光景 〜《眺望》の緑のクチナシより〜

憂杞

XX.光景[フィカーナ]

 私には三分以内にやらなければならないことがあった。虚空につくり出した窓越しに対峙する黒の少年クチナシを、この残酷くそったれな現実世界に留まらせるために。

 彼が目を見開いてこっちを凝視しみつめてくる中、私はのべつ幕無しひっきりなしに伝えるべきことを喋りつたえ続けた。時間は限られてる。こうしてる間にも少年を囚えるべく、連中そしきもあの黄花おんな赤花せいねんもそれぞれ動いてる。

 最悪いみが伝わらなくても、気さえ引ければそれでいい。私は彼を戸惑わせてでも伝えかたるべきことを伝えかたる。例えば、私がながめてきたものを。自分の走馬灯おもいでを自分の口でなぞるかのように。


   *


 私は物心ついた頃から不自由なく生きられた。なにせ生まれながらに緑のクチナシと呼ばれる異能者ばけものなのだから。

 クチナシの異能者はそれぞれ異なる色が一輪ひとりずつ、この世界に数えられるだけ存在してる。植物と呼ばれることだってあるのだけれどもとは皆ただの人間。でも色によって別々に持たされる強大な異能と、体の別々の箇所につく花の刻印が特異性ひととのちがいとして在る。私の場合は右手首に緑の花印があって、異能は《眺望》。世界中のどこにでも繋がる窓を幾らでも出すことができる。(説明これだけでいいよね?)

 この力と――前世のようなものだ――の所為おかげで、組織やつらの管理下にあった私はどこかの無人家に逃れて過ごせてるわけだ。

 生きるのに必要なものはだいたいぜんせの記憶から教わって、私はそれらを窓の外からってくだけでいい。それがたとえ商品うりもの宝物ひとのものでもお金とかは払わなくても問題なにもなかった。奪われたところで人間に私を捕まえることは出来ないし、危険を感じたらまた彼方よその棲み家に転居いどうすればいいのだから。

 生き延びる為と思えば罪悪感わるぎはとっくの昔に失せた。そもそも法律なんてどれも人間が勝手に決めたもので世界の摂理ぜったいではないのだから、禁止やくそくだけされたところで出来てしまうものは仕方がないわけだ。それに、異能者達わたしたちの命は普通の人間よりも重いという事実せつりだってある。『クチナシが死ねば忽ち次のクチナシが産まれる』。具体的には、異能者が死んだ直後に世界どこかで子を産み落とした母親が植物はなと化し、産まれた子に死んだ異能者の異能と刻印が引き継がおしつけられる。要するに私が死ぬことで見知らぬ女性の人生が終わって、見知らぬ子が望まずして世界の敵ばけものになるという悲劇おおごとが繰り返されてしまう。それに比べればたかが違法めいわくなんて些細ちいさ不可抗力さいがいでしかないということだ。

 なんて思いつつ十分な衣食住かてうばって一人で存えることは、《眺望》の私からすればあまりに簡単つまらなすぎることだった。他色の中には制御ゆうずうが利かなすぎて自他ともに危険を伴う異能者もいるらしい――だから余計にクチナシ達は世界の敵とされてる――のだけれど、私の窓は全部私の思った通りに動くから何の不自由もない。おそらく緑花は特にどの異能者ばけものの中でも、ひいては世界中のどの人間よりも恵まれた存在ばけものといえた。

 だからこそただ漫然のうのういききて眺めいき動いいき奪っいき食べいきて生き続ける日々は、ただただ退屈きょむ摩耗くつう無意味ちゃばんとしか思えなかった。結局、不自由を失くしたところで私も摂理クチナシに囚われた虜囚そんざいに過ぎなかったわけだ。生存できて当然な力を持つがゆえに、死ぬ選択肢じゆうをも失くしてたようなものなのだから。

 無人家すみかの中で特にすべきことがない時は、外の適当な場所を窓から眺めてた。いつもは慰安きばらしに広い湖や草原などの自然けしきを観るだけだけれど、たまに探りを入れるように人けの多い街中ざつおんを観る時もあった。人間なんて視界に入れるにんしきすることすら嫌いな筈なのにそうしてたのは、往生際あきらめの悪いことに密室こころのどこかで自分が捕まる事故なにかでも起きて、いっそ全部を終わらせられないか期待してたからかもしれない。かといっていきなり堂々と公前にすがたを現しはせず、ただ慎重おくびょうに物陰から辺りを視聴しながめて、挙げ句には逃げるように裏手の方へ離れてくだけ。

 でも、そんな時だった。私が黒のクチナシを偶然見つけたのは。

 人けもなく草木も生えない池の畔にそれはいた。左下瞼に大きめの泣きぼくろのような黒の花印を持つ、十歳ほどの少年の姿をした異能者クチナシ。彼の異能は《不死》で、通説うわさではこのなりで四千年かそれより遥かに永く生きてるという、クチナシわたしたちの原初。それが、窓を隔てて私のすぐ傍にいた。大昔から自らの手でも数え切れないほどの人間を殺してて、世界中の誰からも捕縛と死を望まれてる大罪人ばけものが。

