孤立こりつせざるをなかった、無垢無謬むくむびゅう悲劇的人物ひげきてきじんぶつであるかのようにスポークスし、読書諸賢どくしゃしょけん憫諒びんりょうんと目論もくろむ、同情乞食的どうじょうこじきてきあさましいひびきがかんぜられてしまい、がことながら反吐へどる。これはさながら、やたらにおのれ被害者性ひがいしゃせい強調きょうちょうしたがる、恥識はじしらずな方今世俗ほうこんせぞくかたいつにするかのごとくである。

 てめえでじょしておきながらくいうのは、スキゾじみたおかしさがあるが、まったくもって、不愉快極ふゆかいきわまりない。わたしは、近来頓きんらいとみ増加ぞうかしているひがみったらしいメンヘラ徒輩とはい、つまりはSNSで散見さんけんされるたぐいの、てめえは一切いっさい流血りゅうけつ拒否きょひするくせに他人様ひとさまのことは平気へいきかおをしてきずつけるタイプの、稟性下劣ひんせいげれつなボケナスどもとおなじレベルへするつもりなぞ、ごうい。その一点いってんだけは、読者諸賢どくしゃしょけんつようったえておきたい……

 ……さて、さきにはわたし社会的孤立しゃかいてきこりつが、まるでまれった ""グレハマ気質きしつ"" にのみ起因きいんするかのようなじょかたをしたが、実際じっさいはこうした生来せいらい不器用ぶきようさのほかにも、私自身わたしじしん人格的問題じんかくてきもんだい多分たぶん影響えいきょうしていた。ていにいえばわたし性格せいかくわるく、そこへ先述せんじゅつのグレハマ気質きしつわさることで、るも無残むざん孤独こどく地歩ちほかためることとなったのである。

 クドクドとみったくない自分語じぶんがたりをていしてしまったが、サマリーとしてわたは、ロクでもない人間にんげんなのであった。当然とうぜん転帰てんきとして、わたしとも恋人こいびともできたためしがく、毎度毎度まいどまいど先々さきざき人間関係にんげんかんけい破綻はたんさせては、われた。また、そもそもがきわめてこらしょうけていたわたしは、已往一度いおういちどたりとも仕事しごと長続ながつづきせず、職籍しょくせき転転てんてんとしつづ畢竟ひっきょう社会しゃかい何処どこにもぞくすることができなかった。

 しかして孤独こどく馬齢ばれいかさつづけ、づけばわたし一縷いちる希望きぼうい、恥晒はじさらしの中年ちゅうねんてていた。そして世間一般せけんいっぱんける中年ちゅうねんるいれず、月並つきなみな中年ちゅうねん危機ききひんしたのだった。いま落暉らっきおもむきていはじめた生活せいかつうちで、不図後ふとうしろをいてみれば、其処そこにはなにのこっていない。わたしにはなにかった。無為むい人生じんせい費消ひしょうつづけ、なにひとつとして真面まともげることができなかったのである。方尽かたつきたむなしい生活せいかつうちで、いつか飆風ひょうふうごとおそうであろう確実かくじつおびえてごすほかわたしには向後こうご展望てんぼうかった。

 わか読者どくしゃには同感どうかんられぬやもしれぬが、貧困ひんこんとまではわずとも、現今げんこん格差社会かくさしゃかいいて、その分類ぶんるい下層かそうぞくすることがあきらかなぐみであり、とも恋人こいびと繫累けいるいい、完全かんぜん人生じんせいぼうっているぶざまな中年男ちゅうねんおとこかんずる孤独こどくというのは、言語げんごぜっするような痛苦つうくともなうものなのである。

 生活せいかつにはびょうとした落莫らくばくひろがるのみで、なにをしようが何処どここうが、自身じしん孤影こえい往手ゆくてちはだかる。斯様かよう人間にんげんにはい。過去かことは悔恨かいこんいきどおりをますものにぎず、現在げんざいからは容赦ようしゃなく排除はいじょされる。そして、老化ろうか気力きりょく体力たいりょくおとろえたには最早もはや未来みらい自己投企じことうきするちからのこされていない。しかして孤独こどく生活せいかつうち苦哀輾転くあいてんてんとしつつ、わたしはぶざまな糞尿袋ふんにょうぶくろとして死路しろあゆつづけるのであった。


[3]

 くのごときぶざまな中年男ちゅうねんおとこ病床びょうしょうすとなれば、その闘病とうびょうきっつらはちというか、平生感へいぜいかんつづけていた孤独こどくをより一層いっそう際立きわだたせる効果こうかがあり、そうした寂寥感せきりょうかんまた感冒かんぼう苦痛くつう実際以上じっさいいじょうのものとしてかんぜしめるのであった。しかして症状自体しょうじょうじたい軽度けいどであったものの、そもそもが自分じぶんへのダメージにはきわめて敏感びんかんかつ脆弱ぜいじゃくたちにできていたわたしは、漸漸ぜんぜん末期癌患者まっきがんかんじゃめいた絶望ぜつぼうをふとこりはじめ、転帰てんき、< ボクはだれにも看取みとられず、孤独こどくんでくのか……? > なぞと、さながらとこよこたわるがごとくの嗟嘆さたんをし、床中とこなかにて「さびしい……」という独言どくげんらしながら、ぶざまに涕泣ていきゅうしたのである。

 夙述しゅくじゅつとおり、が1Kの虚室きょしつではくろいカーテンがられており、その隙間すきまからはいわずかな陽光ようこうほかは、なんかりも存在そんざいしなかった。窓外そうがいからはくるまやバイクの排気音はいきおんくわえ、路傍ろぼう人々ひとびと足音あしおと、ときたまたの談笑だんしょうひびきがわたしのもとへとどいた。そうした営為えいい気配けはいかんじていると、ちまたから屋壁一枚おくへきいちまいへだてただけのわたしが、だれひとりの心配しんぱいられず孤独こどく病臥びょうがしているという現実げんじつがひどく残酷ざんこくなものにおもえ、転帰てんきとして激甚げきじんたる愁傷しゅうしょうへときざまれた。

 だれないもりなかたおれたらおとはするのか、という有名ゆうめいいがあるが、これにならえば、だれにもづかれていないというてんいて、わたしくるしみなぞ存在そんざいしないも同然どうぜんであった。それは今般こんぱん病臥びょうがかぎらず、已往味いおうあじわいつづけた孤独こどくにもおなじことがいええた。

