八番目のお嬢様が逃げ出した!

みこと。

全一話

「身代わりになって欲しい!」


 小作人の父さんのもとに頭を下げに来たのは、村を治める名主様だった。


 名主様には、八人の子どもがいて、上の七人が息子、そして最後の一人が娘。


 お嬢様は確か今年で十五歳。

 恥ずかしがり屋で屋敷の奥深くで過ごし、村ではもう何年も姿を見ていない。


 そんなお嬢様が、谷に住む化け物【ヤチ】の生贄に、くじで選ばれてしまった。


 それを知ったお嬢様は、逃げ出してしまったという。


 しかし生贄を捧げないと、村が滅ぼされてしまう。

 それで同じく十五で、まだ生娘だった私のところに、名主様が来たのだった。


 父さんは、頷かない。


「お嬢様をこっそり逃がされたのではねぇですかぃ?」


「違う。生贄に選ばれた話をした翌朝には、姿を消していたんだ。頼む。謝礼を弾むから、どうか」


 名主様は粘った。


 "明日の食べ物にも事欠くと聞く。

 このままだといつか、一家で飢えて死ぬかもしれないだろう?

 礼はたっぷり。

 娘にも生贄に捧げられるその日まで、腹いっぱい食わせる。


 生贄を出さなければ、村に待つのは、同じく死。

 しかも村人全員の死。


 どうか、どうか、承諾してくれ。

 力づくなことはしたくない"。


 後半、物騒なことまで言い始め、とうとう。

 向こう三年、我が家の食料を保証するという約束のもと、私がお嬢様……八重ヤエ様の身代わりとして、谷の化け物のもとに送られると決まってしまった。


 もう少し、生きたかったなぁ……。



 ◇



 名主様のお屋敷で、綺麗な着物を着て、美味しいものをいっぱい食べて。

 生まれて初めて、お姫様みたいに過ごして。


 あっという間に日が経って、明日には化け物のお腹の中。


 

 ぼんやりと、空の月を見る。

 月が見れるのも、明日が最後。


 明日の夜には谷に運ばれて、この世と別れる。


 …………。


 悲しくて悲しくて、涙が止まらなかった。


(そうだ。最後に鏡を持って行こう。部屋のものは何でも自由にしていいと言われてる。鏡を貰って、月を映して。せめて綺麗な月と一緒に死にこう)


 そっと鏡を懐中ふところに仕舞い、夜を過ごして、朝を迎え、昼が終わって。


 とうとう生贄になる夜が来た。



 ◇



 サクッ、サクッ。

 草を踏みわけ進む輿こしに揺られながら、山奥深く、谷へと進む。


 ぬかるみに足を取られたら、すぐに命まで沈んでしまいそうな湿地。


 異臭で鼻が曲がりそうなこの場所が。


 【ヤチ】の住処すみか


 ここに【ヤチ】が住み着いたのは、いつの頃からだったか。


 生贄は、毎年。私は五人目だから……。


 私を連れて来た大人たちは、早々に逃げ帰った。


 ゆっくりと雲が晴れ、空を穿うがつ月がぽつりとのぞく。

 小さい月が夜闇を照らし、視界を開いたところで。

 

 ズムッと、目の前の沼が揺れた。


 そして大きくせり上がり、目も鼻も口もない、ただ淀んだ水を練り上げたような黒い化け物があらわれた。

 

(これが【ヤチ】!!)


「ひっ」


 覚悟はしていた。

 けれど恐怖は別。


 思わず後ろにのけぞって、逃げようとしたけれど足に力が入らない。


 手も足もない【ヤチ】が、私に触れようと触手のように身体を伸ばしてくる。


(もうダメだ!!)


 目を閉じた私の横をヒュッと、風音が走った。


(え?)


 見ると、【ヤチ】の身体に矢が刺さっている。

 けれどすぐに矢が体内に取り込まれ──。

 効いてない。でも隙は生まれた、その時に。


「早く、こっちに!!」


 ぐい、と手を引かれた。


(誰?!)


 慌てて見ると、同じ年くらいの男の子が、いた。


「立てないのか?」

「こ、腰が抜けてて……」


 私が答えると、彼がいきなり私を抱き上げる。

(!!)


 そのまま逃げようとするけれど、【ヤチ】も速い。


「きゃっ」


 身をすくめた私の懐から、鏡がこぼれ落ちた。


「?!」


 【ヤチ】が鏡に目をとめる。

 そのまま不思議そうに身体をよじる。


 そのすきに、男の子と私は【ヤチ】から距離を取る。


「鏡が気になるのかしら?」


「そういえばあいつ、目、どこだ?」 


 互いに答えを求めない呟きを落とし、互いの声で落ち着きを得ると。


 彼は手元の石を打ち鳴らした。

 と、何かを巻き付けたやじりに火がつく。


(火矢?)