 他人空似せいかと思うのが普通だった。彼は例の世界的組織――クチナシ専門の収容施設ろうごくからどんな悪者ざいにんよりも高い懸賞金だって懸けられてる最重要指名手配犯ちゅうもくのまとで、その発見は星外生命体うちゅうじんなんかのそれよりもずっと希少とされてるのだから。

 でも当時の私には疑いを挟む余地なんてなかった。初めて目にしたその少年は、自分で自分の右手を喰らってた。左手でみしみしと音が鳴るほど右腕を強く掴んで、人差し指の先から噛み切って、中指、親指、薬指、小指、そして手首までを骨ごと噛み砕いて、何度も池に吐いて、蹲りながら溢れ出す血も啜り続けてた。少年の声で呻きながら。両目からは涙を流しながら。

 化け物だ、と率直すなおに思った。私は息継ぎのように窓から目を逸らして自分の散らかった部屋を見る。いつもの私なら身の安全の為にあの場からは完全に撤退してただろう。でも彼ほど貴重な存在はいないから、目を離すわけにはいかないと思って窓は近くの石壁の裏に置いたままでいた。今思えば懸賞金なんて要らないし組織とまた関わる危険を冒すだけだから、ただ混乱とりみだしてただけとしか言いようがないのだけれど。

 だから私は、また彼の方を観てしまった。だいたい十秒もしない間のことだったけれど、少年の喰われた筈の右手はきれいに元に戻ってた。その異常な再生速度もはなしに聞いてた通りだ。知る限りでは他に類似の異能はないから、彼こそが《不死》の黒のクチナシで間違いないということだ。

「早く、行かなければ」

 私が呆然ぼんやりと考察してる間に、黒の少年はそう独り言ちた。血塗れになった右腕やその周辺を池の水で雑に洗って、近くに脱ぎ捨ててあった黒い外套を着てよろけながら立ち上がる。うるさくないよう押し隠してるようだったけれど、彼の息はずっと荒いか絶え絶えなままだった。そんな状態で、行くって何処へ? 君は世界中で探されてる存在だよね? 血の臭いをつけたまま見つかる危険まで負いながら何処へ行く? そんな傷物ぼろぼろの外套だけで目立たずに動けるとでも?

 そんな私の山ほどの疑問をよそに、その日の少年はただ街の様子を窺うながら建物の陰を歩いて、しばしば膝をつきながらも歩き続けて、それから結局のところ特に何もなく、また誰もいない池に立ち寄って呻きながら右手を食べるだけだった。

 訳が分からない。何がしたいのか全然まったく理解できなかった。最初はまさか出頭するのかと思ったけれどそんな素振りはないし、むしろ妄りに人間に見つかることはちゃんと恐れてるようだ。次に罪状うわさ通り誰かを殺すのかと思ったけれど、外套を除いて少年は薄着で明らかに丸腰だし、あてどなしに街を覗く様からして定まった標的もなく動いてる。第一、どちらにしても満身創痍ぼろぼろの状態でわざわざしに行くことではないだろう。

 きっとそういう魍魎ばけものなのだとすら思った。分かろうとするだけ無駄だろうとも。だから繰り返し言うようだけれど、いつもの私なら撤退して全部忘れる筈だった。なのにあの日以降、私は黒の少年から片時もを離さなくなってた。


 それが、もう数年も前のことだ。この数年間、私は少年がまともな睡眠や食事をとる姿さまを観たことがない。

 彼の睡眠といえば、たびたび不意に起きる十秒足らずの気絶ていしばかりだ。気絶というより、人間で言うならばおわりかもしれない。毎度とまでは言わないけれどおそらく頭の血管がそのたびに切れてる。実際、少年自身も分かってるらしく、苦しみながら川辺の石でわざと頭を殴って血を流させる時があった。そうすれば後は《不死》の再生能力でどうとでもなるという理屈むちゃだろうけれど、それだけで結局のところ睡眠の問題しつを本当に補えてるかは未知なままだ。ただ、何にしても私の個人的見解かんがえでは体は人間なのだから普通に寝た方がいいと思うし、そもそも少年を追うこっちの睡眠も浅くなるから私の為にも寝てほしかった。

 食事はというと、最初に観たのとずっと同じだ。人のいない水辺で毎度計り知れない苦痛に悶えながら、そういう執着こだわりでもあるのか自分の右手ばかり喰ってる(まあ普通に考えて他の部位まで喰らいたくはないだろうけれど)。

 それで、いつだったか見かねた私は気付かれないように、小窓から少年に向けて木の実を幾つか転がしたことがあった。程なくして少年はすぐ傍に落ちた木の実に気付いて、拾うまではよかった。拾う前にわざわざ池の水で手をすすいだのもまあ分かる。でも、その先が理解できなかった。