 そして往時無職おうじむしょくであったわたしは、世間的帰属せけんてききぞくというものを欠缺けんけつした状態じょうたいにあり、世俗せぞく趨勢すうせいとは一切いっさい関係かんけいたぬ、隠遁者いんとんしゃめいたらしをしていた。ゆえに、仮令たといわたし感冒かんぼうこじらせてくたばったにしても、死体したい腐敗ふはいして悪臭あくしゅうはなつまでは、だれからもそのみとめてもらえぬハズであった。必定ひつじょう発見はっけんされた腐乱死体ふらんしたいは、わたしという個体こたいには一切いっさい関心かんしんたぬ人々ひとびとり、迷惑極めいわくきわまりいという表情ひょうじょうとともに無数むすう舌打したうちをはなたれながら、手間てまかるなまゴミとしてざつ処分しょぶんされるのである。

 ぬのは仕方しかたいことである。のぞもうとのぞむまいと、人間誰にんげんだれしもがぬ。しかぬにしても、わたしはできるかぎりマシなかたをしたかった。匿名とくめいではなく、わたしというラベリングをほどこされたとしてのを、だれかの世界せかい呈示ていじしたかった。わたししまれてにたかった。

 いったいに陳腐過ちんぷすぎて、われながらはなわらってやりたくなるほどに稚気ちきめいた情感じょうかんであるが、実際じっさいところ、それは孤独こどく病床びょうしょうわたしにとり案外あんがい切切せつせつたるものであり、転帰てんき、< だれか、ボクにづいてくれ! ボクをひとりにしないでくれ! > というさけびを心中しんちゅうひびかせたのであった。

 するとそのさけびから須臾しゅゆかず、ガララとおとてて、キッチンと居室きょしつけていたが、ひとりでにひらいた。

 吃驚きっきょうしたわたし横臥おうがしたままくびだけをひねり、そちらをた。ひらかれたこうには、暗闇くらやみひろがっていた。わたし慄然りつぜんとしつつ、なにえぬくろ空間くうかんじっつめた。最前さいぜんまでこえていた窓外そうがいおとは、何故なぜだかすっかりとんでしまっていた。

 突如とつじょ、その暗黒あんこくからなにかがヌッっとあらわれた。わたしかろ悲鳴ひめいげた。

 おとこかおだった。

 くら虚室きょしつうちで、何故なぜだかわたしには、おとこ頭蓋とうがいづくりがハッキリと視認しにんできた。不健康ふけんこうそうな青黒あおぐろはだに、くぼんだ眼窩がんかほおくびからしたかった。生首なまくびが、のレールのうえあごせるようにして、ひく位置いちとどまっていた。それは双眸そうぼう四方八方しほうはっぽうへギョロギョロとうごかし、一切いっさいこえはっさずにくちをパクパクとうごかしていた。

 森閑寂静しんかんせいじゃくたるくろ世界せかい魂飛魄散こんひはくさんとしつつ、わたしまなじりいておとこかおみとめた。

 そのかおには見覚みおぼえがあった。


[4]

 過日かじつわたしはある警備会社けいびがいしゃ職籍しょくせきき、警備員けいびいんとして糊口ここうませていた。

 あるばんのこと、わたし内勤ないきんから、電話でんわ翌日よくじつ現場げんばげられたさいに「明日現場あすげんば一緒いっしょになる新人しんじん田口たぐちさんは、なが間引あいだひきこもっていたかたなので、やさしくせっしてあげてください」とたのまれたのだった。その時分じぶんわたし閑静かんせい住宅街じゅうたくがい長期間歇的ちょうきかんけつてきおこわれていた土木現場どぼくげんば隊長たいちょうまかされていた。

 翌朝よくあさはやめに集合場所しゅうごうばしょ待機たいきしていたわたしは、とおくのほうからピョコピョコとみょう足取あしどりであるいて長身痩躯ちょうしんそうくおとこづいた。わたしっていたきんピースを携帯灰皿けいたいはいざらへとおさめつつ < ああ、あいつが田口たぐちかな > と内心ないしんにてひとちた。

 わたしは、けておとこあし見遣みやった。股関節こかんせつしつ、それからくるぶし連動れんどうかぎり、器質的きしつてき問題もんだいかかえているわけではなさそうである。りょうこぶしかたにぎりしめながら不自然ふしぜんかたたかたせたおとこは、くるみ人形にんぎょうじみた様相ようそうちかづいてる。

 < 随分ずいぶん緊張きんちょうしてやがるみてえだな > 揣摩しましつつ、わたし指呼しこかんはいったおとこかい、片手かたてって合図あいずおくった。

 おとこわたしもとへと辿たどいた。眼窩がんかほお随分ずいぶんけており、不健康ふけんこうそうな青黒あおぐろはだ幽鬼ゆうきじみていた。内勤ないきんればとしは25らしいが、眼前がんぜんおとこはもっとけてえた。

 わたし緩頬かんきょうしつつ、出来できかぎやさ口吻こうふんとなるよう注意ちゅういして、おとこはなけた。

「フヒヒ、どうも、田口たぐちさんってえのは、貴方あなたのことで相違そういありませんな」

 しかし、おとこくち真一文字まいちもんじむすび、うつむきながら全身ぜんしん微顫びせんさせるだけで、なにこたえなかった。おとこ眼窩がんかうちで、目玉めだませわしなくギョロギョロとうごいた。その態様たいようわたしに、佐久間象山さくましょうざん肖像しょうぞう想起そうきさせた。

 わたし内心ないしん舌打したうちをはなちつつ、最前さいぜんよりも遅遅ちちとした、一語一語いちごいちご強調きょうちょうするような口跡こうせきもっなおした。

「あなたは、新人しんじんの、田口たぐちさん、ですか」

 おとこすこしくくびたてった。相変あいかわらず、目玉めだませわしなくうごかしていた。

「そいじゃあ、田口たぐちさんで相違無そういねえってことで」わたしった「ボクは武座馬ぶざまもうしやす。ここでは隊長たいちょうまかされとります。どうぞよろしく」

 田口たぐちうなずいた。

 わりはわるいながらも、えずのコミュニケイトは成立せいりつすることがわかったわたしは、いで吃音きつおん緘黙かんもく症状しょうじょうがあるのかどうかを、田口たぐちたずねた。田口たぐちすこしくかぶりった。おそらくは、長期ちょうききこもり生活せいかつ発話機能はつわきのうおとろえたのであろう。田口たぐちはパクパクとくちうごかし、空気くうきれるような微音びおんはっした。なにかをしゃべったらしいが、わたしにはその内容ないようれなかった。