 すっくと構えて、いまだ鏡をのぞきこんでいる【ヤチ】に向かって、一射。


 火は【ヤチ】の身体を包んでいっきに燃え広がった。


「なっ……」


 あまりの火勢に驚いていると、彼が私の手を掴んで叫ぶ。


「もう走れるか? 一気に逃げよう! あいつ、油の塊りだから大変なことになる!!」


(えっ、えっ??)


 【ヤチ】はそのまま藻掻もがいて、水を求めて沼地に戻り、けれども火はなかなか消えず、夜空をあかねに染め上げながらも、しばらく。


 私は見知らぬ男の子と一緒に、高台からそのさまを見守っていた。



 ◇



 かなりの時間がたって、【ヤチ】がもう動かなくなった頃。


「ところできみは……、もしかして、身代わり、とか?」


 男の子がおそるおそるといった様子で聞いてきた。

 こくりと頷くと、「やっぱりかぁぁぁ」と頭を抱えている。そして言った。


「ごめん。俺のせいで、父が申し訳ないことをしてしまって」


「えっ」


(父? 名主様の七人の息子さんは、皆大きいと聞くけれど……)


 目の前の彼は、まだ十五、六にしか見えない。


「名乗ってなかったね。俺は名主の八番目の子で、八重ヤエ


「!! 八番目はお嬢様で、恥ずかしがり屋さんで──」


「うん、それね。息子だらけだろう? これ以上の息子は家督争いの元だし、娘が欲しかったからって、女の子として育てられたんだ。名前も女の子。けど普通に途中で自分でも気づくし、そうなると女装姿でなんか恥ずかしくて、とてもひと前に出られないよ」


「ええっ……」


「そうするうちに、谷に化け物が出るようになって。屋敷にこもって、いろいろ文献を取り寄せ、探ってたんだ。正体や退治する方法がわかれば、って。でも"生贄"に当たっちゃって。俺は"娘"じゃないし、破綻しまくってるし、これはもう今回【ヤチ】を倒すしかないと思って、抜け出したんだけど……。身代わりが用意されることまでは、考えが及ばなかったよ……」


 そういって、八重ヤエ様はたくさん謝ってくださった上、【ヤチ】のことも話してくれた。


 【ヤチ】は、どこかで退治された"妖獣の核"を取り込んでしまった《天然の油》ではないかということ。


 《天然の油》はそれ自体が、太古の生物の遺体から成っている。

 "妖獣の核"には思念や妖力が残っていて、そこにおかしな共鳴が生まれ、動き始めた。


 そして仲間やつがいを求めようと、生贄を要求していたが、同族ではないから殺してしまっていたのでは。


 すべては憶測や仮説。けれど、読んだ文献にそんな話があったらしい。


 準備がぎりぎりになってしまって、名主様に話して助力を得る時間はなく。

 "油なら、燃やし尽くしてやる"と単身で挑み、遠くから火矢を放つだけのつもりが、私がいたので驚いたということだった。


「どこまで燃え広がるかわからないから、助けなきゃと思って」


 鏡で足止め出来たのは幸いで、【ヤチ】はあの中に仲間を見たと思ったのか、自分の現在いまの姿に疑問を抱いたのか。

 それとも単に、月を見たのか。


「それはわからない。でも、きみが鏡を持ってたから救われた」と、彼は結んだ。



 ◇



 私と八重ヤエ様、ふたり並んで村への道を歩いていくと、向かいからたくさんの大人たちが来ている。


 村の人たちだ。

 谷の空が赤かったから、異変に気付いて様子を見に来たのかも。


「お────い」


 私は呼びかけて大きく手を振った。


 山に遮られていた太陽が、その姿をすっかり見せる頃。


 夜が明け切った朝に、八重ヤエ様と私は、名主様や父さんに再会して。


 なんのかんので、続く明日を手に入れることになった。




 その後。


 八重様は【ヤチ】の住処の近くから"燃え続ける水"を見つけ、《草生水くそうず》と呼んで商いをはじめられた。"臭い水"という意味も掛けているらしい。


 《草生水くそうず》は人気で、おかげで村は豊かに。冬でもぬくぬくな暖を取れる、あたたかな村として知られることになったのだけれど──。


 その頃には、私は八重様の八番目の息子を生んでいて。


 ちゃんと男の子として育てようと、そういう話になったのだった。





 ―おしまい―

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