 少年は木の実を一つも口にしようとせず、珍しく明確な意思かんがえを持ったような足取りで歩きはじめた。例によってよろけながらも急いでるような速足で、時おり人間の数倍ばけものと思える速さで走る時もあった。堪えるように砕けんばかりの歯噛みをしながら進んでた少年は、ある街の住宅地の裏手に着くなり足を止める。そこはいわゆる貧困層しにかけが多く住む地区しゅらばだ。少年は壁と壁の隙間から一人の痩せた子供を見つけると、私がそうしたように全部の木の実を向こうへと転がした。

 信じられないものを見た、としか言いようがない。黒の少年はそれから子供が木の実を拾うかも見届けず、足早に来た道を戻った。それからはいつも通りに、知らない場所の陰だけ歩いて様子を窺って、結局何もなくまた水辺に行き着いて泣きながら右手を喰らった。

 一つだけ私が分かったことは、黒の少年は殺人者うわさとはまるで違う存在だということだ。彼はここ数年でこの他にも、自分への被害くるしみも厭わずに人間を救おうとする時が幾度かあった。それに、彼が一人で蹲ったり立ち止まったりしてる時に、たびたび同じように口にしてる譫言ことばも私は聞いた。

『俺がこうしている間にも、どこかで何人もの人が死んでいる』

『早く探せ。俺が救うべき命を』

『俺の在る意義を、死なない意味を……』

 私の勝手な解釈かんがえもあるのだけれど、少年は他人に救いを与えることで自分の居場所を得たいわけだ。自力でとっくに棲み家それを得て、なお他人から奪い続ける私とは真逆の生き方をしてる。でも摂理クチナシの存在に囚われて、異能クチナシで道理をねじ曲げて意思を押し通そうとするあたりは、私と少年は同じといえた。

 もがき続ける少年をながめ続けるうちに、私も次第に健康まともではなくなってた。少年を追う為に何時間も睡眠を削ったし、奪ることへの罪悪感を自覚おもいだしたせいで最低限すこしの食事しか摂らなくなった。本人はまだ気付かないようだけれど、少年はしかと私に正しい罰を与えてたわけだ。


 だから、いつか私も与え返したいと思った。君に最もふさわしいすくいを。


   *


 そして、つい先日のこと。君はメーデア黄のクチナシとその親友であるミュート赤のクチナシに出会った。ミュートかれの方はともかくとして、メーデアかのじょは黄の異能 《伝心》で君のことをほんの少し知ってしまったのだろう。すぐに心を痛めて君を救いたいと強く願った。そのせいで今、最悪な計画が始まろうとしてる。

 手で触れてる相手と自身との心を伝え合う《伝心》の力を応用して、黄花メーデアは君に幸せらく幻影ゆめを見させ続けると言い出した。自身かのじょが死ぬまで、ずっと醒めないうそを。あろうことか自分達を縛りつけてきた組織れんちゅうの助力まで得て。そして、何を思ってか知らないけれど、君は押し黙ってそれを許容しうけいれようとしてる。

 私は分かってるよ? 君は不本意いやだと。この世界に君の居場所なんてない、もう消えてしまえと、同族みかたにすら言われてるようなものなのだから。

 だから私の《眺望》の異能で、収容施設しょけいじょうに連れられる君をここへ逃がした。この場所に繋がる大窓をすぐ傍に出現させて、もう一つ開けた窓から私は両手で君を突き飛ばした。意外にも踏ん張られる力が強いせいで少し焦ったよ。でも、その他にも色々と失敗した。急いでたせいで連中に窓の向こうの景色を見られてしまったし、雑に決めたこの森は組織の本部あのしせつから案外近い場所にあるらしい。

 残された時間はもう一分もない。監視用に辺りに配置している閉めきった窓のうち一つから、組織の人間がぞろぞろと君の方へ走る姿が見えた。

 君達の計画ゆめを引き止める為に、私のやるべきことは決まってた。君は動きが速いから隙もつくらなければ。その為にもいま伝えたいことを伝えたいだけ話す。

 右手首の花印を見せれば、君は目を見開いて私の身元いのうを理解した。私はのべつ幕無しに喋り続ける。君を数年ずっと前から観てたことを。君と私は全然違ってて同じであることを。間違った生き方をした私に何が正しいかなんて分かる訳がないことを。たとえ間違えてでも、君自身の意思を世界に受け入れさせたいことを。

 そして、どうしても伝えたかったことも言ってしまった。君と出会ったせいで私は壊れるほどに傷付いて、それでも今までで一番幸せでいられたことも。

 黒の少年きみは明らかに震えた様子で膝をついて、すぐには動き出せそうにないようだった。私は口元を思わず緩ませながら、お互いを隔てた窓から頭を突き出す。君は慌てて立ち上がって止めようとする。窓枠に囲われた位置まで頸を出したところで、私は勢いよく引き戸を閉めた。堪らず漏れ出そうになった本心ことばを慎みながら。


 ありがとう、少年。私を壊してくれて。


 ぴしゃりと音が聞こえたのを最期に、私の視界は黒に染まった。

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