 該現場がいげんばは3人廻にんまわしであり、隊長たいちょうわたし固定こていされるほかは、日毎ひごと隊員たいいんわっていた。こののメンバーはわたし田口たぐち、それからOというベテラン隊員たいいん構成こうせいされていた。わたし田口たぐちとも制服せいふく着替きがえつつ、無線むせんやニンジンのあつかかた確認かくにんしていると、Oがやってた。已往いおうわたしおおくの現場げんばでOの世話せわになっていたが、該現場がいげんばともはたらくのははじめてのことであった。Oは野武士のぶしめいた風貌ふうぼうをした口数くちかずすくないおとこで、一瞥いちべつでは狷介けんかい印象いんしょう他人たにんあたえるものの、そのじつきわめて心根こころねやさしい老輩ろうはいであり、新人隊員しんじんたいいんたいする面倒見めんどうみかった。

「おう」

 Oはわたしって寄越よこしながら、田口たぐちほう目線めせんけた。田口たぐちくちじたまま、相変あいかわらずからだふるわせて、目玉めだまをグルグルとまわした。

「フヒヒ、どうも、お久しぶりでごぜえやす」わたしはOに挨拶あいさつしつつ、田口たぐちのことを紹介しょうかいした「こちら、新人しんじん田口たぐちさんでさあ」

 田口たぐちくちをパクパクとさせて、相変あいかわらずのウィスパーボイスでなにごとかをった。またぞろわたしにはその内容ないようれず、おそらくはOもおなじだったようで、かれ若干じゃっかん眉根まゆねせつつ、田口たぐちのことをつめた。

田口君たぐちくん無線むせん練習れんしゅうをしようか」

 着替きがえをえてから、Oがった。

「5ばんでおねがいしやす」わたしかえした。

「おう」

 Oはスタスタとあるり、すこしくはなれたところまった。

「こちらO、無線むせんテスト」

 わたし田口たぐち無線むせんった。

「へい、武座馬ぶざま、テスト了解りょうかいわたし返信へんしんした。

 一拍挟いっぱくはさんでから、Oの再送さいそうがあった。

田口君たぐちくん大丈夫だいじょうぶか」

 田口たぐち無線むせんかってくちうごかしていたが、やはりわたしにはなにこえなかった。

 数秒すうびょう沈黙ちんもくのち、Oからの送信そうしんひびいた。

武座間君ぶざまくん、こっちにへんものがあるから、ちょっとてくれるか」

「へい、武座馬ぶざま了解りょうかいわたし返送へんそうしてから、田口たぐちに「ちょっくらここってておくんなせえ」とのこし、Oのもとへかった。

 わたしちかづくと、Oは田口たぐちほうへはけず「ありゃあ大変たいへんだぞ」と、困惑気こんわくげらした。

「へい……」

 よくよく誤解ごかいされることではあるが、工事現場こうじげんば警備員けいびいんは、ただつっっていればいというわけではない。規制帯きせいたいからのダンプのれや、それにともな誘導ゆうどう近隣住民きんりんじゅうみんへの気配きくばりに、クレームや配達業者はいたつぎょうしゃへの対応等たいおうとうなにかとやることがおおく、それ相応そうおうのコミュニケーション能力のうりょくもとめられる。そのてん田口たぐち態様たいよう我々われわれ不安ふあんにさせた。  

 しかし、いくなやんだところで、最早もはやどう仕様しよういのであった。

 現場げんばはじまった。わたしとOは出来できかぎりの配慮はいりょをしたが、どうしても限界げんかいがあった。田口たぐち作業員さぎょういんから怒鳴どなられ、たちわる運送業者うんそうぎょうしゃ通行人つうこうにんから罵声ばせいびせられた。該現場がいげんばでは各隊員かくたいいんたがいの姿すがた目視もくしできたが、現場開始げんばかいしから一時間いちじかんもすると、遠目とおめにも田口たぐち大分参だいぶまいっていることがわかった。わたしとOは、無線むせん田口たぐちはげましつづけた。

 しかしてやっとこさ現場げんばわり、わたし伝票でんぴょうたずさえて現場監督げんばかんとくのもとへかった。監督かんとくはサインをじょしつつ、とおくで待機たいきしている田口たぐちほうをチラと見遣みやり「新人しんじんつってもな、あれはちょっとキツいとおもうぜ」とつぶやいた。

 監督かんとくったダンプを見送みおくってから、我々われわれガードマンは装備そうび解除かいじょした。わたしとOは着替きがえながら、田口たぐちたいしてやすっぽいはげましの言葉ことばけた。田口たぐち悄然しょうぜんとしていた。あからし、ほおには涙痕るいこんがあった。そしてくちうごかしてなにかをったが、やはり内容ないようれなかった。着替きがえてから、我々われわれ解散かいさんした。

 読者諸賢どくしゃしょけんけて、ここ若干じゃっかんちゅうはさみたいとおもう。甲斐甲斐かいがいしく田口たぐち面倒めんどうたという記述きじゅつから、わたしのことを面倒見めんどうみ人物じんぶつであると誤解ごかいされているかたがおられるやもしれぬ。それはおもちがいである。さきべたとおり、わたしはそもそもがグレハマ気質きしつの、性悪しょうわる稟性下劣ひんせいげれつ人間にんげんなのだ。本来ほんらいわたしは、新人しんじん配属はいぞくされたところでハナ一切いっさい興味きょうみたずに放置ほうちしておき、そいつがどうなろうがったことではいという態度たいど有有ありあり面上めんじょうかべ、新人しんじんのとろくさい仕事振しごとぶりにたいして舌打したうちを連発れんぱつしながら、パワハラじみた文句もんくのひとつやふたつでもぶつけてやるような、悪気わるぎおとこなのである。

