第3話 薬の正体
そのノートは途中から母さんの日記のようになっていて、そこには父さんへの愛が詳らかにされていた。
自分の親の恋愛を盗み見るような真似はしたくもなかったけど、顔すら覚えてもいない父さんのことを知れる機会はもうないだろう。
居心地の悪さを感じながら読み進めていけば、父さんが吸血鬼の息子だったってことがわかった。
純粋な吸血鬼はどうやら爺ちゃんで、父さんは人間の婆ちゃんとの子ども。僕は、その父さんと人間の母さんとの子ども。
絶滅させられたはずの吸血鬼は、生きていたんだ。運命の相手を異種族である人間に求めて。その姿を隠してひっそりと。
わずかに残った仲間を助けに父さんが家を離れ、まだ小さい僕を守るために母さんは故郷を捨てた。
どれだけ薄くなろうとも、吸血鬼の血を継ぐ僕は、その身を追われるに違いない。そう思った母さんが、いくつも山を越えて、街を抜けてきたのは当然。
だから僕には、母さんしかいなかったんだ。
ノートを読みながら、自分の生い立ちを知った。
吸血鬼の血が流れているだなんて、信じられなかったし、考えたこともない。
自分自身が気づくこともないぐらい、僕はこれまで人間だった。
それはこれからも変わらないと、このまま人間として生きていけると、そう確信していた。
ノートの、最後のページに書かれた文章を読むまで。
『吸血鬼の攻撃性を抑制するためには、人間の血が必要』
ノートの最後のページ、他のページよりも小さな文字で、走り書きのように書かれたその言葉は、僕の小さな自信を粉々に打ち砕く。
人間として生きていける?
人間の血が必要な生きものが?
いや、僕は人間の血なんて飲んだことはない。
攻撃性なんて、抑制する必要なんかないんだ。
純粋な吸血鬼には必要だったとしても、僕には必要のないものだ。
そう思い込もうとした。
人の血を飲むなんて、考えられやしない。
目を逸らしたかった。
たった一つの心当たり。
物心ついた頃から、毎日欠かさず飲み続けたもの。
今日も明日も忘れないようにと、テーブルの上にたった一つ置いたそれ。
『レオが今のまま元気でいられる薬』
まさか。
母さんの優しい手に渡され、数日前にエミリアから受け取った薬は、テーブルの上で怪しい雰囲気を放つ。
ちょうど今日の分を飲み忘れていたと、いつもと同じように口に放り込む。
飲み慣れた薬は、いつでもどこでも、水分がなくても胃の中に落とし込める。
それでも僕は今日、敢えて口の中でそれを溶かした。
酷い味のはずの薬。味わおうなんて考えたこともない。
徐々に溶けていく薬は、僕の口の中に初めてその味を感じさせた。
口の中を切った時の様な鉄にも似た味。
それが口の中に一気に広がって、僕はその薬の正体を知った。
薬の正体を知った後に襲ってきた酷い吐き気。
口の中に広がった味を吐き出すように、これまでに飲んだ薬を少しでも体内から無くすように、吐いても吐いても無くならない気持ち悪さ。
胃の中のものが出切ってしまったのかもしれない。しばらくすると酸っぱい液体しか出なくなって、そのうちに喉の奥が焼けるように痛みだした。
どこかから血が出てくるんじゃないかと思うぐらいの痛みに、流石に吐くのをやめた。
母さんに言われた『絶対に飲み忘れちゃダメ』な薬を、僕が飲むことはもう二度とないだろう。
攻撃性の抑制なんて知ったことか。
薬を飲み忘れたからって、そんなものが生じるなんて、誰が信じられるか。
純粋な吸血鬼ですらない僕の体のことを、誰が知ってるんだ。
薬を飲まなくなって、三日が経つ。
本来なら明日にでもエミリアの店に薬をもらいに行かなければならない。
でも、未だに僕の体には、これといった変化は見えてこない。
薬を飲まなかった翌日、緊張しながら朝日を浴びた。十字架に触れた。
吸血鬼の弱点だって言われてるものを片っ端から試した。
それでも僕の体はけろっとしていて、やっぱり僕は薬なんて飲まなくたって平気なんだって、嬉しさで心が弾む。
このまま、吸血鬼だなんてことは忘れて、人間として生きていけばいい。
そして今日もまた、吸血鬼の特徴の一つ、赤い目になっていないかを鏡で確認しながら、安堵の息を漏らす。
唇に引っかかる八重歯が気にはなるが、そんなもの大した問題じゃない。
吸血鬼の攻撃性を抑制しなければならないなんて、誰が言い出した。
役にも立たない、
何が起こるかわからない三日間は誰にも会えやしなかった。
普通の人間と会って、普通じゃない自分を見ることが怖かったし、僕自身がどうなるかわかっていないことに怯えてもいたから。
おかげで家の片付けが
薬がなくても生きていける自信がついたら、僕はこの家を出ていく。
そして薬のことを、吸血鬼の自分のことを、忘れて生きていくんだ。
がらんとした家の中を見渡しながら、これまでのこと、これからのことに心を馳せる。
これからどこに行こうか。
どこで生きていこうか。
母さんといた日々は幸せだったし、エミリアの笑顔は頭の中に焼きついて離れないけど。
あの薬を飲んでいた現実が僕の心を痛めつける。
忘れたい。
離れたい。
自分の中からとめどなく溢れてくる感情に耐えられなくて、キツく唇を噛んだ。
その途端に襲う物理的な痛みに、慌てて口を開ける。
そして口の中に流れ込んできた生温かい液体。
広がる、血の味。
何が起きたのかともう一度鏡を見れば、さっきまで引っかかるだけだった八重歯が、立派な牙になってるのが目に入る。
自分の唇すら傷つける鋭利な牙。
自らの血の赤色が滲む白い牙に、心臓が大きく鼓動を打った。
全身が震えるくらいの動悸に、立っていられない。
熱で浮かされたように朦朧とする意識と、息苦しさから逃れるように、僕はベッドへと倒れ込んだ。
ベッドに倒れ込んでからの状態は最悪としか言いようがない。
どれだけ息を吸い込んでも治まらない息苦しさ。頭の上から足の先まで、全身に心臓があるかのように鼓動が打ち鳴らされる。
体の中が熱くて、喉が渇いて、何度も水を口に運んだ。飲んでも飲んでも癒えない渇き。もう入らないと、胃から逆流してきた水分を吐き出しては、また飲んだ。
僕は、どうなるんだ?
自分の体のくせに、何が起きているのかわからない。そのうちに、目が開いているのかどうかすら認識できなくなっていった。
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