第4話 抗うことのできない衝動
「レオ? いるの?」
ベッドに横になったまま、エミリアの声が遠くで聞こえた気がする。
薬を取りに行かなかったから、気にして来てくれたのか。
「レオ? 入るよ」
玄関からベッドに横たわる僕は見えないはずだ。
そんな僕を探して、エミリアが近づいて来るのがわかる。躊躇しながらも、少しずつ近づくエミリアに、声が出ない。
こっちに来ちゃダメだ。
そう伝えたいはずなのに、伝えなきゃいけないのに、僕の心の奥底で何かが叫ぶ。
(こっちに来い!)
相反する二つの感情が、僕の中を駆け回って、さらに動機を激しくさせる。
「レオ、薬取りに来なきゃだめじゃない」
近づいてきていたエミリアが、ようやく僕の姿を捕らえた。
そして、僕の顔を覗き込んだ。
僕の目に映るエミリアの心配そうな顔。
さらりと流れる艷やかな長い髪。
その合間に見える白い首すじ。
頭の中で何かが弾けた気がした。
そして僕は、ベッドから飛び起きた。
(エミリア、逃げろ!)
声にならない叫び。
届かない音。
喉の渇きが癒えていくのと同時に、朦朧としていた意識が徐々にはっきりしていくのがわかる。
記憶の最後は、僕の中から何かが飛び出していくような衝動。
自分が何かをしでかしてしまうんじゃないかっていう、妙な不安感の中で強く願った一つのこと。
エミリアは、無事に逃げ出せただろうか。
あんなに渇いて仕方なかった喉を潤す液体。
それを欲して次々に湧き上がる欲求。
その本能に抵抗することもなく、喉を鳴らし続けた。
これは、何?
僕は一体、今何を飲んでる?
途端に腕にのしかかる重量感。
歯に、唇に感じる柔らかな触感。
鼻を抜ける甘い匂い。
頬をくすぐる艷やかな髪の毛。
置いてけぼりだった感覚が意識を追いかけるように戻ってきた。
そして口の中に広がる、鉄の味。
柔らかな何かから唇を離し、腕の重量感を手放した。
何かが倒れるような大きな音に驚いて、目線を足元へと動かす。
「エミリア!」
足元に倒れていたのは真っ白な顔をした、血の気のないエミリア。
その首すじに付けられた赤く血の滲む二つの跡。
あれを付けたのは……僕だ。
倒れたエミリアを抱いて、母さんが残したブリキの箱を抱えて、僕は家を出る。
そしてそのまま、走り出した。
エミリアをあのままにしておくわけにいかなかった。
もしかしたら、隠したかったのかもしれない。
あの時の僕が何を考えていたのかなんて、もうわからない。
走り続けて二日も経てば、僕の足は風よりも速く走り、鳥よりも高く飛んだ。
誰かが叫ぶ「赤い目の吸血鬼だ!」その声に、目の色が変わったことを知る。
あんなに嫌がっていた人間の血。
それを、衝動に駆られてむさぼった。
そして僕に、僕なんかに笑顔を向けてくれたエミリアを、この手で――
人間から向けられる刃に、僕の皮膚を傷つける矢じりに、自分が人間じゃなくなったと思い知らされながら、僕は走り続けた。
街を抜けて、山を越えて。
母さんが日記に書いた故郷を目指す。
別にどこでも良かった。
家で起きたことを忘れたくて、離れたくて。
でも無かったことにできなくて、エミリアを腕に抱く。
そしてたどり着いたのは、黄色い花の咲き乱れる小高い丘の上。
母さんの故郷はもう目と鼻の先だ。
まるで黄色い絨毯のように広がる花の上にエミリアの体を横たえる。
もう亡き骸になった体は、二度と目を開けないし、声を発してはくれない。
そのエミリアの腕に広がる青あざ。母さんの腕にもあったあざ。
その中心に残る、針を刺したような跡。
僕の薬を
人間だった母さん。
僕が飲んでいた薬の原料。
僕は、二人に生かされていたんだ。
僕はエミリアの体に寄り添うように寝そべった。
もう、僕を生かしてくれる人もいないし、良いかな。
ブリキの箱の中に入っていた、銀の短剣。
僕が試すことのできなかった弱点。
さすがに、心臓を穿くなんて度胸はなくて。
でも、もう試してみても良いよね。
エミリア、僕と知り合ってこんなことになって、ごめんね。
母さん、僕を産まなきゃよかったよね。
二人を不幸にした僕は、それでも幸せだった。
母さんに優しくしてもらって、エミリアに笑ってもらって。
僕だけが幸せだった。
吸血鬼が滅ぼされた理由、今ならわかる。
周りを不幸にしかしてないじゃないか。
吸血鬼は、僕で最後かな。
銀の短剣が太陽を浴びて輝いた。
薄れゆく意識の中で、空の向こうに二人の笑顔を見た気がした。
薬で成り立つ生なんてー僕みたいな存在は滅びるべきなんだー 光城 朱純 @mizukiaki
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