 であるならば、何故なにゆえわたし仁慈殊勝じんじしゅしょう田口たぐち面倒めんどうたのか。

 わたし田口たぐち風体ふうていに、自身じしんおなじグレハマのいろったのだった。口幅くちはばったいいにはなるが、同類相哀どうるいあいあわれむというのか、田口たぐち姿すがたみとめた瞬間しゅんかんから、かれたいしては親狎しんこうねんめいた、いささかならぬインチメートな感情かんじょういだいたのである。それは孤独こどく荒野あらの彷徨さまよったて、ようようにしてきた人間にんげんつけたかのような感慨かんがいであった。自分じぶんおなじく、跼蹐きょくせきたるおもいで世過よすぎをしていることがあきらかなおとこたいして、できるかぎりの親切しんせつをしてやりたいと、がらにもく、きサマリアびとめいたかんがえをふとこったのだった。

 あれども、斯様かようりぼての浪花節なにわぶしかなでたところで、田口本人たぐちほんにんにとり、なんやくにもたぬのである。現場げんばえたさい田口たぐちちのめされようは、わたし自己陶酔気味じことうすいぎみおもりなぞ、ゴミ同然どうぜん駄品だひんぎぬことの明徴めいちょうであった。私自身わたしじしん田口たぐちやす同情どうじょうける一方いっぽうでは < ありゃあ、今日限きょうかぎりでぶだろうな > なぞと、冷然れいぜんたる心機しんきはたらかせてもいたのである。

 現場げんばからの帰途きと電話でんわ下番報告かばんほうこくをしたさいに、わたし内勤ないきんから「新人しんじんさんは、どうでしたか」とかれたが「むずかしいでしょうな」としかかえせなかった。内勤ないきんほうでも、それでなにかをさっしたものらしく「そうですか」と一言いちげんした以上いじょうは、それについてなにってなかった。

 帰室きしつしたわたし夕飯ゆうはんませていると、内勤ないきんから着電ちゃくでんがあった。内勤ないきんは、翌日よくじつおな現場げんばるようにげてから「新人しんじん田口たぐちさん、まだ頑張がんばれるそうです。明日あしたもおねがいします」とつづけた。

 既述きじゅつ同情心どうじょうしんから、田口たぐちのガッツを素直すなお応援おうえんする一方いっぽうで、そもそもがきわめて骨惜ほねおしみにできているわたしは < また世話せわしなきゃなんねえのか、面倒臭めんどうくせせえな > なぞと、薄情はくじょうなことをおもいもした。

「ボクはかまいやしませんがね、でも、業者ぎょうしゃさんのほう大丈夫だいじょうぶなんですかい。今日きょう結構けっこう怒鳴どなってやしたぜ」

「まあ、馴染なじ業者ぎょうしゃさんですし、大丈夫だいじょうぶでしょう」

 内勤ないきん太平楽たいへいらくべた。いったいに警備会社けいびがいしゃ内勤ないきんというのは、隊員たいいん配属はいぞくさええてしまうと、あととなれやまとなれといったかん露骨ろこつただよわせてる、無責任むせきにん手合てあいが多い。

「はあ」

また、Oさんも配属はいぞくしますから。まあ、よろしくおねがいします」

 しかして次日じじつ、ハナおな面子めんつおな演目えんもくひろげられるかとおもわれたが、いざ現場げんばはじまってみれば、田口たぐち案外あんがいにファーストラーナーであったらしく、相変あいかわらず会話かいわこそ困難こんなんであったものの、勤務二日目きんむふつかめ新人しんじんとしては上出来じょうできはたらきをせたのである。わたしとOはすっかりと感心かんしんしてしまい、監督かんとくほうでも現場終げんばおわりには「あのひとおもったより見処みどころあるね」なぞと、調子ちょうしいことをうのであった。

 爾後じご意外いがいなタフネスを発揮はっきつづけ、転帰てんき田口たぐち飛躍的ひやくてき進歩しんぽをした。当初とうしょくらべれば軽捷溌剌けいしょうはつらつたる動作どうさすようになり、会話かいわかんしても若干じゃっかんとつりはあったものの、問題無もんだいなこなせるようになった。わたしかれおな現場げんば配属はいぞくされることがおおく、しかしてかれ孜々営々ししえいえいたるプログレスをたりにたのであるが、その変革へんかくに < ひとってえのは、われるもんだなあ > なぞと、むねまれるような感銘かんめいおぼえたのだった。

 かくくのごと田口たぐち成長せいちょう観察かんさつするうち、そもそもがきわめて恩着おんきせがましいたちであるわたしは、かれ成長せいちょうも、一重ひとえわたし力添ちからぞえにるものなのだと勘違かんちがいするようになり < 田口たぐちはボクがそだてた。ボクが田口たぐちえてやったんだ > なぞと、まるでてめえがアルベルト・シュヴァイツァーばりの篤行とっこうげたかのような自己満足じこまんぞくをふとこりはじめ、田口たぐちたいして一端いっぱし兄貴分あにきぶん気取きどっては「田口君たぐちくん人生じんせいってえのは、努力どりょく忍耐にんたい肝腎かんじんなんだぜ」なぞと、てめえ自身じしん已往一切いおういっさい努力忍耐どりょくにんたい拒否きょひしてきてきたくせにやすっぽい説教せっきょうをカマすなど、かおわせるたび異常いじょうれしい態度たいどをとるようになったのである。

 < 初出勤はつしゅっきんがボクの現場げんばじゃなかったら、田口たぐち野郎やろう速攻そっこうつぶれちまって、またひきこもり生活せいかつもどっちまってたんだろうな。ボクがやさしく根気好こんきよ面倒めんどうてやったからこそ、田口たぐち忍耐にんたいつづいたんだろうし、ってみりゃあ、ボクは恩人おんじんだわな。田口たぐちほうでも、衷心ちゅうしんからボクに感謝かんしゃしているに相違そういねえ >

人生じんせいアウトのぶざまな組同士ぐみどうし頑張がんばろうや。ねえ、田口君たぐちくん

 厚顔極こうがんきわまるわたし挙措云為きょそうんいたいし、田口たぐちほうでも表面上ひょうめんじょう慇懃いんぎん対応たいおうをしてくれた。それをるや、そもそもがすべてを自分じぶん都合好つごうよ解釈かいしゃくするところがあったわたしは、今茲いまここにグレハマ同士どうし完璧かんぺきなコミュニケーションが、もっといえばこころ兄弟同士きょうだいどうし紐帯ちゅうたいが、しかとむすばれたのだと妄信もうしんした。わたし田口たぐちとのあいだに、信頼しんらい敬愛けいあいきずなみとめたのだった。

