幽霊をひとつ

尾八原ジュージ

これもお食べ

 有難いことに私の小説が賞をいただいてからこっち、「どうやって小説を書いてるんですか」なんてお尋ねいただくことがあるのですが、小説を書くにはやはり幽霊を飼うに越したことはありません。その辺の路地裏や運動場の隅や階段の踊り場なんかで気に入ったやつを見かけたときは、迷わず捕まえてしまいましょう。

 幽霊の飼い方は至極簡単で、とりあえず瓶か箱に入れて太陽の光にあてないよう、基本は暗いところに置いておきましょう。時々霧吹きで水をかけ、あとは新聞紙のきれっぱしでもなんでも、文字が書かれたものを入れておけばよろしい。こうしておくと、幽霊は文字を食うようになるのです。

 さて小説を書く方法というのは、このとき新聞紙のきれっぱしではなく、まずあなたが書いたもの――なんでもいいのです。日記でも手紙の書き損じでも――を瓶に入れて、幽霊に食わせるのです。すると幽霊はだんだんあなたの筆致を覚えて、次第に馴染み、やがてそればかり食べたがるようになるでしょう。

 さぁ、ここらで小説を書き始めます。何も難しいことはありません。手元にいる幽霊のことを書けば、なかなかそれらしくなりますから。たとえばどういう顔をしているだとか、どこそこで捕まえたとか、ずいぶん血まみれだけどどうやって死んだのだろうかとか、最初はその程度でいいのです。ときには幽霊自ら体験したことを話してくれますから、それをそのまま書いたっていい。

 私が飼っている幽霊は、年の頃は十七、八くらいでしょうか。とても綺麗な女の子で、冬用のセーラー服を着、髪は黒く、バレリーナのようにきりりとお団子に結っています。手足はすらりと長く、体は華奢で、白い頬に触るとひんやりします。なんでもひどく寂れた田舎町から流れてきたのだそうですが、街中に住んでみたらよっぽど住み心地がいい。あんな人気のないところはつまらないから、もう二度と帰らないなどと言っていました。

 ともかくそんなことを書き散らして、幽霊に食わせます。手書きでも、パソコンで書いたものをプリントしてもいいのです。食わせれば食わせるだけ、幽霊はますますあなたの筆致を覚えます。そこでまた書く。また食わせる。そろそろ頻繁に催促されるようになるでしょう。あなたの小説をもっと書いて、もっと食べさせて、とね。こう言ってくれる相手がいるのといないのとでは、小説の進捗に大変な差が出ます。

 私ですか。書きましたとも。元々速筆の方から見れば大したことはないでしょうけど、それでも本来大変な遅筆の私が、毎月五万から六万字、多い月は十万字近くも書くようになったのですから、なかなか頑張っているのではないでしょうか。かわいい女の子の幽霊に、とにかく小説を書いて書いて書いて書いて書いてとせがまれると、嬉しくなってしまってつい筆が進むのです。余暇はすべて執筆に費やし、家に引きこもってキーボードを打っています。

 でも、本当はよくないことです。あなたも幽霊を飼ったときには、あなたが書いた小説ばかり食わせていないで、たまには新聞紙だとか、読まなくなった古本のページだとか、そういうものを餌に混ぜた方がいいでしょう。そうでないと身が持ちません。

 だって幽霊は毎日毎日「書いて書いて書いて書いて」ときますから、一度そのペースに飲まれたら大変なことになるのです。ありもしないことを毎日書き散らしては食わせ、また書いては食わせ……今思えば、私はどこかで断らないとならなかったのです。そうすればこんな、毎日毎日小説を書いては食わせ書いては食わせって、こんな目に遭わずに済んだのに、もうやめようったってやめられっこないのです。あの愛らしい声でもっともっとと言われるとどうしても書かずにはいられなくって、おかげで食事をとるのも寝るのも時間が惜しい。もうずいぶん体重が減ったし、目の下には真っ黒なクマができたまま一向に消えません。四六時中小説のことを考えて頭の中が煮えそうで、それなのに思考がぼやけて、何を書いているのかわからなくなってきました。

 最近、私が死んだ後のことを考えています。なにしろ私の代わりに、私のかわいい幽霊に小説を食わせてやれるひとを探してからでないと、安心して死ねませんから。死後、私も幽霊になって小説を書けたらいいのだけど、そんなのどうだかわからないでしょう。とりあえずあなた、いかがですか。幽霊をひとつ。

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