第二十九話「神様の花嫁になりました」
年明け早々。葛葉屋敷の広間には、村のお歴々が勢揃いしていた。
村長、村議会の面々、旧家の当主達。美沙奈の父親の姿もある。渡会医師とその父親の姿もあった。
対する上座には、質素な黒留袖に身を包んだ藍里と、その傍らに控える智里の姿があった。
「――母、愛華の喪に服している最中ですので、本来は新年のご挨拶を差し控えさせていただくのが倣いですが」
藍里はそこで一度言葉を切り、一同の顔を見回した。
その場の全員が、軽い会釈でもって藍里に賛同の意を返す。それを見届けた藍里は、再び口を開いた。
「皆様もご存じの通り、私こと葛葉藍里は、神様の『花嫁』としてお傍にて支えていくこととなりました。『花嫁』としても葛葉の当主としても、まだまだ未熟の身ではございますが……引き続き皆様のご支援を賜りたく、こうして御足労いただき、ご挨拶の機会を設けさせていただきました。どうぞ、これからも末永くよろしくお願いいたします」
無事に口上を述べ藍里が頭を下げると、お歴々達も恭しく頭を下げ返した。
――守矢の「花嫁」となったことで、藍里は名実ともに葛葉の当主となった。この新年の挨拶は、当主としての初仕事だ。だから智里も助け舟を出さず、藍里一人でやり遂げていた。
藍里からの挨拶が終わると、今度はお歴々一人一人が藍里に挨拶をし、そのまま退出するという流れになった。未だに名前と顔が一致しない者が何人もいたが、そこは相手も意地悪ではない。自らの肩書と名前をわざわざ言ってくれていた。
「藍里様、本年もよろしくお願いいたします」
「渡会先生。その節は、大変お世話になりました」
「とんでもない! こちらこそ……その……美沙奈さんを助けていただいて……」
正月早々、渡会が感極まったとばかりに涙目になる。
あの後――藍里が守矢と共に帰還した後、美沙奈の体調は急激に回復していった。しばらくは療養が必要だったが、今ではもうすっかり良くなっている。
実は、正月の行事が終わった後には、一緒にお茶会をすることになってもいた。茶道も心得ているという美沙奈からのもてなしが、今から楽しみだった。
「先生、お正月から湿っぽいのは無しでお願いしますよ」
渡会医師の様子を見かねたのか、次の順番を待っていた外崎が苦笑いしながら声をかけてきた。
外崎もすっかり回復したようだが、額にはまだ傷跡が残っているので、大きな絆創膏を貼っていた。
「あっ、外崎さん。これはみっともないところを……。では、藍里様。失礼いたします」
照れながら去っていく渡会医師を見送りつつ、外崎が藍里の前で恭しく頭を下げた。
彼女は着物ではなく、ダークなスーツに身を包んでいる。下もスカートではなくパンツスタイルで、恰好いい彼女に良く似合っていた。
「外崎さん、お体の方はもう大丈夫なんですか?」
「ええ、お陰様で。村で食っちゃ寝してたら、すっかり良くなったよ。これも藍里ちゃん……おっと、もう『ちゃん』はまずいか」
「いいえ。外崎さんは大事なお友達ですから。どうぞ今まで通りでお願いします」
「そう? じゃあ、藍里ちゃん。本当に、本当にありがとうね。結構、危ない橋を渡って助けてくれたんでしょ?」
「うふふ、それは是非、神様に直接言って差し上げてください。きっと照れて出てこないでしょうけど」
「あはっ、違いないね――っと、後ろがつかえてるね。それじゃあ、またお茶でもしよ?」
爽やかに去っていく外崎を見送る。村では、今まで彼女に任せてばかりだった物流を見直す動きも出ているのだという。
さしあたっては、意地を張って村へ帰ってこない外崎の恋人を連れ戻して仕事を手伝わせよう、という話になっているようだ。そのまま二人が結婚でもすれば、村にとっては明るいニュースになるだろう――。
***
「あ~疲れた」
「お勤めご苦労様でした」
新年の挨拶が終わり、早くも午後になった。藍里と智里は着物から普段着に着替えてから居間へと移動し、ようやくお昼にありつこうとしていた。
昼食は、二人で年末からコツコツと作っていたおせち料理だ。たっぷり三日三晩分作ってある。実は、藍里はおせち料理初挑戦だったので、かなり苦戦した。
苦戦と言えば、お雑煮もそうだった。愛華が正月の料理をあまり好きではなかったせいで、藍里はお雑煮を作ったことがなかった。そこで、智里から葛葉家流のお雑煮を教わることになった。
葛葉のお雑煮は、あごだし――つまりトビウオの出汁と醤油をベースにしたお吸い物風のあっさり味だ。
具はなんとブリ。この山中で出汁も具も海魚とはどういうことだろう? と首を傾げたが、どうやら近隣の地域から伝わったレシピらしい。もちろん、お雑煮に付き物の餅もしっかり入れる。