 しかし、くのごと破廉恥はれんち自己満足じこまんぞくも、突然とつぜんわりをむかえた。

 ある配属はいぞくされた一人現場ひとりげんばにて、わたし作業員さぎょういん顔面がんめんたおした。仔細しさい切削せっさく粗筋あらすじだけをべると、昼休憩中ひるきゅうけいちゅうわたししょくしていたキーマカレー弁当べんとうたいし、作業員さぎょういんのひとりが「ジジイの下痢便げりべんみてえだな」なぞとめたくちいてきたので、その失礼慮外しつれいりょがいいかくるったわたしは、くなるうえ暴力ぼうりょくたよらざるをないと決起けっきし、結句けっく「ぶっころすぞ !」と號叫ごうきょうしながら、該作業員がいさぎょういんへとおどかったのである。

 生来せいらいわたし情緒不安定じょうちょふあんていであった。そもそもがきわめて小心しょうしんにできているわたしは、平生へいぜいこそいたようなみを面上めんじょうかべて、ペコペコと他人たにんへつらい、ヅケりと気褄合きづまあわせに必死ひっしになるくせ、一方いっぽうでは病疾びょうしつめいた易怒性いどせいがあり、不意ふい拍子ひょうし精神的せいしんてきめられたり鬱憤うっぷんこうじたりすると、爆竹ばくちくめいた癇癪かんしゃくこし、転帰てんき理非曲直りひきょくちょく後先あとさき一顧いっこだにせず、暴走機関車ぼうそうきかんしゃめいた狂悖暴戻きょうはいぼうれいはたらいてしまうところがあった。

 キーマカレーのけんき、瞬間湯沸しゅんかんゆわかし器的きてき癇癪かんしゃくおこしたわたしは、それがいんとなり馘首かくしゅされてしまったのである。しかしてわたし田口たぐちかおわせることもく、完全かんぜんえんれてしまったのだった。ハナこそ、こころ兄弟きょうだいみとめた田口たぐちとの離別りべつ悲憤慷慨ひふんこうがいをしたものの、そもそもがリアリスト気質きしつであり、わりかしこころえがはやところのあるわたしは、現金げんきんながら、一週間いっしゅうかんもするとすっかり気持きもちの整理せいりがついてしまい、くのごとあま感傷かんしょうも、生活せいかつ喧騒けんそううちへとけてくのであった。

 警備会社けいびがいしゃされて半年はんとしほどったころわたし街中まちなかでOと偶会ぐうかいした。何処どこいた場所ばしょすこはなさないかとOがってたので、そもそもが図々ずうずうしい人間にんげんであるわたしは、飲食代いんしょくだい全額ぜんがくをOがおごるならという条件じょうけん呈示ていじし、渋々しぶしぶながらそれを了承りょうしょうしたかれとともに、近場ちかばのコーヒーチェーンにはいった。

「●●興業こうぎょう作業員さぎょういん、ブンなぐったんだって? 」

 Oのいにたいし、わたしはサンドイッチを頬張ほおばりながらこたえた。

「へい」

「そんなかたしてると、ころされるか刑務所けいむしょしかいぞ」

「ええ、その、フヒヒ、面目無めんぼくねえです」

 Oはあきれたように溜息ためいきき、じらいも暴食ぼうしょくをカマしているわたしかおを、みょうつきでつめた。わたしがあれやこれやと飲食物いんしょくぶつあつらえる一方いっぽうで、かれなにひとつ注文ちゅうもんしていなかった。

「そうえば、田口君たぐちくんってたろ」Oがった。

「へい」

「あの自殺じさつしたらしいぞ」

「は? 」わたし頓狂とんきょうこえし、食物しょくもつくちへとはこんでいためた。

 わたし田口たぐち姿すがた想起そうきした。ギョロギョロとうごく目玉めだま、パクパクと開閉かいへいするくちかれ警備員けいびいんとしててながら、徐々じょじょ社会人しゃかいじんらしい振舞ふるまいを習得しゅうとくしたが、そうしたくち挙動きょどうは、わたしかぎり、ずっとつづいていた。

御家族ごかぞくから会社かいしゃ連絡れんらくがあったらしい」

「いったい、自殺じさつ理由りゆうなんなんで? 」

御家族ごかぞくくわしいことをおっしゃらなかったみたいでな。現場げんばでもとくにトラブルはかったようだし、田口君たぐちくんから会社かいしゃ相談そうだんかったらしい。武座馬君ぶざまくんめたあと、おれは田口君たぐちくん一度いちどだけおな現場げんばになったんだが、そのときなやんでいるようにはえなかったな。まあ、こころなかではなやんでいたのかもしれんが」

会社かいしゃ連中れんちゅうは、葬儀そうぎなかったんですかい? 」

ことわられたってよ。しばらってから、御家族ごかぞく装備一式そうびいっしきおくってたんだと」

 沈黙ちんもくしょうじた。ぶっせいをおぼえたわたしは、接穂つぎほもとめて余計よけいくちいた。

本当ほんとうに、くたばったんですかねえ」

「あ? 」Oがいぶかしむようにった。

「いえね、田口たぐち野郎やろう仕事しごとをバックれたくなったんで、そのためにおやんで一芝居ひとしばいカマしやがったんじゃないですかね。だとすりゃあ、やることのセコっちい野郎やろうでさあね」

「おい」Oはいささかならぬ軽蔑けいべついかりの抑揚よくよう言葉ことばせていた「そんなことうもんじゃねえぞ」

 わたし言葉ことばまった。

 なみする内心ないしんあらわわにした貶下へんげ一睨ひとにらみを寄越よこしつつ、Oはつづけた。

「やたらに他人様ひとさまのことを邪推じゃすいするのは止めろ。それに、んだのか、んでないのか。理由りゆうがあるのか、理由りゆういのか。なにかんがえていたのか、かんがえていなかったのか。おれらにはわかりようがいだろうが。そんなことをかんがえてどうなるよ。きた人間にんげんした結論けつろんなんて、価値かち真実しんじつい、産業廃棄物以下さんぎょうはいきぶついかのものにぎないだろうが」

 ハナOの威迫いはく気圧けおされたものの、そもそもがわりかしぎゃくギレ体質たいしつにできていたわたしは、結句けっく激甚げきじんたる悍性かんせい発揮はっきして、逆捩さかねてきけた。

