「怒らないんだ」


 私の問いかけに対し、彼はこちらを一瞥するだけだった。

 二人を呼び止めたあと、嫌でなければ一緒に一晩過ごさないかと伝えた。

 驚いた様子だったが、ユアとレーナは快諾をしてくれ、今寝袋を自宅に取りに行っている。

 私とヴァンクはしばし、二人きりになり建物の2階、壁が壊れて外が見える部屋で夜空を見ていた。


「怒る必要がない。君は僕の忠告を守ったじゃないか」


「でも、私は迷ったよ」


 自身が二人の知っているリノ・マルクレアだと告白すること。

 あの時、それをしてしまえばどれだけ楽かを考えた。

 喉元まで、言葉は出かかっていた。


「結果、君は言わなかった。全てはそこに帰結する。迷いは大切なものだよ。無くさないほうがいい」


 少し肌寒い空気の中をつたい、耳に届くヴァンクの声に少し安心する。

 本当に怒っていないようだ。


「ヴァンク、私さ。どのくらい意識を失っていたの?」


 おそらく葬儀が行われたのなら、今日はあのガーズに殺されかけた日ではないのだろう。

 一晩か、或いはそれ以上の時間が経っているはずだ。


「2日間」


 やはりそうか。

 傷のせいか、もしくはこの突飛な契約のせいかわからないが長く眠っていたらしい。


「リノ・マルクレアはもう死んだんだね」


「自分の顔でも見てみるかい」


 彼が手を出す。

 そこにはガラスの破片が握られていた。

 ポケットをまさぐり、ライターを取り出す。

 カチッと音が鳴ると小さな火が暖かく灯った。

 反射して映る顔は、よく知るリノ・マルクレアではない。

 面影はあれど、別人だ。


「魂の有り様が器を形作る。今の君は、今の君でしかない。面白いだろう?」


「笑えないよ」


 言葉とは裏腹に呆れた笑いを返す。


「だけどね」


 ヴァンクがこちらに振り返り、目が合う。


「魂の有り様が変わっても、君は君だ。本質は変わらない。僕が美しいものを見た、瞬間からくすみも澱みもしていない」


 彼はゆっくりと私の手を取ると、ガラスを取り上げた。


「あっ」


 そのまま、顔と顔が近づいていく。

 ヴァンクからは甘い匂いがした。

 漂い、包み込み、私と繋がっていくような感覚。

 冷たい指先が、手と絡んでいく。

 胸の音が少しずつ知らないものへと変わって。

 呼吸がわずかに熱を帯びていくのがわかる。


「ちょっと、どうしたの」


「あの二人は良い友達だね。確かな感覚はなくても、君にリノの面影を見ている。魂で結ばれていた証明だ」


 ガラスの先を、私の手の甲に沿わせて優しく引いた。


「いたっ」


 痛みが走り、思わず手を引っ込めそうになる。

 しかし、強い力で握られた手は少しも動かない。

 紅く、血が滲んでいくと、穏やか流れを持って皮膚を伝っていく。

 彼はそれを見ると、私の手の甲を顔の前に引き寄せた。

 拒むわけでもなくそれを受け入れる。

 血は止まらない。

 自分が溢(こぼ)れていく。

 熱が溢(あふ)れていく。

 ヴァンクの目は愛おしそうに流れていく血を見ていた。

 二人の間に言葉はない。

 微かに呼吸が交差するばかりだ。

 彼は、口を近づけ舌を傷口に這わせていく。

 痺れるような感覚が体に突き抜ける。

 脳まで届くように、体の細胞一つ一つが快感を感じていた。

 こうされることがあるべき形かのように、体が熱くなっていく。

 血を、吸われているのだ。

 吸血鬼だから。

 ヴァンパイアだから。

 感じたことがない感覚も、どうしてだろう納得に変わっていく。

 気がつけば体が、寄せてくる快楽の波に耐えるため小刻みに震えており。

 今できることは声を出さないことだけだった。


「……ご馳走様」


 ヴァンクがニコリと笑う。


「急に、なにするの」


 乱れた呼吸を整えながら彼を睨んだ。


「何って、栄養補給さ。僕はヴァンパイアだからね」


 悪びれずにそう言うヴァンクは、何事もなかったかのように私から離れていった。


「せめて一言言ってよ!!」


「じゃあ今度からは、いただきますとでも言えばいいかな??」


 それは少し複雑な気持ちがしそう。

 第一拒否権がないではないか。


「タイミングだってあるでしょうが!!こんな、今じゃなくたって……」


「感傷に浸る女性の血なんて、最高に食べごろなんだよ?知らなかった?」


 知るわけないだろ。

 ツッコミを入れるのも億劫になり、言葉にならないままため息が漏れる。

 というか、吸血って毎回こんな感覚を味わうことになるのだろうか。

 その、中々言葉にしにくいこの感じを。

 痛いのかなーくらいは漠然と考えていたが、痛いよりずっと何というか、困る。


「まぁ、これは序の口だから。本当に血を吸う時は別のやり方をするし、楽しみにしててよ。今回は時間がない」


「へ?序の口??」


 割と頭が変になりそうだったけど??

 体も若干だるさを感じるし。

 これ、本気で吸われたら死ぬんじゃないか??


「後、時間がないって……」


「ほら、闘争の足音がするんだ。聞こえないかい?」


 何を言っているのかわからない。

 しかし彼は、ヴァンパイアは喜びを隠しもせずに笑う。

 狂気と呼ぶほかがない悍ましいほどに楽しげな笑み。

 そしてその言葉がきっかけだったかのように、コロニー入口の方角から銃声が響いた。


「発泡音……!?ガーズ!?」


「良いタイミングでちょうどいい良い獲物が来たってところかな」


 ヴァンクは立ち上がると、背を向けて歩いていこうとする。


「待って!武器もなしに行くの!?」


 慌てて立ち上がり彼を呼び止めた。

 もしヴァンクが死なないとしても、戦いが長引けばコロニーにも被害が出る。

 それに、逃げられれば増援を呼ばれる可能性もあるのだ。

 中途半端は許されない。


「心配しないでよ。武器なら、最高のものをもらったさ」


 指で口元を指しながらそう言う。

 綺麗に整えられた爪が、唇に当たっていた。


「見せてあげるよ。ヴァンパイアとは何かを。少しだけね」


 不遜。

 表現しようのない自信を言葉に置き換えるならこうだ。

 そして傲慢。

 確信がある傲慢さ。

 死を感じさせない、けれど死を振り撒くように思わせるもの。

 目の前にいるのは何なのだろう。

 ヴァンパイアとはいったい、どのようなものなのだろうか。


「早く行かないと、死人が増えることになるよ?」


「ああ、もう!!わかった、早く行こう!」


「そうこないと」


 二人で階段を降り、外に飛び出していく。

 コロニーの中はすでに混乱していた。

 避難を促す人、それに従う人、慌ててしまい中々動けない人、状況把握のためにコロニーの入り口に向かう人……。

 三者三様の行動をする人々を尻目に、私たちは一目散に銃声のする方へと向かっていった。

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廃滅のヴァンパイア るるはら さなぎ @Rokudenashi1998

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