「あ~、温まる。お母さん、どうしてこんな美味しい物を食べようとしなかったんだろう?」
「小さい頃に食べさせ過ぎたのかしらねぇ?」
藍里と智里が二人で首を傾げる。
と――。
「愛華のことだ。きっと、あっさり味では酒に合わないとでも思っていたんじゃないか」
「あ、神様。ようやくお目覚めですか? もう昼過ぎですよ」
朝から姿を見せていなかった守矢が、ようやく居間に姿を現した。
神様だから正月は忙しいのかと思いきや、なんともぐうたらしている。
「神様は正月のお勤めとか、ないんですか?」
「タケ様の所のような大所帯なら忙しくしているのだろうが、僕はこの村専門……いや、専用なのでな。その僕が面倒くさい行事はいらないと思っているのだ。だから、ない」
「お祭りとかあったら、楽しいのに」
――守矢の「花嫁」となった藍里だったが、二人の関係はあまり変わっていなかった。以前より軽口を叩きあうようにはなったが、それはあくまでも「家族」として慣れてきたというだけで、夫婦的なあれこれは皆無だ。寝室もお互いに別々のままだった。
「花嫁」とはいっても、婚姻関係とは異なるらしい。
(ちょっとは期待してたんだけどなぁ)
等と思っているとは、口が裂けても言えない藍里であった。
「そう言えば、タケ様はやっぱり忙しいんですかね? あの人なら、おせちやお雑煮をたかりに来そうなものなのに」
「今も言ったが、タケ様の本社は大所帯だからな。年末と正月は本社から一切動けないだろうさ。――ああ、でも毎年律義に酒を届けてくれていたな。その内、
「しんし? あ、神様の使いか。タケ様の所の神使はどういうのなんですか?」
「
「おろち」
「人間を丸呑み出来るような白蛇さ。見て、腰を抜かすなよ?」
少し意地悪そうな守矢の表情に、藍里は「これは、からかわれているな」と考えた。
――が、守矢は嘘は言っていなかった。次の日の夕刻、玄関のチャイムを丁寧に鳴らして樽酒を届けに来た白い大蛇の姿を見た藍里は、見事に気絶したのだが、それはまた別の話である――。
「それにしても、今年のお正月は嬉しいわぁ~。藍里ちゃんがいてくれて」
「あ、そうか。去年までは神様と智里おばあちゃんの二人だけだったんだもんね」
「ええ。来年のお正月には、もう一人くらい増えていると嬉しいだけど」
「もう一人?」
はて、誰のことだろう? と藍里が首を傾げる。
すると、智里は実にとんでもないことを言い出した。
「神様と藍里ちゃんの赤ちゃんに決まってるじゃない」
『っ――!』
智里の爆弾発言に、藍里と守矢が揃って絶句した。
守矢などは気の毒に、啜っていたお雑煮を吹き出してしまっていた。
「ち、智里! いきなり何を言い出す」
「あら~? 藍里ちゃんは『花嫁』なんですから、何もおかしいことはないじゃないですか~?」
「お、おばあちゃん! その、『花嫁』って別にそういう意味じゃ……」
「あらあら~? でも、このままだと葛葉の血が絶えてしまいますし。時代錯誤と言われようとも、藍里ちゃんには跡継ぎを産んでもらわないと、私も安心して少ない老後を暮らせないわぁ」
「よよよ~」などと、わざとらしく泣き真似をしてみせる智里。
明らかに二人をからかっている。もちろん、藍里が守矢に淡い初恋の影を追っていることを承知してのことだろう。
だが――。
「ふむ。智里の言うことも一理あるな」
「か、神様!?」
「御先代から預かった大切な葛葉の血筋だ。ここで絶やすのも不義理というものだろう。僕は構わんぞ」
「ちょっ、神様までそんなことを――」
「それとも、藍里は僕が相手では不満か?」
守矢の表情は真剣そのものだった。恐らく、本気で葛葉の血筋が絶えることを心配しているのだろう。
しかし、藍里にとってみればたまったものではない。幼い頃の淡い初恋の君が、そのままの姿で子作りを提案してきているのだ。様々な感情がごちゃ混ぜになって、正直どうにかなりそうだった。
「あ、あう……」
「どうした藍里。人語を喋れ。僕では不満というのなら、誰か適当な相手を見繕って――」
「か、神様!?」
「冗談だ」
「ほっ、良かった」
「僕としても、藍里を他の男にくれてやるのは業腹だからな。僕で我慢してくれ」
「……えっ?」
守矢の言っている意味が分からず、ぽかーんと口を開けて間抜けな表情を見せる藍里。
しばらく思考停止していた頭が復活した途端、今度はその顔が燃えるように真っ赤になった。
傍らの智里は、そんな二人の様子を微笑ましそうな表情で眺めていた。
(了)
座敷わらし様の花嫁 澤田慎梧 @sumigoro
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