「そいじゃあ、おたずねしやすがね。価値かち真実しんじつのある結論けつろんってえのは、いったいなんなんですかい。ええ? ご教授願きょうじゅねがおうじゃねえですか。ねえ大先生だいせんせい是非ぜひともおしえてやっておくんなせえ」

 瞬間しゅんかん、Oの面上めんじょうから表情ひょうじょうえた。それは、わたし茫乎ぼうこたる草原そうげん想起そうきさせた。

 寒気さむけがした。

んで人間にんげんひとごとだよ」

 Oはった。

だれからも見棄みすてられた人間にんげんが、だれからのこたえも期待きたいしないでいた、直前ちょくぜんひとごとにだけ、価値かち真実しんじつはあるんだ」

 まずい沈黙ちんもくながれ、暫時ざんじ支配しはいした。

 しかし、そもそもが愚鈍ぐどん無神経むしんけい人間にんげんであったわたしは、数分すうふんもするとふたた食欲しょくよく出来しゅったい結句けっくまずさを払拭ふっしょくしてしまい、さき問答もんどうもどうでもくなり、またぞろ馬鹿食ばかぐいをはじめ、Oのほうでも空気くうきえたくなったものか、なんやかやと他愛たあい世間話せけんばなしはじめた。

 畢竟ひっきょうすこしは遠慮えんりょしろよ」というOの苦情くじょう完全かんぜん無視むしし、そもそもが身銭みぜにらずに快楽かいらく追求ついきゅうすることへ、いささかならぬ情熱じょうねつゆうしている乞食気質こじききしつわたしは、餓鬼がきめいた態様たいようで5000えんえる鯨飲馬食げいいんばしょくをカマし、所期しょきとおり、その全額ぜんがくをOに支払しはらわせたのであった。

 二人揃ふたりそろってみせると、不図思ふとおもしたかのごとくにOがった。

「おれ、がんなんだ」

「えっ 」

「もう、ながえ」

 私は狼狽うろたえ、なにかえせなかった。

「まあ武座馬君ぶざまくんは、これからも頑張がんばれや」

「……」

「じゃあな。おさきに」

 Oはわたしかたかるたたいてからそびらけ、うしりながらあるった。


[5]

 くろいカーテンをっているせいで、昼間ひるまだというのにくらな1Kの虚室きょしつうちに、わたし田口たぐちかおつめていた。不健康ふけんこうそうな青黒あおぐろはだに、くぼんだ眼窩がんかほおのレールのうえかれた田口たぐちかおは、目玉めだまをギョロギョロとせわしなくうごかし、くちをパクパクと開閉かいへいした。

 卒爾そつじとしてあらわれた田口たぐちかお慄然りつぜんとしつつも、その恐怖きょうふには、徐々じょじょ哀切あいせつざりはじめるのであった。無論むろん現象自体げんしょうじたいおそろしいものではあった。しかし、このアンエクスペクタンシーな異象いしょうしょうじたタイミングが、わたしうちに、みょう心機しんき惹起じゃっきせしめたのである。

 だれなぐさめもられず、さながら孤城落日こじょうらくじつごとくに病臥びょうがしていたわたしは、床中とこなかにて孤独こどく痛烈つうれつかんじ、頽堕委靡たいだいび欷歔ききょしては強烈きょうれつ求愛心きゅうあいしん刺激しげきされ < ボクをひとりにしないでくれ! > という、ぬくもりと存在承認そんざいしょうにん懇求こんきゅうする、稚気ちきめいたさけびをはなった。

 すると、まるでそのさけびへ呼応こおうするかのようなで、田口たぐちかおあらわれたのである。  

 さきべたとおり、そもそもがすべてを自分じぶん都合好つごうよ解釈かいしゃくするところがあったわたしは、転帰てんき田口たぐちかお出現しゅつげんというのも、かつてをこころ兄弟きょうだいとしてみとった田口たぐちが、してなお兄貴分あにきぶんであるわたし心配しんぱいし、その精神的危機せいしんてきききへとけつけてくれたのだとおもはじめた。

 つまりわたしにとり、該異象がいいしょうおそろしさの一方いっぽうで、知己ちきのありがたき訪来ほうらいという印象いんしょうがあった。あれども現象自体げんしょうじたいは、生首なまくび出現しゅつげんというウィアードきわまるものであり、それが旧知きゅうち生首なまくびであるにしても、些少さしょう惧怕ぐはくけられるハズもなかった。

 結句けっくわたし哀切あいせつ先立さきだ恐怖きょうふをふとこりながら、田口たぐちかお相対あいたいしたのである。

田口君たぐちくん

 わたしこして、田口たぐちへとけた。田口たぐち目玉めだまをグルグルとうごかし、くちけてはじてのかえしをしていた。

「ありがとう、田口君たぐちくんきみは、兄貴分あにきぶんであるボクの大恩だいおんむくいるために、わざわざけつけてくれたんだね? ボクが孤独こどくくるしんでいるのをって、弟分おとうとぶんとしてなぐさめをあたえんがために、てくれたんだね? 」

 のレールのうえせられた田口たぐちかおは、せんからとおな挙動きょどうをした。

「でも、そのなりるに、本当ほんとうきみんでしまったんだね。かなしいよ。もしもボクが、理不尽りふじん馘首かくしゅをされていなければ、きみたすけになれたやもしれない。それが衷心ちゅうしんから無念むねんだ」

 そもそもが割合わりあいにセンチメンタルなロマンティストであるわたしは、くのごとうわつらだけの台詞せりふいているうち強烈きょうれつ自己陶酔じことうすいをカマしはじめ、転帰てんき自分じぶん自分じぶん感動かんどうする仕儀しぎ相成あいなり、ウルウルとうるませてはぐのであった。

