第2話 母さんが遺したもの

 母さんが死んで、葬儀とかそういうものが一通り終わって、僕がエミリアのところに来られたのは三日後のことだった。

 エミリアは僕の幼なじみ。

 両親から継いだ薬屋を営んでいて、ずっと僕の薬を用意してくれていた。

 母さんの枕元に僕宛ての薬入れが置いてあって、その中に入っていたのがちょうど三日分。

 つまりは、今日何とか手に入れないと明日の分がないってことだ。

 

「こんにちはー」


 少し古くなった建て付けの悪い扉に手をかければ、錆びついた蝶番が嫌な音をたてながら扉が開いた。


「いらっしゃい」


 薄暗い店内から聞こえてきたのは、エミリアの声。僕より少し歳上の彼女は、いつでも落ち着いていて大人っぽく見える。


「あの……薬が欲しくて」


「レオ……」


 エミリアが僕と話をしながら、ランプに火を入れた。オレンジ色の炎に照らされた室内は、外観からは想像できないぐらいに綺麗に整頓されていて、古さは微塵も感じない。


「僕の体の薬をここで受け取れって」


「そっか。レオが来たってことは、そういうことよね」


 エミリアがほんの少しだけ俯けば、その長い睫毛が頬に影を落とす。


「三日前に」


 誰がとか、どうしたとか、そんなことを口にしなくてもエミリアには十分通じるだろう。

 それに僕自身がまだ口にできるほど気持ちに整理がついてない。


「そう……私、ちょうど薬草を取りに遠出してて。ごめんなさい」


 二人で下を向いて、頬だけじゃなくて気持ちの中にまで影を落として。

 ランプの中でチラつく蝋燭の火に照らされたカウンターの木目が、妙にハッキリと目に入る。

 どこに置いてあるのかもわからない時計の針の音が耳に響いて、鼻をつくこの匂いはなんの薬だろうか。

 心が鈍くなった分、それ以外の感覚が研ぎ澄まされているような、違和感。


「薬、もうなくなっちゃうんだよね?」


「あ、う、うん」


 二人で作り上げた暗い空気を、切り裂いたのはエミリアの声。

 さっきまでの声よりも、ほんの少し高く大きく、無理して出してるような声。


「何日か分渡しても良い? ちゃんと一日一回、一人で飲める?」


 ここでも。

 僕だってもういい歳だ。薬ぐらい一人で飲めるし、そこまで言われなきゃいけないぐらい出来損ないに見える?


「薬ぐらい、飲めるよ」


 不機嫌な気持ちを隠さない様に発した声に、エミリアが少し驚いた顔をした。


「それもそうよね。ごめんなさい」


 全く悪びれた様子もなく、夜空に咲いた花火のように鮮やかに笑うエミリアの顔は、僕の心にしっかり刻み込まれて。


「別に」


 照れ臭さと、心の隅で燻る不機嫌さが、僕の態度をぶっきらぼうにさせる。


「そしたら、これね。一週間分しかできなかったんだけど、また取りに来てくれる?」


「うん。また来る。ありがとう」

 



「ただいま……」


 エミリアから薬を受け取って、家に帰ればこれまでと同じように口の中から言葉が出ていく。

 誰からも返事はないって、わかっていてもこれまでの習慣を変えられない。

 明るさのない家の中が、母さんがいなくなったことを僕に痛感させた。


 狭い家の中に未だに残る母さんの名残。そして襲い来る虚無感。

 母さんが亡くなってから三日。感じることのなかった喪失感が一気に膨れ上がった。


「かあ、さん……」


 たった二人きりだった。物心ついたときには、僕の隣には母さんしかいなかったし、母さんの隣にも僕しかいなかった。父さんを知らない僕には、ずっと母さんしかいなかった。



 母さんの痕跡をたどるように、そしてそれを消すように、僕は三日三晩家の片付けに没頭した。

 できれば僕自身がこの家から消えてしまいたくて、家を捨てるその前に、できる限りの片付けをしようと、そんな単純な動機。


 母さんは自分の最期に気づいていたんだ。寝室の片隅に置かれた母さんの引き出し。普段の衣類以外のものがほとんど見当たらなくって、残された僕が困らないようにって自分のものを整理して旅立った。

 たった一箱、ブリキの箱を残して。

 錆びついて今にも壊してしまいそうな箱の蓋を開けば、中身は一冊のノート。

 いや、ノートなんて大層なものじゃない。

 いらなくなった紙切れを紐でまとめただけの紙の束。

 わざわざそんなものを、どうして大切に残してあるのか。衣類以外のものが見当たらない母さんが、わざわざこれだけを残した理由。

 それは偶然なんかじゃない。

 母さんは、僕にこれを残した。


 だけど、これは本当に僕が読んでもいいのだろうか。


 もしかしたら、母さんの触れてはいけない部分に触れることになるのではないか。


 家の中でたった一人。まるで犯罪に手を染める様な気分だった。

 悪いことだってわかっていても、やらずにはいられない。それでいて、誰にも知られてはいけないような。

 痛いぐらいに心臓が高鳴って、鼓動が早すぎて息苦しさすら感じる。


 その苦しさから逃れるように、僕は一ページ目に手をかけた。


 そこに綴られていたのは、もう十数年前に滅んだはずの吸血鬼ヴァンパイアについて。

 その性質とか、弱点とか、そういったものが事細かに描かれていた。


(これは、何?)


 十数年前まで、当たり前に共存していた吸血鬼。

 その身体能力の高さや、寿命の長さに危機を感じたその当時の人間が、長い研究の末にたどり着いた弱点を、徹底的に攻めたてて滅ぼした種族。

 僕が見てるノートは、まるでそれについての研究結果だ。



 読み始めた時はまだ明るかったはずの窓の外は、既に夕暮れも過ぎ去って、辺り一面夜の闇に包まれた。

 途中でランプの中に灯りを入れて、ぼんやりと浮かび上がるノートの文字を何度も読み返した。

 そしてようやく、たった一つの結論が、僕の目の前に降りそそぐ。


 僕は、吸血鬼の血を受け継いでいる。 

 

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