メイン『小津安二郎のカメラアングル(小津調)』

 前回、関係のないリンチ監督の話で盛り上がったまま、続きも書かずにだいぶ間が空いてしまいました。さすがに、この第二話では、たらたらと小津安二郎作品におけるアングルについて書いていきます。


 とはいえ、ただアングルの話をしても小説を書く方・読む方が多いカクヨムでは芸がないので、小説における「人称」と例えていきたいと思います。


 小説は、一人称か三人称が大多数ですね。映画における「人称」は少々複雑でして、一つの映画の中で入り乱れていることが多いです。しかしながら、全部まとめて「カメラ人称」ともいえます。


 まずは、俳優のカメラ目線。


 これは小説の「一人称」に当たります。登場人物の一人に語りかけているようにして、カメラのレンズを見て観客に語りかけているパターンです。例えば、愛の告白シーンや宿敵との対峙シーンなど重要なキメ台詞(名探偵の「犯人はお前だ!」等)を言うカットでよく用いられます。


 ちなみに、これ本当にに語りかけている場合は、「第四の壁を破る」といって『デッドプール』(注1)などで有名なメタ手法です。これは特殊なパターンなので、今回の話からは除外したいと思います。


 次に、カメラが登場人物の一人の視線になっているもの。これも「一人称」ですね。俳優のカメラ目線と対になっている形ですが、人間いつでも誰かと目を合わせているわけではないですし、風景など無機物を見ている場合もありますよね。


 この場合、カメラは台に固定された状態ではなく、手持ち(または衣服や頭部に装着して使うウェアラブルカメラ)での撮影が主流です。こうすることで、手ブレにより少し画面が揺れる状態になります。この揺れが観客がまるで作品の中に入り込んでしまったかのような視覚効果を生みます。


 この手法で撮られた映画で有名な作品は『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(注2)です。。いわゆるフェイクドキュメンタリー方式の「モキュメンタリーホラー映画」の草分け的作品ですね。


 では、映画でいう「三人称」とは何かと申しますと、上記以外を指します。つまり、俳優がカメラのレンズを見ておらず、カメラがブレないように台に固定されている状態(クレーンなどで台が可動の場合も含む)での撮影です。


 ……。もうお気づきでしょうが、そうです。映画はほとんど「三人称」です。


 正確にいうと、シーンの九割以上を「三人称」で撮影し、キメシーンなどでアクセントとして「一人称」での撮影が取り入れられて製作されています。



 小津作品もこの「三人称」方式を採用してはいますが、かなり独特です。


 『東京物語』(注3)を筆頭に小津作品は会話劇が中心で、俳優のバストアップショットを交互に切り替えて会話シーンを表現しており(例:画面にAが映りAがセリフを言い、次にAの会話相手のBに画面が切り替わりBがセリフを言う)、ちゃぶ台越しやテーブル越しの描写が多用されます。


 しかし、このバストアップショットで、俳優がカメラ目線でセリフを話すことはほとんどありません。なぜならば、カメラの位置が、少しアングルをしているからです。加えて、カメラは全く動きません。


 つまり、俳優は話しかけているわけではのです。また、カメラは固定されているため、無機質さによる淡々とした客観的な描写ともいえます。


 これなんといいますか、「ちゃぶ台の上の楊枝入れ」の目線なんです。


 また、「見上げている」がミソでして、バストアップショット以外では過剰なアオリにならないように日本家屋の構造を上手く利用した撮影がされています。


 例えば、ふすまや障子を開けて、廊下や隣の部屋からローアングルかつ、かなり引いた状態で全体をフレームインして固定します。この引きでの構図があまりも完璧で美しいため、国内外問わず小津安二郎監督のファンが多い要因の一つです。


 このような緻密な画面構成により、小津作品の観客は「ちゃぶ台の上の楊枝入れ」気分……「ものは言えないし、登場人物たちに何もできないけれど、自分はこの一家(登場人物たち)を見守っている」という感覚になれるわけです。


 この独特な固定ローアングル撮影方法は『小津調』と呼ばれています。



 小津作品は、一般家庭の一幕を切り取ったものが多く、普通の人々が互いに関わり合い心情が揺れ動く様子が淡々と、それでいて温かく表現されています。


 この相反するような感覚は、上記の独特なアングルに起因しており、観客を「ものは言えないものの」登場人物たちを「見守っている」という心理状態にし、「温かみ」つまり愛情を抱かせる効果を生み出していると言えるでしょう。


 小津安二郎監督は巧みにカメラアングルを操ることで、作品の持つポテンシャルを最大に引き出しており、まるで魔法使いですね。(ドヤ顔のタイトル回収)



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<注釈>

注1 『デッドプール』2016年公開のアメリカ映画

ティム・ミラー監督 ライアン・レイノルズ主演

 MARVELコミック作品に登場する同名ヒーローを主人公にした映像化作品。

 元々はヴィラン(悪役)なためヒーロー然とした行動はあまりせず、偶然が重なると、ごくたまにヒーローっぽいこともするにすぎない。

 インモラルかつシュールでブラックな笑いで、MARVELコミックの他ヒーローをこすりまくり、ついでにライバル会社のヒーローもこすりまくり、恐れ知らずの大人向け異色アメコミ映画として興行的にも大成功し、それまで「まぁまぁ」くすぶってたライアン・レイノルズ氏の超当たり役となった。

 日本でいうと『ポプテピピック』的な立ち位置。



注2 『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』1999年公開のアメリカ映画

ダニエル・マイリック監督、エドゥアルド・サンチェス監督

 「魔女村を訪ねてインタビューしてた若者が失踪し、撮影ビデオだけが見つかった」という設定のフェイクドキュメンタリー。

 全編ハンディカムで撮影されており、とにかく手ブレがすごい。

 超低予算(6万ドル)で作られて超大ヒットしたため、そのあと二匹目のドジョウが大量発生したモキュメンタリーホラー映画の金字塔。

 筆者は手ブレ映像を見ていると、すぐに酔って気分が悪くなるので、この手の作品は苦手である。

 あと固定カメラで撮られたモキュメンタリーホラーだと、うつらうつらして肝心のホラーカットインを見逃すので、やはり向いてない。



注3 『東京物語』1953年公開の日本映画

小津安二郎監督

 東京で暮らす長男夫婦に田舎からはるばる会いにきた老夫婦が、仕事で忙しい息子たちからすげなくされる。だが、戦死した次男の妻だった紀子だけは、東京見物に案内したりと甲斐甲斐しく老夫婦をもてなすのだった。

 戦後日本の一家族を切り取った作品。白黒の古い映画ながら「家族」に伴う普遍的なテーマが読み取れる。

 小津監督関連のイベント企画では、映写機でフィルム上映されることも多い。

 とにかく画面の構成美が凄いので、ぜひタイミングが合ったなら映画館の大きなスクリーンでも観てみてほしい。

 ただ、静かで淡々としている作品のため、前日はよく睡眠を取ってから観賞しよう。

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小津(オヅ)の魔法使い『ちゃぶ台から見上げる世界:固定ローアングル撮影で表現される映像的三人称』 笹 慎 @sasa_makoto_2022

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