してなおたもたれるきずなか……」わたし双眸そうぼうからなみだこぼちた「ボクはね、田口君たぐちくん生来せいらい孤高ここうのローン・ウルフとしてごしてたんだ。でもね、あのきみ出会であったことで、ボクにははじめて友達ともだちが……いやちがうね、ソウル・メイトができたんだ。フヒヒ。ハナ兄弟分きょうだいぶんなんてったけど、身芯しんしん部分ぶぶんでは、修羅しゅらちまた同志どうしだとおもっていたんだ。ボクは、ずっと孤立こりつしてきてたし、ホラ、どうできみだって、ロクなかたはしてなかったんだろ? きみ風体ふうていりゃあ、ぐとわかったさ。ボクはねえ、ハナきみときから、ああ、こいつもぶざまなぐみなんだな、冷然れいぜんたる世界せかいこごえたこころともあたたえる、みじめな同類どうるいなんだなっておもったよ。きみもボクとおなじ、人生じんせい敗残者はいざんしゃだもんね。フヒヒ。どうやら、きみほうでもおなじことをかんがえてくれていたみたいだね。ボクとおな友誼ゆうぎかんじてくれていたきみは、んだあとも、こうしてけつけてくれたんだもの。そうだよね、マイ・スウィート・ソウル・フレンド……」

 わたしは、クドクドとみったくない自己満足じこまんぞくとともに田口たぐちけたが、かれは、わたしたいするレスポンスは一切呈いっさいていせず、相変あいかわらずをギョロギョロとまわし、くちをパクパクと開閉かいへいさせるのであった。

 わたし内心ないしんにて舌打したうちをはなった。

田口君たぐちくんんでもいからよ、返事へんじをしてくれねえかい? 」

 田口たぐち相変あいかわらずのていであった。

 不図ふとわたしうち疑懼ぎくしょうじた。たして田口たぐちは、本当ほんとうわたし心配しんぱいしてあらわれたのだろうか。ハナわたし田口たぐちのことを揣摩しまし、ひと合点がてん感動かんどうしてみせたものの、よくよくとかんがえれば、田口本人たぐちほんにんから「あなたをなぐさめるためにあらわれました」とわれたわけではないのである。田口たぐちは、わたし悲嘆ひたんわせるように出現しゅつげんし、隙間すきまかおして目玉めだまくちうごかしただけで、そのじつ心配しんぱい言葉ことばくのでもなければ、莞爾かんじとした表情ひょうじょう寄越よこしてわたし勇気ゆうきづけるのでもなかった。もしかすると、田口たぐちわたし孤独こどく心配しんぱいしたのではなく、かえってその孤独こどく嘲笑ちょうしょうするためにあらわれたのではないか? だとすれば、つとからの無視むし説明せつめいがつこうものである。しか何故なにゆえこころ友情ゆうじょうむすばれているはずの田口たぐちが、わたし不幸ふこう嗤笑ししょうするがごと振舞ふるまいをするのか。わたしには皆目理解かいもくりかいできなかった。

田口君たぐちくんきみはもしや、ボクにたいして、なにかイチモツをかかえているのかい? 」

 田口たぐちは、目口めくち挙動きょどう沈黙ちんもく継続けいぞくしていた。わたしうちで、徐々じょじょいかりがげてた。悍性かんせい必死ひっしおさえながら、わたしふたたけた。

田口たぐち……くん。ボクら男同士おとこどうしはらってはなおうじゃねえか。なにべつおこりゃあしねえよ。きた人間同士にんげんどうしだ、ちょいとしたちがいってのはあらあな……いやきみんじまってんのか。まあそれでもよ、そのあたりの誤解ごかいなんざ、ちゃんと話合はなしあえば解消かいしょうしちまうだろうさ。なんせ、一度いちどかたきずなむすばれた、グレハマ同士どうしなんだからよ」

 田口たぐちなんらの反応はんのうていさなかった。

 田口たぐち眼窩がんかうちうごまわり、くち開閉かいへいかえした。

 < こいつは何様なにさまのつもりだ? ボクはてめえに感謝かんしゃされこそすれ、こんないやがらせめいたことをされるおぼえはえぞ? てめえが警備員けいびいんとして成長せいちょうできたのも、全部ぜんぶボクのおかげじゃねえか。そのボクにたいして、この仕打しうちはなんだい。悪戯いたずらのつもりにしちゃあ、 ちょいとぎるぜ! こころ兄貴分あにきぶんたいして、これは因業いんごうってもんじゃねえか? それともなにか、てめえは亡霊ぼうれいになっちまったもんだから、きた人間にんげんよりもえらくなったつもりで、大上段だいじょうだんかまえてやがんのかい? もうきた人間にんげんのボクのことなんざ、リスペクトしたかねえってのかい? そうかい。まあいいやな。ボクたちの紐帯ちゅうたいるってんなら、勝手かってにすりゃあいいさ。裏切者うらぎりもの。そいつはてめえのひんげるだけなんだからよ。でもよ、わざわざくるしんでいるボクのところまで出張でばってて、その艱難辛苦かんなんしんくもだえているさま嘲弄ちょうろうしようってんなら、はなしべつだぜ。それは明明めいめいたる敵対行為てきたいこういだわな。宣戦布告せんせんふこくだわな。てめえは、もう兄弟きょうだいでも、元兄弟もときょうだいでも、友人ゆうじんでも、元友人もとゆうじんでもねえわな。てきだわな、てき。そうだよ、てめえは、てきだよ。忘恩野郎ぼうおんやろうが。てめえは、てきだ。てきてきてき。 >

「おい、田口たぐち! てめえ、一線越いっせんこえたな! 」

 わたし怒罵どばした。業腹ごうはらであった。いかりが怒髪天どはつてんいた。

「ぶっころすぞぉぉぉぉぉぉ! 」

 わたし癇癪かんしゃくおこした。感冒かんぼう気怠けだるさはんでいた。

「おい、てめえ! まえからおもってたけどよ、てめえのその、目玉めだまをギョロギョロさせるの、気持きもわるいんだよ! てめえはむかしのペコちゃんかよ、馬鹿ばかが! それによ、やたらとよ、くちをパクパクしやがってよ! てめえはづけされたこいかよ! ボクにいたいことがあんならよ、はっきりえよ! それともてめえはよ、ロクにものがえねえのかよ? てめえのくちかざりかよ? だったらよ、そんなもんにはよ、ボクが爆弾ばくだんでもぶちんでよ、てめえのドタマごとよ、端微塵ぱみじんにしてやるよ、馬鹿ばかが! 」

 うちいかりでちたわたしは、赫怒汹汹かくどきょうきょうたる罵声ばせいはなった。

「176ぷん

 田口たぐちはじめてくちいた。目玉めだまわらずと、四顧しこしていた。

「は? 」

「176ぷん

「てめえは、めざましテレビのめざましくんかよ! 」

 癇声かんごえげつつ、わたし枕頭ちんとう置時計おきどけい確認かくにんした。時計とけいは1250ぷんていしていた。

「176ぷん

「どこが176ぷんなんだよ! 時間じかんちがうじゃねえかよ、馬鹿ばかが! 」

「176ぷん

「だから176ぷんじゃねえってってんだろ! めてんのか! ころすぞこの野郎やろう!」

 わたしいかりは歯牙しがにもけず、田口たぐち目玉めだまをギョロギョロとうごかしながら「176ぷん」と連呼れんこしていた。そのさま益益ますますいかりのボルテージを上昇じょうしょうさせたわたしは、またぞろ罵声ばせいこうとしておおきくいきんだ。

 するとこうの暗闇くらやみから、復新またあらたになにかがあらわれて、田口たぐちかおうえへとった。それは、あたらしい田口たぐちかおだった。のレールにあごせた田口たぐちかおうえで、べつ田口たぐちかおが、やはり目玉めだまをグルグルとまわしつつ「176ぷん」と発声はっせいした。 

 わたし惊慌りょうこうし、罵倒ばとうのためにんだいきを、かろ悲鳴ひめい変換へんかんさせてしまった。あらたなかお出現しゅつげんにより刹那せつな恐怖きょうふいかりをみかけた。あれども、そもそもが爆竹ばくちくめいた癇癪持かんしゃくもちであるわたしにとり、一度火いちどひのついた嚇怒かくどは、そうやすえぬのであった。

えてどうすんだよ、おい! 」わたし胴間声どうまごえでがなりてた。

 その吼罵こうば反応はんのうするかのごとく、こうからまたあたらしい田口たぐちかおあらわれ、せんの2つのトップへとっかった。3つの田口たぐちかおが、たてならんだ。

「てめえは団子三兄弟だんごさんきょうだいかよ! ふるいんだよ、馬鹿ばかが! それともなにか、ボクがくしでもってて、メキシコ・マフィアしきにその間抜まぬけなドタマを串刺くしざしにして、マジモンの団子三兄弟だんごさんきょうだいにしてやろうか! 」

 3つの田口たぐちかおは、わたし一切いっさい反応はんのうしめさず、てんでばらばらに「176ぷん」とつづけ、目玉めだまをギョロギョロとうごかした。

「おい! レスポンスをしろよ! 」

 わたし罵倒ばとうすると、こうからまたあらたな田口たぐちかお出現しゅつげんした。かおが4つになった。それからまたかおあらわれ、5つになり、復現またあらわれ、6つに……しかして続発的ぞくはつてきあらたなかおあらわれてはたてかさなりつづけ、転帰てんき田口たぐちかおたてに10つならび、それらすべてが目玉めだまをグリグリとまわつづけては、やはり「176ぷん」と不揃ふぞろいに連呼れんこするのであった。

「176ぷん

「いや、だからよ」

「176ぷん

「あのよ」

「176ぷん

「……」

「176ぷん

「……」

「176ぷん

「……」

「176ぷん

「てめえ! だまっていてりゃ馬鹿ばかみてえにかえしやがって、馬鹿ばかが! 」

 わる気配けはい意味不明いみふめい時刻じこく連呼れんこへとしびれをらし、わたし號呼ごうこした。

大体だいたいよ、なんでそんなにかおやしてんだよ! せん千尋気取ちひろきどりか? それとも威嚇いかくをしてるつもりかよ! エリマキトカゲか、てめえは! 」

「176ぷん

無視むししてんじゃねえよ、馬鹿ばかが! 」

 獰卒どうそつめいたいかりにられつつ絶叫ぜっきょうしたわたしは、咫尺しせきかれていたティッシュはこつかむと、田口たぐちかおけてげつけた。しかし、それはしたから4つめの田口たぐちかおをすりけて、こうの暗闇くらやみへとえてしまった。

「176ぷん

 わたし舌打したうちをはなった。

物理ぶつりかねえか……」

「176ぷん

「……」

「176ぷん

「……」

「176ぷん

調子ちょうしるなよ、馬鹿ばかが! 仮令物理たといぶつりかなくともなあ、てめえにとどめを方法ほうほうなんざ、ほかにもくさるほどあるんだよ! いまてろよ! てめえなんざ、即効そっこうはらってやるからな! 覚悟かくごしろ、薄汚うすぎたな亡者もうじゃめ! 」

「176ぷん

南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょうッ」

「176ぷん

「ओं अमोघ वैरोचन महामुद्रा मणि पद्म ज्वाल प्रवर्त्तय हूं」

「176ぷん

「The power of Christ compels you ! The power of Christ compels you !」

「176ぷん

りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん、だあああああああああああああああ! 」

「176ぷん

「クソがっ、なにかねえ! 」

「176ぷん」「176ぷん」「176ぷん」「176ぷん」「176ぷん」「176ぷん

たたけててんじゃねえよ! こっちの足元あしもとくさりやがって、くさ外道げどうが! ボクとおな土俵どひょうってたたかえよ、正々堂々せいせいどうどうとよ! 卑怯者ひきょうもの馬鹿ばかが! てめえには騎士道精神きしどうせいしんも、スポーツマンシップもえのかよ! はじれよ、はじを! 」

 最早万策尽もはやばんさくつきたわたしは、しみしき切歯扼腕せっしやくわん激情げきじょうはな他無ほかなかった。

「176ぷん

「てめえ! その176ぷんってのはなんなんだよ! 馬鹿ばかが! 」

 たてに10つならんだ田口たぐちかおがすべて、従前じゅうぜんまでのギョロギョロとしたうごきをめ、一斉いっせいわたしほうた。

 いで、それらすべてが、けんばかりにくちひらいた。

田口たぐち、がさつ、をした時間じかん、いつ、か、お、まえが、、ぬ時間じかん

 すべて、田口たぐちかおが、合唱がっしょうした。

、ぬよ、に、ます。田口たぐち、はに、ました。お、まえ、に、ます。おな、じように」

 10つある田口たぐちかおは、空気くうきれんばかりの大音声だいおんじょうでゲラゲラわらったかとおもうと、かめ甲羅こうらくびめるがごとくに、おく暗闇くらやみへとえた。

 わたしひとり、のこされた。

 

<了>

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